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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2017-10-20-Friday 禁酒

5月19日(金)から禁酒を続けている。今日10月19日で丸5ヶ月間154日連続で1滴もアルコール類を口にしていないのである。アメージング!

高校生の頃に酒の味を覚えて以来、人並み以上の量を、ほぼ毎日の様に飲んでいた。

若い頃は、酔う為に酒を飲むから、費用対効果が良いアルコール度数の高いウィスキーが主流であった。

私の酒は基本的には「寝酒」である。つまみも無しに酒だけをグイグイと飲んで酔っ払ったところで寝るのだ。

イギリス人がナイトキャップと称して、ウィスキーをストレートでキュッと一杯やる映画を観て憧れたものである。しかし、1杯では終わらない・・・。

普段の家庭生活では晩酌はしないが、飲み会では酒を飲みながら食事もする。その際にウィスキーは飲まない。料理にウィスキーは合わないからだ。

食事しながら飲むのに一番好きな酒は日本酒である。料理には日本酒が一番合っていると思うし、また美味いとも思っているが・・・、逆に美味いと感じるものだから、ついつい限度を忘れて飲み過ぎてしまい二日酔いに悩まされることも多かった。

まだ飲み会だけで止めておけばよいものを、帰宅してから寝る前に更に寝酒としてアルコールを追加する。「これじゃ身体に良い訳ゃないよ!分かっちゃいるけど止められねぇ〜!」のである。

40歳になった頃から、年末年始の飲み会などが続くと、肝臓がダメージを受けてさすがに酒を美味しいとは感じなくなってくる。そうなると肝臓を休める為に2月の1ヶ月間だけ禁酒をするのである。

酒を不味く感じるとしばらく禁酒する、このパターンで、ここ20年くらい過ごしてきた。しかし、2ヶ月以上も禁酒することはなかったのである。

醸造酒の日本酒の二日酔いは辛いから、美味い日本酒を止めて、不味い蒸留酒の芋焼酎に替えたりもしたが、アルコールの無い生活は考えられない。

それを、治療中は医者から止められたとはいえ、5ヶ月間も1滴も飲まないなんて・・・。

治療が終わったら、まず一番やりたいことはビールをグイッと飲むことである。


■2017-10-19-Thursday 18日

昨晩の22時過ぎ頃に、物凄い稲光が数度ブラインド越しに光って見えた。札幌はずいぶんと雷が多いなぁ〜。

家から持って来たDVDを全て見終えてしまったので、暇潰しに何か「不思議な」シリーズ物を購入してマジック・ミュージアムに置こうかと考えた。CDショップで古いDVDが安売りしていて、その中に「Xファイル」があったので1〜4巻までを購入してきた。

この「Xファイル」であるが、宇宙人・UMA・幽霊・超能力・モンスター・怪奇物語などの「超常現象」をテーマにしたFBI捜査ものである。でも、よせば良かったなぁ〜。このDVDは病院で見る類のものではなかったなぁ〜。ハッキリ言って気味悪い。しかも謎を解決してくれないからモヤモヤが残るのである。夜中に目が覚めるのはこの「Xファイル」のせいなのかもしれない。

朝8時30分からシャワーを浴びていたら、グラッとよろけた感じがした。めまいを起こしたのかと思ったが・・・。部屋に戻ってテレビを点けたら、40分頃に札幌で震度2の地震があったと云うテロップが流れた。そうか〜地震だったんだぁ〜、良かったぁ〜。治療の副作用で貧血でも起こしたかと心配してしまったではないか。

もしも治療中に大きな地震が起きたらどうなるんだろうか? 今日、水曜日は治療が休みであるから、明日の治療の時に聞いてみることにしよう。

今日は09:30〜14:30まで、北大病院内のアメニティホールを会場にして衆議院選挙の不在者投票が行われた。

今回の選挙期間中は帯広には居ないし、11区の女性2人の一騎打ちはメディアでは「夫が共に11区で当選した政治家」だの「共に聖心女学院卒業」だのと共通点などをあげて囃し立てているが、私的にはサッパリ盛り上がらない。どちらも政治を家業にしているようで積極的に応援する気になれないから投票には行かないつもりでいたのだが、北大病院で不在者投票が出来ると云うのである。治療と選挙が重なるなんてことは滅多にないことであるし、何事も経験であるから、このブログの話のタネにもちょうど良いと思い直し、申し込んでおいたのである。

今日、投票できるのは事前に申し込んでいた人だけであるが、北大病院には北海道中から患者が来ているので、受付の係の人は大変である。受付は1ヵ所だけで、氏名のアイウエオ順でしか一覧表がないから、確認作業に時間が掛かる。今朝は寒かったし、会場が広いので行列を待つ間に結構身体が冷えたのであった。

まずは、,糧峭罎亮付で、腕に付けた認識票で名前を確認してからピンク色の封筒を渡される。二重になっていて、外側の封筒には私の氏名、住所等を書いた紙が貼られている。その横に自筆で自分の氏名を書く。中のピンクの封筒には投票用紙が入っていて、△両貊蠅砲△訃徇のところに行って、この投票用紙に立候補者の名前を書く。

北海道には12の選挙区があるがB4判の紙12枚の中から自分の選挙区の候補者名が書かれた紙を探しだして書かねばならない。衝立は3つあるのにこの紙は1セットだけしかないからこれも調べるのに時間が掛かる。

の番号の場所に行くとテーブルには3人の係官が座って居て、1人目が中の封筒と外側の封筒の2つそれぞれに糊を付けて封をする、2人目が外側の封筒に日付印と投票場所(北大病院)のゴム印を押す。3人目が糊付けとゴム印を確認してから私に戻され、私が封筒を受け取って投票箱に入れる。

ぁ銑Δ録綽Г良筒になって「比例代表の党名」を書く用紙。党名の一覧表が貼ってないから分かり難い。А銑は黄緑色の封筒で「最高裁裁判官」の×印を書く用紙になる。この3つを同じ手順で繰り返して終わりである。

病院ではこんな風にやるのかと経験しただけである。誰に投票したのか、はたまたしなかったのかは個人情報と云うことでヒ・ミ・ツ・にしておく。

投票を終えたが、水曜日は私の治療が休みなので散歩に行くことにした。映画は、もう見たい映画が上映していないから止めた。今朝は気温が低く曇天であるが、雨は降っていないので北大キャンパスを2時間掛けて歩いた。ざ〜っと15劼亙發い燭里任呂覆い世蹐Δ?

実に広いキャンパスである。このところは運動不足気味であるのに急に長距離を歩いたものだから足腰が痛くなってきたので駅前方向に向かい足裏マッサージを受けてきた。今日はグッスリと眠れそうだ。


■2017-10-18-Wednesday カメラ

次女から欲しいと要望のあった一眼レフカメラであるが・・・。

オリンパスカメラのカスタマーセンターに直接電話して確認してみたら、フィルムカメラのレンズをデジタルカメラに装着するには「MF-2」と云うアダプターが必要だが、レンズの倍率が2倍になってしまうのだと云う。更に、既に数年前に生産を中止しているので、入手するには中古市場で探すしかないと云う。ネットで調べてみたら定価の2〜4倍の値段で出品されていた。希少価値と云うことなのだろう。これでは、昔の交換レンズを使う意味があまり無い。

私が初めて手にした一眼レフカメラ、オリンパスOM-1は大学1年生(18歳)1976(昭和51)年の夏休み期間中に、ライオンズクラブの交換留学生として35日間ニュージーランドに派遣される時に購入したものであるから41年前のカメラである。

留学の記録用にと持って行ったカメラであるが、当時はコンパクトカメラなんてもんは、同じオリンパスのPenくらいしか無かったし、一眼レフカメラが主流であったのだ。OM-1は一眼レフにしては小型軽量で旅行にはちょうど良い大きさだったのである。

何にでもすぐに凝ってしまう私は、帰国後にカメラにも凝って、交換レンズを買い足したり、新機種のOM-2が発売されたら、それも購入してカメラ小僧になっていったのである。

1985(昭和60)年の新婚旅行にもこのオリンパスOM-2に40-150mmのズームレンズを装着して持って行ったのだが、レンズが重くて長くて邪魔で持て余したのであった。

それでも、その後もこのカメラを大事に使用してきたが、世はフィルム一体型の「写るんですよ」や小型のカメラが主流になっていったがフィルムはまだ35mmのものであった。

「北の屋台」の研究で1999(平成11)年に海外に取材に出掛ける際にも、35mmフィルムカメラのコンパクトカメラを購入して持って行った。スナップ写真程度ならこれで十分に用を足せる。当時のデジタルカメラはまだサイズが35mmフィルムのコンパクトカメラよりもかなり大きかったし、解像ドット数が低くて映像がまだまだ荒かったのである。

その内に、デジタルカメラの性能が飛躍的に伸びてきて、大きさも段々と小さくなっていった。

しかし、フィルムの大きさと云う制約があるから、フィルムカメラ自体の大きさは35mmフィルムよりは小さく出来ない。標準の35mmフィルムは、観光地の土産品屋でもタバコ屋でも、どこでも売っていたから、簡単に入手出来たものだったのだが・・・。1996年にフィルムの型を小さくした規格のAPSフィルムのカメラも登場したが、このAPSフィルムはカメラ店でなければ購入出来なかったから一般には普及しなかった。

やがてデジタルカメラの大きさが手の平サイズになり、ズームやフラッシュ機能まで付いて1万円台で買える様な時代になった。フィルム会社最大手の米コダック社が倒産するなどフィルムの需要がガクンと落ちた。もはやフィルムカメラは一部のマニアのモノになってしまったようである。

結局、カメラも電化製品化し、旧来の光学系の製品との互換性もなくなった。何となく悲しいなぁ〜。