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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2008-04-01-Tuesday 右膝痛

昨日の夕方、急に右膝が痛くなった。

昼間は階段の昇降時に違和感があった程度だったのだが、自宅に戻ってから痛くて階段も登れなくなってしまったのである。

別段スポーツをしたわけでも、無理な姿勢でいたわけでもなく、ましてや打撲をしたわけでもない、まったくもって思い当たる節がないのである。

妻が「パパも年だから」と笑うのであるが、私は「右膝も左膝も一緒に生まれて来たのだから同じ年だ。右膝だけが年で痛くなるなんてことはない」と憤慨してみせた。すると、「肥り過ぎで膝に負担が掛かっているのよ」と言う。そう言われると段々不安になってくる。テレビのCMでは、年を取るとヒエラルロン酸が不足して膝が痛くなる。ともやっているのでそれなのかな?とも考えたのだが、生兵法は大怪我の基というし、素人が勝手な治療法をやって悪化させたら、それこそ今年から頑張ろうと思っているゴルフに支障をきたしてしまうから、大嫌いな病院(整形外科)に行く事にしたのである。

医者がレントゲンを撮って診ると、「コレステロール値の高い人に多い症例だが、膝の皿の表面にカルシューム状の突起が出来ていて、筋肉に当たって炎症を起こしているだけだから、すぐに直りますよ。」と言う。行って正解だった。やはり、素人考えで対処しなくて良かったと思う。

今月から、メタボがどうのと政府が個人の健康状態まで気を配ってくれるそうだが、自分の身は自分で管理するしかない。

食事もそんなに大食いの方ではないし、酒量も控えているし、温泉にも入っているし・・・

でも、少し痩せないとお腹ばかりじゃなく足にも来てしまうかもね。妻の言う通り、少し体重を減らして膝の負担を軽減する事にしよう。


■2008-04-02-Wednesday 膝痛2

昨日、生兵法は大怪我の基と書いたばかりなのに・・・

病院でもらった鎮痛消炎剤が効いてきて痛みが弱くなったので、痛いところを一生懸命に擦っていたら夜になってその箇所がボッコリと腫れ上がってしまった。

今度は前にも増して痛みが酷くなって歩けなくなってしまい、ついに今日は会社を休んでしまったのだ。やはり素人療法はいけない。

足を曲げると激痛が走り、靴下やズボンを履くのさえ大仕事である。歩くのにも不自由で階段の昇降や自動車の乗り降りが大変なのである。歩いていると右膝が逆に折れ曲がる様な感覚がするので恐ろしいのである。「膝の余裕」というのが歩く上でとても重要な要素であることを初めて体感した。そういえばHONDAのCMで2足歩行のロボットが歩き回るのがあったが、あのロボットの膝も曲がっていてクッションの役割を果たしているのだなぁとフト思い付いた。

たかだか、膝の表面にほんのチョットした突起が出来て、それがこれまたチョット神経に触れただけで、こんなに痛くて足が動かせないないなんて想像もできなかった。

これまでお年寄りが歩けないというのを人事でしか感じられなかったが、ようやく人の痛みを実感することができた。この経験を単なる怪我としてではなく。これからの生活に活かそうと真剣に思わされた。「人生、何事も無駄は無い」のである。


■2008-04-03-Thursday 落語

31日の夕刊に古今亭志ん朝のDVD発売の記事を見つけた。

早速にインターネットで注文をした。

昔からの大の落語好きで、大学生時代、池袋に住んでいた2年間は良く、池袋演芸場に通ったものである。卒業後も出張の折に上野の鈴本演芸場や新宿の末廣亭には良く足を運んでいた。何せ、死んだ父が芸事が大好きな人で、初めて東京に連れて行ってもらった小学4年生の時には、上記の二つの演芸場や日劇ミュージックホール等にはしごで連れて行ってくれたくらいなのである。

血は争えないもので、昨年5月に大学に入学したばかりの次女と新宿で待ち合わせて、何処に行こうか?と聞いたら、落語を聞きたいと言うので末廣亭に連れて行き、その後、鰻を食べてから別れたことがあった。長女に話したら、「私ならそんなところには行かない。」と言って笑っていたが・・・。

落語はこれまでCDで買って、自動車の中で聞くことが多かった。特に好きな落語家が志ん朝で、小学生の時に父に連れて行ってもらった帯広市民会館での落語会で初めて生で志ん朝を聞いてからのファンである。当時はNHKの「お笑い三人組」という番組に出演していた小金馬(現:金馬)の方が人気があったのだが、小金馬はだみ声でテンポも悪く、少しも面白くなかった記憶がある。一方の志ん朝の落語はテンポが良くて声も良く、一遍でファンになったのである。

飛行機に乗っても機内放送で必ず落語を聞いているのであるが、9年程前にJALで海外に行った時の機内放送の落語で桂三枝の「ぼやき酒屋」を聞いてから嗜好が変わったのである。飛行機の中で一人でクスクス、ニヤニヤと笑っていたのだから、スチュワーデス(今はキャビンアテンダントと言わなければならないらしい)さんからは相当気味悪がられたのではなかろうかと思う。それ程面白かった。

それまでは落語の中では古典が好きで、創作落語の部類はあまり好きではなかったのだが、この「ぼやき酒屋」を聞いてから創作落語が大好きになったのである。それまでは桂三枝が落語を演じるとは思っていなかった。落語の出来ない落語家が司会をやっているだけだと思っていて、あまり好きなタレントではなかったのだが、この落語を聞いて以来、桂三枝に対する見方が大きく変化したのである。桂三枝125話のCDも全部買って聞いたし、幕別町に来た時には家族で聞きに行ったものだ。

落語はCDで聞けば十分だ。情景を想像しながら聞くのが良いのだ。と思っていた(生で聞けない悔しさの裏返しで)。だが、立川談志の落語を見て考えが変わった(談志のCDもたくさん持っているが談志はCDではつまらない)。題名は忘れてしまった(私がかなり酔っ払っていた)が「江戸の花火の夜に侍に首を切られた町人が歩く」という様な内容だったと思うが、歩く度に首がずれていく談志の所作が面白かったのである。この手の落語はCDで聞いても解からないなと感じたのだ。やはり、演芸は生で見るのに限るのである。

帯広では残念ながら生の演芸を見る機会が少ない。しかも、志ん朝はすでに亡くなっている。くやしいけれどここはDVDを買ってみることにしよう。


■2008-04-04-Friday じゃがいも

昨晩、十勝産食材を使った料理の試食会がおこなわれた。

「帯広市中小企業振興協議会」の交流部会という委員会に参加しているのだが、この会の委員の人たちで十勝産の食材を実際に食べてみようということになったのである。委員のメンバーの中に十勝の食材をネットで販売されている北村さんや料理屋を経営している志子田さんがおられるので自前でこういう企画をすることが出来るのである(良い部会に参加したものだ)。

豆腐、湯葉、ホエー豚、ホッキ貝、ツブ貝、鮭、じゃがいも、チーズetcの色々な料理を堪能した。

全国各地のほとんど(まだ行ったことが無い県は長崎と佐賀だけ)の場所に出向き、ご当地の名物料理の数々をごちそうになっているが、北海道の食材の豊富さは群を抜いているといつも感じていた。昨晩もまさにそれを実感した一時であった。

中でも驚いたのがじゃがいもの種類である。メークイン、きたあかり、インカのめざめ、インカパープル、レッドムーン、ノーザンルビー、とうや、十勝こがね等など、白、黄色、ピンク、紫色などと色がとてもカラフルなのである。

じゃがいもは氷室や雪室などに貯蔵すると、でんぷん質が「寒いヨー」と糖質に変化するのでとても甘くしっとりとなる(採れたてのホコホコ感もまた良いのだが)のである。今回は二年間寝かせたじゃがいもをごちそうになったがとても美味しかった。普通は二年間もじゃがいもを寝かせたらシナシナになってしまうのだが、氷室や雪室は湿度があるからシナシナにならないそうである。

茹でただけの4種類のじゃがいもを切って一つの皿に盛ってあるが、色がピンク、黄色、紫色、白色と全部違うので視覚的にも楽しいのである。バターや塩なども一切付けずにそのまま食しただけなのだが、「エッ、これがじゃがいもなの?」というくらいに、食感にも色にも驚かされた。

特に、ノーザンルビーというピンク色のじゃがいもで作ったニョッキにチーズで作ったホワイトソースがかかった料理が出て来た時には驚いた。初めはマグロの刺し身にホワイトソースをかけたものが出て来たのだと思ったのである。その(プヨプヨした)食感と色から来る先入観を見事に裏切る味はまさにサプライズであった。これは結構いける料理だと感じたのである。

北海道の食材は料理法によって、かなり化けると思うのである。

これまでは、食材に力があり過ぎるから、生や焼いたり茹でたりしただけでも十分においしいので、料理法が発達しなかったきらいがある。しかし、今回のような料理法や演出法を考えていけばかなり面白いものが創れると感じた。

じゃがいも一つでさえこんなに想像力が拡がるのだから、皆で真剣に考えたらきっと面白い名物料理が出来ると確信した一日であった。


■2008-04-05-Saturday 続 花の帯広小学校

昨日自宅に「続 花の帯広小学校」という文集が届いた。

帯広小学校の創立百十周年記念事業として編集したものである。私も寄稿依頼を受けて拙文を掲載していただいたので以下に紹介する。

「心のふるさと帯広小学校時代の思い出」第72回 昭和45年卒業

小学生の時には厳然とした「格差」が存在する。それは、「早生まれ」と「遅生まれ」の格差である。体力の面でも学力の面でもその差はかなり大きかったなぁと記憶している。

一月末(昭和三三年)の生まれであった私は身体の成長が遅く、小学校を卒業するまではクラスで一番背が低かった。縦に並んで列をつくる「前倣え」の時にはいつも最前列で腰に手を乗せる役目ばかりであったので、一度くらいは手を伸ばしてみたいとずっと思っていたのだ。なにせ小六で身長が一三三cmしかなかったのである。だから卒業アルバムで女の子達と並んで写っている写真を見ても私だけ頭一つ分は低かった。四月初旬に生まれた連中からみれば十ヶ月近くも遅く生まれているのだからしょうがないといえばしょうがないか・・・。

悔しい思いもいくつかあったが、得をしたことも多かったように思う。

当時は「お誕生会」というものが各家庭単位でおこなわれていて、仲の良い友達数人を家に招待して祝うことが流行っていた。女の子のお誕生会にお呼ばれする男の子が私一人だけという会がいくつかあったのである。その事を「俺は昔、女の子に人気があったんだゾ!」と妻に自慢下に話したら、「男として見られていなかっただけでしょ?」と軽くあしらわれてしまった。

何の因果か妻とは帯小で一緒だったのだが、当時の妻が私に対して持っていた印象は「いつも私の周りをチョロチョロしていた」だけだというのである。そうか、これが未だに妻に頭が上がらないトラウマ(遠因)であったのか・・・。

そんな妻と昭和六〇年の五月一六日に結婚することになるのだが、この五月一六日という日付は恐怖の日なのである。

あれは昭和四三年の五月一六日、午前九時四八分頃のことであった。帯広小学校は奇数の学年は南側の校舎、偶数の学年は北側校舎で学んでいた。当時、私は五年生であったから南側校舎で授業を受けていたのであるが、ゴォーという地響きがしたと思ったら直後に強烈な地震が起きたのである。世に言う「昭和四八年十勝沖地震」の発生であった。担任の吉沢先生が生徒を机の下に潜り込ませ、揺れが収まったところで廊下に整列させ、薄暗い階段を下りて、普段は生徒が使用しない中央の出入り口から速やかにグランドに避難させたのである。先生が落ち着いておられたから生徒もたいした動揺もせずに誰も怪我する事もなく無事に避難することができた。全校生徒がグランドに集合すると、校舎のレンガの煙突二本が崩れていた。震度は五程度だったと思うが、初めて経験する大きな地震であった。自宅に戻ってからも何度も余震が起きて眠れぬ一夜を過ごしたものだった。

恐怖といえば、その前年の昭和四二年一一月二七日の深夜に西二条南九丁目の我が家から火災が発生した。真夜中に「火事だ〜!」の声で起こされた。寝ぼけ眼で着替える間も無く着の身着のままパジャマの上にアノラックを羽織ったのみで、ランドセルだけ背負って家の外に出た。五年生の姉と四年生の私、一年生の妹と幼稚園児の弟と祖母の五人で近所の親戚の家に避難した。大人の人たちの話では「すぐに消せるからまずは身体一つで逃げなさい」ということだったが結局跡形も無く全焼してしまった。アルバムすらも持ち出さなかったので、貴重な写真が失われてしまった。物はまた買えば良いが、写真は買えない。今思うと残念なことである。

この年に同じ町内で立て続けに四件の大きな火災があり、お祓いまでやったが、この火災を機に街中が大きく変貌した。それまでの職住一致の生活から店舗と住宅を別々に建てて「通い」の形態になったのである。我が家の生活もこの火事を機に大きく変わったのだった。

現在の帯広市内は当時から較べると随分と寂しくなってしまった。近年はまた昔に戻って職住接近が良いとも言われているようであるから、帯小の生徒数も増えるかもしれないなぁ。

今思えば、小学生時代(昭和三九〜四五年)は懐かしくも楽しい日々の連続であった。

現代の子供たちとはまた違う活力に溢れた時代であったように思う。


■2008-04-06-Sunday 道新、朝の食卓20 

北海道新聞2004年12月14日掲載「畑のレストラン」

雪に覆われて使われることがなかった冬の畑に新しい価値を与えたいと、仲間と始めた「スノー・フィールド・カフェ」。十勝の雄大な景観が楽しめる、雪がある間だけの、畑の中のビニールハウスのレストランだ。

遠く日高山脈に沈む夕日と、刻々と色を変えていく空を眺めながら、腕の良いシェフが作るおいしい料理をゆっくりと味わう幸福感。まさに悠久の時を体感できる、ぜいたくな場所なのだ。

せいぜい三ヶ月しか営業できず、赤字になるが、昨冬の実験営業が大好評で、問い合わせが殺到しているので、目先の損得を越えて今冬もやることにした。防風林の奥の畑にあるのでとても分かりにくいが、探し当ててでも来てくれる方には大感謝だ。

このビニールハウスレストランを開いてなによりうれしかったのが、ご近所の農家の方々の反応だ。「自分たちの畑にこんな使い方や力があったのか」と驚いていた。自分の土地に、今までとは別の意味の誇りを持ってくれたと思う。

現在は法律によって、農地の使い方に制限が多い。でも、ただ杓子定規に規制するよりも、その土地が望む使い方をしてあげたほうが、土地も真価を発揮するのではないだろうか。

土地には「生かして使ってほしい」という意志があるのだから!


■2008-04-07-Monday 介護の予行演習

4日(金)の夜の会合に出席した。

その会合には同年代が10名ほど出席していたのでそのまま二次会に流れたのである。出掛ける際に妻が頭痛と吐き気を訴えていたので「二次会には出ないですぐに帰って来るから」と言って家を出たのだが、久し振りに同年代が顔を揃えたし、全員が二次会に行くと言うので、一人だけ「妻の具合が悪いから先に帰る」とは言い出せずにズルズルと参加したのである。

途中、妻は私の帰りが遅いし、頭痛や吐き気も治まらないので、私の携帯に何度も電話を掛けたのだが、私は飲み屋の喧騒で聞こえずにいたのである(決して知らん振りをしたのではありません)。それでも、三次会は断って22時30分には自宅に戻ったのだが、妻は具合が悪いから「急病センターに連れて行って欲しい」と言う。酒を飲んでいるから車の運転は出来ないのでタクシーを呼んで連れて行った。

急病センターには、若い医師が一人と看護士が二人いるだけ。結局、血圧を測って吐き止めの薬をもらっただけで治療は終わりであった。

翌、土曜日は一日中安静にしていたのだが、頭痛や吐き気は治まらない。原因がハッキリしないと不安が増幅するものである。

妻は3月初旬に氷で滑って転倒し、後頭部を強打して気を失ったことがあるが、その後自分で車を運転して病院に行き(私は出張中で不在だった)精密検査を受けている。この頭痛はその後遺症ではないか?と言うのである。痛みは本人にしか分からないから、こちらは黙って従うだけだ。

私も右の膝が痛くて身体が思うように動かないから、まるで老老介護(老人が老人を介護する)のような事態になってしまった。

日曜日に妻が以前に精密検査を受けた病院の休日診療に連れて行き、再び精密検査をしたが、脳には異常が見られなかった。医者は「恐らく、強打した首の部分をカバーするのに普段と違う所に力が入って、肩こりが酷くなり、それで頭痛や吐き気がしているのだろう」と言う。ひとまず、脳には異常がないことが分かって一安心である。

「病は気から」とよく言うが、本当にそうだと感じる。原因がハッキリしない不安感が病を増幅しているのである。

身体の痛みや不都合は本人にしか分からないものだし、自分もなってみなければ分からないものだ。今回の経験で夫婦の助け合いが大切だと思い知った。

でも妻は、私が臥せったら本当に看病してくれるのかなぁ。


■2008-04-08-Tuesday 何か変だぞ 2

タバコの自動販売機にタスポカードが導入されるという。

未成年者の自動販売機でのタバコ購入を出来なくするのが狙いなのだとか。私は二十歳の誕生日にタバコを止めて以来タバコを吸ったことがないから、私にとってはどうでもよい話だが、何かが変だ。

明らかに20歳以上とおぼしき人が自動販売機でタバコを買うにも、一々このタスポカードが必要になるそうだ。このタスポカードを作るには証明書や顔写真が必要だというから、事前にかなり面倒な手続きがいることになる。しかも作った後にもいつも携帯していなければならず、買う時には自販機に識別してもらうのだという。

未成年者が誰かにこのカードを借りたり、もらったりしたらそれでもう終わりだろう。

自販機に本人識別装置まで付いている訳がないのだから、まったく無意味なカードである。

何でこんな無駄な事に、お金と労力を掛けるのだろうか?

自販機の会社に、買い替え特需でも与えるつもりで導入したのだろうか?だとしたら全くの的外れな行為だ。従前の自販機にこの装置を取り付けるのにもかなりな費用が掛かるだろうから、むしろこれを機会にして自販機を撤去してしまう販売者が増えることだろう。

きっと経済を解かっていない奴が考えたに違いない。

いや、しかし、これで自販機が減る事になれば、景観上も環境上も良いことだから、きっとそこまで深く考えたのかもしれないなぁ。

いずれにせよ、くだらない、余計なお世話をし過ぎだ。

厚生労働省は、そんなことより年金問題を何とかしろ!

マジシャンはいろいろな物を空中に浮かせることが出来るが、年金を宙に浮かせることは出来ないぞ!


■2008-04-09-Wednesday 変だぞ、CO2排出権!

昨晩のニュースステーションでCO2排出権の特集が放送されていた。

地球環境問題にはあまりよく理解できないことが多々あるが、この排出権ビジネスもよく解らん!

排出量の総枠が変わらずに、CO2を排出する先進国と、排出量が少ない途上国との間でやり取りするというのだが、これではただの商売だし、金で解決して「排出していないことにしよう」というのでは環境問題の解決にはなっていないのではないだろうか?

どうも欧米人の考えることは解らん!

現在の地球の経済はグローバルスタンダードというが実態はアメリカンスタンダードである。やれヘッジファアンドだの何だのと訳の判らん金融商品を次々と編み出して、やたら複雑化させている。これは「素人目くらまし作戦」なのではないか?(意外と参加しているトレーダー達もまるで理解していなかったりして・・・)

「金が金を生む」コンピュータの画面上で数字をやりくりするだけで(実体のない)何千億円という金が動く世界が果たしてまともな世界なのか?

サブプライム問題だって、複雑化し過ぎて誰も実態が判らなくなっているから起きたのではないのか?

マジックの基本はシンプル・イズ・ベストである。複雑にすればするほどつまらなくなるのがマジックだ。人間の性質などそんなに急に変わるものではないから、マジックに限らず、人間の生活をもっとシンプルに戻す必要がある。

たしかロックフェラーだったと思うが「人間に格差が出来るのはしょうがない。例え私の全財産を全ての人間に平等に分け与えたとしても、その何秒後かには格差が生まれている・・・」という類の話をしたという記憶がある。

才能によって格差が生じるのは必然だが、死後の世界まで金を持って行くことは出来ないのだから、お金持ちの人は再分配を考えたらどうだろうか。人間に等しく与えられた運命は「生ある者は必ず死ぬ」ということなのだから・・・。

昔の金持ちは社会的な事業にもっとお金を使ったのではなかったろうか。

せめてもう少し未来に希望が持てる世界にならないのだろうか?


■2008-04-10-Thursday 戦略

ビジネスには戦略が必要だ!

だが、中小零細企業の社長さんたちは総じて戦略というものを軽視しているようである。

中小零細企業が大手企業と同じ土俵や同じレールの上で戦っても勝ち目は少ない。昔から戦争では少数の部隊は奇襲戦法でしか、多数の部隊には勝てないのである。

かの第二次世界大戦時の山本五十六も、真珠湾攻撃のような奇襲戦法なら初期には勝てるが、時間が経てば経つほど、敵は体制を整えて大量の人員と物量で攻めて来るからやがては負けると判っていたのである。古来の源義経や織田信長の桶狭間の合戦などからみても、奇襲戦法は同じ手法が二度は通じないから異なる手段で戦い、勝を収めたら即、撤収しなければならないのが常道なのである。そこ(場所だけではない)にいつまでも留まっていてはダメなのだ。

しかし、軍部のお偉方は真珠湾での「成功体験に酔って」撤収が出来なくなり、ズルズルと無条件降伏までいってしまうのである。

若しくは「言霊(ことだま)」に依って「負ける」などという不吉なシミュレーションが出来なくなってしまうのである。

中小零細企業が考え出したアイデアを大手企業はヘッチャラな顔して真似をするのが常なのだ。それが「効率化」だとか「システム化」等なら尚のことだ。最初は奇襲戦法の如くに一時的な勝利を収めることは可能なのだが、やがて、大手企業に研究されて、人材面や資金面で圧倒されそして駆逐されてしまうのだ。

大手企業に「効率化」や「システム化」で挑んで戦い続けると苦しい持久戦になる。十分な蓄えの無い籠城は体力を消耗するだけだし援軍はいつまで待っても来やしない。「効率化競争で乾いた雑巾を絞っていっても、やがては水の一滴も出なくなって雑巾がちぎれてしまう」だけで蟷螂の斧(とうろうのおの)なのである。奇襲戦法を沢山考え出せる経営者ならまだしも、アイデアなんぞはそんなにあるものではない。

この自明な事を理解していない経営者が多すぎると思うのである。

大手企業が参入して来ない手法を取らなければならないのだ。

商店街の事業をみても同じ事が言えると思う。百貨店やショッピングセンターなどと同じ集客手法では勝てないのである。イベントに金を使って集客しても、人を集めることだけが目的では、成果が上がらず、やがて、資金も底をつき、人員も疲れ果てるだけなのである。来た客が満足をして、更に金を使ってくれるような戦略を持たなければ意味が無いのである。

全国的にみても商店街事業などでは責任の所在がハッキリしないケースが多いから特にこの傾向が強い。

一度立ち止まって俯瞰(ふかん)して見る必要を感じる。


■2008-04-11-Friday 住環境

私の自宅周辺の環境はすごい!

何がすごいって? 地図上でわが家を中心にして半径100mの円を描くとその中に、いわゆる連れ込みホテル(古いね〜、今は洒落た名前がついているらしいが知らない)が8軒(全盛期には10軒もあった)も建って営業しているのである。しかも大都会のこの手のホテルとは違って自動車で利用するタイプのホテルなのである。

こう書くと、よっぽど辺鄙な郊外に住んでいるのだろうと思われるかもしれないが、実はわが家は帯広の中心街なのだ。

わが家と会社は帯広駅を真ん中に南北に挟んだ位置にあり、駅まで徒歩6分、駅から会社まで徒歩6分(通勤時間は通算徒歩12分)という位置にある。鉄道高架になる直前までは駅を通り抜けることが出来なかったので、学生時分には遠回りしていたのであるが、今は最短距離で通勤出来るようになったのである。

駅の近くには大きなショッピングセンター・市民文化ホール・市民プラザ・図書館・病院など多様な施設がある。市民ホールで演劇やショーなどを観劇した後も自宅までは徒歩5分で帰れるからとても便利な場所なのである。

しかし難点もある、15年程前に困ったのは、子どもの幼稚園バスの停留所であった。停留所がホテルのすぐ側にあり、わが家から停留所間の50mの距離を行くにはホテルの前を3軒も通過しなくてはならないのである。幼稚園のバスがお迎えに来る時間帯と、ホテルの客がチェックアウトする時間が丁度重なるのである。当時は客も多少の後ろめたさや恥じらいがあるのか、女性はシートを倒したり、横を向いて顔を見られない様にして、猛スピードで駐車場から出て来るからとても危険な状態になるのである。

娘が幼稚園に入園してから三日後に園長先生に直訴してルート変更をお願いしたが、「たった一人の事情でルートを変えることは出来ない」と拒否された。しかし、さすがに現場にいる運転手さんが、あまりにも酷いということで園長には内緒でわが家の近くに停留所を変更してくれたのである。それ程の場所だと云うことだ。

今では子ども達も親元を離れたのでそんな心配は無くなったのだが、今困っているのは犬の散歩である。朝夕二回の散歩の時間とチェックアウトの時間がこれまた重なるのである。

ホテルは何時通っても車庫が満杯状態である。あの手のホテルは一日に何回転もするのだからかなり儲かるのだろうなぁ〜。

最近の夕方の散歩時には若いアンチャンが、ホテルの外の道路にエンジンを掛けたままで待機している光景が目に付く。しばらくすると若いネエチャンが一人でホテルから出て来て、車に乗り込み、去って行く。あれは一体何をしているのだろう?

朝、犬を散歩させる為にわが家を出ると、わが家の真ん前で60歳近いと思われる女性が車に乗って待っている、と、そこに60歳以上と思われる男が運転する別の車が横付けしてその女性が乗り込み30m先のホテルに消えるのである。最初から同じ車に乗って来ていないということは・・・(余計な詮索は止めておこう)。

最近は恥じらいというものが薄れたのだろうか、女性も堂々としたものだ。顔を隠すなどということはしなくなった。

以前に、ホテルから出て来た車の運転手の目と私の目が合ったような感じになってしまったことがある。運転手があわてて車を停めて窓を開けると、見知った顔の男が乗っていた。その男は「見なかったことにしてくれ」と私に言って立ち去ったのだが、私は目が悪いから人の顔などぼやけてしか見えやしないのに、ご丁寧にも声を掛けるからバレてしまうのである。要らぬ心配は藪蛇にしかならない。

こんなすごい場所に住んでいるのだが、引っ越した昭和43年当時、周りは皆草原であった。わが家の向かいでは牛を飼っていたくらいなのである。

こんな場所だが、夜に繁華街で飲んでも、歩いて自宅に帰ることが出来るのだから、多少のことは我慢することにしよう。


■2008-04-12-Saturday 風邪の副作用

今年の風邪はなかなか治らない!

3月3日に東京でひいた風邪が、いまだに完治(咳だけ)していない。家でゴホゴホと咳をするから当然のごとくに妻にもうつしてしまった。妻も2週間ほど前からゴホゴホと咳をし始めていたのである。7日のブログにも妻の具合が悪いと書いたが、特に先週は咳のし過ぎからか、全身が痛くて具合が悪いというのだ。この症状が今週になってもなかなか治らないのである。妻は食欲も無くなりここ一週間で2kg程体重が落ちたのだ。

私と妻は同じ会社に居るから、いつも一緒に居ることになる。昼食も一緒に外に食べに出るのである。私は麺類(特に蕎麦)が大好きなので近所の蕎麦屋を巡り歩いているのであるが、食後の楽しみは六花亭で食べるケーキであった。

六花亭の本店は我が社から20mほどの距離にあるのである。

六花亭は洋生菓子がとても安価なのだ。例えばイチゴのショートケーキが一個180円、チーズケーキは140円、シュークリームに至っては70円なのである。

何故こんなに安いのかは諸説あって、十勝は良質な原材料(小麦・砂糖・チーズ、バターなどの乳製品・小豆など)の生産地だからとか、ライバルの柳月との競争の為とか言われているが、客にしてみれば安くて美味しいお菓子がこの値段で食べられるのは本当に嬉しいことであるから理由等どちらでも構わないのである。

しかも、店内には無料のコーヒーが用意されており、その場で買ったケーキを店内で食べることが出来るようになっているのである。

昼食後の楽しみに毎日二人で、六花亭でデザートを食べるのが日課になっていたのだが、妻がここ最近は食欲が無いからと拒否してきたのである。今日に至っては、折角2kgも痩せたのだから、今後デザートは止めにしましょうと言うのである。

確かに、私も妻も最近太り気味ではあったのだが・・・

私一人で六花亭の店内に入って食べようかとも思ったのだが、中年の男性が一人でお菓子を食べている図はあまり格好の良いものではないから、諦めることにした。

こんなところにも風邪の副作用が現れてしまったのだ。これを機に私も少し痩せる事にしよう!


■2008-04-13-Sunday 道新、朝の食卓21 

北海道新聞2005年2月2日掲載「百年」

今年は祖父が帯広で開業してから百年目、現在地に移ってからは八十年目にあたる。

二十三年前、父が「ルーツを一緒にたどっておきたい」と言い出して、祖父の生家を二人で訪ねたことがあった。

山梨県北巨摩の出身であることは分かっていたが、本家とは手紙のやりとりすら無かったようなので、戸籍謄本を頼りに、甲府の取引先に事前に場所を調べてもらって訪ねたのだ。周りは坂本姓ばかり。本家と分家で、家紋が左と右の「三つ巴」に分かれているのが面白かった。

なぜ実家と没交渉だったのか、話を聞いて納得した。祖父は一人息子にもかかわらず、両親を残して北海道に渡り、しかも移住費用に充てるために、勝手に土地の一部を売り払ってしまったトンデモナイ奴だったというのだ。後年、両親を呼び寄せようとしたが「蝦夷地なんぞに行けるか」と拒否されたらしい。

残った両親は分家から養子を取り、坂本家は現在まで続いている。

私が生まれる前に亡くなったから実像は知らないが、広大な十勝平野に魅了され、無限の可能性を感じて甲斐甲斐しく働いたのだろうなぁ・・・。

私は十勝に生まれて本当に良かったと思う。それもこれも、祖父が帯広に移住してくれたおかげだ。立場が変われば評価も変わる。

おじいちゃんありがとう!


■2008-04-14-Monday 毛髪は・・・

先ごろ、四国のとある街の繁華街での事。

飲み屋ビルに案内されて、一階のエレベータ前でドアが開くのを待っていた時のことであった。

そのエレベータドアの上側には小型のテレビモニターが付いていて、人間の後姿を上から映していた図が出ていたのである。その様なタイプの図柄をこれまで見たことが無かったし、一次会で多少のアルコールも入っていたからあまりハッキリとは見えなかった。

顔の方は映っていないが、私が動くと画面の男性も動くし、服装も私と一緒なのである。が、画面に映っている男は後頭部がやけに薄いのでまさか自分だとは気が付かなかったのだ。いや、正確に言うと気付きたくなかったのかもしれない。

これまで自分の後頭部なんぞ見たことが無かったし、ましてやこんなに薄くなっているとは思いもしなかったのである。

自分の後頭部を上方の後ろ側の角度から映して、テレビモニターで見ることなんてまずありえない。そんな図をエレベータ前のモニターに映すというのは「防犯カメラが付いているぞ!」という警告のつもりなのかしら。

それにしても、とにかくショックで、二次会の酒は不味く感じたものだった。

昔、「抜け始めて分かる。髪は長〜い友だち」というCMがあった。

漢字を覚えるのにはとても良いCMで、以来、髪という字を忘れることはなくなったが、自分の髪が薄くなるとは思ってもいなかったのである。

先週の会合で、私よりも数段髪の薄い大先輩に「坂本も髪がだいぶ薄くなったなぁ〜」としみじみと言われてしまい再びショックを受けた。ハゲにハゲだと言われたのである(ゴメンナサイ)。

15年ほど前に髪が薄くなり始めた頃に、アメリカで話題になった「ロゲイン(ミノキシジル5%)」という薬を買って来て塗ったことがあったが、肌荒れしたのですぐ止めた。しばらく何もつけていなかったのだが、調べてみたら日本でもロゲインと同じ成分のミノキシジルが1%しか入っていない「リアップ」という薬が出ているとわかったので1%なら大丈夫だろうと去年の12月からつけ始め、シャンプーもこのリアップの関連商品に替えたのだ。

今年になって効き目が倍(値段も倍)になる「リアッププラス」という新製品が発売されたというので4月からは更にこれに替えたのである。

今では「髪は金の掛か〜る友だち」なのである。


■2008-04-15-Tuesday スピリチュアル

最近、スピリチュアルが大流行である。

スピリチュアルという言葉を恐らく「霊的な」という意味で使っているのだと思うが、世界的にも何年かおきにこの種の霊的なものが流行する傾向がある。

日本では明治43(1909)年に有名な「千里眼事件」というのがあった。ホラー映画や小説の「リング」の題材になった事件である。東京帝国大学(現:東京大学)の福来友吉助教授が御船千鶴子という女性の「透視」を実験で実証しようとし、後にこの女性が自殺するという事件であった。

昔からこの種の話では、科学者とかマジシャンが、霊能者のインチキを暴くというのが定まりである。

日本では、江原啓之氏vs大槻義彦(早稲田大学名誉教授)の対立の図式があるが、アメリカでは、超能力バスター(ジ・アマンジング)ジェームス・ランディというマジシャンが自称超能力者たちに、「自分の目の前で超能力を見せ、それが真実であったなら100万米ドルを進呈する」と言って超能力者たちに呼び掛けて公開で挑戦を受けるということをやっているが、まだ100万米ドルをせしめた超能力者はただの一人も存在していない。

私は「科学で証明出来ないことはこの世に存在しない」という科学者の傲慢な意見には賛成しかねる。確かにマジックを趣味にしていると、世の中の不思議な現象というもののほとんどがマジックで同様に見せることが出来るということを知ってはいるが、この世には「まだ現代科学では証明出来ないものが存在する」とも考えているのである。

だが、「他人に証明出来ないもの(霊だとか)」を使って他人の心理操作をすることはやってはいけないことだとも思うのである。

技術に誇りを持っているマジシャンは、初めから「これはマジックです」と公言してから演技を見せるものなのだ。マジシャンの中でも下手くそな奴や自信のない奴が「これは超能力です」とマヤカシを言うのである。(超能力は体調など、失敗の言い訳が付き物)

かつてスプーン曲げで有名になった「ユリ・ゲラー」もイスラエルの売れないマジシャンであったのだ。

私もスプーン曲げなんて簡単に出来るし、ユリ・ゲラーなんかよりもよっぽど上手く曲げられる自信がある。しかし、観客は私がやるとマジックだから仕掛けがあると言うし、自称超能力者が曲げると不思議な超能力だと信じ込んでしまうのである。

むしろ稚拙に見せた方がもっともらしく見えるものなのだ。

これは、先入観にしか過ぎないのである。人間はテレビの画面を通すと信じにくいものだが、自分の目の前で見せられたら信じ込み易いものなのである。しかし人間の目ほど騙し易いものはないのに。

人間は目で見るのではなく、脳で見ているのだから、脳の中で先入観が働いて錯覚を起こし易いのである。また錯覚を起こすように誘導しているのである。

マジックにはマジシャンズ・チョイスという技法がある。詳しく解説するとマジック協会から除名されると困るので、簡単に言えば「どのようにでも受け取れる質問の仕方をして、予めマジシャンが導きたい答えになるように、観客の答えを上手く誘導していく技法」である。これを巧みに使うのが、占い師や詐欺師やインチキ宗教家たちなのである。

最近の世の中にはマジックの技法を悪用する輩が増えているようだから皆さん、ご用心、ご用心。


■2008-04-16-Wednesday 幹事役

幹事の大変さは経験した事のある人にしか分からない。

出身高校の北海道立帯広柏葉高校のクラス会の幹事役を仰せつかってから32年になる。

好きで幹事になった訳ではない。私が大学受験の為に上京している間に欠席裁判で勝手に指名されたのである。その指名理由は45名の同級生の内、将来的に帯広に戻りそうな人という事であった。確かに他の同級生の親は公務員や教員が多くて転勤族ばかり、親が地元で商売をやっているのは、私ともう一人の幹事に指名された小川豊くんの親が隣町で牧場を経営しているくらいであった。

指名をされた当初は「嫌だ!」と反発したのだが、理由を聞かされて担任の先生に説得され、しぶしぶ了承した経緯がある。しかし、しぶしぶでも引き受けた以上は責任があるから出来る限りのことはやってきたつもりだ。

昨年まで毎年2回ずつ1月と8月に名簿を作成して通算62号まで各自に郵送し続けたのである。最初は手書きのガリ版摺りから、タイプ打ちの印刷機、ワープロのコピー、コンピュータへと道具も進化していったのである。

卒業式の一週間後に最初のクラス会(お別れ会)を開催した際に、年二回の名簿発行を皆に約束した。その代わり交換条件として、毎年、私宛てに「年賀状」を出して欲しいという事とクラス会費として年間1000円を集め、余ったお金は貯めて置いて10年後のクラス会時に先生をご招待する費用に充てようということになり、口座を開設したのだが、さっぱり振り込まれてこない。結局10人程度からしかクラス会費が集まらなかった。翌年の年賀状も全員からは来ないので、来ない人の所には一々親元(まだ転勤していなかった)に電話して住所などを確認してから名簿を作成し郵送した。

東京の大学に行ったクラスメートから「年間1000円の会費は高い。名簿作成の費用なんて5000円も掛からんだろう」とクレームが入った。こ奴はクラス会費を払ってもいないのにこういう事を言う。頭に来たので「クラス会費の徴収は止める!払った人間には全額返却する。名簿は変わらずに年2回の発行は続ける。その代わり、俺が嫌になったら勝手に止めるからな!」と捨てセリフを吐いて、以後、自費で発行し続けたのである。

名簿というのは、一旦途切れると、その住所不明になった人間の消息を再び掴むことは困難なのだ。だから、30年間の内に消息不明者は2名しか出さなかった。年賀状をくれない人の消息も手間隙掛けて探し出し載せ続けたのである。それが、プライバシーの問題やら犯罪などが増え、「個人情報保護法」とやらの施行のせいでとても面倒なことになってしまった。電話で確認しようとしてもやりにくくなったのである。中には「名簿に載せて欲しくない」という人も出て来た。

確かに私はやり過ぎたかもしれない。名簿を見ただけでその人の事が判るようにと、氏名・配偶者名・現住所・親元の住所・電話番号・FAX・出身大学・就職先名・就職先電話番号など、あらゆる情報を満載にした名簿を作ったので、結婚していない人・離婚した人等などが掲載を嫌がったのである。

ついに一昨年(2006)の9月に開催した卒業30周年の同期会(5年毎に開催)を期に名簿の発行を中止してしまった。

今年の9月に母校の同窓会が卒業生全員の名簿の発行を企画している。私も購入を申し込んだが、同時に発行元から不明者の問い合わせも来た。2年前の古いデータを送ったが確認出来ていないので間違っている可能性も高い。こうして段々横のつながりも薄れて行ってしまうのだろう。何だか変な世の中になったものだ。


■2008-04-17-Thursday 道新、朝の食卓22 

北海道新聞2005年3月17日掲載「手作りの絵本」

私たちのグループ「十勝場所と環境ラボラトリー」が企画、発行する絵本シリーズ「北の大地の物語」の第二弾「イオマンテ めぐるいのちの贈り物」が出版された。

前作「おおかみのこがはしってきて」の出版が一九九九年三月だから、実に六年の歳月をかけて誕生した力作だ。制作趣旨に賛同した方々から、一口五百円の寄付を頂いて出版費用の一部を捻出した、まさに「手作りの絵本」なのである。

第二弾は当初、「ファンタジックな物語にしよう」との方針だった。しかし二〇〇一年九月十一日の米中枢同時テロを機に、作者の寮美千子さんが「生命って何だろう?」というテーマに変更したいと切望されたのである。

出版予定は大幅に遅れるが、テーマに異存はない。あらためて、アイヌの熊の霊送りの儀式「イオマンテ」を題材にした取材を開始した。

途中、メンバーからは「子供には残酷だ」とか「テーマが重い」とかの意見も出たが、昨今の「生命を軽視する」風潮に一考を促したいとの思いが強く、あえてこのテーマで制作を続けた。小林敏也さんの幻想的な挿絵が、子供にも内容を分かりやすくしてくれた。

全国の書店で販売するが、寄付者氏名記載の限定本はラボラトリー事務局のみでの販売となる。問い合わせは事務局0155・23・8194へ。(現在は既に終了しています)


■2008-04-18-Friday 便利と不便

数は力なり!とは良く使う言葉だが

全国各地の色々な場所を訪れていると、「人口は力なり」と感じることがある。人口が多くないと、学校・病院・商売などは成立しない。

先日、北海道の人口が560万人を切ったというニュースが報道された。北海道では働き口がないから本州方面に流出しているのが原因であると解説されていた。それでも札幌だけは増えている。北海道唯一の大都会、札幌市に一極集中しているということだろう。

去年の北海道庁のとある会合で、札幌への一極集中の件を発言したら、同じ委員の大学教授が「札幌への一極集中、一極集中と言うが、市民一人当たりに換算したら、市民ホール、運動施設などは地方都市の方がよっぽど充実している」と発言した。初めは逆説的な面白い発言だと思ったのだが、どうやら本気でそう思っているらしいことが判ってきた。確かに数字の上ではそうなるのかもしれない。数字は扱い方によってはマジックになる。

日本全国が「ミニ東京化」を目指していた時期には、各地にホールやら体育館やらがやたらと建設された。均衡ある発展という名目で。人口が右肩上がりの時代ならば先行投資という考え方もあっただろう。隣町には負けるなという首長さんも多かっただろう。

しかし、世は人口減少の時代なのである。ベクトルの向きが180度逆転したのである。これまでと同じ考え方で良いはずはない。

全国各地に建設された公民館はたいして使われもせずに、維持費ばかりが嵩んでいく。コンサートをやる会場はあっても、客が少なくてはペイしないから、ギャラの高い売れてる芸人は来ないという悪循環に陥いり、皆が欲しがった施設がマチのお荷物化していくのである。

大都会は便利である。ある面では。

私の大好きな、ショーや演劇が毎日開催されている。買い物も選択肢がたくさんあるから好きな物を選べる。美味しいレストランもたくさんある。これらは正に大都会ならではの便利さである。

しかし、大都会は不便である。ある面では。

生活費が高かったり、通勤に往復2時間も掛けたり、満員電車に押し込められたり、並ばなければ店に入れなかったりと、田舎生活に比べて落ち着きがない。

モノには全て二面性がある。便利であれば不便でもあるのだ。どちらも完璧に満たすものなど存在しないと思う。

どちらの快適性を重視するかだと思う。万人向けに全ての人に良い様にというのは今後難しくなるだろう。そうなると嗜好の偏ったマチがいくつも出来て、自分に合った嗜好のマチに暮らすという事態になりかねない。なんだかSF小説の未来都市のような感じだ、一見すると暮らしやすそうに見えるかもしれないが、そうなると村八分みたいなことも起きてくるだろう。

やはり人間は多様性があるから面白いのだと思う。人間生活にはある程度の我慢と許容力が必要なのだと思う。


■2008-04-19-Saturday 道新、朝の食卓23 

北海道新聞2005年4月27日掲載「スローフード」

イタリアに本部がある国際スローフード協会の認証を受けて活動している、日本国内の32の団体のリーダーが一堂に集まっての会議が、二月下旬に十勝で開かれた。

イタリアから会長のカルロ・ペトリーニ氏が初来日して出席されたので、大いに盛り上がった。

スローフードとは、ただ単にゆっくりと食事をすることではない。グルメとも違う。ライフスタイル全般に及ぶことなのである。

何かをしながら急いで腹を満たすという行為でしかないファストフードは、没個性的だ。これに対しスローフードは、その土地で採れる旬のものを、他の人とともに、食べる喜びを感じながらゆったりと味わうから、土地の文化と密接なつながりが生まれ、多様性に富む。

人間は、エネルギーを注入すれば動く機械とは違う。単なる利便性追求や効率化は、逆に人間関係をギクシャクさせるだけだ。無駄はむしろ余裕なのだ。カルロ会長も絶賛してくれた帯広の「北の屋台」のように、不便さがコミュニケーションを生み出すという現実もある。

日本語というのは面白いもので、「ふーど」という言葉は「Foodと風土」を楽しむとも解釈できる。

さあ、「食」について真剣に考え直そう。人は食べなければ生きていけないのだから。


■2008-04-20-Sunday 道新、朝の食卓24 

北海道新聞2005年6月8日掲載「屋台は北が一番」

先ごろ、国から「観光カリスマ百選」なるものに選ばれた。「屋台を核とした観光・地域づくりのカリスマ」だそうだ。そのせいか、全国各地からの講演依頼が急増している。

先月も栃木と福島に行って来た。宇都宮市には昨年四月、帯広の「北の屋台」をモデルとした屋台村が誕生しているが、驚いたことに、各屋台にクーラーが設置してある。北関東でさえ夏はクーラーが必需品だという。

南の地方は、せっかく解放的な夏なのに、屋台の店舗を囲って空間を閉鎖しなければクーラーが効かない。これでは屋台の魅力が半減してしまう。

「北の屋台」を始める前は、「屋台は南のモノだ。北国の帯広では冬の営業はできない」という誤った思い込みの声が、圧倒的に多かった。

しかし、これまで北の屋台はオープン以来三年十ヶ月間、ただの一度も天候を理由に休んだことはない。真冬にも「寒い」と文句を言うお客さんは一人もいなかった。人は「暑さ」よりも「寒さ」の方が対処しやすい。寒ければ着れば良い、囲えば良いのである。暑くても裸以上にはなれない。

屋台が有名な博多でさえ、雨が降ったら客の背中が濡れるからと休業するそうだ。

実は屋台の最適地は、梅雨が無く、蒸し暑くない北国・帯広だったのである。


■2008-04-21-Monday 不毛な政治

福田首相の頭髪のことではない。

日本の政治全般のことである。

福田首相の「洞爺湖サミット花道論」というのがあるらしいが、「地球環境問題」というこれからの地球全体のことを話し合う会議に、出席したらすぐに辞める首相が出て一体何になるのだろうか?他の国からの出席者に対しても大変に失礼なことなのではないのか。

きっとこれも、井沢元彦が言うところの「怨霊」のなせる業なのだろう。日本の政治家どもは、福田首相親子が共にサミット寸前に失脚して、議長になれなかったら、福田親子の「怨霊」が日本に災いでも与えると本気で考えているようである。

ガソリン・道路財源問題で混乱を巻き起こし、年金問題や後期高齢者医療問題で無茶苦茶なことをやって政治がまともに機能していない。

こんな大変な時にこそ、政治が重要なのに、与党も野党も政局ごっこをやっているようにしか見えない。

素人考えだが、年金問題なんて、こんなに経費を掛けて調べるより、国民にその経費分を配った方がよっぽど良かったのではないのか?真面目に払って来た人には不公平感が強いとは思うが、こんな無駄な経費を使うくらいなら、困っている人に支給してあげた方がよっぽど国も安定するのではないかと思う。

将来に対する漠然とした不安が、経済も人心も悪くしているように思うのである。

道路だって、国民が高齢化したらドライバーの数も減るのだから、必要最低限で良いと思う。もはや人口が増えていた時の考え方を、修正、修正しても追いつかないと思う、減る時ではベクトルの向きがまったく逆になるのだから、改めて一からやり直した方が良いのじゃないだろうか。

それにしても、後先考えないで使ってきたこれまでの「無駄使い」は責任をハッキリさせてもらいたいものだ。


■2008-04-22-Tuesday 温暖化?

このところ非常に温かい日が続いている。

7月中旬並みの気温だという。お陰で桜も例年よりもかなり早く咲きそうな気配だ。雪が全く残っていないので例年とは何となく景色が異なって見える。

いつもなら5月の連休明けからしか始めないゴルフも先週の日曜日に初ラウンドに行って来た。今年は3月にグアム島に行ってプレーしてきたから大丈夫だろうといきなり十勝カントリークラブの月例会Aクラスに参加したのだが、やはり甘かった。先週届いたドライバーを初使用したのだが、方向がまるで定まらずにOBを連発してしまいヒンシュクモノのスコアを叩いてしまった。ゴルフは4人で一緒にプレーするから、一人だけアッチャ行ったりコッチャ行ったりしていたら同伴プレーヤーのリズムが崩れてしまい、一緒にプレーしたメンバーに大迷惑を掛けてしまう。しかし、昨日の夕刊に載っていたゴルフの成績表で見たら、同伴プレーヤーから優勝者が出ていたので一安心した。やはり、他人に惑わされる事のない人が優勝出来るのだなぁ。

しかし、こうも温度が変わると作物にもかなりの影響が出るのではなかろうか。「これまで米を作っていなかった十勝でも米が作れるようになったら完全自給自足が可能になるかも知れないね」と農家の人に言ったら、「そんな気楽なもんではない。温度が高くなってこれまでの作物が採れるとか採れないとかと云う事よりも、虫の移動による疫病の蔓延が怖いのだ」と言っていた。これまで北海道では生きていけなかった害虫が北上することが一番の恐怖なのだと。植物の北上はゆっくりとしたものだが、昆虫には羽があるからアッと言う間で防ぎようがなく、その対策法もまだ無いのだという。

テレビでは、貧しい国の食料不足のニュースをやっていた。生産が足りないのではなく、投機マネーのせいだという。いくら金を持っていたって使いきれないのに、バーチャルな世界で数字を操って、実際の人間を飢えさせる。世の中狂っとるとしか言いようがない。

そんなバカなことをやっていたら、世界中の人が本当に食べられなくなってしまうぞ!

くだらないマネーゲームの終了を誰か宣言してくれ!


■2008-04-23-Wednesday なんじゃこりゃ

昨日の夜のニュースを見て呆れ果てた。

茨城県国民健康保険団体連合会の会計主任(34)が2005.04〜2008.03までの3年間で10億円の金を着服したという。一回に100〜300万円ほどを通帳から自分で下ろして来て競艇などにつぎ込んだらしい。説明していた次長というのがニヤニヤ笑いながら会見していたのにも呆れたが、10億円を最高引き落とし額と言っている300万円で割ったら334回も掛かる。ということは3年間で334回ということは単純計算でも3日に一回だし、銀行の閉まっている日を計算に入れたら、2日に一回は下ろさないとならないことになる。

しかも、本人の手紙によって始めて判ったというのだからもっと呆れるではないか。こんなに頻繁に300万円を銀行から下ろしていたのに周りの人間が気が付かなかったというのである。これは驚異的なことだ。

犯人には資産がないから回収はほぼ100%無理だとも言う。

やはり、感覚は他人の金なのだろう。なんという無責任、無自覚であろうか。こんな事件が出てきたら、国民は益々年金を納めたくなくなるだろう。

上司というのは一体、何の仕事をしていたんだ?

アホらしくなる事件である。


■2008-04-24-Thursday 環境モデル都市

アレアレどこかで聞いた言葉だなぁ!

先日の十勝毎日新聞に帯広市が国の「環境モデル都市」に応募するという記事が掲載されていた。

福田首相の肝いりで「地球温暖化問題に関する懇談会」が招集され「低炭素ライフへの挑戦」として、日本全国から10の環境モデル都市を選ぶという。どうせサミット用の付け焼刃政策だろうと思うが・・・

帯広市の砂川市長はその10都市に応募するのだと言うのである。

おい、おい、チョット待てよ!

帯広青年会議所が1992年に提唱した「国際環境大学構想」の中で十勝を「国際環境モデル地域」にしようと言った時には全く相手にもしてくれなかったのに、国が言ったらホイ、ホイと立候補しますよと言うのかい!

私たちが提唱した「安全で安心なエネルギーと食料の自給他足」・「21世紀の新しいライフスタイルを提案し実践することで地球環境に貢献する」という目的をあざ笑ったのは市役所ではなかったのか?

だから私たちは独自で活動しようと1996年に「十勝場所と環境ラボラトリー」を創設して10年間に亘って精力的に活動を行ってきたのだ。だがしかし、後継者が育たず、力尽きて結局2006年12月末日を持って活動を停止してしまったのだ。時代がようやく私たちに追いついたというのに、早過ぎたプランだったということなのだろうか?

私たちの目標は「化石燃料に頼らず、地域で造り出せるエネルギーで動く自動車や農耕機具や住宅の開発」であった。「移動・生産・生活」を石油に頼らないライフスタイル。これこそ、まさしく「低炭素ライフ」そのものではないか!

1996年から一緒に活動していれば、立候補なんぞしなくても、とうの昔に認められている筈だ。なにをトンチンカンなこと言っているのだろう。

お偉方は、総じて地元の人間が提唱することを「若者(バカ者)の戯言」と軽視しがちだ。しかし、先が見えていないのは彼等の方である。

12年前から一緒に取り組んでいればかなり面白い先進事例になったことと思う。だが、今では推進していた私たちのグループが既に解散してしまっているから、また一から組織を立ち上げるとでも言うのだろうか。その場の思い付きだけの政策に見える。

十勝の人たちよ!もっと先を見通す目を養おうよ!


■2008-04-26-Saturday お土産

旅先で美味しく感じたから買ってきたのに・・・

という事が多いように感じる。

これは一体何故なんだろうか?

沖縄に行く機会が多くて、その度に現地の美味しい料理をご馳走になる。食前酒はオリオンビールの生ビールだ。少し薄い感じがするがとても美味しくイッキにゴクゴクと飲んでしまう。食事が進むと今度は泡盛を勧められる。これも美味しくロックで何杯もおかわりしてしまう。翌日の昼食はソーキそばだ。これまたとてもおいいしいし、ソーメンチャンプルーも好物だ。

帯広に返る時に、家族にもおすそ分けをしてあげたいと思い。オリオンビール・泡盛・ソーキそばを買って帰った。

ところが、帯広でこれらのお土産品を飲み食いしても、あまり美味しく感じないのである。あまり喜ばれないのである。

旅先での「ハレ」の気分で高揚しているからなのか?

気候が違うからなのか?

たぶん両方なのだろう。オリオンビールも泡盛もソーキそばも沖縄で食べるから美味しいのである。沖縄の風土に合っているから続いてきたのである。

やはり「Foodは風土」なのだ。

だから、北海道で食べるからこそ美味しく感じる食べ物もあるのだろう。ずっと北海道に暮らしているとなかなか気が付かないが、北海道の乾燥した空気でしか美味しく感じないものだってあるはずだ。

それを、北海道で売れているからといって、闇雲に本州に送って販売しても、全部が全部売れるわけではないと思う。かえって評判を落としてしまうものだってあるのではなかろうか?

北海道に来てもらって食べてもらう食べ物と、送って販売してもOKな食べ物を分けて考えてみる必要があるのではないだろうか?と考える今日この頃なのである。


■2008-04-27-Sunday 十七回忌

昨日、父の十七回忌法要を行った。

父が亡くなったのは平成4年(1992)の5月2日だったから、早いものでもう17年目になる。享年は満年齢で64歳だったから日本人の平均寿命からみても少々早過ぎる死であった。今回の法要に合わせて久し振りに4人の兄弟姉妹全員が集合した。

当時、父は肝臓癌で永らく入院していたが身体の調子が良くなったので久し振りに自宅に戻って来ていた。ゴールデンウィークだから何処か近郊に出掛けようかと言っていた矢先に、急に容態が悪化して再入院したのだが、結局それっきりであった。東京に嫁いでいた姉を臨終に立ち合わせたいと連絡したのだがGWで飛行機の切符がなかなか手配出来ずに苦労したものだ。葬式の手配などもGWの真っ只中で、町内の皆さん方も不在だったので、とても大変な思いをした記憶がある。何でこんな時にと思ったものだがこればかりは仕方がない。しかし、その後の法要には逆に家族が集まりやすい日なのでかえって良かったのかもしれない。父は自分が死んだ後にも家族が集まりやすい日程を選んで死んで行ったのかしらん。

父が亡くなった時に私は34歳であった。私は大学を卒業してすぐに家業に入ったから12年間は父と一緒に仕事をしたことになる。父は祖父が早死(67歳)にしているし、急に心臓麻痺で亡くなったので相続では大変な苦労をしたから、私には同じ苦労をさせたくないと毎日の様に色々な事を話して聞かせてくれたから、その点ではとても助かった。きっと跡継ぎとしてとても頼りない存在であったのだろうと思う。

平成4年という年は、バブルが崩壊した直後だったので、土地の固定資産税評価額は過去最高値であったし、相続税率も近年では一番高かったのでお金の面ではとても苦労した。それに34歳という若さで急に社長業をやるのも正直大変であった。もう少し長生きしてくれて徐々に交代していければ、良かったのになぁと感じたものだ。

だが、もし父が存命だったら「十勝場所と環境ラボラトリー」や「北の屋台」などの事業が果たして出来ていただろうかと考えることもある。

ここでもやはり「人間万事塞翁が馬」なのである。人生とはそういうものなのだろう。


■2008-04-28-Monday 十七回忌

法要の後、墓参りに行った。

何故だか坂本家は昔からお墓で写真を撮ることが多かったのである。アルバムに貼ってある写真にも何枚かお墓で写したものが貼ってあるのだが、以前のお墓は三中近くの墓地にあったので、そこでの写真しかない。父がつつじヶ丘霊園が出来た時にお墓を移設した後には墓地で写真を撮るということがなくなったから、移設後のお墓の写真というのはこれまで無かったのである。

今回、法要後にお墓参りに行く時に「そう言えば昔は良くお墓で写真を撮ったよね」と姉が言い出したので、久し振りにお墓で写真を写そうということになったのである。変な習慣である。

お墓参りの後に、阿寒の「鶴雅」ホテルに全員で向かった。家族の団欒をしようというのである。9人いる孫たちは仕事やら学校やらで2人しか参加していないからほとんど大人だけの集まりだ。

GWとはいいながらも、4月26・27日は観光の端境期である。阿寒湖も中途半端に氷が融けているから何にもできない。温暖化で例年よりは温かいとはいえ、湖開きにはまだ若干早いのである。そんな状態の阿寒であったが鶴雅は満員であった。さすがは今一番流行っている旅館である。サービスも行き届いていたし、特に食事が充実していた。

食事の後に各自がそれぞれ温泉に入ったのだが、2時間入っている者もいればカラスの行水ですぐに上がって来る者もいて、バラバラになってしまった。母の部屋に集まって昔兄弟で遊んだおはじきやトランプなどのゲームを楽しもうということだったのだが、結局、全員が集まるということはなかったのである。この辺の意思の疎通がマダマダだなぁ〜。

27日昼はそれぞれの都合があるから、阿寒で現地解散し、帯広に戻ってから、夜に弟の家に集まって団欒をした。まぁ、こんな程度のもんだろう。

次は6年後に23回忌、はたして何人が集まるのだろうか。


■2008-04-29-Tuesday スポーツのセンス

スポーツにもセンスが重要だと思うのである。

何でいきなりこんな話になったかというと、父の十七回忌が発端なのだ。昔の事を回想していて、そういえば「父とキャッチボールをしたことがなかったなぁ」と思い出した。

父は「ボール(球)に対する運動センスがまったく無かった」のである。その代わり器械体操や剣道などは上手かった様(実際にやっているところを見たことがない)である。

私が生まれたのは昭和33年、あの長嶋茂雄が巨人軍に入団した年である。物心付いた時にはON(王貞治・長嶋茂雄)は子供たちのヒーローであった。当時のテレビでやっていたスポーツといえば野球と相撲とプロレスしかなかったのである。

以前にも書いたが、私は小学校を卒業した時の身長が133cmしかなかったから、いつもクラスでは一番背が低かった。相撲とプロレスは格闘技だから身長の差はいかんともし難い。小さい分チョコマカできる野球しか活躍出来る要素のあるスポーツは無かったのである。上手くなりたいから、父にキャッチボールをして欲しいと頼んでも「嫌だ」と言ってしてくれないのである。父は小学生が投げる球でも怖くて受け止められないと言うのである。仕方がないので住み込みの従業員の人に相手になってもらってキャッチボールの練習をしたものだった。

父は「動いて飛んでくる球は怖いが、止まっている球を打つのなら大丈夫だろう」とゴルフを始めた。まだ帯広にゴルフ場が出来る前に釧路に出掛けてゴルフをやっていたのである。私の「新しいモノ好き」の性格は父の遺伝かも知れない。

しかし、いくらやっても上手くならなかったようである。その内、帯広にもゴルフ場ができて後輩が始めるようになると、ドンドン抜かされて行く。「あいつに教えてやったのは俺だ」なんて言っていたが、後輩に負けるのは嫌だったのだろう。スッパリとゴルフを止めてしまった。

物置に父のゴルフクラブが残っているが、当時の最高級のクラブであったマクレガーのウッドとスポルディングのアイアンのセットである。どちらもチョットでも芯を外して打つと手がビリビリとシビレる、スイートスポットが極端に小さいプロ用のクラブだ。現在の私でも使いこなす事は難しいクラブである。

きっと高いクラブほど使い易いクラブだと思って買ったのか、それともゴルフショップの店員に騙されて買ったのかであろう。

素人が使える様なクラブではないのに、こんなクラブでやっていたのでは上手くならなくて当然だと思う。

見栄を張らずに、初心者用のクラブでやっていたらもっと上手くなれただろうに・・・。

高ければ良いというものではない。道具選びもセンスの内のひとつだと実感した。


■2008-04-30-Wednesday ジンギスカン

昨日の4月29日は羊肉の日

日本人は語呂合わせが好きな民族だなぁ。

私はジンギスカンが大好物なので、この「羊肉の日」に合わせて庭で花見がてら焼肉をやることにした。今年の天気は、温かい日があったかと思うと次の日には寒くなったりでなかなか庭で焼肉をする機会が巡ってこなかったのである。

昨日は何日か振りに最高気温が18℃になったので、近所に住む妻の両親と私の母を招いて皆でお花見をしようと思い立ったのであった。ところがわが家の桜はまだ蕾の状態、お向かいのお家の桜が満開だったので、お向かいの庭を眺めながら借景でのお花見をした。

外で食べるのは半年振りである。これから温かい春や夏を迎えるかと思うととても気持ちが良いものだ。季節感があってまことによろしい!

「街中の自宅の庭で焼肉がやれるなんて羨ましい」と東京の府中に居る姉が言う。以前にジンギスカンの肉を姉に送ってあげた時に、姉が自宅の庭で焼肉をやり始めたら、ご近所から「洗濯物に臭いが付く」と苦情が出て以来、外で食べたことがないと言うのである。

確かに、隣の家との間が狭く、隣の家の声が聞こえるような住宅事情では、これまた狭い庭で焼肉などもっての外ということなのだろう。

温かい日に、自宅の庭で、陽光を浴びながら炭火で焼肉を楽しむというのは、最高の贅沢なのかもしれない。