«00025 メイン 00027»
 | トップ |  | ビル概要 |  | テナント構成 |  | 沿革 |  | アクセス |

観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2010-01-01-Friday 明けましておめでとう

新年明けましておめでとうございます。

さて、今年のブログの書き始めをしよう。

今朝の帯広は快晴無風で穏やかな新年を迎えた。ツララから水がポタポタと落ちているところみると気温もプラス2〜3℃はあるだろう(この時期は一々プラスと表記しない時は気温はマイナスなのである)。

午前中は母の家で一緒にお雑煮を食べてのんびり過ごした。

29日に帰宅した娘二人の内、長女が明日帰ってしまうので家族が全て揃うのは後今日一日だけだし、長男が成人式を迎えるので、写真館で家族写真を撮ることにした。我が家は妻と結婚した時(25年前)から毎年家族写真を撮り続けていて、それをキャビネ版の大きさに焼いてもらって額に順番に貼って飾っているのだ。札幌の従兄弟の家庭が同じ様に写真を額に飾っていたのを見て、これはいいなぁ〜私も結婚したら真似して写真を飾ろうとずっと思っていたのだ。こればかりは毎年撮り続けなければ、後から思い付いても実現出来ないことなのである。

子供たちが巣立ってしまうとなかなか家族全員が揃う機会が少なくなっているので、チャンスはその瞬間に活かさなければならないのだ。今年の写真は元旦に撮れたからもう今年は安心である。

写真を撮り終えた足で帯広神社にお参りに行った。13時だったのに結構混んでいて30分以上も並んでお参りをして来た。いくら例年よりも穏やかな天候とはいえ、寒空に30分以上並んで立っていると、さすがに足先が冷たくなって痛くなってきた。おみくじを引いたら大吉であった、今年は良い年になって欲しいものだ。

帰りに鯛焼きを買って、妻の実家に新年の挨拶に行ったが、夜には我が家で一緒に食事をする予定である。母の家の前に、妹と弟の車が止まっていたので、母の家を訪ねて、親類で新年の挨拶をした。甥や姪もしばらく見ないと随分と大人になっている。他所の家の子の成長は早く見えるものだ。

夜になって、息子が冬道の運転をしたいというので、私が助手席に乗って妻の両親を迎えに行った。免許を取ってから初めての冬道の運転である。たかだか50メートルの距離であるが、妻の両親は息子の運転する車に乗るのは初めてであるから、少し遠回りして戻ってきた。

家で昔のビデオや娘のシンクロナイズド・フィギュア・スケートのビデオを見ながら楽しい一時を過ごした。こんな時ぐらいしか昔のビデオを見る機会がないのだ。アルバムは普段でもよく見るのだがビデオとなるとみる機会が極端に少なくなるものだ。子供たちも自分の幼い頃の姿を見て面白がっていた。

今日は妻の秋田の従兄弟からもらったお土産の日本酒が美味しくてついつい飲み過ぎて酔っ払ってしまった。正月はやっぱり日本酒だぁ〜。

私が真っ赤な顔をしているので、妻と娘は私を家に残して温泉に行ってしまった。私は今、酔っ払いながら一人寂しくこのブログを書いている。


■2010-01-02-Saturday 正月

今日は朝から外に出ることなく過ごした。

元旦の酒がまだ残っている様だ。日本酒は飲んでる時は美味しいが、やはり翌日が辛い。

朝食のお雑煮も、餅が胸焼けしてムカムカする。

昼まで、箱根駅伝をベッドに寝転びながら見ていた。ここ10年くらいは、母校である駒澤大学が優勝候補なので、毎年楽しみに見ているのだ。去年は13位でまさかのシード落ち、しかし、予選会は新記録の1位で通過してきたので、期待して見ていたのだが・・・。

1区でビリから3番目の18位と大きく出遅れてしまった。せめて10位くらいで2区に渡して欲しかったなぁ〜。去年同様に前半で出遅れて、それを取り返そうと、後続選手が焦って自滅するパターンに陥らないかと心配したが、去年の様なことにはならずに8位と健闘している。

それにしても東洋大学の5区の柏原はすごい奴だなぁ〜。順天堂大学の今井正人以上の「山の神様」の出現だ!去年の自己が作った区間新記録を塗り替えたのだから、敵ながら天晴れ!である。だが、いちいち他校の選手を抜き去る時に相手の顔を覗き込むのは見ていて気持ちの良いしぐさではないなぁ〜。

明日の復路では6分差のスタートだから、東洋大によっぽどのアクシデントでもない限り追いつくことは出来ないだろうなぁ〜。でもなんとか順位を上げて駒澤の底力を見せ付けて欲しいものだ。

夜は温泉に1時間も浸かってタップリ汗をかいて、ようやく酒が抜けたようだ。さすがに今晩は飲む気にはなれないから、2010年最初の禁酒日になった。


■2010-01-03-Sunday 箱根駅伝

駒大頑張ったなぁ〜。

箱根駅伝の復路で駒澤が優勝して、総合2位に入った。

昨日の往路では8位、1位の東洋大とは約6分の差があったが、最後はそれを約3分に縮めての復路優勝である。駒大の底力を見せてくれたので満足した。それにしても返す返すも1区の出遅れが最後まで響いたなぁ〜。選手のモチベーションを保つには常に優勝争いを続けていなければならない。18位からの挽回では、目標を優勝から、シード権狙いへと変えなければならないであろうから、かなり厳しい戦いであったことだろう。

往路の2区の日大のダニエル選手のようなアフリカからの留学生を走らせるのは反則だよなぁ〜。でも日大はシード落ちしたのだから、駅伝はたった一人では勝てない競技なのだ。10人の選手の粒を揃えるのは至難の技であることも良く判る。

一人で走るマラソンは途中棄権しても自分の責任だけで終わるが、駅伝には「たすき」というものがあるから、選手の必死さが伝わって来る。ギリギリのスピードと精神状態で走り続けるのだから、体調を管理するのは難しいことだ。選手は皆、限界を超えた走りをしているように見える。これだけの人気があるのもそうした限界を超えた走りを見ることにあるのだろう。

まぁ、箱根駅伝の面白さは5区の山登りと6区の山下りにある。こんな高低差のある走る競技はおそらく世界中でも箱根駅伝だけだろう。

来年の駒大の活躍が楽しみだ。


■2010-01-04-Monday 仕事始め

今日は今年の仕事始めだ。

正午から帯広市主催の「新年交礼会」がノースランドホテルで開催されたが、今年もまた欠席した。「北の屋台」を卒業した2007年からずっと欠席したままである。

どうせこの後、青年会議所や十勝毎日新聞社などの交礼会もあるので、帯広市の様な人口17万人の小さな街では、毎度、毎度同じ顔ぶればかりが集まることになるから、面倒になって出席を止めてしまっているのだ。

一応、会社では社員を前に1年の計を話し、仕事始めとした。

午後5時半からは北海道ホテルで帯広青年会議所の新年例会があり、そのまま6時からは交礼会になる。当初は6時からの交礼会から出席するつもりで例会は欠席、交礼会は出席の返事を出しておいたのだが、直前になって、この例会に出席する京都青年会議所のメンバーが「せっかく帯広に行くのなら、北の屋台の坂本に会って話を聞きたい」との要望を帯広青年会議所にしたとのことで、火の川新理事長から直に頼まれたので北海道ホテルで4時に待ち合わせて懇談をすることになった。

わざわざ私と話がしたいなんて指名されては悪い気はしない、いやむしろ光栄なことである。1時間半たっぷりと懇談をした。

途中で一旦戻るのもなんだから、そのまま、新年例会と交礼会にも出席することにした。

青年会議所も今年の新入会員は14名と健闘した方であるが、近年の会員の減少傾向には歯止めがかからない。私たちが現役の頃は190名ほどのメンバーが居たのに、今はなんと90名と半減しているのだ。

長引く不況と少子化が響いているのだろうか?

少数精鋭とはいっても、OB会員が500名以上もいたら、なんだかんだと運営費が掛って事業費に回せなくなる。

それにしても、かつての青年会議所といえば、酒とゴルフとマージャンと○○○であったが、現在の現役はとても大人しい。総じて日本の若者は昔よりも大人しくなったようだが、若い時には少々羽目を外して遊ぶのも人生経験だと思うのだが・・・。

OBの同年会(私は33年の早生まれだから32と33の両方の会に入っている)の連中も32年会の出席はゼロ、33年会は私を含めて2人と少ないから二次会に繰り出すこともなかった。

妻に電話したら娘が出た、後ろでなにやら騒々しい音が聞こえる。妻と娘と息子の3人でカラオケに行っている様子だ。今から合流しようかなと思ったら、「残り時間が後20分しかない」と言うので、ホテルから自宅まで歩いて帰った。

今年の初飲み会をパーッとしようと思って参加したのに、なんだか寂しい正月だなぁ〜。


■2010-01-05-Tuesday 大雪

またまた大雪だ!

今冬の雪の多さは一体どうゆう訳なんだろう。

2日に長女がシンクロナイズド・フィギュア・スケート(16人の団体で滑る競技)の練習があると言って正月早々に東京に帰ってしまった。長女は現在「神宮IMG」というクラブのキャプテンを務めているので、自分が練習をサボる訳にはいかないと言うのである。「地位は人を作る」とはよく言うが随分と大人になったものだ。今年のバンクーバー冬季オリンピックには残念ながら正式種目には採用されなかったが、次回のソチ冬季オリンピックからは正式種目になることが決まっている。

今年2月の全日本選手権で優勝して、4月のコロラドスプリングスで開催される世界大会に出場するんだと張り切っているのだ。

近年、日本のフィギュア・スケート界は男女ともシングルではオリンピック出場枠が各3人ずつと世界のトップレベルにあるが、新しい競技であるシンクロナイズド・フィギュアはまだまだ競技人口が少ない。

同レベルのスケーターを16人以上揃えるのはなかなかに苦労なことの様である。なんにせよ青春時代に全力投球できる対象があることは素晴らしいことだ。必ず将来に生きてくるだろうと思う。親としても出来る限りの支援はしていきたい。

次女も今年は大学4年生になる。去年も不況で就職は最悪の状態であったが、今年も状況は上向くことはないだろう。卒業する時の経済状況によって左右されるのは可哀想であるが、こればかりは私にもどうすることもできない。就職活動は3年時からやっているようだが、希望する職種に就けるかどうかはこれからである。正月早々から就職活動で忙しいからと次女も今日の飛行機で東京に戻った。

大雪の為に、飛行機が飛ぶのか心配したが、娘の便は無事に飛んだ、まだ娘の運は良いようである。

今日の大雪は湿った雪で、締まってくると重たくなって厄介である。もう自宅の周辺には雪を捨てる場所も無くなってしまった。積み上げた雪が屋根に届きそうである。帯広も豪雪地帯になってしまったかの様だ。

市役所も除雪費がもう底をついてしまったのではなかろうか?イタズラに街を拡げて来たツケが回ってきているのだ。


■2010-01-06-Wednesday 実演

久し振りにマジックの実演をした。

去年の1月からマジック教室で指導はしているが、マジックの実演を頼まれてもなるべく引き受けないようにしている。一度引き受けてしまうと、次から断わりにくくなってしまうし、誰それの依頼は受けるのに、私の依頼は受けてくれない、などということにはしたくないので全て断わってきたのだ。

そもそも、マジックには演じる場所等によって分類すると、大きな舞台で演じるステージマジック、30〜50人程度に見せるフロアマジック、5〜10人程度に見せるクロースアップマジック、と大きく分けて三種類があるのだ。

私が好きなのは小道具とテクニックを使うクロースアップマジックであって、ステージマジックやサロンマジックは道具の持ち運び等がとても面倒で嵩張るから、最近はほとんど演らないのだ。

だが、依頼する方にしてみれば、マジックならどれでも全部同じに見えるのはしょうがないところでもある。

しかも今回は妻が私の承諾無しに勝手に引き受けてしまったのだ。今回の依頼主は、昔から通っていたラーメン屋さんで、妻の介護ショップのお客さんでもあり、会場は妻がヘルパー講習の時の実習先でもあるということで引き受けたというのだ。妻と私の力関係から言っても、後からダメだとはとても言い出しにくい状況になってしまったのである。

高齢者相手のディサービスで演じるには、一体どんなマジックが良いのかとず〜っと考えていたのだがどうもスパッと決まらない、依頼主から前日に確認の電話が入り、いよいよあわてて準備したが、なかなか適当な道具が見当たらないので困ってしまった。適当なBGMも見当たらない。音楽無しでやるには話しながらやるマジックしかないなと考えて、ロープマジックのルーティンを作ったのだが、マジックでこんなに緊張するのは久し振りである。

やはりブッツケ本番はイケナイなぁ。結局、演じる順番もなにも関係無くなってしまって、鞄に詰め込んだ道具をただ手当たり次第に演じては汗びっしょりになってしまった。

演じる以上はもう少し完璧な準備をしてから演じるべきで、恥じ入るばかりである。あのマジックで果たして高齢者の方々に楽しんでいただけたか気がかりである。

観客の高齢者の方々は、父のことを良く知っている人たちばかりで、終わった後に「お父さんにそっくりだね」とか「お父さんと一緒に旅行したんだよ」とか言う。世間は本当に狭いものだ。

さて、これからマジック実演の依頼が来たらどう対応しようか?悩むところである。


■2010-01-07-Thursday 妙な初夢!

変な夢をみた。

私は現在、新聞2社で1000字のコラム欄を担当しているが、〆切りが迫って来たので、昨晩は温泉に浸かりながら構想を練り、帰宅してから書き始めた。しかし、何だか妙に疲れていて筆が進まないので中断して、翌朝に書き直すことにして寝たのである。

途中まで書いた原稿は『マジックに「マイザーズ・ドリーム(Miser's Dream)という空中からコインを何枚も取り出して、カラッポのバケツをコインで満たすという演目があるが、日本語では「強欲者の夢」とでも訳すのだろうか。徒手空拳からまたたく間にバケツを金貨で満たすのは現代にも通じる夢であろう。さしずめ、アメリカのグローバリズムは世界を自分たちの扱い易い領域に誘導して金儲けをする企みの様に感じて・・・・』という書き出しで、我ながら趣味であるマジックと関連付けるなど、なかなかに良い比喩だと満足して寝たのである。

ところが、夜中に「何だかあの文章はどこかで読んだことがあるゾ、誰かが書いた文章が頭の中に残っていて、それを自分が考えたことの様に錯覚しているのではないのか?」という思いが湧いてきて、ハッと目が覚めたのである。

「マイザーズドリーム」という名称は、現代社会にピッタリの題名だから、きっと既に何処かで誰かが同じ様に使っているのではないのかという疑問がフツフツと湧いてきてしまったのだ。

だが、真偽のほどは、確認の仕様がない。私は活字を見ていないと落ち着かないほどの活字中毒で、四六時中、本や新聞などを読んでいる。しかも乱読で、活字なら何でもOKだから、週刊誌なども守備範囲なのである。何処かで読んだものなのか、はたまた自分で考えたことなのか解らなくなってしまった。後から発表して、盗作だ!などと言われるのも心外だから止めることにして、再び眠った。

朝方、またまた変な夢を見た。二度寝するとオカシナ夢を見ることが多い。

正月の新聞で、芥川賞や直木賞の候補者名が掲載されているのを見て、最近、いささかなりとも書くことに自信を持ち始めて来た私は小説を書こうと決心するのである。どうせ書くなら趣味であるマジックを題材にした小説にしようと考えてプロットを作ったのだが、『私は幼い頃に身辺で不思議な現象が起きる。それがもしかすると超能力なのかもしれないと考えるのだが、モノが突然消えたり、空中に浮かんだりするのを他人が見たら驚いてしまうから、それを隠す為に「マジック」が趣味であると言ってマジックを研究するということにして、不思議な現象をエピソードを交えながら物語を膨らませていこう』というものなのである。

だが、待てよ!こんな小説は確か学生時代に読んだ記憶があるぞ、ポール・ギャリコの「ほんものの魔法使い」という、本物の魔法使いが手品師の学校に入るという類の小説だったなぁ〜。でもオマージュ〈(仏:hommage)は、リスペクト(尊敬)や敬意のこと。芸術や文学においては、尊敬する作家や作品に影響を受けて、似たような作品を創作する事。また作品のモチーフを過去作品に求めること(引用)〉としてならアリかなぁ〜なんてことを考えているのである。

これが、また先の夢と重なって、そもそもこれが夢の中の事なのか現実なのかの判断がつかなくなってきたのである。「あれ〜、こんな夢は以前にも見た記憶があるゾ。これはデジャヴュ〈既視感(きしかん、仏: déjà-vu:「既に見た」の意)とは、実際は一度も体験したことがないのに、既にどこかで体験したことのように感じること(引用)〉ではないのか?」と夢の中の自分が考えているのである。

寝苦しくなってまた目が覚めた。

なんでこんな妙な夢の二本立てをみたのだろうか?

ボケが始まったのかもしれない。何だか怖いなぁ〜。


■2010-01-08-Friday 雪害

雪がうず高く積まれている。

遂に歩道と車道の間に出来た雪の壁の高さが人間の背丈を越えた。1月初旬にこんな状態になったことは帯広に半世紀も住んでいるが初めての経験だ。自宅の車庫の屋根に積もった雪も、屋根の雪が落ちる側の地面が落雪で一杯になって、屋根と地面が雪で繋がってしまい、もうこれ以上は自然に滑り落ちるスペースが無くなってしまった。このままこれ以上雪が降ったら、屋根の雪を人力で除雪しなければ、雪の重みで車庫が潰れてしまう可能性も出て来た。

自宅周りには既に雪を溜めて置くスペースは無い。うず高く積み上げた雪の壁の、更に上まで雪を放り上げる体力も無い。気候変動で帯広は豪雪地帯になってしまったのか?

車道も道幅が狭くなって、しかも交差点の四つ角の角々にも雪がうず高く積まれているから見通しが悪くて、いちいち交差点では自動車の鼻先を出さないと行き交う車が見えない状態になっている。おまけに昼間は太陽の光で溶けた雪が、夜間の寒さでカンカンに凍っているから、路面はツルツルで歩くことも困難な状態である。

同じ敷地に建つ家から、毎晩10メートルほどの距離を歩いて食事に来る母が、我が家との間の通路が怖くて歩けないと言う。我が家の屋根から30センチほど飛び出ている雪が頭上に落ちてこないか心配なのだ。

屋根に上って雪を落とそうかと考えたが、高所恐怖症の私としてはこの作業は怖くて出来ない。仕方ないから出っ張った雪を、下から洗濯物を干す棒で突いて落としていたら、落ちて来た雪の塊が、棒の上をツーッと滑ってきて、まともに顔面を襲ったのだ。これまた危険な行為であることが分かったから、後は何もせずに、母に上に注意しながら、歩いておいでと言うと、下を見なければツルツルで怖くて歩けないと言う。いったいどうしたら良いのだろうか?

帯広は例年3月にドカ雪が降る。この状態で降られたら、都市機能がマヒしてしまうだろう。停電が心配だ。

現代の住宅は、電気が停まれば、ボイラーが着火しないから、たちまち住宅は冷蔵庫になる。マッチでは着火できないのだ。便利さは一歩間違えたら、生死に関わる不便さと裏返しだ。こりゃ〜昔に戻って薪ストーブでも買っておかなきゃならないかもしれないなぁ〜。


■2010-01-09-Saturday マジック本コレクション

去年の11月中旬に、

神戸のマジック関係資料収集家のYさん宅を訪問してから、再びコレクション熱に火が着いてしまった感があって、この昨年暮れから正月にかけての休みは連日、ネットオークションの画面を見ては入札を繰り返していたのだ。

その時に入札したものが、このところドンドンと落札を続けて、落札した本が毎日毎日、数冊ずつ送られてくる。

いよいよ、会社に去年増設した2台の本棚も、もはや満杯状態になってしまった。これでマジック関係書籍の本棚は6台全てが塞がってしまったので、建具屋さんを呼んで、新しく本棚を造ってもらうことにした。

空いている壁は後3台分の本棚スペースしか残っていないから新たに3台分を注文して合計9台の本棚ということになる。

奇術・手品・マジック・トリック・魔術・魔法・悪魔・占い・不思議・謎・超能力・超常現象・予言・宗教・忍術・映画・心理・催眠術・古典芸能・大道芸・香具師・サーカス・錯覚・錯視・詐欺・ギャンブル・パズル・ゲーム・クイズ・パラドックス・小説・随筆・週刊誌・絵本・童話e.t.c.

よくぞここまで集めたものだ。正確に数えてはいないがおそらく6000冊以上はあるだろう。妻もあきれ果てたのか、はたまた諦めたのか、さすがにもう何も言わなくなった。

ここまで集めてしまうと所持していない本の方が少ないから、集まるペースも落ちるだろう。これからは集めるよりも中身の分類をしてみたいと考えている。


■2010-01-10-Sunday マジック特番

久し振りにテレビで

マジックの特集番組があった(この文章は8日夜に書いている)。

8日夜7:54〜「GOD・HANDS史上最高の神技!!世界マジック癸鰻萃蠕錙!〜五大陸王者が集結〜」という長い名前の番組である。

久し振りのマジック特番ということもあって見ていたのだが、途中でイライラしてきたので、見るのを中断して温泉に行ってしまった。

温泉のサウナ風呂のテレビでもやっていたから、ところどころは見たのであるが、やはりとてもイライラしたのだった。

この番組のカメラマンとディレクターは、恐らくマジックのド素人なのだろう。あまりにも酷いカメラワークと場面割りである。

マジック番組としては近来稀に見る最低のカメラワークだ!

特に酷かったのが、マジック全体の流れを撮らずに、途中、頻繁にゲストが驚いている顔を写すことだ。誰もゲストの驚く顔など見たくはない。

マジシャンの姿を全身で定点カメラで捉えて欲しいのに、不必要なバストショットや無関係の箇所のアップが多くてとても見ずらい事この上ないし、本当に見たいところはまるで写していない。

マジック番組を見てこんなにイラついたのは初めてある。とても正視に堪えられなかった。

テレビ朝日としても、最近のお笑い芸人だけを使った費用の安い番組よりは、少しは金を掛けた番組だろうに、ディレクターとカメラマンがあれではぶち壊しである。これまでまともな番組作りをしてこなかったから、こんな無様な番組を作ってしまうのだ。テレビ局の人材が低下している証拠だろう。

一部しか見ていないからマジシャンの評価は出来ないが、笑っちゃったのは東大生マジシャンである。確かに上手いのであるが、日本の学生マジック特有のこれでもか!これでもか!と技術を見せ付ける演出に、昔の自分の姿を重ねて笑ってしまったのだ。やはり、アマチュアの学生同士の発表会の演出を脱していない。いくら上手くても同じ現象をアレだけ立て続けに見せられては食傷気味になる。

せっかくの素晴らしいマジシャンを揃えたのにまことに残念な番組であった。


■2010-01-11-Monday 親類の死

また一人親類が亡くなった。

亡くなったのは、河端常治。私の父の兄(つまり私の伯父)の妻(つまり私の伯母)の弟で享年77歳であった。私自身が今年52歳になるのだから、親類が亡くなる年齢に達しているのは当たり前なのであるが、やはり親類が亡くなるのは寂しいことである。

帯広で教員をやり、北教組の委員長をやったり、校長会の会長も務めていた。退職後は帯広駅前の眼科医院で事務長を2年前まで務めていて、そこを退職した後は、好きなゴルフを楽しんでいたようだ。

とてもダンディな方で、およそ教員という感じの人ではなかったし、ましてや北教組の委員長をやっていたという感じの人ではなかった様に思う。

息子さんも娘さんも現役の教師だから、さすがに、葬儀には教師や退職教師が大勢来ていた。私の中学の時の担任の先生等も来られていて、皆に挨拶したが、「河端さんとどういう関係の親戚なんだ?」と皆さん不思議がっていた。

葬儀委員長の説明では、去年の6月中旬にゴルフコンペに参加中に不調を訴えて中断し、病院に行ったところ「静脈剥離」という診断で手術し順調に回復していたが、ICUから一般病棟に入る時に、家族が面会して後、家族が帰宅する途中に病院から「心肺停止」の連絡が入りあわてて病院に戻ったら心臓マッサージの最中で、蘇生までに時間が掛かり、蘇生はしたが意識は戻らずに、半年間寝たきりのままで、7日木曜日に亡くなったとの事。この説明がそのままなら、何等かの医療ミスがあったとしか思えないような印象である。

まぁ、多少の速さの違いこそあれ、人間は皆死ぬのだからとは思うのだが・・・。

葬儀には私の従兄弟たち(伯母の娘夫婦2組)も来ていたが、最近は不祝儀でしか会えないというのも寂しいものだ。


■2010-01-12-Tuesday 成人式

長男が成人式を迎えた。

昨日の成人式に参加した成人は全員が平成生まれの人たちという初めての成人式ということで興味深いものであった。

これで我が家の3人のこども全員が成人になったので、一応、親としての責任は果たしたかなというところで一安心である。

11日は大学が既に始まっているのだが、息子は高校(釧路高専)から十勝を離れたので、成人式に出席して、中学時代の中間達と会いたいと帯広に残っていたのだ。

大学に入学した時に買ったスーツを着て出席するのだが、息子はじつに身体が細い。でも、私も二十歳の頃は、現在の息子よりも細かったのだ。何せ、ウエストが58センチしかなかったのに、今は96センチもあるのだから、妻が「貴方も昔はこれくらい細かったのに・・・」と感慨深げに言う。

正午に我が家に4人の中学時代のクラスメートが集まって来て、5人で成人式に出掛けて行った。

14時に一旦帰宅して、17:30から始まる二次会(中学校全体の同窓会)まで部屋で仲間とテレビゲームをしていた。久し振りに会ったのだから、積もる話もあるだろうに・・・。

私は、自分の成人式の時は、大学生だったので出席していないからどんな感じだったのかは分らないが、テレビのニュースで見ていると、成人達が皆、ホストやホステスに見えてしまう。どうも我々の時代よりもちゃらちゃらしているように感じてしまう。たぶん自分たちも二十歳の頃には親の世代から見れば、ちゃらちゃらして見えたのだろうが・・・。

昨日は2時まで3次会・4次会で飲んで帰宅し、今朝一番の飛行機で東京に戻った。

きっと、同世代の仲間達と久し振りに再会して、少しは得るものがあったと思う。これまでは人生の目標らしい目標も無かったようだが、成人を機会に、目標を持ってこれからの人生を生きてもらいたいと願う。


■2010-01-13-Wednesday 空き地

帯広市の中心街、

我が社のビルが建っている西2条南9丁目の西側街区で旧ホシビルの解体作業が始まった。

真向かいに建っている北洋銀行ビルも今年中に解体される計画のようである。

かつての西2条南9丁目といえば、「まち」と言われていた場所だ。帯広市民が着飾って買い物に「まちに行く」と言えば西2条南9丁目に行くということと同義語であったのだ。

藤丸デパート、我がサニーデパート、長崎屋、金市館、の4つの大型店が固まっていた街区であり、その他にもホシ、千秋庵(現:六花亭)、とくら、三井金物店、シノカワ洋服店など等、帯広を代表する老舗店が集まっていて活況を呈していた。それが・・・。

東側街区こそまだ埋まっているものの、西側街区は320坪ほどのホテルが新築されて2月にオープンするが、その他には30坪程度の靴屋さんと、20坪程度の輸入雑貨店、80坪ほどのビルが残るだけになる。1丁が約1500坪だから1500−450坪では3分の2以上の1050坪も空き地ということだ。これがどれだけの異常な事態であることか。

帯広市においてはこの西2条南9丁目の固定資産税だけが突出して高いのである。1丁横にズレルだけでかなり安くなるのだ。

だから、帯広のまちづくりはこの西2条南9丁目からの固定資産税で賄われていたと言っても過言ではないと思っている。

その十勝で一番高い土地を空き地にしたり、駐車場にしたりするのは如何なものであろうか?帯広市としても、せっかくのビルを解体してしまえば税収はかなり落ち込んでしまうのだぞ。

中心市街地活性化が叫ばれてから久しいが、状況は益々悪化の一途を辿っている。市長が明確なビジョンを持ってまちづくりをしないから、街はドンドンと虫食い状態になってしまうのだ。新しい市長が中心街をなんとかしなければ、帯広の未来はなくなるだろう。

しかし、それにしても今朝の寒さにはまいったなぁ〜。帯広でマイナス18.7℃だと。この温度なら空気中の水蒸気が凍る「ダイヤモンドダスト現象」が起こる寒さなのである。今年は雪も多くておまけに寒いときている。札幌は雪が少ないそうだ。

太平洋側と日本海側の気象が入れ替わったかの様な「気候変動」である。

人間の気持ちも、帯広の街のようにスカスカに寒くならないようにしたいものである。


■2010-01-14-Thursday 馬鹿もん!

試食会を行った。

12日17:00〜「馬鹿もん(うまかもん)プロジェクト」の会議を坂本ビル6階の会議室で行い。18:30には、その足で、試食会の会場である「タベルナ・センナリ」に向かった。

今回が6回目の試食会で、今回のメニューは「馬鹿ライス」「馬鹿水餃子」「馬鹿焼き餃子」「馬鹿オムライス」「馬鹿タコス」の5品である。

「馬鹿ライス」は前回も出されたメニューであるが、ライスに付けたカレーの匂いが強過ぎるという意見が多かったので、カレー粉をサフランに替えて、ライスにかけるソースにも改良を加えてあった。とても食べ易くさらりとした感じでランチメニューとしてはかなりいけてる。

「馬鹿水餃子」&「馬鹿焼き餃子」の2点は、元々餃子に入れる食材が肉から海鮮ものまで色々と豊富にある中で、こういう餃子も正にアリだなという意味ではごく普通の餃子である。意外と馬・鹿肉の味が出ていたように感じた。

「馬鹿オムライス」は、これはもう普通に美味しい料理だ。馬・鹿肉のソースと柔らかく焼いたトロトロの玉子が実にマッチしている。最初に食べるには一番抵抗感が少ないメニューかもしれない。これは定番メニューになる味である。

「馬鹿タコス」は妻のリクエストで造ってもらったメニューであるが、とうもろこしで作ったソルティーヤだかという皮がパリパリして実に美味しいものだった。今後に開発を計画している「馬鹿ソーセージ」を挟んで「馬鹿ホットドッグ」とか、「馬鹿ハンバーグ」手で持って食べるファスト・フードの馬鹿メニューの一つとしていけてる味だ。

皆で食べながら、ミンチ肉だけよりも、もう少し肉の食感を味わいたいという意見が多く出て来たので、サイコロステーキ・串焼き・焼肉なんかも食べてみたいねとか、前回出して好評だった「馬鹿ミルフィーユカツ(馬・鹿肉を薄くスライスして4層に重ねてカツレットにする)」をもう一度食べてみたいという意見が出た。

次回の試食会は2月8日(月)19:00〜もう一度「センナリ」を会場におこない。3月には札幌で行おうということになった。

今後はイタリアン料理だけではなく、和食・中華・フレンチ・メキシカンと料理の幅を広げていきたいと思う。

馬肉の生産者である足寄の永井畜産さんが協力してくれることになったので心強い。永井さんも最初に話した時には「私が生産している馬肉には自信がある。シカ肉と一緒くたにされるのは嫌だ」と言っていたのだが、「これまで10数年も色々な方々が馬肉や鹿肉の消費拡大にチャレンジしてきたが、あまり消費は伸びていない。その原因は、馬肉・鹿肉は臭いというイメージの悪さにあるのではなかろうか?正攻法でダメなら馬鹿というインパクトのある文字を活用して、面白そうだから話のタネに食べてみようという軽いノリが必要なのではないだろうか?馬鹿もんが上手くいけば、悪いイメージの壁を取り払い、単品での消費も伸びることになる」と説得して了解してもらったのだ。

もともと、それぞれが単品で食べても美味しいのだから、PRの仕方を工夫さえすればきっと上手くいくと思う。4月1日の正式スタートまでにまだまだやらなければならないことが沢山ある。また面白くなってきたゾ!


■2010-01-15-Friday 依存症

依存症のことが、

13日の21:00〜日本テレビ系列の「世界仰天ニュース」というスマップの中居と笑福亭鶴瓶が司会をしている番組を、温泉のサウナ風呂の中のテレビで見た。サウナの中なので続けて10分見るのが限界なので、切れ切れにしか見ていないのだが、内容は「依存症」に関するものであった。私が見た部分は「日焼け依存症」と「買い物依存症」に関するものであった。

なんでも、日焼けしている時や買い物している時に、エンドルフィンだか何だかの幸福を感じる脳内ホルモンが分泌されて、脳が快感を感じて止められなくなる病気なのだそうだ。これまではただ単に意思が弱いだけの人のことだと思っていたのだが・・・。

妻も女風呂のサウナで同じ番組を見ていたようで、風呂を出るなり帰り道を歩きながら「貴方は、コレクション依存症なんじゃないの?」と言いだすから「あっ、テレビを見ていたな!俺も同じ番組を見ていたんだよ。」と言ったのである。

帰宅して早速コンピュータの電源を入れ、ネットオークションを始めたら、「やっぱり貴方のコレクション癖は病気だったんだ〜。」と言う。

ウ〜ン、確かに病気かもしれない。昔から何でもかんでもコレクションしたくなってしまうのであるから・・・。でも快感を感じている訳では無いのだが・・・。

でも現在凝っている「マジック関係書籍」のコレクションは、ネットオークションを毎日開いて見ているような状態なのである。

翌14日の昼食に藤丸百貨店の7階の蕎麦屋に妻と二人で行ったら、妻が「今日からここで古書まつりが始まるのよ」と嬉しい情報をくれた。妻が言うとはどういうつもりなのかしらん。

昼食もそこそこに、一人で会場に行って、本を眺めて歩いた。古書は背表紙を見るだけでもウキウキしてしまう。欲しい本も十数冊あったので購入して帰って来た。

妻が「また、買ったの〜。この本の山は貴方が死んだら、どうするのよ!私はこんな本にまったく興味が無いからね!」と言うので「何も俺が今すぐ死ぬわけじゃ〜なし、後20年ぐらいは読んで楽しめるだろう?」と言うと「そんなに長生きするつもり?」ときた。

妻は私の寿命をいったい何歳と考えているのだろうか?


■2010-01-16-Saturday 就農祝賀会

14日18:30〜

帯広のベルクラシックを会場にして、小畑拓君の新規就農祝賀会が催されたので出席してきた。

昨年末に招待状が送られてきた時には、何故、私が招待されたのか、よく判らなかったというよりも、いきさつをすっかり忘れていたのである。

そのすぐ後に配られた帯広市の広報誌の新年号に小畑くん夫妻が2人の子供を抱いて砂川市長と対談しているのを見て、あぁ、そうか彼もようやく夢が叶って農家になることが出来たんだ!と理解した。アレッ、でもいつ結婚したんだ?しかもいつの間にか子供が2人も出来ている。な〜んだ。やることは、ちゃんとやっていたんだなぁ〜。

小畑拓君は神戸市出身の30歳の若者で、小さい時から農家になることを目標にして生きてきて、大学も帯広畜産大学に学んだ意志のしっかりした青年である。

2004年に突然私を訪ねて来て(何故、私を訪ねて来たのか、未だに思い出せないでいる。)、将来は十勝で農業を志しているというので、当座の職業の世話と、北の屋台の「夕焼け市」で知り合った、やはり関西から移住して有機農法をやっている薮田秀行さんの家まで彼を同行して紹介してあげたのである。

その後、私が所有する畑を貸してあげて、そこで独自に農業の実践をしていたのだが、しかし、やはり独学では農業をするのは難しかったようで、2008年から帯広市の農業技術研修センターで学び、農業実践塾でも学んで、今回、晴れて農業者として帯広市愛国町で農地を取得して農業を始めることができることになったのだ。

と、ここまでが、薮田さんが挨拶の中で、私を紹介したいから立ってくれと言われて紹介された中身である。私はほとんどいきさつを忘れていたので、そういえばそんな事があったなぁ〜と思い出したのであった。

愛国地域として移住者が農業を始めるのは彼が3人目(薮田さん・吉田さんに続いて)となる。

人口が減っている帯広市において、ましてや後継者が少ない農業をやってくれるのは大助かりであろう。

この式には知り合いが、随分と大勢参加していたので驚いた。なにせ、乾杯の音頭をとったのが、妻の叔父の水戸部洋二さんだったので、お互いに、エッなんでここに居るの?という感じだったのだ。水戸部さんはおびひろ農業塾の塾長をされていたのだ。私の隣の席に坐ったのは、スノーフィールドカフェ(冬の間だけ行ったビニールハウスのレストラン事業)の地主である井上さんだったのだ。スノーフィールドカフェは、主に北の屋台をやったメンバーが「地遊舎」という会社を作っておこなった事業であるが、私が地遊舎を抜けた2007年以後は08年に一度やったでけで、その後、ビニールハウスは放置され、ビニールもはがれた状態のままだと言っていた。

何だか、地遊舎はキチンとした形で終了させていない様で、井上さんにはご迷惑をお掛けしたようである。地遊舎の連中はこの辺が責任感の欠如というか、やりっぱなしというか、イケナイところである。

井上さんは「坂本さんとなら、また違う形でやりたいなぁ〜、やろうよ!」と言ってくださったのがせめてもの救いである。

その他にも、知り合いの方々が大勢居てビックリした。世間というのは実に狭いものである。小畑君もこれだけ多くの方々の支援を受けて就農することができたのだろうから、人の縁というものを大切にして、感謝の気持ちで生きていってほしいものである。

小畑君夫婦はまだ結婚式を挙げていないそうだから、落ち着いたらまた祝福してあげよう。


■2010-01-17-Sunday 同窓会

母校柏葉高校同窓会の

新年交礼会が16日(土)の18:30〜北海道ホテルで開催されたので妻と二人で出掛けた。

今年の担当期は8期と31期である。近年の参加者数は650名を越えているので会場がとても狭く感じる。私達26期は私達夫婦2人を含めて9名が参加した。同級生同士で結婚したカップルが結構いるのに夫婦で参加する人たちは極めて少ないのだ。

セレモニーの中で叙勲者の紹介が行われるのだが、最後に去年紫綬褒章を受章した20期卒業の中島みゆきさんの名前が呼ばれたときには一瞬会場がどよめいた、皆、本人が来ているのではないかと思ったのだろう。中島みゆきさんは柏葉高校時代に同級生からイジメられていたらしく、柏葉高校が嫌いだとのことだから、来ることはないだろうとは思っていたが・・・。

年々、映像を取り入れるなど進行はスマートになってきていると感じた。挨拶も以前よりは短めになってきているから前半は良かった。後半の大抽選会は今年は当たらなかった(去年はコーヒーカップ一個が当たったのに)。

食べるものも人数分は用意していないから、少なめではあるが、逆に余さないから、これくらいが丁度良い。お腹が空いたら、二次会で街に出れば良いのである。ということで、26期は居酒屋で二次会を行うことになった。26期の参加者で女性は妻一人だけだったので、妻は帰宅し、仕事があるとのことでもう1名が帰って、7人で街中の居酒屋に行ったのである。

酒が進んだところで誰彼言うとなく「坂本はなんで北の屋台を辞めたんだ?」、「坂本は、普段から口数が少ないが、北の屋台の一件に関しては、全くお前からの話は聞いたことがないゾ」と言うから、「俺が、口を開いて真相を話せば、北の屋台の店主たちの営業に悪影響を与える可能性がある。俺は北の屋台が我が子の様に可愛いから北の屋台が営業をしている間は話したくないんだ」と言ったら、「辞めてから3年にもなるんだからもういいだろう?話せよ!」、「話さなければ勝手な憶測を生むだけだゾ」と言うのである。同級生の気安さもあり、酒もかなり入っていたので珍しくポツポツと真相を語ったのである。

すると、「それは俺が聞いている北の屋台の組合の連中の話とは、全く違う話だな。俺は、坂本が組合の運営で事務所の家賃なんかで勝手な事をやっているから辞めさせたと聞いているゾ。いったいどちらが正しいんだ?」というのである。つまり、私が自分のビルに入居していた組合の家賃を勝手に増額したというのである。

どうやら、私が北の屋台可愛さで口を開かないのをよいことに、無いこと無いこと(有ること無いことではない)話をしているようだ。

そもそも、家賃を上げたのは彼等が理事会で「上げろ」と発言したからであって、当然ながら理事会での承認事項である。私が勝手に増額したわけではない(第一そんなことが勝手に出来る訳がないではないか)。

もともと、北の屋台の前身である「十勝環境ラボラトリー」を作った96年当時からズ〜ッと事務所は無料で貸していたし、2人いる事務員の内の1名の給料は私が払っていたのである。

北の屋台が2期目になって少しは利益があがるようになってきたから、「少しは家賃を払うよ」「事務員も組合で給料を払うよ」、ということになって、私の負担はようやく軽減され始めたのである。

それでも、私は依然として無給で働いていたし、自腹を切ることはあっても自分の懐を暖めるような行為はしたことがない。

利益があがり始めたとは言っても、単年度の会計だけであって、総体的にはまだまだ赤字状態だった。一番最初に屋台出店者から預かっている保証金の2000万円(100万円×20軒)は屋台事業を終了する時点で店主に返還しなくてはならないからだ。この2000万円分を貯めて初めて総体的な黒字になるのである。地主さんから土地を借りた期限は6年半(2001年6月1日〜2007年11月末日まで)だったから、この期限内に2000万円を積み立てて黒字にしなければ、銀行からの融資に際して私が押している連帯保証人の印鑑によって、借金は全て私に掛ってくるのである。だからこそ私は無償で働いてきたのだ。

それなのに、途中から自分の旅行会社を潰してしまったK専務理事(当時は理事長)が生活に困って、「北の屋台の専属になって給料をもらいたい」と言い出したのである。私は当然反対した。しかし、SとTが「仲間なんだから助けてやれよ!」ということで理事会で決定してしまったのだ(この一件をみても理事会が私の自由になんかならないことは明白だろう)。

給料も最初から破格の月額40万円である。何一つ仕事らしい仕事もせずに昼間からパチンコ屋に行っている人間にである。しかも、彼はすぐ後に組合の金庫から十数万円を着服した。

理事会でその対応を協議したら、Sが「金を着服したのは給料が少ないからだ。もっと給料を上げてやれ!」と信じられないことを言い出したのだ。結局、Kはこの一件で理事長職から専務理事職に降格されただけで、逆に給料は50万円に昇給することになった。こんな無茶苦茶な決定があるだろうか?悪事を働いて昇給するなら誰も真面目に働く人間など居なくなってしまう。こういう仲間内のナァナァなことがモラルを低下させるということも理解していないのである。

結局、最初の土地の賃貸借契約期間の6年半では保証金の返還資金は600万円しか作ることが出来なかったのである(計算してみてもらいたいKに支払った給料分は月50万円×30ヶ月=1500万円が出来たのである)。

結局、私が辞める前に地主さんに交渉して10年間の期間延長が出来たから、北の屋台事業は6年半では終了しなかったので、保証金の返還金は10年間先延ばしができたので、後10年で1400万円を積み立てれば良くなったのだが・・・(噂によると600万円は既に使ってしまったらしいが・・・)。

これまで私が胸の内に収めてきたことを白日のもとにすることには躊躇していたが、私が黙っていることをいいことにして彼等が適当な話を創り出していくことによって、事情を詳しく知らない人は、それを真実だと錯覚してしまうという怖さを実感した。

だからこのブログで、私が辞めることになった顛末を正確に伝えることにした。この記述で不快感を覚える方や批判される方もいるだろうが真実はやはり伝えていかなければいけないと実感したのである。

これまで格好つけて、「男は黙ってサッポロビール」が男の矜持だと考えていた。話さなくても解ってくれていると思っていたのだ、だがやはり、正しいことでも話をしなければ伝わらないものだ。

同級生に話したところ、私のこれまでの生き方を知っている連中だから、すぐに解ってくれた。

やはりこれからはキチンと真実を伝えることが私の説明責任ではないかと実感したのである。


■2010-01-18-Monday 風が強く吹いている

17日に妻と映画を見にいった。

我が社の東側にある小さなプリンス劇場で上映している、箱根駅伝を題材にした映画である。かなり混んでいて40人くらいは観客がいた。

最近は年のせいなのか、涙もろくなっているようで、途中何箇所かウルウルしたところもあったのだが・・・。

映画はフィクションであるから文句をつけるのはオカシナ話なのだが、実際に存在している箱根駅伝を題材にしているのだから、もう少しリアリティがあっても良いのではないかと感じた。

私の母校の駒澤大学は駅伝の強豪校であり、十勝支部には箱根駅伝を実際に走った陸上部の出身者が2名もいる関係で、以前に森本前監督を招聘して講話していただいたことがある。その熾烈な練習を聞いていたので、この映画の設定はありえないと感じたのだ。

9区で区間新記録(単なる区間賞ではない、新記録である)を作るような1年生が、有名校からスカウトされないわけがないし、そもそも陸上部が無いような大学に入学するはずがない。走りの素人たち10人(内2人は選手だったが)がたった半年の訓練で箱根駅伝の予選会を通過して本戦に出場できるなんていう設定は、駅伝の出場校に対してとても失礼な設定だろう。

しかも、監督もコーチもマネージャーもいないし、それにもまして選手が補欠もいない10人丁度だけなのはありえないことだ。映画的にはその方が面白いのだろうが、私にはリアリティがゼロになってしまった。

まぁ、映画にはドキュメンタリーという手法もあるが、この映画は単なるエンターテインメントとして評価するしかないのだろう。

見終わってから不思議な感覚に陥ってしまった映画であった。


■2010-01-19-Tuesday 読売風向計

風向計原稿

2010年1月14日(木)読売新聞北海道版「風向計」記載「効率追求 行き過ぎ疑問」

人間はいったい何のために生きているのだろうか?誰もが皆、幸せな人生を送りたいと考えて生きているはずである。

企業はいったい何のために活動しているのだろうか?社会(人間)を幸せにしたいと考えて活動しているのだと思いたい。しかし、最近の企業はその目的を見失っているように感じる。

効率化や便利さの追求の目的は「人間を幸せにする」ことにあったはずだ。それなのに、効率化という名目のもとにおこなわれているリストラは、結局、誰も幸せにしていないのではないか。

それもそのはずでリストラクチャリングは本来は「再構築」という意味なのに、リストラと略すと全く別な「クビ切り」の意味に使われている。

そもそも機械化というのは人間を単純作業や重労働から解放するために導入されたはずだ。それが、いつの間にやらコスト削減に用いられているから、人件費を削減するためにクビを切られた人はもとより、残った人も以前よりも過酷な労働条件を強いられて不幸になっているように思える。

便利さも、便利にすればするほど、人と人とのコミュニケーションを必要としなくなるから、殺伐としたセルフ社会を作っているように感じる。限界を超えた便利過ぎる世の中は、逆に不便な、生きづらい方向に向かっていないか。

それは、目的を達するため一生懸命やっているうちに、本来の「人間を幸せにする」という目的を忘れてしまい、目的達成の手段にすぎなかった効率化や便利さの追求それ自体が目的化してしまったことによるといえる。

効率化や便利さの追求が悪いと言うのではない。行き過ぎた効率化や便利さの追求は如何なものかと問いたいのだ。

似たような事情で言えば、一部の大金持ちの人はお金を貯め込むことが目的化しているように思える。しかし、お金はあの世に持っていけない。必要以上に稼いで貯め込むことはない。

21世紀が始まってもうすぐ10年になろうとしている。去年、アメリカではチェンジと叫んだオバマが大統領になり、日本では政権交代が起った。

20世紀は大戦争の世紀であり、経済成長の世紀・環境破壊の世紀でもあった。その行きすぎたあり方を見直そうというのが21世紀の潮流だろう。

2010年が明けた。企業も政治も「社会や人間を幸せにする」という基本に立ち返って活動をしてもらいたいと思う。


■2010-01-20-Wednesday 十勝の政治状況

十勝の政治は混迷を極めている。

昨年8月30日に行われた衆議員選挙で、自民党の中川昭一氏が負けて、失意のうちに10月4日に亡くなった。

この時の選挙で勝った民主党の石川知裕議員が、小沢一郎民主党幹事長の政治資金規正法の関係で先週、検察に逮捕されてしまった。

北海道11区(十勝)の代議士はこの半年でどれだけマスコミを賑わしたことだろうか?

今年の4月には帯広市長選挙がおこなわれるが、ここにきて、鳩山首相の母親からの巨額なおこずかいの件や、小沢幹事長の政治資金の問題で去年の秋ごろの民主党の勢いが完全に止まってしまった感のあるところに地元選出の石川議員が逮捕されるという事態では市長の候補者選びも大変である。

もし、石川議員が議員辞職という事態にでもなれば、衆議員の補選が行われることになる。

自民党も衆院選挙は4年後だと考えて、のんびり構えていたから、中川昭一氏に代わる候補者を急遽選定しなければならなくなった。きっとかなりあわてていることだろう。

民主党も自民党も市長選挙どころの騒ぎではなくなったのだ。

こういう混迷を極めている時こそ、冷静に候補者を決めてもらいたいものだ。

どさくさに乗じて、変な人が立候補するのは避けてもらいたいものである。果たして今後の成り行きはどうなることやら注視していきたい。


■2010-01-21-Thursday ツルツル路面

帯広の天候が変だ!

今冬は雪がやたらと多く降るし、寒い日が続いたかと思ったら、急に温かい(と言っても最高気温が+4℃)日が来るから、日中に溶けた雪が水になって路面に流れ出し、夜間にはまた凍結する。本来、人間が安全に道路を渡る為の横断歩道は、自動車のスタート、ストップの度に、スタッドレスタイヤで磨くようにするから、スケートリンク並みにツルツルなのである。しかも雪で出来た轍(わだち)があるから、路面は平らではない、凸凹道でツルツルという最悪の状態になっている。

散歩の時に、犬が滑って転ぶくらいだから、人間が転ばない訳がないのだ。

今朝、会社に向かう途中に、駅前の横断歩道で、左足が横滑りして開脚状態になった。転ばない様に右足で踏ん張ったら、変な体勢になって腰がギクッとなってしまった。いっそ、素直に転んだ方が良かったのかもしれないが、おかげで左足の太ももの内側の筋肉は伸びたようになって痛いし、腰もものすごく痛くて参っている。

街中の道路の除雪が、費用が足りないと言って満足になされていないから道路幅が狭くて往生しているのに、何故だか、この寒い時期に道路脇にトラックを停めて街路樹の剪定作業をやっているではないか。

もっと臨機応変に、できないものなのだろうか?

このツルツル路面では老人は困っているだろうなと妻に言ったら「我が社のシニアケアーショップ・パームでは、この時期に最適なモノを売っているのよ!スグレモノだと、評判が良くてとてもよく売れているのよ!貴方も自分の趣味ばかりやっていないで、少しは店の宣伝をして頂戴!」と言われてしまった・・・、というわけでここからはCM。

妻がすぐれものと言っていたのは、老人が雪道や凍結した道を歩く時に使用する「杖」のことで、名前がこれまた可笑しくて「寒杖(かんじょう)奉行」というのである。手元のレバーを操作するだけで杖の先に滑り止めの尖った爪が出たり、入ったりするのだ。

従来の杖には寒冷地仕様のものが無くて、普通の杖に冬期間だけ滑り止めの爪を特殊な器具で固定する装置があったのだが、この爪の切り替えが面倒でやっかいな代物だったのだ。道路から店などに入る時に、この爪を出したままにしておくと、床面を傷付けてしまうので、いちいち爪を収納しなければならないのだが、結構、力が必要だし、杖の上下を逆さまにして作業しなければならないからとても不便だったのである。

この「寒杖奉行」という杖なら、ワンタッチで切り替えが出来るからとても便利なのだ。価格は7500〜10000円で、杖の柄も20種類の模様から選べるのである。

この杖というのは、自分の身長に合わせて(靴を履いた状態で立ち、地面から手首の付け根までを測る)作らなければ「杖」としての用途を十分に果たせないものであるから、長さの合わない他人の杖を使ってもあまり意味がない。だから自分専用の杖というのが必要なのものなのだ。

詳しくは坂本ビルのHP(http://www.sakamoto-bs.com/)で「シニアケアーショップ・パーム」を見ていただければ判ります。


■2010-01-22-Friday 燦参会

平成10年に卒業した、

昭和33年生まれのJC(青年会議所)メンバーの集まり「燦参会」の総会が21日にあった。私が大好きだった長嶋茂雄の後援会組織の名前が確か「燦々会」ではなかったかと記憶しているが、漢字がこうだったかまでは憶えていない。その名前の呼び方の音にあやかって「光り輝く者たちがまみえる会」で「燦参会」と命名したのである。

入会年度は各自バラバラなのであるが、青年会議所は40歳になったら卒業する決まりがあるので、昭和33年生まれの19名が一緒に平成10年12月末日にJCを卒業したのである。以来、「燦参会」という名称で親睦を深めてきた。

昨年は、私がゴルフの会の「じゃがいも」の会長として1年間奉仕したのであるが、今年度はJCOB会の「幹事長」を33年生まれから輩出する年になるので、他の幹事長以外のメンバーも全員が幹事として行動しなければならないのだ。

帯広JCOB会は500名以上の会員がいる大組織で、年間行事が「新年総会」「現役との合同例会」「家族野遊会」「サヨナラパーティ」と4つもある活発な会なのだ。

しかも、5年後にはJCOB会の会長を燦参会から輩出しなければならない。JCOB会は卒業年の順送りなのである。

昨日の総会には9名の参加しかなかった。近年の不況が大きく祟っているようだ。それでも同じ年齢の、同じ会に所属していた人間が一同に集うのは楽しいものである。

話は替るが、昼食に蕎麦を食べに行った。私は蕎麦が大好物で市内(十勝管内)の美味しいという評判の蕎麦屋を食べ巡っているのである。

今日は帯広市内の老舗の蕎麦屋に行った。お蕎麦はとても美味しいのだが、難点はタバコである。

この店には禁煙席がないのだ。

私たち夫婦のすぐ後ろの席に女性客が2人居て、すでに蕎麦は食べ終えていた。この2人の女性がものすごいチェーンスモーカーで、私たちが食べ終えるまでに2人でひっきりなしに5本のたばこをプカプカと吸って話をしている。禁煙席ではないのだから、この女性客に文句を言う筋合いではないのは承知しているが、それにしても、麺類をすするすぐそばでプカプカ吸うのは、いささかデリカシーに欠けている。

店から出たら、私の体がタバコ臭くなっていて辟易した。

今時、蕎麦屋で禁煙席を設けていない店は珍しいのではないか?蕎麦の香りや味を楽しんでもらうには、最低でも分煙して欲しいものだ。せっかくの美味い蕎麦が台無しになって残念であった。


■2010-01-23-Saturday 鹿児島の後輩

2月に鹿児島に行くことになったので、

鹿児島在住の大学の後輩に久し振りに会って話がしたいと思い連絡先を調べたが判らない。

彼は大学の「手品奇術研究会」の一年後輩で、鹿児島から上京していた。学生時代からチョット抜けた面白い奴だった。

大学4年生の時に単位不足で留年して、怒った親から仕送りを止められ、退学の危機に陥った。この単位不足というのが、そもそも笑わせる(笑っちゃ〜悪いと思いながらも・・・)のだ。

必修科目を落として留年するというのならまだ理解できる。だが、彼は選択科目を卒業ギリギリの授業しか受けていなくて、その内の1単位を落として留年したのだ、必修科目は全部習得したのにである。普通の人間なら、4年生なんだから、受講するしないは別にしても余裕を持って目一杯多目に受講しておくものだろうに・・・。まぁ、何というか、そういうところに気が回らないタイプなのである。

学費が払えなくなった彼は、私に泣き付いてきた。たった1科目で卒業出来ないというのも何だか不憫に感じたので、私の会社で雇って、大学を卒業させてあげることにした。

その方法とはこうである。選択科目を取れるにいいだけ目一杯受講する。夏と冬の試験の時だけ上京して受講した全部の科目の試験を受ける。そうすれば1科目ぐらいなら「可」をくれる教授もいるだろうという作戦である。必修科目ならこの作戦は不可能だが、彼が落としたのは選択科目が1科目だけなのであるから、無事卒業することができたのである。

彼は、私の自宅の向かいにある下宿屋に住んで、食事の出ない土日は我が家で夕食を食べさせて生活費を節約させた。なにせ大学の学費と上京する旅費と生活費を稼がねばならないのだ。

無事に大学を卒業した後も、十勝が気に入って3年ほど我が社に務めていたが、長男ということもあって鹿児島に戻ったのだ。

彼の結婚式には、私達夫婦が長女を連れて出席もした。しばらくは手紙のやり取りが続いていたのだが、10年ほど前に年賀状が住所不明で戻って来て以来、音信不通になってしまったのだ。大学のクラブの連中とも音信不通で、まったく連絡先が判らない。

彼は帯広に住んでいた4年間ほどの期間に、数多くのエピソードを残して去っていった。

彼とはよく一緒に飲み歩いたものだが、ある時、飲みに行くと約束していた店に、急用(手品の講習を急に頼まれた、彼もマジッククラブなので一緒に連れて行った)が出来て飲みに行けなくなったのだ(今みたいに携帯電話なんてものがないから)、直接、彼に店に行って伝えてもらうことにした。その店はドーナツ屋の2階にあった。我が家から2人で私が運転する車に乗って、(進行方向が逆だったので)ドーナツ屋の向かい側の道路に車を停めて、彼に横断歩道を渡って伝えに行ってもらったのだ。

彼が店に伝言を伝えに行っている間に、カップルが車でドーナツ屋に横付けし、助手席の女性がドーナツを買いに店の中に入ったのと入れ替わりに彼が降りてきた。私が反対側の道路からドーナツ屋側を眺めていると、戻って来た彼が、ドーナツ屋の前に停めていたカップルの車に乗り込んだのだ、いきなり人相の悪い、知らない男が車に乗り込んで来たのだから、乗り込まれた運転手はさぞ驚いたことだろう。恐怖のあまりヒキツッタ顔をしてジット固まっていた。

彼は何故、私が車を発車しないのだろうかというような顔をして、運転手の顔を見た、当然、私ではないから慌てて車を飛び降りたのだ。その間2〜3秒ぐらいの出来事である。反対車線から眺めていた私は、可笑しくて、可笑しくて、笑いが止まらなかった。同じ車種というならまだ間違えるのも判るが、まったく違う車種なのに、普通、間違えるだろうか?

九州生まれの彼に、スキーを教えた。

私が昔使っていたスキー道具一式をプレゼントしたのである。何度か会社が休みの日に私の車に乗せてスキーに連れて行ったら、彼はすっかりスキーが好きになった。私は毎休みにスキーに行ける訳ではない。休みの日には別の仕事が入ることもあるのだ。冬の会社が休みの日には彼はすることがない。スキーに行きたくても車がないのだ。

広大な十勝では何等かのモーター付きの「足」が無いと生活が出来ないから、彼には私が使っていた原付バイクをプレゼントしていたのだが、彼は夏タイヤの原付バイクでスキー板をロープで自分の背中に括った状態で運転し、30kmも離れたスキー場に1人で通ったのである。随分と無茶なことをする奴だ。

一緒にやっていた朝野球でも、負け試合が濃厚な状況なのに、彼が1塁から2アウトで盗塁を試みて左肩を脱臼したこともあった。状況判断が的確にできない奴であった。その他も可笑しなエピソードには事欠かないが・・・。

誰か、読者の方で、こんな鹿児島出身の四元正一という男の連絡先を知っている方はご連絡下さい。


■2010-01-24-Sunday 信販会社

信販会社から電話が入った。

「坂本和昭さんですね?カードを紛失していませんか?」というのである。カードを紛失した覚えがないので「ありませんよ!」と答えたら「私は不正なカードの使用がないか監視している人間だが、貴方のカードで頻繁に○○○○からの購入記録が当方に来ていますが、間違いありませんか?」と言うのである。確かに、マジック関係の古書を頻繁に買ってはいるが、一冊ずつの金額は1〜1000円程度で大した額ではないし、全ての件数を合計したところでせいぜいが数万円程度である。カードを拾った人間が悪用しようとするなら、こんな小額の購入を多数おこなう様な面倒な事はしないで、高額商品を数点買って済ませるだろうと思うのだが・・・、何の為の確認なのか、意味が理解出来なかった。

ひょっとすると、会話を続けている内に、カードの番号などをしゃべらせる、俺俺詐欺の変形ではないかと不審に思って、「確かに私本人が○○○○で頻繁に購入していますから大丈夫です」と言って電話を切った。

信販会社がこんな風に確認することって本当にあるのだろうか?

何だかオカシナ話しだなぁ〜と感じている。


■2010-01-25-Monday 大相撲

昼食に入った蕎麦屋で、

注文した蕎麦が出てくるまでスポーツ新聞を読んでいたら、相撲協会のゴタゴタの記事が出ていた。

昔は大の相撲好きであった。中学・高校の時は休み時間になったらクラスメートと体育館でバスケットボールコートの丸い輪を土俵に見立てて相撲を取ったものだった。

相撲好きが高じて、国技館に観戦にも行ったし、十勝出身の伊勢の海親方の部屋にチャンコ鍋を食べに行ったこともある。

十勝出身の大乃国や北勝海が横綱になった時は、勝敗が気になってしょうがなかったものだ。

だが、最近の相撲には全く興味が湧かない。かつての相撲王国、北海道出身の幕内力士が一人も居ないのである。

しかも幕内力士41名の内17名が外国人力士で、上位者で活躍しているのは全て外人力士ばかりである。大関はクンロク(九六)大関にもならぬ、角番大関は日本人力士ばかりだ。

千代大海がようやく引退したが、しがみ付いているようで見たくなかった。魁皇も新記録を作ったとかいっていたが、あぁも角番ばかりでは、大記録という感じがしない。

今日見た記事は、貴乃花が理事選に出馬する件でのゴタゴタである。二所ノ関一門を破門だとか、破門じゃないとか、投票の際に誰が誰に入れたか確認できるようにするとか・・・。

バッカじゃないの!

無記名投票が規約に書かれているなら、無記名で投票させれば良いのに、姑息な手段で、貴乃花達造反組をバラバラにしようとしている。私は貴乃花は洗脳事件以来、好きではない。貴乃花も理事待遇なのだから理事会でドンドン発言すれば良いのに、これまでの2年間は改革を発言したとは聞かないが、相撲協会のやり方はもっと嫌いだ。

これでは、益々ファンは離れていくことだろう。

理事者たちはもう少し、大人の男の対応をしろよ!それが勝負師だった男のやることか?潔さが微塵も感じられない。

どうもこういういきさつを見ていると、相撲というのはやっぱり八百長だったのかなぁ〜。


■2010-01-26-Tuesday 危なかったぁ〜

昨晩雪がパラパラと降った。

今朝方犬を散歩させる時の感触では2〜3僂箸い辰燭箸海蹐世蹐Δ?

それもサラサラのまさしくパウダースノーというやつである。ラッセルで押して除雪するほどの量ではなし、かといってそのままにしておくと、太陽光を反射して溶けないから、箒(ほおき)で掃いて路面を露出させるしかない。

実はこういう雪は恐ろしいのだ。

風が吹けば飛ばされて吹き溜まりになるし、路面がツルツルの上に薄っすらとサラサラの雪が数センチ積もった状態は、メチャメチャ良く滑るのである。まるで、床にオイルを撒いたのと同じ様な状態で摩擦が全く無くなるのである。

会社に行く時に、周りに十分に注意を払いながらソロソロと運転した。他の車が横滑りしてぶつかって来ることがあるからだ。アホな奴等はその横をビュンビュンと飛ばして行く。まさしくアホな奴である。交差点で止まれなくて接触事故を起こした様だ。

私の車も交差点で右折する際に十分にスピードを落として進入したのだが、後輪が横滑りしてドリフト状態になった。もう少しスピードを出していたら停車中の車の横に、こちらの車の左横がぶつかるところだった。冷〜っとした一瞬であった。

昼食に行った蕎麦屋のおかみさんも今朝は接触事故を二件も目撃したと言っていた。

免許取り立てで飛ばしたいのは分かるが、命は大切にした方が良い。ましてや他人を巻き添えにするような事故は起こしてはいけない。

雪道の本当の恐ろしさは経験を積まなければ判らないものだ。


■2010-01-27-Wednesday 諸事雑感

今朝のニュースから、

まずは政治から、国会が始まったが、相変わらずヤジが酷い。日本の政治家の質が低いとしか言いようがないね。

平野官房長官の普天間問題での発言は、「お前!何を寝ぼけたこと言ってんだ!」の一言だね。こんな事を言うなら、何故、鳩山首相は結論を名護市長選挙後まで引き延ばしたんだ!と言いたいね。沖縄の市民の声を聞くと言っておきながら、聞く必要はないみたいな発言は、まるで一貫性が感じられない。

小沢幹事長の政治資金規正法の問題だが、国民にとってはどうでもよい話である。

ただ、気になるのは、何故にこんなに捜査状況が逐一マスコミから流れるのか?ということだ。誰かが情報操作の為に意図的に流して世論を作っているとしか考えられない。もしこれを検察がやっているとしたら、こちらの方が大問題である。

小沢幹事長の不動産購入問題は、現在では法律が改正されて政治資金で不動産の購入は出来なくなっているらしい(当たり前の話だ)が、それ以前の法律で規制される前の購入だから問題がないというのはおかしいだろう。法律的に問題がないとかあるとかの話ではないだろう。

政治資金という選挙民から集めた浄財で、政治家個人の不動産を購入することの異常さが問題なのだ。しかも、金の流れが極めて不自然である。何故こんなに複雑なことをしたのかは、なにかヤマシイ事があるからと思われても仕方ないだろう。だが、結局は大山鳴動してネズミ一匹、石川知裕議員の首だけで終息させるのではないだろうか?

いい迷惑なのは我が北海道11区の十勝である。また政治のドロドロが繰り返されるだろう。結局、国民の意識が判らず、国民から見放されたこの政権は、どうやら長くはなさそうだね。

自殺者が12年連続で3万人を超えたというニュースには驚いた。この人口減少社会で十数年間で約40万人もの人が自殺したということになる。子供を産んでもらうよりも、自殺者を減らす方が、人口維持につながるんじゃぁないのか?

3万人の3分の2が男性だという、これをみても男はもろいものだというのが判る。女性の方が開き直りが早いのかもしれないなぁ〜。

有楽町の西武百貨店が年内に閉店するという。この場所は日劇があったところで、私が小学4年生の時に父と2人で東京に行った時に連れて行ってもらった場所だ。丸い建物で、トリオ・ザ・パンチの「ハードボイルドだど!」のコントを見たのを憶えている。

現在も、東京出張で時間が余った時は、このビルでよく映画を見る。隣の阪急百貨店も西武もどちらも中途半端な大きさと品揃えで、映画上映までの時間つぶしにもならないデパートという印象しかない。近くの銀座にユニクロだのH&Mだのという安売り店が進出して来ては生き残りは難しかったのだろう。時代の流れとはいえ、首都の一等地でさえ、商売が難しくなったことはこれからの日本の商売の行く末を暗示しているようだ。

2月に鹿児島に行くのに、桜島の噴火活動が活発化しているというニュースがあった。ペルーのマチュピチュでも大雨で観光客が立ち往生している。この辺は確か雨が少なかった場所ではなかったかなぁ〜。

人間どもの自分勝手さに飽きれた地球が警告を発しているのかもね。


■2010-01-28-Thursday JCOB会

JCOB会の会合があった。

28日午後6時半から北海道ホテルで、JCOB会の新年総会が開催された。今年は私たち平成10年卒業メンバーが幹事役なのである。年4回の大きな行事ごとに役割分担を決めているが、私は今回の「新年総会」の部会長という役割が当たり、総合司会役をやることになってしまった。

このJCOB会は集まるとすぐに酒盛りが始まる習いになっている。乾杯というのは儀礼的なだけのものなのだ。今日も幹事は17:00に集合したのだが、やはりすぐに酒盛りが始まった。

私は総合司会をやらなければならない立場だから、酒は控えめにしようと思っていたのだが、次々とビールを注がれたので、つい飲んでしまった。まぁ、それでもなんとか司会をこなして無事に終了した。役割を終えて一安心である。

会の前後でJCOBメンバー十数人から「ブログ読んでるよ!」と声を掛けられた。JCOBの人たちにもこんなに読まれているとは正直驚いた。なかでも数人の方から「(1月17日の)「同窓会」の内容はかなり過激だったなぁ」とか「俺もK理事の金にまつわる黒い噂は耳にしたことがある」とか言われたが、ある方からは「K理事のズルさは昔から知ってるが、この間のブログ(1月17日)には、お前が北の屋台を辞めた理由に触れていなじゃないか」との指摘を受けた。

読み直してみたら、確かに辞めた理由を書いていなかったので、ここで少しだけ書いておくことにする。

ただ、理由は一つではなく、多くの要因が複雑に重なりあってのことなので、数回に分けて書かねばならない。

まず端的に言えば「北の屋台を始めた目的が彼等とは大きく異なってきた」ということである。

そもそも、北の屋台を始めた最大の理由は「中心街の活性化」であり、その為に「商売をこれから始めたい人たちに、商売がやり易い場所(屋台)を安価に提供し、商売のノウハウ、顧客、軍資金を獲得してもらってから屋台を卒業して、街中の空いている店舗を埋めていく」という戦術であったのだ。

それがいつの間にか彼等は「北の屋台を繁盛させることだけが目的化してしまったのだ」。

屋台は商売の原点なのだから、儲かるからといって、いつまでも屋台店主で居てもらっては困るのだ。ちゃんと自分の店を構えてこそ、始めて北の屋台事業の成功なのである。あぁ、それなのに、それなのに・・・。

北の屋台の理事者の一人であるTは、北の屋台を「又貸し」することで個人的な利益を上げることを企てていた。しかも、通常の屋台の賃貸料金よりもはるかに高くである。

そもそも、屋台は「弱者救済」の事業である。お金は無いがやる気がある人たちに、商売がやり易い場所を提供するのが本来の目的なのである。それを、自分が始めた他の赤字事業の損失を、儲かる北の屋台で穴埋めするということを企て始めたのだ。

つまり、北の屋台を理事者が借りて、その屋台を他の(その理事者に負い目がある)人間に高く又貸しして、そこから利益を得るのだ。

理事者が、北の屋台事業で中間搾取的なことをすることが許されるはずがないではないか。

北の屋台を始めるには当初300万円が必要である。金融機関から借りられない人や、一度には300万円が用意できない人には、理事者がまず屋台を借りてあげて、銀行よりは若干の金利上積み程度で分割払いで貸してあげるというならまだ理解できる。だが、彼は高利貸し以上にアコギナことをやろうとしていた(実際に私が北の屋台を辞めた後にはこれを実行したらしい、とある屋台店主が月々Tに数十万円も払っていると嘆いていた・・・)。

私は当然そのことに反対した。がしかし、多勢に無勢で、逆に私が追い出される結果になってしまったのだ。

こういう結果に至ったのには、まだまだ複雑な事情があるので、それについては追々書いていくことにする。今日はここまで。


■2010-01-29-Friday 誕生日

今日は私の52回目の誕生日

朝方妻に「今日は何の日だ?」と聞いたら一応チャンと覚えていた。「プレゼントは何がいい?」と聞くが、別に欲しいものもないから「現金」と答えたら「じゃぁ1万円あげる」と言う。

自分の誕生日の時に妻は「美顔器が欲しいの〜」と言って了承もなしにネットで、私のカード番号を勝手に使って約4万円の美顔器を購入した。「私が綺麗になったら貴方も嬉しいでしょ?だから、これは貴方の為に買ったのよ」と屁理屈を言って丸め込まれたのだ。

それが、私の誕生日には1万円のおこずかいだけか。よっぽど、悪いと思ったのか、昼食後に我が社で売っている優佳良織のポケットティッシュ入れ1890円也を買ってくれた。これは以前に私が持っていたものと同じものだが、以前のモノは私のスーツのどれかのポケットに納まったままになっているのだ。だから最近は消費者金融の宣伝用のポケットティッシュを、ティッシュ入れに入れ替えずにそのまま持って歩いていたのだが、さすがにそれでは格好悪いと思ったのだろう。

まぁ、プレゼントをくれるだけ、まだましか。

夕食は一緒にディナーなんぞ楽しもうと思っていたのだが、氷まつりの手伝いで出掛けるという。しかも会場まで車で送って行けというのだ。仕方ないから、結局、氷まつり会場近くの焼肉の平和園緑ヶ丘店で送りがてら2人でジンギスカンを食べた。2人で1550円の夕食である。何と安上がりな誕生日なのだろう。妻を会場まで送って、自宅に戻り、一人寂しくこのブログを書いている。

氷まつりが終わったら電話するから迎えに来てというので、待ってる間にお酒も飲めない。

なんともつまらない誕生日である。


■2010-01-30-Saturday 勉強会

北海道の歴史の勉強会が

坂本ビルであったので参加した。

「クナシリ・メナシ・アイヌの戦いとトカチ」という題名である。クナシリは北方領土の国後島のことで、メナシというのは現在の根室地域一帯のことを指す。江戸時代の1789年に虐げられていた、この地域のアイヌ達が蜂起して和人71名を殺した事件である。すぐに松前藩の役人が現在の函館近くの松前から海岸沿いに日高、十勝、釧路を通って根室に到着し、蜂起した37名のアイヌを処刑して、また松前に戻る間の松前藩の責任者の日記を基にして、紐解く勉強会である。

江戸時代には、十勝地方は歴史にほとんど登場することがないから、十勝が登場する貴重な文献だということだ。

講師の先生は札幌大学の川上淳教授である。この方は帯広の隣町音更町のご出身で帯広三条高校から駒澤大学に進んだということで、私とは大学の同窓生でもあるので聴講しようと思ったのである。

講義には、地元の歴史研究家が多数参加して、一種独特の雰囲気があった。アイヌの方も来ていて、質疑応答のなかで「我々のご先祖さまの・・・」などと言い出すものだから、こりゃ〜まずい展開になるかのかなぁと心配したが、おかしな方向には向かわずに収まった。

北海道人にとっての、アイヌの人たちに対する気持ちというのは、アメリカにおけるインディアンやオーストラリアにおけるアボリジニと似たところがあって、とても扱いが難しい。特にこの種の歴史の勉強会では、まかり間違うと変な方向に議論が向いてしまうことがあるのだ。

しかし、何でもかんでも、加害者対被害者という図式から脱却しなければ真の歴史は理解することができないと思う。

何故、このような事件が起きたのか、資料が乏しくてなかなか判らないようだが、タブーを作って触れない様にするのは、もっといけないのではないだろうか?

講演終了後に、下の居酒屋で川上教授を囲んでお酒を飲んだが、講演はただ聞いて解散するよりも、その後の、懇親会の方が面白い話が聞けるものなのだ。

久し振りに面白い勉強会になった。


■2010-01-31-Sunday 古本屋

妻が氷まつりの

商工会議所婦人部の手伝いで出掛けているので、今日の日曜日も私一人である。

妻を氷まつり会場まで車で送った帰りに、今日は古書が20%OFFだというから、BOOKOFFに行ってみた。

古書店といっても漫画の本ばかりが多くて、私が探しているマジック関係の本は極めて少ない。それでも暇潰しには、古書を探す作業はとても楽しいものなのだ。

大学生時代には毎週の様に東京中の古書店巡りをしていたものだ。30年以上前には、大学の側には古書店がかなり並んでいたものだった。その古書店に入って本棚を上の左端から右端までサッと順番に流しただけで「手」「奇」「術」「魔」「品」等の文字が目に入るとそこで目がピタッと止まるようにまでなったのである。人間の習錬というのはすごいものである。

そうして集めた本や、マジックの師匠である故ジミー忍師のコレクションが(マジック博物館を作りたいとの)遺言で私のところに来て、5000冊にもなった。

北の屋台を卒業した2007年4月からは、インターネット・オークションなどで購入した本が約1500冊だから合計6500冊ほどの蔵書になったのだ。我ながらアホだと思うが・・・。

最近の若手マジシャンは師匠を持たない人が多いそうだ。ほとんど皆、インターネットやDVDでマジックを覚えるのだそうだ。もはや、本で

覚えようという人間はごく少数になった。

マジックの一般向け専門雑誌で1989年9月30日から20年間に亘って、これまで80号まで出版していた東京堂出版の「The Magic」という本が2009年6月25日で休刊になってしまった。

マジックの愛好者は公称100万人と言われているが、季刊誌でさえ維持出来ないほど、本を買う愛好家が減ったということだろう。

マジックはタネを知ったからといって、それで演技が出来る訳ではない。だから、師匠に付いて習うということはタネ以外のことを習うことでもある。タネ以外にも色々な要素が加わって初めて芸能たりえるのに、どうも最近の傾向は、タネのみ知ろうという素人が増えているようで嘆かわしい限りである。

これはどうやら、マジックの世界に限った話ではなさそうだ。芸の奥深さが失われていくようでとても気がかりな現象である。

私は古本屋巡りをする方が、新刊書を売る本屋を見るよりも好きである。店主の趣味好みが判るから、話をしても面白いのだ。帯広からも昔ながらの古書店が消えてしまった。ますますつまらない世の中になりそうな気がする。