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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2010-04-01-Thursday 四月馬鹿に

エイプリルフール(四月馬鹿)に絡めて

企画した「馬鹿(うまか)もん」の初日のオープンセレモニーを午前11時15分から、帯広市西1条南9丁目のイタリアンレストラン「タベルナ・センナリ」で開催した。

4月1日は年度の初日ということでもあるので、「馬鹿(うまか)もん」のスタートにこれほどピッタリの日は他にないだろうと思う。

私の肩書も「名誉顧問」では何とも堅過ぎるので、シャレで「宗家」という名称をつけてもらった。まずは私が考案者「宗家」として挨拶をした後に、ご来賓の竹林十勝振興局長(昨日までは十勝支庁長という呼び名だった)と帯広市からは産業連携室長の嶋崎隆則氏が駆けつけてくれたので、お二人にご挨拶をいただいた。その後、認定証の授与式、キャラクターの発表を行って、11:30から一般への食事の提供が始まった。

メディアはテレビはNHK・OCTV、ラジオはFMウィング、新聞社は読売・毎日・北海道・十勝毎日などが取材に来てくれたので関心の高さが判ろうというものだ。

センナリの東シェフも「馬鹿ライス」「馬鹿オムライス」「馬鹿ミートソーススパゲッティ」の3品を今後は提供してくれるとのことだが、今日の初日は「馬鹿ライス」のみのメニュー提供で630円という金額で出してもらった。彼も第一号店としてかなり気合が入っているようだ。味の方も、試食会の時よりも洗練された味に仕上がっていたので、これで630円ならまったく文句のつけようがない。

もともと、馬肉も鹿肉も高級食材であるから、とても美味しい肉なのであるが、エゾ鹿肉に関しては、これまでは、残念ながらハンターが仕留めたエゾ鹿の血抜き処理が上手く出来ていない肉を食べた人が発信した「血生臭い」とのイメージが付きまとっていて、まだ食べたことが無い人も、食べず嫌いで敬遠していたというのが実情だったのだ。

馬肉の方も、長野以北の東北各県と九州の熊本県では食べられているのだが、北海道では入植世代の祖父母の出身県によって差が激しい。馬肉を食べる文化がない所から北海道に来た家庭は馬肉を食べないからだ。

両方の肉とも生産量が多いのに、地元で消費されていないのはモッタイナイことである。

これまでにも正攻法で鹿肉料理や馬肉料理を普及させようという動きはあったが、なかなかうまくいっていなかったのが実情であった。

そこで、攻略法を変えて、シャレの感覚で、とにかく一度は口に入れてもらう作戦としてこの「馬鹿(うまか)もん」を考え出したのだ。

一度でも口にしてもらえば、美味しい肉だから、後は自然に一人歩きしていってくれると信じている。

消費量が増えれば値段も下がるだろうし、身近な食材にもなるだろう。そうなれば、馬肉単体、エゾ鹿肉単体でも消費量が増えていくことになる。

何にせよ、今日、四月馬鹿の日に「馬鹿(うまか)もん」がデビューした。

札幌では、第二号認定店として、札幌市中央区北1条西2丁目 札幌時計台ビル地階の「順香(しゅんしゃん)」(011−233−1898)という中華料理店で「馬鹿餃子」を提供してくれる。今後は北海道中の飲食店から応募を募って認定店を増やしていく。

皆で育ててくれたら嬉しい。


■2010-04-02-Friday 馬肉を食べる文化

一日の四月馬鹿の日に馬鹿もんがスタートした。

「馬鹿もん」と書いて「うまかもん」と読ませるところがミソである。

NHKの1日の18:15〜の「ニュースネット北海道」の全道版の放送枠で取り上げてもらったし、十勝毎日新聞にも取り上げてもらった。また今朝の北海道新聞の全道版でも取り上げてくれたので、反響が大きかったように感じる。今後、読売新聞や毎日新聞にも掲載されることだろうと思うので、これを機にスタートダッシュを図りたい。

昨日のブログでも、馬肉を食べる県と食べない県があることを書いたが、何故なのかという質問が来たので、このブログ上で答えることで、質問者以外の人にも、その理由を知ってもらいたいと思う。

現在、日本の都道府県で馬を生産しているところは北海道・青森県・福島県・熊本県の4箇所でしかない。

馬を食べる場所というのは、馬産地以外では、東北地方や山梨・長野県などで、それ以西というか以南というかは九州まではほとんどみられない。日本の真ん中辺りの県がスッポリと抜け落ちているのだ。

その理由の一つは昔の、その地域で行われていた農業が「馬耕」であったのか「牛耕」であったのかによるところが大きいのである。

つまり、田畑を耕すのに、馬を使ったのか、牛を使ったのかという差なのだ。

少し前までは使役していた馬なり牛などが死んだ時には、農家はありがたくその肉を食べていたのだ。近所にも振舞って・・・。

食べずにお墓を掘ってそのまま埋めるなどということはとてもモッタイナクて出来ないことなのである。

この辺の考え方は、私の3月26日付けのブログ「生命を頂くありがたさ」を読んで欲しい。

だから、馬耕が行われていたところには馬肉を食べる文化があったし、牛耕が行われていたところには牛肉を食べる文化があったのである。

巷間よく言われている「世話になった動物が、死んだからと言っても、可哀想で食べられない」などという理由は後付けの屁理屈なのである。

昔の食料事情の悪い時代に、せっかくの食料を食べずに捨てる馬鹿はいない。犬や猫とは訳が違うのだ。因みに日本でも昔は犬や猿を食べていたようだ。さすがに猫は食べなかったようだが・・・。世界中で猫を食べる(た)という話はまだ知らない。

古来から日本人が四足を食べなかったというのも、建前上だけのことで実は頻繁に食べられていたようである。牡丹(猪)・櫻(馬)・紅葉(鹿)などという肉のことを表わす隠語がこれだけ拡がっていることがそれを証明している。

今回の「馬鹿(うまか)もん」を提唱した時に、「馬を食べるなんて残酷だ!」と言う人が何人かいた。「馬は人間の友達だ」というのである。菜食主義者が言うならまだ判るが、牛や豚や羊や鶏なら良くて、馬がダメだという理由を聞いても、皆、答えに窮する。

人間の役に立ってくれた動物は、最後までしっかりと食べてあげる方がよっぽど供養になると私は考えている。

昔、北海道に移住して来た人達の中には、その出身県によって、上記の理由で馬肉を食べる文化が生まれなかった地域がある。また北海道でも日高地方の人は馬(サラブレッド)に世話になっているから馬肉は食べないという。無理に食べたくないものを食べなさいというつもりはまったくない。サラブレッドは食べても美味しくないだろうから・・・。

しかし、帯広市に世界で唯一残った「ばんえい競馬」が無くなったり、馬肉を食べる文化が無くなったりしたら、食肉用の馬の生産も無くなってしまう。

馬とともに開拓されてきた北海道の馬文化の一つが消滅してしまうということだ。

妙な抵抗感を持って食べずにいて馬文化を失ってしまうのはまことにモッタイナイことである。

ファッションショーに出るスーパーモデル達は、馬肉を食べているそうだ。馬肉は健康に良くて肥らない肉だし、とても美味しいのだ。

もう一度、歴史を振り返ってみて、残すべき文化は残していきたいと考えている。

ただ、馬肉は生産量が少ない為に、とても高価だ。牛肉よりも高い。だから、皆が食べて消費量が増えれば、肉の値段も安くなるし、馬文化も残ることになる。

それでもなお、馬文化が無くなってしまうのだとしたら、時代の要請なのだろうと諦めるしかない。


■2010-04-03-Saturday 日本における肉食文化

坂本史観?!

昨日のブログに書いた内容が面白いのでもっと詳しく教えろ!という有難いメールを頂いたので、更に詳しく書くことにする。

でも、そんなに面白かったのかなぁ?

でも、ここから書くことはかなり私見が入り混じっていることを最初にお断りしておく。

私は高校一年生の時に梅原猛氏のいわゆる梅原史観に魅了され、新しい歴史観というものに感化された。その後、梅原史観を発展させたような井沢元彦氏の「怨霊」と「言霊」から歴史を見る井沢史観にも感化された。そして、ついこの前読んだ高田崇史氏の小説で更にそれが強化されたのである。

つまり、書物に表面上に書き表されていることは(必ずしも)真実ではないという考え方である。昨日のブログにも書いたことだが、「古来より日本人は基本的に四足の動物は食べなかった。食べる様になったのは明治の文明開化からだ。」という定説がどうも怪しいぞと考えたのである。

何故なら猪の肉を「ぼたん」、馬の肉を「さくら」、鹿の肉を「もみじ」、鶏の肉を「かしわ」(鶏は二足だから言い換えの必要はないはずだが)戸言い換えていることにひっかかりを感じたのだ。しかもそれは日本人の常識として広く世間で通用していたのである。

更に言えば、兎は耳が鳥の様だから数を数えるときの単位を「羽」と数えて鳥の仲間として食していたという事実が知られている。また、鯨は大きな魚として食べていたわけである。

これは、日本人の好きな「お約束ごと」で、「〜であるということにしておこう」という決め事をして、現実から逃れる術である。

つまり、動物を植物に言い換えることで、「これは動物の肉ではない、植物なのだ」ということにしておこうということではなかったのか?

植物なのだから食べても問題ないということにして食べていたということを物語っている証拠ではないのかと考えたのである。

井沢史観や高田史観と私の歴史観を合わせて考えると、古代日本の先住民族は狩猟民族であったことだろう。

だから当然ながら獣を獲って食べていたはずだ。そこに朝鮮半島から馬と鉄器(青銅器)を持った人達が攻め入って来たのだろう。武器の違いと機動力は圧倒的だから少人数の襲来でも、先住民は簡単に負けたのだと考えられる。その攻め入って来た人たちがやがて大和朝廷になっていくのだろう。(おそらく日本にはこの時まで馬は居なかっただろうと思う)

(つづく)


■2010-04-04-Sunday 日本における肉食文化

古事記や日本書紀に載っている

「大国主命(おおくにぬしのみこと)の国譲り」の物語は、戦に負けた先住民の長である大国主命の怨霊を治める為に巨大な「出雲大社」を建てたというのが井沢史観で、私はこれは正しいと思っている。朝鮮半島から現在の島根県辺りに攻め入って来たのだろう。松本清張の小説「砂の器」で島根県の一部に東北地方のようなズーズー弁があることを指摘していたが、島根辺りから追われた民族が東北に逃げて蝦夷になったというのは説得力のある説だと思っている(話が少々脱線したので元に戻す)。

聖徳太子の時代に入って来た仏教の「殺生戒」が動物を殺して食べることを躊躇わせる元になったと言われてもいる。が、しかし、この当時の仏教は伝来したばかりで、上流階級のしかもまだごく一部の人達のものであって、庶民にはまだまったく関係がないから日本中が仏教を理由に殺生をしなかったということはありえないのである。

天武天皇がいわゆる「肉食禁止令」を出すのが675年である。(井沢史観によると天武は天智天皇の本当の弟ではないと言っているが・・・)「牛・馬・猿・犬・鶏」を食べることを禁止したのである。

ここで「猿や犬を食べるな!」とあえて禁止していると言うことは、当時は猿や犬を食べていたということの裏返しであろう。この当時の日本人は普通に猿や犬を食べていたということがこの禁止令から判るわけである。でも、そこら辺にたくさんいたであろう「猪」と「鹿」は禁止していない(書いていない)から、これは食べても良かったということでもある。しかし、この禁止令も農作業の忙しい春から秋にかけての時期だけであるから、肉食はダメというよりも、牛と馬を殺して食べてしまっては農作業に支障をきたすという理由ではないだろうかと推測する。猿・犬・鶏に関しては何か別の理由があったのだろうが判らない。猪や鹿は田畑を荒らす害獣だから、むしろ積極的に捕らえていたのではなかろうか。

通説では、この後の奈良時代になって聖武天皇が奈良の大仏を建てて752年に大仏開眼供養の為に一年間の殺生禁止・肉食禁止をさせてから、これが契機となって、明治の文明開化まで四足動物を食べなくなったと言われているのである。しかし、これは前述したように誤っていると思うのだ。

源氏と平氏の戦いで平氏が負けたのは、平家は海の民で源氏は山の民ということもあると思うのである。魚ばっかり食べていた平家は、肉を食べていたであろう源氏よりも蛋白源の摂取量が少なくパワーの点で劣っていたのではないかと思うのである。

源義経は馬で攻めている。源氏は馬を自在に操っていた訳だ。戦で死んだ馬は、貴重な食料でもある、それをそのまま食べずに放置するはずがないと思うのだ。肉は干し肉にすれば保存も利くし携帯に便利だから戦争にはもってこいの食料であろう。おそらく源氏方は肉を食べていただろう。(つづく)


■2010-04-05-Monday 日本における肉食文化

鎌倉時代から近代まで

またまた余談だが、鎌倉時代前期の新古今和歌集の編纂者であり、百人一首の選者でもある歌人藤原定家(1162-1241)の日記「名月記」には「鶴」「鵠(白鳥のこと)」「山梁(雉のこと)「狸」などを食べていたと書いている。現代人にしてみれば鶴や白鳥を食べようなどとは思わないだろうが、私は以前にこのブログで十勝川に飛来してくる白鳥を見て「食べたら美味しそうだなぁ〜」という感想を書いたことがあるが・・・。時代や国によって食文化は大きな違いがあることは認識しなければいけないだろう。

私は、田舎に暮らす庶民は、昔からずっと肉を食べていたと考えている。

カンヌ映画祭でパルムドール賞を受賞した、今村昌平監督の映画「楢山節考」(1983年:緒形拳・坂本スミ子主演)は口減らしの為の「姥捨て山」を題材にした映画である。また江戸時代から、日本ではかなりの数の飢饉が起きており、その度に、これまた口減らしの為に若い娘が売られていた。これは、テレビドラマの「おしん」などでも表現されているが、つい最近まで行われていたことでもある。

飢饉が起きた時には、人肉まで食らったという記録があるのに、そこら辺りの山にいる動物を獲って食べないわけがないでないか。明日をも知れぬ乏しい食料事情だというのに、貴重な蛋白源を食べないというのは、あくまでも「建前」にすぎないと思うのだ。

田畑を耕す農耕に必要な牛や馬を殺して食べてしまっては、肝心な農作業が出来なくなるから、飢饉の状態でも牛や馬を積極的に殺してまでは食べなかったろうが、何らかの事情で死んでしまった牛や馬を食べずにそのまま葬ることなどありえないではないか。例え禁止されていたって、自分の命の方が大切だ。法律を守って餓死するのは終戦直後に闇米は口にしないと言って餓死した裁判官が居たくらいの特殊なことだろう。

だからこそ、日本人は獣肉を食べることの罪悪感を消し去る為に、「言霊」で動物を植物に言い換えをしていたのだろうと推測する。

そうでなければ、「すき焼き」の語源であると言われている「鋤焼」は江戸時代から農具の鋤の金属部分に肉を乗せて焼いたことから「すき焼き」になったという説が成り立たなくなる。

蛇足だが、牛肉に関しては隠語というか符丁というか植物への言い換えが無かったところをみると、昔から牛肉を普段から食べていたのではなかろうかと思うのである。

文献上は牛肉を食べるのは、明治の文明開化から許されたということになってはいるが、もともと肉を食べていなければ、すんなり肉食に移行できるわけがない。食文化というものは一朝一夕にガラッと変わることなどはありえないからだ。

私が考える日本における肉食文化というのは、古代からズ〜ッと今日まで存在し続けてきたのだと思うのである。

だから、馬を食べないというのは地域によって「馬耕」だったのか「牛耕」だったのかの違いが大きく。農業に馬を使っていた地域には、馬肉を食べる文化があり、牛を使っていた地域には馬を食べる文化が育たなかったのだと考えている。この考え方の方がスッキリしていると自負しているのだが・・・。

北海道では開拓の時に馬の世話になったから、馬は人間の友達である。だから食べないのだというのは、欧米の人間が鯨肉に対して言っているのと同じ様な後付の屁理屈であると考えている。

「イオマンテ」の項でも書いたが、皮から骨まで全部無駄なく使ってあげることこそ供養にもなる。それが他の「生命を頂く」という人間の業のせめてもの慰めになるのだと考えている。(終わり)


■2010-04-06-Tuesday マッサージ

肩凝りの体質である。

中学生時代に体操部(当時の体操競技は花形であった)に席をおいており、休み時間には中庭にあった鉄棒で大車輪(鉄棒の技、身体を伸身にして後ろ向きで大きく回る)から、鉄棒の上で手を持ち替えて身体の向きを変えて先車輪(前向きに回る)をやって見せては、クラスメートに自慢していたら、汗で手がすっぽ抜けて背中から地面に落下した。地面は砂利敷きで、石に腰と背中を強打して、腰を痛めてしまった。

もともと、手の平が汗ばむ体質なのに、滑り止めの石灰や鉄棒用のバンド(手袋のようなもの)をしないでやったから罰があたったのだろう。

いまだに、疲れてくると腰の筋肉がバンバンに固くなってきて、やがて背中から肩や首まで凝ってくるのだ。こうなると椅子に座っていても腰が痛くなってくる。だから、2週間に一遍くらいはマッサージに掛かっているのである。

中学生からだから、40年くらいマッサージの世話になっていることになる。

50歳を過ぎて、身体が肥ったことで、腰に余計な負担が掛かっているのだろう。以前よりも腰が痛くなる間隔が狭まっているように感じる。

去年は夏場にゴルフをやって適度に運動していたし、毎日のように温泉に入っていたからか、マッサージに掛からなくてもそんなに辛くはなかったのだが、一昨日は犬に餌を与えるために中腰になって、そこから立ち上がろうとしたら、腰がギクッとなったのだ。このところの運動不足が祟ったのだろう。以前にギックリ腰も2回やっているから、何となくこのまま放っておくと、こりゃ〜かなりやばそうだぞという感じがしたので、久し振りにマッサージに行ったのだ。

一昨年は1週間に一度は通っていたところだから「イヤ〜坂本さん、久しぶりですね〜、余所のマッサージさんに変わっちゃったのかと思ってましたよ」と嫌味を言われたが、マッサージ自体が半年ぶりくらいなのである。

マッサージを始めるなり「坂本さん、鉄板を背負っているみたいにガチガチですよ」と言うのである。かなり力を入れて揉んでもらったが、表面がようやく柔らかくなった程度であった。久し振りに揉んでもらったら、身体が痛い。

1日、間をおいて別のマッサージさんのところに行った。ここも1年振りくらいのご無沙汰である。ここでも、背中から腰にかけてガチガチだと言われたが、少しは解けたようである。

やっぱり、按摩はあんまり間を開けずにコンスタントに揉まなければいけないようだ。

妻が「痩せたら腰の辛さも半減するんじゃない?そのお腹の出っ張りが腰の姿勢を悪くしているのよ」と言う。珍しく妻の言う通りかもしれない。


■2010-04-07-Wednesday 馬肉を食べる地域

馬鹿(うまか)もんに関して

このブログで日本における肉食文化のことを書いてとても評判が良かった。その評価の中で更に食べる県と食べない県を教えて欲しいという要請があったので、詳しく調べてみた。

馬を生産している都道府県は北海道・青森県・福島県・熊本県の4道県と先日のブログで書いた。

食べる県はというと、北海道・青森県・秋田県・山形県・福島県・栃木県・山梨県・長野県・岐阜県・福岡県・佐賀県・長崎県・熊本県・大分県・宮崎県・鹿児島県の16県である。全47都道府県中の16県であるから34%でしかない。

東北地方でも岩手県や宮城県などの太平洋側は食べる習慣がないようである。群馬県は馬の群れの県という名前なのに・・・。逆に馬の字があるから自分を食べているようで食べられないのだろうか?

先日のブログで「馬耕」と「牛耕」による違いをあげたが、その他にも何等かの理由があるのだろうか?現時点ではまだ調査しきれていない。

武士は戦で共に生死を掛けて戦った馬は食べられないとか、北海道の日高地方はサラブレッドの生産地で馬に喰わせてもらっているから馬を食べないという理由は聞いた。

また、北海道でも昔、開拓で馬の世話になったから食べられないという農家もいるようであるが、これは先日のブログでも書いたが「建前」であって、他の農家の人に言わせれば「そんなのウソにきまってるべ!、そんなことを言うのはよっぽど裕福な農家で食べるものに、こと欠かなかったからじゃないのか?餓死するかもしれないような状態になったことのない農家だべさ!」と言っていた。確かに一理あるとは思うが、むしろ私は、入植者の出身県の肉食文化の違いが大きいと考えている。

上記した16県以外からの入植者には馬肉食の文化はなかったようだからである。食べ慣れないものはなかなか食べられるものではないからだ。

この文化の壁を越えよう、壊そうというのだから、並大抵のことでは難しい。また、先のブログでも書いたように、昔の日本人は猿や犬なども食べていたが、現代の日本人に猿や犬を食べろと言っても難しいだろう。文化は一度途切れてしまうと復活させるのは困難なことだからだ。

誤解のないように断わっておくが、猿や犬を食べようとは私も思ってはいないですよ。

しかし、馬の中には食肉用に育てている品種もいるのである。この文化が途絶えてしまったら、復活させるのは困難になる。

馬肉には、いろいろ面白い効用があるし、馬の油は常温では固まらない性質もあるのだそうだ。女性のダイエットや美容にも効果が抜群だそうだ。

地元の貴重な文化を守りつつ、地域を発展させることが出来たら素晴らしいことだと思う。

皆さんも是非一度「馬鹿(うまか)もん」を食べてみて下さい。


■2010-04-08-Thursday 諸事雑感

スペースシャトルが

日本時間の5日午後7時21分に打ち上げられて、日本人の女性、山崎直子さん(39)ら7人を乗せて宇宙に飛び立った。

ニュースを見て私も「宇宙に一度は行ってみたいなぁ」と言ったら、妻が「あんなところに行ったってつまらないわよ、私は閉所恐怖症気味だから、あんな狭い乗り物に乗って行くなんて耐えられないわ、もし行くとしても貴方一人で行ってね」と言う。

宇宙飛行士たちは、地球の外から地球を眺めた時に人生観が変わるというから、それこそ文字通りに客観的、俯瞰的に地球の事を見つめ直すことが出来るのだろうと思う。私もそれを是非とも経験してみたいと思っているし、無重力状態でフワフワと空中に漂ってみたいとも思っているのだ。

だが、もう50歳を過ぎてしまったし、今更訓練しても宇宙飛行士に採用される訳もなし、個人的に旅行感覚で行くとしても何億円という費用が掛かるというから、それこそ夢にしか過ぎないが・・・。

手塚治虫の描く宇宙の漫画に夢中になった世代としては宇宙というのは憧れの場所なのだ。女性の現実的な夢とは異なるものなのだろうが、それくらいの夢は持っていたいものだ。

中国で麻薬を大量に所持していた日本人が死刑になるという。朝のワイドショーで色々と論評していたが、私は当然のことだと思っている。

中国はかつてイギリスから麻薬のアヘンによって清という王朝が滅んだ経験をしている国である。麻薬が入って来ることで国を揺るがすことに繋がった過去があるのだから、過剰な対応をすることも十分にうなずけることだ。そんな国で大量の麻薬を所持していることの方がオカシイのであって、罪が重過ぎるなんてことを他国がとやかく言うべきことではないと考える。外国に行く以上はその国の法律に従うべきであろう。

それに、中国は人口が世界一多いのだから、犯罪者は殺した方がよいと考えているのかもしれない。

ただし、東南アジア等では、密告者が報酬を貰える制度がある為に、その報酬欲しさに、何も知らない善良な日本人を騙して、「ちょっと持ってて」と所持させては、警察に密告して報酬を得るという輩がいることも事実だし、また単に荷物を運んで欲しいと頼んで、何も知らない旅行客に麻薬を持ち込ませたり、持ち出させたりする事件があることも事実だ。

オーストラリアでは、これで捕まった日本人が未だに警察に収監されている事件も起きている。

日本人は人が良いから騙されるのだ。今の時代、テロリストに何等かの薬物などを持たされる可能性も考えられなくはないのだから、他人からの依頼は断った方が無難であろうと思う。

自民党から与謝野・園田氏らが抜けて、新党を結成するという。その新党に期待する国民も少ないというアンケート結果も出た。

民主党の体たらく、バラバラな内閣、若林リリーフの代理投票という暴挙、自民党の分裂、etc・・・。

一体、この国の政治家はどうなっているんだ!

もういい加減にしろ!と言いたい国民が増えているだろう。ますます政治離れが加速していく。誰も責任を取らずに好き勝手放題をやっていたら日本は沈没してしまうだろう。

自称、坂本龍馬はもういらないから、本物の政治家の出現を祈るのみだ。(この文章は6日に書いた)


■2010-04-09-Friday 高田崇史の

高田崇史の小説を

読み始めたのは3月29日の札幌出張からの帰りの列車の中からである。本屋に平積みされていた文庫本の中に「QED河童伝説」という文字を見つけて購入してからだ。

私は世の中の「不思議」といわれていることを研究しているから、奇術・魔術・手品・超能力・予言・UFO・UMA・妖怪・幽霊なども研究対象なのである。想像上の動物といわれているものも、そのいわれなどを調べるととても面白いのだ。

河童・天狗・鬼なども研究しているので「河童伝説」という題名に惹かれて買ったのであるが、これが実に面白かった。

いわゆる梅原猛史観や井沢元彦史観の流れを組む「怨霊」や「言霊」から日本の歴史を考察する、高田崇史史観に出会ったのである。

すっかり気に入ってしまい「QEDシリーズ」を買って来て、これまでに「式の密室」・「竹取伝説」・「百人一首の呪」・「六歌仙の暗号」の5冊を読んだ。

いずれの作品も面白かったが、特に、「式の密室」は平安時代の陰陽師(おんみょうし)安倍清明(あべのせいめい)に関するものだったので面白かった。

余談だが、私はこのブログで映画の論評をする時には、まだ観ていない人の為に、マジックの種明かしの様な無粋なまねをしたくないのでストーリーには触れないようにしている。同じく、単なる推理小説の論評では、犯人を教える行為は強く戒めているところだが、高田氏の小説は単なる推理小説ではなく、歴史ミステリーであるから、いささか趣が異なるのだ。もちろん歴史の謎と共に現代の殺人事件が絡まるストーリーであるから、殺人事件の方の犯人名などをこのブログに書くつもりはない。しかし、歴史の謎の部分に関しては、結論が判っていても、何故そのような考え方に至ったのかという経過が面白く読めるので「刑事コロンボ」のような楽しみ方もまたできると思うのである。

結論から言えば、式神(しきがみ)(陰陽師が使役するモノ、宮崎駿の千と千尋の神隠しの中にも出てきたが、紙で人型(人形代ひとかたしろ)を作ってそれに霊を宿らせて使役するといわれている)は、モノではなく普通の人間であるという考え方にショックを受けたのだ。当たり前と言えば当たり前の考え方なのだが、式神が清明には見えて、貴族たちには見えないという理由付けに感動すら覚えた。そうか!そういう考え方もあるか!と思ったのである。

「竹取物語」は、私はかぐや姫が宇宙人だと考えているので、高田氏の説には、異論があるものの、なるほどなぁ〜と思わせる考え方である。

「鬼」「天狗」「河童」などが、日本の先住民のいわゆる「まつろわぬ民(服従しない人の意味)」の末裔というのは、私もそうだと考えているので全く同感である。

「百人一首の呪」に関しては大学生の時に読んで感動した織田正吉氏の「絢爛たる暗号」に書かれていた百人一首が連鎖していて、何等かの意味を持っているという説の発展形で、高田氏は百人一首は「曼荼羅(まんだら)」であるとする説であるが、これもなかなか面白かった。「絢爛たる暗号」の出版以来、織田氏に刺激を受けた何人かが百人一首の謎を解こうと挑戦しているが、どれも結論に完全さや美しさが微妙に欠けていた。この高田氏の説には美しさが感じられる。選者である藤原定家の美意識を完全に反映しきれていなかったこれまでの説よりは説得力を感じた。

次の「六歌仙の暗号」につながっていき、六歌仙と七福神の関係性はとても興味深かった。高田崇史の頭の中は一体どんな構造になっているのだろうか?

これから、まだ読んでいない高田氏の「QEDシリーズ」を読破するつもりである。私が夢中になって読んでいるのを見て、妻が「何をそんなに熱心に読んでいるの」と聞くから、妻にも解説して読むことを勧めたのだが、全く興味がないようである。興味の対象が違うと、こんなにも好きな本が異なるのかという見本みたいな展開であった。


■2010-04-10-Saturday 同じ様な事件が

何故だか似た様な事件が

続くものである。シンクロニシティとでもいうのか、それとも同調性とでもいうのだろうか?

自動車内での子供のライターの悪戯による火災事故のことである。

北海道厚沢部町と宮城県柴田町で幼い子供を乗せた車両事故が相次いで起こった。

北海道の厚沢部町の事故では幼い4人の子供が犠牲になった。

そもそも、子供だけを車に残して、車から離れるという行為自体が信じられない。この親は親としての自覚がない人間なのだろうと思う。

以前から、自動車内に子供を残したままパチンコに興じて、子供が暑さの為に脱水症状を起こして死んだという救われない事故が相次いで起こったことがあった。子供だけを車内に残しておいたらどうなるかぐらいの予見は出来るだろう。子供が寝ていたからと言っているらしいが、子供がいつまでも寝続けているわけではなかろう。目覚めた時に親が側にいなければ不安になることは明らかであろう。ましてや子供の手元にライターを置いておくなんて・・・。

人間は唯一の反省する動物だと思っていたが、猿回しの猿の方が良く反省するようだ。何処かで事故が起こったら、自分は同じ様な目に合わない様に注意するのが人間なのではなかったか?

それなのに、なぜだか、同じ様な事件や事故が続くのはどうしてなのだろうか?

この父親は新聞によると24歳、母親は21歳だと出ていた。この若さで4人の子供がいるというのも驚きだが、親としての責任感というものを持っていたのだろうか?

親と上司は選べないとはよく言う言葉だが・・・。


■2010-04-11-Sunday 肉食異論

7日に書いた「馬肉を食べる文化」に

対しての異論が寄せられた。

「武士は戦で共に戦った馬を同士と感じて食べられない」という箇所についてである。

「戦で共に戦った同士」ならば馬の死体をいちいちお墓を作って埋めたのか?という疑問があるとのことである。

私も戦国時代に生きていた訳ではないから、自分の目で直接見てはいない。だから推測するしかないのだが、戦国時代の馬は貴重な戦力であったことは確かだろう。

初期の戦では、互いの馬は攻撃しないという暗黙のルールがあったようである。だが、戦というのは常識を破ることに勝機が生まれるのも歴史上の真実である。暗黙のルールを無視して、相手側の馬を狙って攻撃をすれば相手側の機動力は壊滅的なダメージを受けるだろう。果たしてそう考えない武将は存在しなかったのであろうか?

もし相手の馬を直接攻撃しなかったとしても、馬が凸凹の戦場で転んで骨折することだってあるだろうし、流れ矢や流れ弾に当たって死ぬことだってあるだろう。そんな時の馬の死体の処理はどうしていたのだろうか?という疑問は確かにあると私も思う。

同士というなら馬よりも一緒に戦った人間の方だろう。戦で死んだ人間は近所の農民たちが、おそらく纏めて穴でも掘って埋めたことだろうと思う。そのままにしておけば臭気も凄いだろうし、疫病の元になるし、カラスや野犬などの動物に喰い荒らされてしまうだろうからだ。

では馬も同様に埋めたのだろうか?

まさか人肉は食べないだろうが、馬肉はおそらく食べたのではないかと思っている。

武士も馬は食べないと言われているが、戦に於いての肉は、エネルギーの面からいっても貴重なたんぱく源である。干し肉にしてジャーキーのようにしておけば保存食にも携帯食にも最適である。

私がもしも武士だったら、一緒に戦ってくれた馬の肉を食らって、自らの体内に取り込んで「我が身と同化せよ!そして一緒に戦おう」と考えるがなぁ〜。

だいたいにおいて、仏教の不殺生から肉食がなされなくなった等と言う説は、何故、人間同士が戦をして殺し合うのかの説明がつかないではないか?そもそも不殺生というなら戦もやってはいけないだろう。人間を殺すのは良くて、動物を食べるのはいけないというのは論理がオカシイではないか。

古来の日本人の考え方は、動物の命を頂いている(天からの授かりもの)という感覚があるから、皮や骨なども余すところなく全て使っていたのである。それを平安貴族たちが血を「穢れ」として嫌って肉食をしないということに建前上しただけだと思っている。

前にも書いたが、貴族たちも鶴・白鳥・兎・狸などを食べている日記が存在する。牛や馬や猪や鹿などを建前的には食べないことになっているからこそ、桜・ボタン・紅葉のどと植物の名前を隠語や符丁にして、こっそり食べていたのだと考えている。

日本人の建前と本音を見分けるのは、なかなか苦労がいる作業である。

表面上の文章や言葉だけを素直にそのまま解釈しては間違える場合もあるということだ。


■2010-04-12-Monday シンクロ・フィギュアの大会

久し振りに渡米した。

4月10・11日にアメリカのコロラド州コロラドスプリングス市でシンクロナイズド・アイススケーティング世界選手権が開催された。

シンクロナイズド・アイススケーティングというのを簡単に説明すると、フィギュア・スケートを16名の団体で滑る競技で、水泳のシンクロ競技の要素とフィギュアスケートのアイスダンスの要素がプラスされたような競技なのである。

この世界選手権大会に日本代表チーム「神宮アイス・メッセンジャー・グレース」のキャプテンとして、我が家の長女が参加した。

娘は去年までは「東京女子体育大学チーム」のメンバーで、これまでにも日本代表として世界選手権大会などには参加しているのだが、私はまだ直接観たことがないのだ。いつも応援は妻が一人で行っていたのである。

今回は、娘が新チームのキャプテンとして頑張っているので、一人でも多くの応援者を獲得するために私も連れて行ってくれるというので、夫婦二人で参加申し込みをした。

娘たちは3日から現地に入って練習をしているが、その親達の応援団は7日から12日までの日程でコロラドスプリングスに行く応援ツアーというのを組んだのだ。

成田空港での集合時間は午前9:30分であるから、例によって、北海道から参加するには、前泊が必要になるのである。

だから前日の6日の昼12時に家を出て、帯広空港を出発して羽田空港に着き(1時間半)、そこからリムジンバスで成田空港(1時間)に入り、ホテルの送迎バス(40分)でホテルまで向かうのである。ホテルに着いた時間は、午後7時過ぎであった。

翌7日の朝8時にホテルを出て成田空港のロビーで集合、妻は何度も参加しているから、他の家族の方々とは既に顔見知りであるが、私は初対面である。添乗員の人も何度もこの応援ツアーを添乗しているベテランとのことだ。いつも同じような顔ぶれだからなのか、紹介や挨拶もほどほどに飛行機に乗り込んでしまった。

他の参加者の話を聞いて、よくよく考えたら北海道というのは身体には楽なのかもしれないなぁと感じた。このツアーに参加した夫婦の中には静岡県浜松市や茨城県筑波市から当日の朝早くに出て来ている人がいる。その方々は一日中何等かの乗り物に乗り続けるということになるから、そうなると前泊した方がホテル代のお金は掛かるが身体は楽なのではないかと感じたのだ。

飛行機はアメリカン航空の成田→ダラス間、ダラス→コロラドスプリングスである。でもなんで、ダラス行きなの?

ダラスはコロラドスプリングスよりもかなり東にある場所だから、ダラスからまた西側のコロラドスプリングスに戻れば、飛行機に乗っている時間的なロスだけで往復4時間以上が無駄になる計算だ。

おそらくこの便が一番安かったのだろうが、約13時間+2時間も飛行機に乗っているのはとても辛い。特にお尻と腰が痛くて痛くてしょうがなかった。

余談だが、このダラス空港の広さには圧倒された。今までにこんなにデカイ空港は初めてである。さすがアメリカは広いなぁと感じた。なにせ飛行場のターミナルが6〜7つほどあってそれを環状線状の電車で繋いでいるのだが、その環状線の中側だけで帯広空港の全敷地よりも広いだろうと思うほどだ。その環状線の外側にターミナルがあって、更にその外側にそれぞれの滑走路があるのだから、どれだけ広いか想像してみて欲しい。飛行機がターミナルのボーディングブリッジから滑走路まで到着するのにかなりの時間が掛かったのである。その途中のどの経路からも飛行機があらゆる角度に飛びたてるのではないかと思われた。

以前に4度ほどコロラド州のボルダーという町に行っているが、一番体力的に楽だったのは成田→シアトル→デンバーという経路であった。成田→シアトル間は8時間半程で、拍子抜けするほどアッというまに到着した感じがした。ハワイと所要時間はさほど変らない。シアトル→デンバー間は2時間程度だから合計で10時間半であった。飛行機に乗っている時間で5時間は大きい差である。多少、航空運賃が高くても、アメリカの国内便ならせいぜい1万円程度の差だろうから、それなら短い時間で行ける方が身体が楽である分、有難く感じると思うのである。

案の定、妻の具合が悪くなって、妻はコロラドスプリングスに着いてから半日、ホテルで寝ていたのである。


■2010-04-13-Tuesday シンクロナイズドスケーティング

アメリカのコロラドスプリングスの、

ワールド・アイス・アリーナで開催されたワールド・シンクロナイズド・スケーティング・チャンピオンシップ2010を応援して来た。

コロラドスプリングス空港に到着したら、出口のところで、コロラド州ボルダー市在住の秋間美江子さんが出迎えてくれた。

秋間さんはフルブライト留学生の第一期生で御年83歳であるがとてもお元気だ。

秋間さんとの繋がりは、1995年に帯広青年会議所が帯広に新しい大学を建学するという「国際環境大学構想プロジェクト」を立ち上げて、その視察の為に、ボルダー市にある「コロラド州立大学」を視察した時にお世話になったのだ、その後は家族ぐるみで、アメリカと日本のお互いの家を行き来する間柄になったのだから、かれこれ15年もの付き合いになる。

今回もボルダー市近く(車で2時間)のコロラドスプリングスで、娘のフィギュアスケートの世界選手権を見に行くのだと連絡を入れたら、わざわざ出迎えてくれたのである。

具合の悪くなった妻を一人ホテルに残して、秋間さんと2人でワールド・アイス・アリーナに行って娘の公式練習を見学に行った。

娘も秋間さんには何度も会っているので、秋間さんが来てくれたと、とても喜んだ。

今回はホテルで顔を合わせて挨拶するだけと思っていたのだが、秋間さんが公式練習を観て、是非とも次の日のショート・プログラム(2分50秒)を観てから帰るからと近くのホテルをとって一泊してくれて観てくれたのだ。

日本の応援ツアーでドタキャンした方がいたので、その方のチケットを分けてもらって観てもらうことができるようになったが、シンクロナイズドスケーティングはアメリカでは、すごい人気があるスポーツなので、なかなかチケットが手に入らないのだ。

妻を一人ホテルの部屋に残したままにしておくと、更に機嫌が悪くなるだろうからと、公式練習の見学はそこそこに切り上げて、ホテルに戻った。

秋間さんが我々にお土産があると言う。車のトランクからホテルの部屋まで運んで欲しいと言うので袋を持ったら、やたらと重いので何が入っているのだろうと思いながら部屋まで運んだ。

妻の容態も寝ていたのでだいぶ回復したようだ。誰か他人が居ると妻もオトナシイのだ。

袋を開いたら、秋間さんのスカーフ・故人となった夫の浩さん(生前にお世話になった)のネクタイ、チョコレート、絵葉書などが沢山入っていた。是非とも貴方たちに貰って欲しいと言う。もしかすると形見分けのつもりなのかもしれないと思った。

夕食を一緒に取りましょうと誘ったのだが妻に「早く寝なさい。私は近くのホテルを探すから、今日はここで失礼するわ」と言うのである。

お言葉に甘えて、この日は早く寝ることにして、ホテルのレストランで食事を済ませようと考えたのだが、妻が食べたくないと言う。仕方がないので、コンビニで水とヨーグルトと果物を買って部屋に戻った。

妻は食べたくないというが、私はお腹が空いている。日本から持ってきたインスタントうどんを食べることにした。部屋にあったコーヒーメーカーでお湯を沸かして作ったのだが、麺が固くてまずい。

そうか!思い出した!コロラドは土地の高度が高いから気圧が低くて、水の沸点が低くなるからお湯の温度が低いのだった。以前にボルダー(高度1600m)で同じ経験をしているのにスッカリ忘れていたのである。

まずいインスタントうどんを食べて、この日は早々と寝ることにした。


■2010-04-14-Wednesday フィギュア世界選手権

フィギュア・スケートの

新しい競技であるシンクロナイズド・アイススケーティングの世界選手権が開催されるアメリカコロラド州のコロラドスプリングスに行って来た。

長女の惠梨がキャプテンをしているチーム「神宮アイス・メッセンジャーズ・グレース(IMG)」が日本代表チームとして参加しているので応援に行ったのである。

「神宮IMG」は「神宮アイスメッセンジャーズ」という既存のチームと、荻田美環さんと星野有衣子さんの2人が、日本にも世界に伍していけるようなチームを作りたいと立ち上げた「グレース」というチームが去年の8月1日に合併して出来たばかりの新しいチームで、16名のメンバーが揃ったのが去年の12月という急拵えのチームである。その新チームが、今年2月に行われた日本選手権で優勝して日本代表チームになったのである。

シンクロナイズド・アイススケーティングは日本では、まだまだ認知度が低い競技であるが、アメリカでは500チームがあり、競技人口は8000人もいる。水泳のシンクロとフィギュアスケートのアイスダンスを融合させたような競技で、欧米ではすごい人気があるスポーツなのだ。

競技はフィギュア・スケートのシングル競技と同じ様に、「ショートプログラム(2分50秒以内)」と「フリースケーティング(4分30秒±10秒)」の2種目で争われ、今回の世界選手権が第10回目となる。

私は生で観るのは今回が初めてなのである。これまでは妻が撮影してきたビデオでしか見たことがなかったのだ。

正直言って、これまでの日本のチームの演技はビデオで見る限りあまり面白いとは思わなかった。がしかし、今回の世界選手権を観て、認識が変わった。世界のトップレベルのチームの演技は最高に素晴らしかったのだ。とても優雅に滑るチームもいれば、新しい演出に挑戦するチームもいたが、16名のスケーターがシンクロして滑る様は、感動的ですらある。

日本チームもこれまでの日本代表チームとは一味も二味も違っていた。世界のトップレベルとの技術差が見事に縮まっていると感じた。あと僅かで世界に伍して戦えるレベルにまで来ているのだ。

やはり、スウェーデンチームで世界一になった経験を持つ星野有衣子コーチが日本に戻ってきた効果が大きいのだろう。この新チーム「神宮アイス・メッセンジャーズ・グレース」は世界を知っている2人の加入で大きく変身を遂げた。演技自体が素晴らしく洗練されたのだ。

午前中の公式練習を観た後、秋間さんの運転する車で観光に行った。時間があまりないので、駆け足であったが、映画に良く登場する山の中をくり抜いて作ったという「シャイアンマウンテン空軍基地」は近くまでしか行けなかった。同じく映画トップガンなどにも登場する広大な敷地の空軍大学「US エアーフォースアカデミー」や奇岩が一杯の「ガーデンオブゴッズ」などを見学して戻ってきた。世界選手権大会会場は満席状態、いかにアメリカでは人気が高いスポーツなのかが判る。

世界選手権本番のスケーティングは見事であった。私は感動のあまり、ビデオを持つ手がブルブルと震えてしまって、写したビデオがまるっきり見られるような状態ではなかったほどであった。

チームジャパンのこの日のショートプログラムは素晴らしい出来で、得点はチームベストスコアの61.72点で第10位であった。

9位のUSA2は64.42点、8位のドイツ2は66.22点であったから後もう少しで一桁台の順位が狙えるポジションになったわけである。


■2010-04-15-Thursday フィギュアスケート世界大会

前日のショートプログラム(SP)の

チームジャパンの演技は実に素晴らしかった。日本から応援に駆け付けた応援団のメンバーも皆、興奮状態であった。終了後にホテル近くのファミレスのデニーズで皆で食事をしたのだが、この店はアルコール類を出していないのだ。食事も皿に大量に盛り付けられてくるので見ただけで満腹になる。12時には解散してホテルの部屋に戻り、成田空港の免税店で買ってきたウィスキーを飲んで寝ることにしたが、まだ眠る訳にはいかなかったのだ。

ボルダー市から観に来てくれた秋間美江子さんが明日は朝早くからユニセフの仕事が入っているから自宅に帰ると言う。日本チームの演技が終了してこれからトップレベルのチームが演技する良い場面なのだが、全部を観終わるまで会場に居てもらうとなると出発が午後11時を過ぎてしまう。コロラドスプリングスからボルダーまでは車で3時間掛かると言う(私が以前に運転した時は1時間半で移動したが・・・)から、10時に会場を出発してもらったのだ。

昼間は秋間さんに観光でさんざん運転させて(今回私は国際運転免許証を取得していかなかったので)疲れているのに、これからまたボルダーまで帰るとなると、到着するのは夜中の1時頃になる。83歳と高齢な方だから心配して何度も何度も自宅に電話を入れた(秋間さんは携帯電話を所持していない)が、1時にようやく連絡がついて無事に到着されたのでこれで安心して眠る事ができた。

翌日はいよいよ最終日のフリースケーティング(FS)である。

最終日は日曜日なので昨日の土曜日の開始時間よりもかなり早い午後3時からの競技開始である。

参加23チームの前日の成績順の滑走になる、チームジャパンはショートプログラム(SP)は第10位だったから、(5チームずつが滑って、間に製氷する時間が入る)最終組の一つ前の組で滑ることになった。これ自体がすごいことなのである。

気負って失敗しなければ良いがなぁと心配したのだが、杞憂であった。選手たちは意外と冷静に滑れたようだ。かえって応援団の方が緊張していたくらいである。

FSの演技はこれまた素晴らしい出来で、会場の声援もひと際多かったので驚いたくらいである。

外人とは体格も違うし体力にも差がある。一蹴りで進む距離が日本人選手とは格段に違うから演技がとても大きく優雅に見える点で有利なのだ。

しかし、それでもチームジャパンの得点はこれまたチームベストスコアの105.76点で第9位に入ったのだ。

前日のSPで9位だったUSA2(FSは104.94点)に、FSでは勝ったのだが、総合成績ではチームジャパンは167.48点(SP 61.72、FS

105.76)であった、USA2は169.36点(SP 64.42、FS104,94)、その差わずか1.88点まで追い上げたのだが、惜しくも負けて第10位のままであった。

贔屓目かもしれないが、会場がアメリカチームにとってホームタウンでなければ、日本チームの方が勝っていたのではないかと感じた。

SPよりもFSの順位が上がったということが精神的にも成長していることの現れであろうと思う。

いずれにしても第10位と言う成績は世界の強豪チームと同じ土俵で戦えるレベルになったということだ。

来年の世界選手権はフィンランドで行われる。今回の大会はそれでフィンランドが国をあげて力を入れたから、フィンランド1が優勝、フィンランド2が順優勝で、USA1が第3位であった。

妻が会場の売店で買い物をする為に並んでいる時に、アメリカのシンクロの関係者と思しき女性から「日本のチームは随分変わったわね!今のチームは才能のある子が一杯揃っているから来年のフィンランド大会がとても楽しみだわ」と言われたので、妻が「今回のチームは、スウェーデンのサプライズというチームで選手をやっていた星野さんが日本に戻ってきて創り上げた新しいチームなんです」と流暢な(?)英語で説明すると「なるほど!そうだったのね!」「これからも応援するわ!」と褒め称えてくれたのだ。

フィギュアのシングルでも、外人のコーチが指導するようになってから一皮剥けたように感じる。世界の風を導入することが大切なんだなぁと実感した。これからもその若い力に期待して、来年はぜひ一桁の順位を目指してもらいたい。私は今回初めて生でシンクロナイズドスケーティングを観たがすっかりファンになってしまった。

来年の世界大会も是非とも観に行きたいと思うが、妻が連れて行ってくれるだろうか?


■2010-04-16-Friday フィギュア世界選手権

アメリカのコロラドスプリングス

のワールド・アイス・アリーナで開催された。フィギュア・スケートのシンクロナイズド・アイススケーティング・チャンピオンシップ・2010を観てきた。

チーム・ジャパンは出場23チーム中、ショートプログラムで第10位、フリースケーティングでは第9位、総合成績で第10位と大健闘の活躍であった。

日曜日の大会終了後に、選手たちと応援団との合同のクロージングパーティが開催されそれにも参加してきた。

選手達はあれだけの運動をしたばかりだというのに、世界中の選手達が入り乱れて元気良く踊っている、すごい体力だ。会場では写真を撮ったりしていたが、ソフトドリンクしか置いておらず、年寄りの応援団がこの会場に居ても何だか場違いな感じがしてきたので、応援団は場所を変えて飲み直すことにした。昨日行ったファミレスとは別のチリーズというメキシコ料理系の店に行った。

辛い料理を食べながら応援団だけで午前1時まで盛り上がった。

翌朝は5時にホテルのロビーに集合して日本に帰るのであるが、ここで寝てしまうと起きられないかもしれないと思い、荷物をまとめて5時まで起きていることにした。

残っていたウィスキーをモッタイナイので全部飲み切ったが、少し飲み過ぎて酔っ払ってしまった。コロラドは高地だから気圧が低くて普段よりも酔い易くなるのである。

酔ったまま集合したが、朝食はオレンジジュース・リンゴ・ベーグルである。水類は飛行機には持って入れないのでジュースは飲み切ってくれと言うから、空きっ腹に酸味の強いオレンジジュースを飲んだら具合が悪くなってきた。

胃腸薬を飲んだら何とか収まったが、行きの時の妻の様になるところであった。

帰りの便は選手達と一緒に、コロラドスプリングス→ダラス→成田という経路で帰るのである。日本に帰るというのに、日本から離れる東の方角に2時間飛行機乗って行くのは、何とも時間がモッタイナイ気がする。往復では4時間もロスすることになるからだ。ダラス空港もやたらデカイ割にはショップがまるで充実していない。乗り換えの時間をつぶすのに苦労したくらいだ。

これからダラスから成田までは13時間も掛かる。国際線なのにビデオは来た時とまったく同じ内容であった。普通は行きと帰りではプログラムが変わるものだと思っていたが・・・。前日寝ていないので、飛行機の中ではその分グッスリ眠れた。日本に近づいてきた頃に目が覚めて、ビデオで「ハチ」というリチャード・ギアが主演した忠犬ハチ公を基にした映画である。我が家も今回の旅行で、愛犬のバニーを犬のトレーナーに預けてきたので、妻も私も見ていて涙が出てきた。

飛行機が北海道上空に差し掛かったところで、ものすごく揺れ出した。朝食のドリンクを配っているところだったので、受け取った紅茶が飲む前に半分に減っていたぐらいである。

成田に到着して解団式があった。その間に妻と私の荷物を宅配便で送って来た。監督・コーチなどの挨拶があって、最後に皆で「お疲れ様〜」

と言ったのでもうこれで全部終了したと思い、リムジンバスの切符を買いに行った。10分後の16:00に成田を出発するバスが丁度良いと思って購入したのだが・・・。

依然として選手たち同士がハグし合ったりしている。テレビ局も取材に来ていたりしてなかなか終了しない。だがバスの時間が迫ってきた。このバスを乗り損ねると次は1時間後になる。東京の大学に行っている次女との約束の時間もあるので、娘をせかして乗ったのだが、娘はキャプテンとして全員を送り出してから帰りたかったというのだ、娘には最後の最後で申し訳のないことをしてしまったと悔やまれた。

今回の応援ツアーはとても充実していて、素晴らしい感動を与えてもらった。次のフィンランド大会が楽しみである。


■2010-04-17-Saturday アリス・イン・ワンダーランド

妻と映画を見て来た。

今日が封切りの「アリス・イン・ワンダーランド」だ。

帯広の映画館は3D対応ではないので、普通の画面の映画で見るしかないのだ。先の「アバター」も3Dで見る事が出来なかった。

3Dで見たらどう感じるかも経験してみたいと思う。

ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」は中学生の時に読んで、何てヘンテコリンな物語なのだろうと感じた本だったが、マジックを研究している内に、世の中の不思議なこと全般が気になりだして、他の訳者の本も買って読んだし、ディズニーのアニメーションも見て好きになったのだ。

今回も前評判では、アバターを越える評判だったので期待して見に行ったのだが、ストーリー的には・・・。

それにしても、ジョニー・デップという役者は怪優という名に相応しい怪演だったし、監督のティム・バートンと組んだ映画はどれも癖の強い映画ばかりである。

ここ1年で映画は3Dでなければ流行らない状態になってしまったのだろうか?

11年前にディズニーランドに行った時に見た3D映画の短編で、題名は忘れたが、子供たちが小さくなってしまう映画があった。確か、犬のくしゃみの滴や、風や臭い、足元をネズミが走り回るような感覚がした記憶があるのだが、映画はいずれその総合エンターテインメントの方向に行くのだろう。

何だか、昔の映画の巨匠たちから言わせたら、邪道で、映画の堕落だと言い出しそうだ。

私もこれでは、あまりに直接的過ぎて、人間の想像力というものを必要としなくなるようで、良い方向とは思わないが・・・。

映画や小説には、余韻というものを感じさせるのが重要な要素だと思うし、それによって人それぞれの解釈の仕方がでて良いとのだと思う。

直接的な表現だけでは深みが無くなると思うのだ。

3Dが合う題材と合わない題材があるだろうから、興行成績だけを追うだけの映画界にはなって欲しくない。


■2010-04-18-Sunday 帯広市長選挙

帯広市長選挙の開票がおこなわれ、

何と138票差の超僅差で大接戦に決着がついた。

米沢則寿氏(54歳)(37,516票)が上野敏郎氏(63歳)(37,378票)に勝ったのである。どちらの候補者も市民党やら十勝党とやらの名称を使って無所属を強調していたが、事実上は民主党VS自民党の戦いであった。

新人同士の市長選挙は36年振り、前回の新人同士の選挙も200票差の僅差であった。この時は自民党系の候補者が勝利したが、今回は民主党系候補の米沢氏が僅か138票差の僅差で勝利した。

投票率は57.55%と前回選挙よりは3.82ポイント上回る投票率であったが、低いことには変わりがない。結局戦後3番目の低い投票率であったから関心の薄さが気になる所だ。

今日の天気は朝方は晴れで午後に一時俄雨が降ったが、概ね良好な天気であった。この4月中旬という季節は十勝では、観光やレジャーの端境期であるから、もっと投票率が上がっても良さそうなものだが・・・。

最近の政治に対する無関心や嫌気がもろに出たのではないだろうか?

昨年秋の総選挙で民主党旋風が吹き荒れ、石川知裕氏が52,890票を獲得して衆議員選挙に当選した。その後の石川氏は親分の小沢幹事長の献金問題で起訴されたりしたし、民主党も迷走を続けている。一方の自民党も離党が相次いで、国民そっちのけで政争に明け暮れている感じだ。国民も政治家に対しては覚めた目でしかみていないのではなかろうか?

私がある人から聞いた話では、投票という行為は国民としての権利として行うが、最近の政治への抗議の意味も込めて白紙で投票するという人がいるという。無効票が1152票もあったというのがそれを表しているのではないだろうか。

米沢氏も勝ったとはいえ、石川氏の投票数を大幅に下回っている。投票数が37,516票であるから、有権者数の135,234人の27.7%、およそ4分の1にしか過ぎないから、これからのかじ取りが大変だろうと思う。

それにしてもわずか138票差の惜敗というのは負けた方は悔しいだろうなと思う。勝った方に投票した無党派層の内の70人が、負けた方の人に投票していたら結果は逆転しているのだから、むしろ大敗の方が諦めがつきやすいかも・・・。

同時に行われた市議補選の方は、上野陣営側の神谷博之氏(33,641票)(中川昭一氏の元秘書)が、米沢陣営側の候補者三井寿果女史(26,630票)に7,011票の差をつけて当選し、ここではねじれ現象が現れた。

昔から十勝人の選挙好きは有名だが、どうやらここ最近は様変わりして無関心派の方が増えているようだ。

十勝の政治家もスキャンダルで有名になるのではなく、将来を嘱望される政治家になって欲しいものだ。

新しく市長になる米沢則寿氏には、帯広の抱える諸問題を対処療法ではなく、大胆な手法で良い方向に持っていってもらいたいと節に思う。


■2010-04-19-Monday 地球が・・・

地球が動いている。

地動説の事を言っているのではない。

最近やたらと大きな地震が続いて起きているし、今度はアイスランドで火山が爆発してヨーロッパでは飛行機が飛べなくて大変な騒ぎになっているようだ。

地球が活発な活動期に入ったということなのだろうか?

タイではタクシン派の暴動が起きているし、イラクでは毎日のように自爆テロも起きている。

何故、世界中で人が争わなければならないのか?

昨日のNHKの大河ドラマ龍馬伝で、龍馬が勝海舟の家で「日本は強い海軍を作れば戦わなくてすむ」みたいなことを言っていた。これはいわゆる「抑止力」のことを言っているのだろう。NHKのドラマにしては珍しいことを言わせるなぁと奇異に感じたが・・・。

この「抑止力」というのも一理はある考え方なのだろう。がしかし、軍事力は持ったら最後使いたくなるのが人間の性というものだ。

兵器は日々進歩するから、持っているだけではやがて劣化する。よく言われるところの、アメリカの軍産複合体というのは、兵器を作り、売ることで稼いできたのだから、古い在庫は整理して、新しい兵器を買ってもらわなければ商売にならない。だから、戦争を起こして在庫一掃の攻撃をたまに行わなければならないと・・・。

もし、本当に金儲けの為に戦争を起こしているのだとしたら、とんでもない話だ。

薬品会社も薬が売れなければ商売にならないから、新しい病気とそれを直す薬を同時に開発して儲けているとの陰謀説もまことしやかに流布されている。私には真相は判らないが、在り得ない話ではない。

しかし、そんなに金を儲けてどうするつもりなのだろうか?

人間の欲というのは際限が無いものなのだろうか?

京都の龍安寺だったかの庭に丸い石に「吾唯足知(吾、ただ足るを知る)と彫ってあるのを見たことがある。丸い石の中央に「口」の字が空洞の様に彫られていて昔のコインのような形なのだ、その「口」の字を4つの文字が共有している。「口」の上に「五」、右に「唯」の口偏が無い字、下に同じく「足」の口が無い文字、左に「知」の口がない文字なのだ。昔の人はなかなか洒落た文字遊びをしていたようである。

人類皆がこの心境になればいらぬ争い事は起きないものを。

心に余裕がないから、安心できないのだろう。

地震や噴火は、きっと、地球が人類の愚行に怒っているのではないだろうか?


■2010-04-20-Tuesday 盗作疑惑

上海万博のテーマソングの盗作疑惑が取りざたされている。

岡本真夜の曲「そのままの君でいて」にソックリだとの報道である。今朝のワイドショー番組で聴き比べをしていたが、ソックリなんて程度のものではなく、まさしく「そのままの曲だった」。

一口に盗作というが、その定義は難しい。

元の作者をリスペクト(尊敬するの意)して、オマージュ(仏語)作品(芸術や文学において、尊敬する作家とか作品に影響を受けて、似たような作品を作る事。モチーフを過去の作品に求めること)を作ることもあるからだ。

どこまでが盗作でどこからがオマージュ作品なのか境界線がはっきりしていないし、逆にオマージュ(敬意)とさえあらかじめ言っておけば更にその辺の権利が曖昧になって、新しい作者側にも、許されるのじゃないかという甘い考えがある。

すでに著作権が切れている作品ならば別だが、生きている作品でもオマージュと言えば、元の作者にいちいち許可を取らないことが多く、しばしば問題になるケースがあるのも実情だ。

また、似たようなものに「引用」という手法もある。言葉の意味を調べるのに辞書を引いてその辞書の文章をそのまま載せる場合もある。その場合は「〜から引用」とかの断わりを入れるケースだ。

日本の和歌にも本歌取りという手法があるから、人類の文化が始まった時から行われてきたものなのだろう。

盗作というよりは、他人が作った作品に感銘を受けて使う場合が多いから、むしろオマージュに近いのだろうと思う。

私も以前にこのブログで、自分が考えた文章なのか、それともどこかで読んだ文章なのかの判断がつかなくなった事があると書いたことがある。膨大な量の読書をし、毎日毎日、文章を書き続けていると、そういう事態が出てくるのだ。その辺が難しいところである。

つまり、本人が意識しておこなう盗作と、まったく無意識のうちに似た文章が偶然出てくるというケースが考えられるということなのだ。

世界の歴史をみても、同時期に同じ様な考え方が現れるケースがある。シンクロニシティとでもいうのだろうか、波長が合うとでもいうのだろうか。

そういうケースは除いても、他人が書いた文章や作品の作者欄に自分に名前を書いて自分の作品として提出する人物は、私の近くにも存在するがまことに恥ずべき行為であると思う。

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■2010-04-21-Wednesday 新聞記事

先のシンクロナイズド・スケーティングの

世界大会での娘、惠梨の活躍振りが、地元の新聞「十勝毎日新聞」のスポーツ欄にデカデカ(A4判サイズ)と2枚の写真付きで掲載された。

御年85歳の義父(妻の父)は孫娘の惠梨がフィギュア・スケートを始めるきっかけ(義父は昔、フィギュア・スケートを嗜んでいたので孫の惠梨を良くリンクに連れて行った)を作ったし、小学生時代はリンクの送り迎えの運転手までしてくれていたので、ことの他、惠梨の様子が気になるようだ。

高齢だから海外旅行の長時間の移動はもうできないから、代わりに行ってビデオや写真を撮ってきて報告して欲しいと頼まれたこともあって、私が妻と二人で出掛けたようなものなのだ。

私達夫婦がアメリカから帰国してすぐに写真とビデオを持って報告に行くと、とても嬉しそうに見ていたものだった。

義父は惠梨が昨晩の勝毎に載ったのが嬉しくて、嬉しくて仕方なかったようで、何度も何度も、繰り返し繰り返し、読んでいたそうだ。

娘にしても、思わぬ良い、おじいちゃん孝行が出来たことだろう。

昨晩は、我が家、母の家や義父の家の3軒の電話が「新聞、見たよ〜」の電話でなりっ放しだったとのこと、新聞の効果というのはとても大きいものだと再認識した。

今朝になって、義父や母から親戚に送るから、数枚ずつカラーコピーして来て欲しいと頼まれた。孫の活躍が嬉しいのだろう。親ばかならぬ爺ばか、婆ばかである。

でも、親戚にしてみたら、こんなものを送られてきても迷惑だろうになぁ〜。 


■2010-04-22-Thursday 鳩山首相

普天間基地移設問題での

鳩山首相の考えがまるで理解出来ない。

これまでの彼の言動は、朝と晩でさえ、コロコロと変わってきていたのに、この普天間基地の問題だけは何故だか、一貫して変わらないのが不思議なのだ。

誰がどう考えても、解決策を5月末までに決めるは困難なはずなのに・・・。

幸夫人のスピリチュアルな閃きのご託宣でもあったのか、それとも、もう首相をやり続けるのが嫌になって、これを機会に退陣するつもりなのか、それとも、超ウルトラCの秘策でもあるのか、一体どれなのだろうか?

鳩山首相は理工系だから、本来は論理的な思考が得意なはずだと思うのだが、支離滅裂にしか感じない。

側近達が、一生懸命に5月末の期限を曖昧にしようと助け舟を出しているのに、鳩山首相本人があっさりと否定してしまうのだから、側近達にしても打つ手がないだろう。

まさか、5月末までに、鳩山首相の仲間の宇宙人でも飛んで来て、解決してくれるというのだろうか?

アメリカとの関係もさることながら、国民全員から見放されるような自殺行為にしか見えないのだ。

昨年の衆議員選挙で吹き荒れたフォローの民主党風はもはや収まってしまい、逆に今はアゲンストの風に向きが変わってきている。

自民党の方も離党だ、分裂だとゴタゴタやっているから、まだそんなに目立たないだけで、民主党に期待した分、逆風は強まってくるだろう。

私も、自民党の半世紀に及ぶ支配が終焉を迎えたことを評価して、4年間は民主党政権でも我慢しようかと思っていたのだが・・・。

政府のトップの首相がこの体たらくで、党のトップの幹事長が疑惑まみれでは、そう長くは持つまい。

しかし、次の参議院選挙も自民党が勝つとは思えないし、新党はどこも魅力がない。

この国の政治家たちはいったい何をやりたいのだろうか?


■2010-04-23-Friday シンクロのビデオ

先のシンクロナイズド・スケーティング世界選手権大会のDVDが送られてきた。

大会の正式名称は「World Synchronized Skating Championships 2010」で、4月9・10日にアメリカ、コロラド州のコロラドスプリングス、ワールド・アリーナで開催された。

応援ツアーで一緒に応援に行った選手の親で、ビデオの撮影や編集が趣味(?)の荻田(チームメイトの荻田美環さんの父親)さんという方が、送ってくれたのである。

DVDは3種類もあって、「世界選手権壮行会」「応援ツアー中心編」「大会・演技中心編」の3本も入っている。

「世界選手権の壮行会」は3月26日に東京の神宮アイススケートリンクで開催されたもので、私達夫婦は参加していないから初めて見る映像だ。長女の惠梨がキャプテンとして皆の前で代表挨拶をしたとは聞いていたので、どんな挨拶をしたのか、とても気になっていたのだ。

すぐに、テレビに掛けて見たら驚いた。

映像が素晴らしいのだ。撮影アングルといい、画面のブレのなさといい、編集といい、全てがとても素人が撮ったものとは思えないほどなのだ。当日の案内状やプログラムまで写し込んで編集されている凝りようだ。

見終わって、娘の挨拶の稚拙さは、「まぁ、まだまだこんなもんだろうなぁ〜」ぐらいの感想であるが、DVDの出来の良さには驚いてしまった。

すぐに他の2本も見たくなってしまい、夜中の1時まで掛かってすべてを見終わったのだった。

わざわざ「応援ツアー中心編」と「大会の演技中心編」に分けて編集してくれたのである。この熱心さと心遣いに頭が下がる思いだ。

「応援ツアー編」の出だしは、地球儀の上を飛行機が成田空港→ダラス空港→コロラドスプリングス空港まで、飛行経路を矢印でなぞって飛んでいく場面から始まるのだ。

あらかじめ、編集することを想定しながら撮影されていたのだろう。きちんと全体がストーリー的にまとまっている。しかも、BGMやテロップまで挿入されているから驚きだ。

レストランで披露した私のマジックの演技まで入っていた。自分のマジックを見るのは久し振りのことである。

普段の旅行では下手くそなりにも私がカメラマンをやる機会が多いので、自分がビデオに写ることはめったにないから、自分の姿を見ることは少ないないのだ。今回は荻田さんが撮ってくれているので、頻繁に私も画面に登場する。その格好がブザマなことこの上ない。自分ではもう少しスマートなつもりをしていたのだが・・・。

今回、私が撮影してきたビデオは、娘たちの素晴らしい演技にすっかり感動してしまい、手の震えが止まらなくなって、一体何を撮影したのか判明しないほど、ブレてブレて酷い映像で、義父や母に見せても船酔い気分にさせる様な劣悪なものだからカメラマン失格であった。

「お前は、一体何のためにアメリカまで行ってきたのか!」と言われかねないところであったが、今回送られてきた、この荻田さんからのビデオを見せたら、アメリカの雰囲気が判るだろうと思う。荻田さんには、ただただ感謝、感謝である。


■2010-04-24-Saturday おいおい政治家さんよ

日本の政治家は皆オカシイ!

国民的(?)人気が高いと言われて(誰が言っているんだ?)いる舛添要一が自民党を離党して新党を結成するという。オオカミ中年がついに本当に離党してしまったわけだ。

最初に、自民党で一番お金を持っていると言われる鳩山邦夫が離党、次に、自民党で一番頭の良いと言われている与謝野馨が離党し、三番目には一番人気が高いと言われている舛添要一が離党した。後、自民党に残っている人たちは・・・。

一方の民主党は、前原国土交通相と小沢幹事長の間で「高速道路の新料金制度」の件でバトルが始まった。

与党同士で政策の件でバトルをするのは内輪でやってキッチリ決着がついてから国会に提出すべきものだろう。この二人のバトルは子供っぽい喧嘩にしか見えない。

前原国交相は根回し不足だし、小沢幹事長は党は政策には口出ししないはずなのに、後から覆そうとする。そこへもってきて鳩山首相にリーダーシップがまるでないから、混乱に拍車を掛ける。

民主党政権になってから、同じ様なことばかりを繰り返しているようにしか見えないのだ。

民主党だけのゴタゴタなら、もうとっくの前に政府の支持率はもっと惨憺たる数字になっていることだろうに、対する自民党の方も分裂してばかりで対戦相手にすらなっていない。

この国の政治家は一体何を考えているのだろうか?

普天間基地移設問題では、何故か鳩山首相は超楽天的にしかみえないし、そのくせ、この件だけは頑固に自説を曲げないのは何故なのか?

私が考える予想は、こうだ!

5月末に普天間基地移設問題でとん挫して鳩山首相は内閣総辞職をして退陣。次の総理大臣には誰を立てても面倒臭いだけだからと小沢一郎が自らなり、剛腕で何でも強引にパッパと決めていく。

参議院選挙では、自民党も体たらくで勝てず、新しい小政党も勝てない。結局、民主党が漁夫の利を得て勝利して、衆議員・参議院とも民主党が単独過半数を得る。小沢首相は、怖いもの無しで強引に各種法案を国会で通そうとするが、民主党の若手グループが反発して離党。

民主党も、自民党も割れて、政界はガラガラポンの状態になって、左右の思想に分かれる政党が新たに誕生する。ナ〜ンてね!

まぁ政治の世界は一寸先は闇というから何が起こるか判らないが、早く良い方向に変わってもらいたいものだ。


■2010-04-25-Sunday 忙しい土曜日

24日の土曜日は朝から忙しい一日であった。

午前10:00〜11:30まで、「馬鹿(うまか)もん」の件で地元のフリーペーパーの取材を受けた。こういうものは何度も取材を繰り返し受けて、何度も話している内に、しゃべり方がまとまって来るし、自分の考え方を他人に伝え易くなってくるものだ。しかも無料で宣伝してくれるのだから有難いことである。

「馬鹿(うまか)もん」は単なる「言葉あそび」だけで馬肉・エゾ鹿肉の消費を増やそうと目論んだのではない。「北の屋台」でも経験したことだが、消費者自らが宣伝マンになってくれるような「口コミ」方策が有効だと考えたからなのだ。「口コミ」で伝播していくには、ストーリー性や蘊蓄(うんちく)は必要不可欠なのだ。

「ネェ〜、ネェ〜馬鹿(うまか)もんって知ってる?」「エ〜ッ、貴方まだ知らないの!?」「馬肉と鹿肉を使った料理で・・・」とか、「馬肉はヘルシーで・・・」「鹿肉はフランス料理ではジビエと・・・」とかの話題が人々の口々に行き交うようになって初めて認識が深まるのだ。誰か他人に言いたくなるような秘話があると尚更良いのである。

だから、作る方の食の職人も、ただ単に馬肉と鹿肉をミックスした料理を提供するだけでは不足なのだ。話題の元になるようなタネを一緒に提供しなければならないのだ。

例えば、馬肉と鹿肉の違い(色・食感など)を際立たせる料理を考えたり、作り方に一工夫して蘊蓄を深めたりする必要があるのだ。

ライバルとしてカレーライスやハンバーグなどの一般的に知られた料理と価格競争をしてはいけないのである。ところが、えてして職人は商売が不得手で、値段が安くなければ食べてもらえないと安易に考えて、安く提供するために、ミンチ肉の料理を考えてしまいがちなのだ。

量を売ることより、話題を売ることに徹してもらいたいのだが、なかなかそこが難しいようである。

人々の食文化を変えようというのだから一朝一夕に出来る訳はないのであって、じっくりとやっていきたいと考えている。

幸いにもメディアの受けは良好なので、少しずつ知名度を上げていく作戦をとりたいと思っている。今後の「馬鹿(うまか)もん」の展開を見守って欲しい。


■2010-04-26-Monday 忙しい土曜日

昼から講演を聞いた。

池田町の元町長で「ワイン町長」として有名な、御年91歳になる丸谷金保さんの話だ。

私が運転手になって、池田町の自宅まで車で迎えに行ったのである。講演会場は幕別町の「十勝ヒルズ」である。丸勝の梶原さんが「十勝正直村」を買い取って始めた場所である。以前に一度だけお客さんを案内して連れて行ったことがあるが、場所がなかなか判りにくいところにある。

車中で、いろいろ面白い話を聞かせていただいた。「十勝環境ラボラトリー」の専務時代もそうであったが、この運転手兼接待係というのは、実はとても役得なの仕事なのだ。講演では聴くことのできない話が聞けるのだから。

丸谷さんは、夕張市のような財政再建団体になる直前だった「池田町」の町長に昭和32(1957)年37歳の時に立候補して当選し、「十勝ワイン」という大分県の一村一品運動の先駆けになる事業を起こして、池田町を再建させ、全国的に有名になった方だ。20年間町長を務めて、1977年に参議院議員になり、1989年に政界を引退された。

現在は池田町でたった一人で生活されているが、今年の秋には東京の娘さんのところに引っ越しされるというので、十勝の政治の生き字引である丸谷さんに十勝を離れる前に話を聞いておこうと企画された講演である。今後毎月一回ずつ5回連続で開催される予定の昨日は第一回目だったのだ。

年齢は91歳だから、身体の方は目も悪くなっているし、足も弱られて杖をつきながら歩かれるが、頭の方は実にシッカリとしておられる。やはり昔の政治家というのは軸がしっかりしているなぁと感じた。

今回の聴講者は皆、私よりも年下で「ワイン町長?誰ですか、それ!」という連中ばかりである。丸谷さんも来る時の車中で「つい先日、池田町役場に行ったら、新入の職員が私のことを判らなかった」と言って嘆いていたので、無理からぬことだが・・・。

丸谷さんが話をするなら是非一緒に聞きたいと、家具の長谷川の長谷川晃三(90歳)会長と川田工業の川田淳(84)会長が列席したので、3人の高齢者の話を若者が聞くという図式になった。

普段なかなか聞ける話ではなかったのでとても面白く、私の知的好奇心は満たされた。


■2010-04-27-Tuesday 忙しい土曜日

丸谷さんの講演が16:30頃終了し、丸谷さんを池田の自宅まで送り届けた。

次には、母が十勝川温泉での宴会が待っているのだ。

この宴会というのは、平成4(1992)年に64歳で亡くなった父の圭司が中学校教師をしていた頃の生徒たちが、父の代りに母を同窓会に招待するという趣向のものであった。

生前に私が父から聞いた話では、「戦争に行きたくなかったから、北海道大学の臨時教員養成所に入ったのだ。あそこは当時先生が足りなくなったから戦争中にできた所で、先生になれば戦争には行かなくても済むんじゃないかと思って入ったが、在学中に終戦を迎えたので結局戦争には行かずに済んだ。俺は第三期の昭和23年に卒業して、開校したばかりの帯広三中の生物と体育の先生になったんだ。」と云う風に聞いていた。

私も三中の卒業生であるから、手元にある「同窓会名簿」を開いて見ると、確かに第2回卒業生(昭和25年3月卒業)の3年5組の担任として父の名前が載っていた。この時の生徒の生年は昭和9年の4月生まれ〜昭和10年3月末までの方々だから、昭和2(1927)年の生まれである父とは7歳しか年が違わないのである。ましてや昭和6年生まれの母とは3歳しか違わない。

母も、自分の教え子のわけじゃぁないし、会ったこともない人もいるからあまり気乗りしないと言っていたのだが、熱心に口説く元教え子の方にほだされて出席したのである。

父は、学生時代に「社交ダンス」に魅せられて、札幌のダンス教室に通っていたのだ。

父は本来なら、北大臨時教員養成所を卒業したのだから、ず〜っと教師でいならなければならないはずなのに、戦後のドサクサに紛れてたった2年で教師を退職して、ダンス教師の資格を取得し、祖父の店舗の2階を改造して「坂本ダンス会館」を開業してしまった。

今考えると、学生時代にマジックに魅せられてプロマジシャンに弟子入りした私と良く似ている。やはりDNAなのだろうか?

あっそうか!だから、大学を卒業する時に、私がプロマジシャンになりたいと言った時に「バカ野郎!」と一喝して止めさせたのは、自分の血を引いているから「こりゃ〜このままこいつを東京に居させたらまずいことになるぞ」と思ったのではなかろうか。

この「坂本ダンス会館」は渡辺淳一の小説「冬の花火」の中にもそのままの名前で登場するが、このダンスホールはとても流行ったらしい。いまだに、老年の方から「私達夫婦はお宅のダンスホールで出会って結婚したんだ」という話をしょっちゅう聞かされるくらいだから。

父の教師時代はかなり破天荒な教師であったらしい。髪の毛はパーマをかけていたし、毎日のように遅刻していたという話を聞いた。父の口癖は「俺は昔はかなりモテタんだぞ!」であったが、教え子の女性に言わせるとどうやら本当にモテタらしい。

今回の同窓会は、皆さん方も76歳になって人数も減ってきたから久し振りに集まり、亡くなった父の代りに母を呼んで昔話に花を咲かせようというもので、母にも泊って欲しいとのことだったが、母も宴会には顔を出すが、泊らずに帰るというので、私と妻が早目に温泉に入って、待っていたのである。

この日の土曜日は朝から忙しかったが面白い一日であった。


■2010-04-28-Wednesday ばんえい競馬の振興策

私はギャンブルが嫌いだから、

これまで「ばんえい競馬の振興策」など真剣に考えたことがなかった。ばんえい競馬もしょせんギャンブルだろうぐらいにしか考えていなかったのである。

ギャンブルといえばアメリカのラスベガスが有名だが、ラスベガスは荒んだギャンブルの街というイメージを家族連れを招き入れることで払しょくした。しかし、あの総合エンターテインメントは帯広では望むべくもない。

スーパーミニホースと挽馬を並べて展示するとか、ロデオ、乗馬、馬車、馬橇に客を乗せるとか、馬の蹄鉄投げなどの遊びを取り入れるとかいう方策も枝葉末節にしか過ぎないし、そもそも、ばんえい競馬場をギャンブルの場と考えるならば、家族連れを招き入れる戦略というのは如何なものだろうか?

万人に良いという場所は万人にとって中途半端な存在でしかないのだと考える。

ばんえい競馬だけに限らず、競馬は中央競馬以外は全国的にも苦戦が続いている。明日(28日)から始まる北海道の道営ホッカイドウ競馬でも札幌競馬場での開催は休止され、門別での単独開催になるそうだ。累積赤字も242億円になっているという。

もし私に地方競馬の振興策を求められても私には考え付かないだろう、競馬は全くの門外漢だからだ。しかし、ばんえい競馬に一筋の光明を見い出すとすれば、他の地方競馬とは性質が異なる点にあると思う。

ばんえい競馬が他の地方競馬と大きく異なる点は、「馬種の違い」があることだ。端的に言えば、「食肉用の馬」か「サラブレッド」かということだ。この相違点に着目するしかばんえい競馬が生き残る道は無いと考えている。

ばんえい競馬が消滅してしまえばひとつの「馬文化」が失われてしまう。文化は一度失われてしまえば、復興させるのは至難の業になる。

ばんえい競馬の「負のスパイラル」とでも言う図式を「風が吹けば桶屋が儲かる」的シミュレーションでおこなえば、

,个鵑┐ざデ呂低迷する。

⊃肉用の馬の畜産農家が馬の生産を縮小する。

ばんえい競馬に出す良質な力強い馬が産出される機会が減る。

ざチ馬の質が下がってレースが面白くなくなる。

ザデ魯侫.鵑離れる。

Δ个鵑┐ざデ呂ますます低迷する。→△北瓩

という悪循環に陥ることが容易に予想される。

すでに北見・旭川・岩見沢・帯広の4か所あったばんえい競馬場が帯広だけの4分の1に減ってしまったのだから危機的状況にあるのだ。この負のスパイラル構造から脱出しなければ、ばんえい競馬の繁栄はあり得ないと考える。つまり根本原因はどこにあるのかということを考えて、そこを正すしか道はないということだ。

端的に言えば「馬の肉の消費量を上げる」ということが必要だということだ。先ほどのシミュレーションの逆を書けば、

’脇の消費量を上げる努力をする。

⊃肉用の馬の畜産農家が良質の馬を生産する。

ばんえい競馬の馬としても良質な力強い馬が誕生する可能性が高まる。

の匹で呂増えればレースが白熱して面白くなる。

ザデ魯侫.鵑増える。

Δ个鵑┐ざデ呂栄える。

という好循環にするのだ。

ここでの、最大のネックは、本来ばんえい競馬の馬は食肉用に生産されているのだが、地元ではあまり食べられていないという現実である。

競馬関係者の間では、「馬の世話になっているから馬は食べられない」とか「馬はかわいいから食べられない」という論理がマコトシヤカに伝わっていることだ。これは一体いつ頃、誰が言い始めたことなのだろうか?

私の推測では、アメリカのカウボーイは馬を食べないから、おそらくそこら辺りから移入された考え方ではなかろうかと思う。日高地方のサラブレッドの生産農家が言うのはまだ多少は理解できる。サラブレッドは食べても美味しくないだろうから・・・。

欧米人のクジラを食べないというメンタリティーは、知性の高い動物やかわいい動物は食べないというものである。しかし、ベジタリアンが言うならまだ理解もするが、牛や豚や羊は良くて、馬はダメだという論理は私にはまったく理解不能だ。

ばんえい競馬の馬は、元々が食肉用の馬である。ばんえい競馬の馬を生産している畜産農家は食肉用の馬を生産しているのだ。良い食肉用の馬の内の力強い大きな馬が挽馬になる。もちろん挽馬にすることを夢見て馬を生産している畜産農家も居るだろうが、本来は食肉用の馬なのだ。挽馬になれなかった馬はほとんどが九州の熊本に移送され、かの地で馬肉になる。

よく明治時代以前の日本人は四足の動物の肉を食べなかったという建前になっているが、これは明らかにウソである。江戸時代に度々起った飢饉の際には、人肉まで食べたという記録すらあるのに、その時に牛や馬を食べなかった訳がない。もちろん農耕用の牛馬を積極的に殺して食べてしまっては肝心の農作業が出来なくなるから積極的に殺して食べるようなことは少なかっただろうが・・・。

私は、普段、牛馬のお陰で生活が出来ているのだから、骨折などして働けなくなったら、余すところなく肉や皮を頂くことで、自らの血となり肉となってくれ、そして一緒に頑張ろうというのが、本当の意味での供養になるのだと思うのだが・・・。

日本人は「言霊(ことだま)」に支配されている国民だから、明治以前は建前上は動物肉は食べなかったことにしているが、馬肉を「さくら」、猪肉を「ぼたん」、鹿肉を「もみじ」と言い換えて、符丁として使っていた、これはすでに当時の日本全国中に広まっていたのだから、誰もが知っている常識だったのだろう。逆に言えばそれだけ食べられていたことの証なのである。

動物を植物に言い換えて、「私が食べているのは、植物なのだ」と(自身にも)言い聞かせて食べていたのである。

現在の日本の47都道府県の内、馬肉食の文化がある県は私が調べた範囲では16道県だけである。北海道・青森県・秋田県・山形県・福島県・栃木県・山梨県・長野県・岐阜県・九州全7県である。日本の地図の真ん中がスッポリと抜け落ちているのだ。これも私が調べた範囲では、「馬耕」と「牛耕」による違いからきているようだ。馬で田畑を耕していた地方では馬を食べるが、牛で田畑を耕していた地方の人は馬を食べないようなのである。また、牛や豚や羊は大量生産に向いているが、馬は大量生産には向いていない動物である。だから食肉用の馬の生産が伸びなかったのではないかと理解している。

北海道の場合は、ご先祖様がどこの地域の出身なのかによって違いがでるのである。我が家の場合は、父方の先祖が山梨県出身で、母方の先祖が秋田県出身だ。特に秋田県では「ハレ」の日には馬肉を煮て食べるという風習があり、我が家も「馬肉の生姜味噌煮」は正月料理の定番料理であった。

ばんえい競馬繁栄の根本はこの「食文化の壁」を壊して新しいユーザーを作り出し「馬肉の消費量を上げる」ことにある。つまり、ばんえい競馬の関係者が、馬肉消費の先頭にたって活動しなければならないと考えているのである。しかし、競馬関係者は「馬を食べない」という人が多いのも現実である。だが、これは自分で自分の首を真綿で締めているのと同じ行為ではなかろうか?

ばんえい競馬場内のレストランで馬肉料理(ハンバーガーや肉まんなどのファストフードからステーキまでの本格的な)を提供し、馬肉のソーセージやジャーキーなどをお土産として販売する。このことに対する「競馬場で馬肉を食べるなんて」という競馬関係者の抵抗感が最大のネックになるだろうと予想される。

ばんえい競馬が食肉用の馬だとの認識をすれば、例えば、熊本県の馬肉関係の業者に依頼して寄付金を募ったり、熊本県で場外馬券売り場を作って、遠く離れた九州で宣伝することで、日本列島を北と南で挟撃してPRする戦略も取れるのだが・・・。

つまり、もしも、ばんえい競馬が廃止されれば、肉食用の馬の生産も極端に縮小するだろう。牛の転換する業者が多いだろうが、中には廃業してしまう畜産農家も出てくるかもしれない。そうなると、困るのは、北海道などから食肉用の馬を一番多く輸入している熊本県の馬肉関係の業者なのだ。海外から輸入した馬には安全性と味の面で問題があるだろうと思われるから、今後も安定的に北海道から肉食用も馬肉を得る為には、ばんえい競馬が必要なのだということを熊本県でアピールするのだ。

しかし、中には、競馬と食肉用の馬の関係性を理解できないで、「馬を食べるのはかわいそう」という情緒に走る人間が多いのも事実だろう。果たして、論理だけで情緒の壁を崩せるだろうか?

ばんえい競馬関係者が率先して馬肉食を拡げる活動でもしない限り難しいだろうと思う。

その他の対策は、この馬肉消費量を拡大する施策をおこなって初めて有効になるものだ。この根本を正さずして、客数を増やそうとしても、回復は難しいだろう。


■2010-04-29-Thursday ばんえい競馬

昨日のブログの内容を、

知人に話したら、死んだサラブレッドをどう処理しているか知っているのか?と質問された。

そういえば、去年の5月に我が家で飼っていた大型犬ラブラドール・レトリバーのサニー君が死んだ時に、大き過ぎて普通のペット霊園の焼場には入りきらずに、大きな焼場を持っている所に運んで骨にしたことを思い出した。大型犬でさえ、焼場がないというのに、ましてや人間よりも遥かに大きい馬を焼く焼場があるという話は聞いたことが無い(私が聞いたことが無いだけで存在しているのかもしれないが)。

「知らない」と答えたら、「犬の餌になるんだ」というのである。

早速、インターネットで検索してみたら、確かに九州の熊本県に馬の肉と鹿の肉を犬の餌として製造販売している会社が存在した。

鹿肉はエゾシカ肉で北海道から仕入れていると書かれているが、馬肉は、サラブレッドなのか挽馬なのかは不明である。

どうやらサラブレッドが死んだ後の処理に関しては公開されていない様子だ(昨日の今日ではまだ完全に調査ができていない)。挽馬に関してはさすがに食肉に回すとハッキリ明記されているが・・・。

何故、サラブレッドの死体処理方法が公にされていないのだろうか?

馬の世話になっているから馬肉は食べないというサラブレッドの生産農家の言い分というのは???。

サラブレッドは食肉用の馬ではないので食べても美味しくないから自分では食べないけど、犬の餌にするのは構わないとでもいうのだろうか?

直接に自分が関わらなければ、陰でどのような処理がされていても、見て見ぬ振りを決め込むとでもいうのだろうか?どうにもよく判らないことばかりだ。

てっきり馬の死体焼場を作って、骨にして慰霊碑にでも納骨しているのかと思っていたのに・・・。

人間が食べるのはダメで、犬が食べるのはOKというのも解せない話だ。どうやら馬の処理に関しては、公にしたくない心理的な何かが存在しているのかも知れない。

供養するというなら、人間が食べてあげるほうがよっぽど供養になると思うのだが・・・。


■2010-04-30-Friday 馬鹿(うまか)もん

テレビ局のUHBの取材を受けた。

UHBは北海道のフジテレビ系列のテレビ局である。ディレクターが私のブログを読んだのか、ばんえい競馬と馬鹿(うまか)もんとのコラボレーションのような絵面を撮りたいのかもしれない。

私の会社に来て、私のマジックを演じている場面を撮影した後で、北の屋台の設立当初の話から、「観光カリスマ」の認定の話、馬鹿(うまか)もんに至るまでのインタヴューを受けた。

いよいよ核心の、ばんえい競馬の振興策として、馬鹿(うまか)もんとのコラボの可能性に話が及んだが、2日前のこのブログに書いた通りの内容を話した。

今朝ほど、私のブログを読んでくれた人達から、いくつか感想のメールが入ったが、多くの人は「ギャンブルが嫌いだ」ということが判った。

「ばんえい競馬はしょせんギャンブルだ。税金を使ってまで救済する必要は感じない。」という意見が圧倒的に多かったのである。

確かに、私もギャンブルは嫌いで、ばんえい競馬はおろか中央競馬もやったことがないし、パチンコもやらない。

ばんえい競馬をギャンブルとだけ捉えてしまえば、多くの市民感情としては、ばんえい競馬の未来は暗いように感じる。

ばんえい競馬を救う道は「馬文化」もしくは「馬肉食文化」としてばんえい競馬を捉えるしかない様に感じたのだが、テレビカメラを前に自説を話しながら、やはり、問題は「競馬関係者が馬肉を食べることに対する抵抗感」にあるのじゃないかなぁ〜とも感じながら話したのだ。

話し終えたら、プロデューサーが、馬鹿もんを食べる場面を撮りたいというので「センナリ」で食べながら撮ることになったが、ばんえい競馬の帯広単独開催になった時に奮闘したTさんと会話をしながら食べてもらいたいという注文である。Tさんには了解を得ていて、しかも彼女は馬肉を食べることには抵抗感が無いとも言っていたので、それならと一緒に撮ることになったのである。

Tさんには初めて会ったが、気さくな方で、芯にはばんえい競馬を何とかしたいという気概があることが伝わってくる。

話もはずんで、センナリが2・3日前に開発した新メニューの「(改良版)馬鹿(うまか)ライス」と「馬鹿(うまか)ステーキ」を食べた。

以前のメニューはミンチ肉だったので、せっかくの、馬肉と鹿肉の肉の違いが判らなかったので、改良するように進言しておいたのである。やはり、肉の色、形、食感の違いを目と鼻と舌で味わい分ける必要があると感じたのだ。案の定、新メニューに代えてからはとても客の評判が良くなったとのことである。

Tさんも美味しい、美味しいと食べてくれたが、その場面をテレビで撮影して大丈夫なのだろうかと少々心配になった。

競馬関係者の中には馬肉を食べることにものすごい抵抗感を持っている人が居ると聞いていたから、彼女が競馬界の代表みたいに扱われて、馬肉を食べるところをテレビで放送されたら、彼女の立場が悪くなってしまう可能性も考えられるからだ。

彼女も平気だと言って撮影されていたが、どうなるだろうか?

私も「馬鹿(うまか)ステーキ」を食べてみて、改めて素材の素晴らしさを再確認した。とにかく美味しい肉である。

私も食べ物に関しては「好き嫌い」が激しい方だから、「これを食べろ!」と強制されれば、余計に反発してかえって食べなくなってしまう。やはり、食べ物は自発的に食べるような仕掛けをしなければいけないだろう。食べてもらえさえすれば、美味しいことが理解してもらえると確信している。

競馬関係者にも理屈だけでは、反発される危険性があるから、反発される前に一度馬鹿(うまか)もんについて説明しておく必要があるかもしれないなぁ。