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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2010-12-01-Wednesday セミナー

セミナーの講師を依頼された。

29日18:00〜21:00まで帯広市のとかち館で帯広地域雇用創出促進協議会主催の「十勝の魅力を伝えたい IT活用!情報発信スキルアップセミナー」という会合で講師を務めてきた。

5日間に亘るセミナーの第一講目の講師である。タイトルは「まちづくりマジックのタネあかし 人を集める仕組みづくり〜北の屋台ができるまで〜」という長いタイトルだ。

対象は再就職希望者・企業在職者で定員は30名となっているが、私が担当する第一講のみの参加もOKというもので、29日は50名近い聴衆がいたから、この日の私だけの講演を聞きに来てくれた人も結構いたようだ。

まず90分間の講演をしたが、いつもの講演とは聴衆が異なるので、講演内容もいつものものとはかなり変えて、発想法に力点を置いて話した。

5分間の休憩の後、対談および質疑応答という形になったが、北の屋台を卒業してから3年半も経つので、現在の北の屋台のことを聞かれても返答に困る。

そもそも、「絶対に成功する方法」なんてものはありえないし、また逆に「絶対に失敗する方法」というものもない。ケースバイケースで、置かれた状況等によって対処法が変わるのであるから、事業を成功させる要因は即ち「センス」なのではないかと思うのだ。

私が「北の屋台」でやったことを、そのままやったところで成功するかどうかは判らない。現に、北の屋台をモデルにした全国各地40カ所以上の屋台村で上手くいっているという話はあまり耳にしない。

講演やセミナーを聞いただけで、事業が上手くいくなら簡単なものである。だが世の中そんな単純なものではない。

しょせん、講演なんてものは、ヒントの一つにしかならないものだ。だが、ただボ〜ッとして聞いていたってヒントは掴めない。常にアンテナを高く張って、あらゆるものに気を配っていなければ、せっかくのヒントも無駄になる。

また、完璧な(完璧はあり得ないが)システムが出来たとしても、それを運用するのは、所詮人間なのだから、運用する人間の志に左右されると思うのだ。

志を高く持って、アンテナを張る。まずはそれが必要だろうと考える。


■2010-12-02-Thursday ふるさと十勝

2010年10月20日発売雑誌「ふるさと十勝」掲載文

「見えないグランド・デザイン ボルダー市との比較」

帯広市のまちづくりに決定的に欠けているのはグランド・デザインであると思う。長期的展望がまったく見えてこないのだ。将来の帯広市がこんな街になるという未来予想図があれば、経営者としても、それに合わせた色々な先行投資をしたいという気にもなるのであるが・・・。

かつて、帯広市にも「帯広の森」という吉村博市長時代に造り始めた壮大な計画があるが、私が大学設置問題で何度も訪れたアメリカのコロラド州ボルダー市にも似た様な「オープン・スペース」という政策がある。この二つを比較してみたい。

私がボルダー市を最初に訪れたのは1995年2月のことで、以来合計4回訪れて視察してきた。

ボルダー市はコロラド州の州都デンバーの北西40劼飽銘屬掘標高が約1650mという高地にあって、年間300日は晴れという気候のため、日本のマラソン選手の有森裕子や高橋尚子らが、高地トレーニングの強化合宿をする場所として有名になった。また、あまりありがたい話ではないが、ジョンべネちゃん殺害事件(96年)のあったところとしても有名になった街である。

ボルダー市の人口は約9万5千人、平均年齢が29歳という若者が多い街である。

なぜ、若者が多いのかといえば、街の真ん中に「コロラド(州立)大学(ユニバーシティ)(1876年創立)」がデンと構えているからである。この大学の学生数は28000人、大学院生は4500人、合わせると32500人にもなる。つまり人口の約35%がコロラド大学の学生なのだ。ボルダー市にはこの他にも複数のカレッジがある。

通常、学生は4年で卒業するから、18〜22歳くらいの年齢層が常に新陳代謝を繰り返していくことになる。また、大学を卒業してもボルダーを離れずに、ここに生活の基盤を置く若者が多い。「宇宙に一番近い大学」といわれるほど優秀なコロラド大学の卒業生を目当てに、アメリカの有名研究所や企業が多く進出しているので、学生も就職には困らないのだ。

コロラド大学は街の中心部にあって、キャンパスは市民に開放されており、気軽にキャンパス内を闊歩している。また、コロラド州特有の赤い石の壁で統一されたデザインの校舎は「全米で最も美しい校舎」の第4位にランクされているほどだ。

ボルダー市にはコロラド大学があるために、各種の学会やスポーツ大会や催事が頻繁に行われている「コンベンションシティ」でもあって、大学を持つ街の強みが現れている。

このボルダー市は帯広市の「帯広の森」と似た「オープン・スペース」という政策を実施している。ボルダー市をグルリと囲んだ周辺の土地を市が買い上げて、舗装や建物の建築をしないで緑の空間を確保している。開発しない土地を市が直接に持つことで、市街地の拡散を防ぐ目的があるのだ。

だが、このオープン・スペースを維持するためには、ボルダー市民は全米でも最も高いと言われている税金を払ってもいる。

このオープン・スペースと市街地の間には、まだ使用していない土地が十分にあるが、市街地に虫食い状態の空き地がある間は、新しい場所の開発は認めないとのことである。

市街地に空き地が無くなってから、オープン・スペースとの間にある新しい土地の開発が許されるから、街中には公園はあっても無駄な空き地というのが無い街なのである。これが本当の意味での「コンパクトシティ」である。

ボルダー市には景観条例があり、建物の高さや看板などにも厳しい規制があるから、街はシックで美しい。私がボルダーに行った時に泊めてもらう市内の民家の庭には、野生の鹿やアライグマなどが訪れるほど自然が豊かな場所でもある。

中にはオープン・スペースの外側に住宅を建てたいという人間もいるらしい。自由の国、アメリカだから建てたければ建てることも可能だとのこと、しかし、電気・上下水道などのインフラ整備は自己責任で用意するのだそうだ。

ボルダー市は、こじんまりとした街であるが、商店街であるパール・ストリート・モールは賑やかな場所でとても繁盛している。この街にはいわゆる郊外型の巨大なショッピングセンターは存在しない。

病院の仕組みも面白い。レントゲン・MRIなどの高価な検査機器を、医師が共有しているというのだ。患者が病院に行くのではなく、医者が患者の家を定期的に回って歩くホーム・ドクター方式で、往診で患者の身体に異変があれば、検査機器を備えた病院に患者を連れて行って詳しく検査し、その検査で手術などが必要だということになれば、大きな病院に患者を送って専門医が診るとのことだ。このやり方だと医療費も少なくて済むし、病院側も過剰な設備投資を各々がしなくても済むから、とても合理的だし、経済的だし、患者にとってもありがたいシステムだ。

市議会も市長もボランティアで、終業後の夜に開かれる市議会の模様はケーブルテレビ放送で各家庭で見ることができるそうだ。

帯広市の「帯広の森」とボルダー市の「オープン・スペース」との違いは一体何だろうか?

私見だが、為政者の定見と意志の差ではなかろうかと思うのだ。為政者が、この街をこういう街にしたいと強く思うことではないだろうか。

昔、できたばかりの「帯広の森」は「(これ以上街を拡げないという)成長限界線」としての機能を持つという説明を受けた記憶がある。だが、現在の帯広市役所では「帯広の森」は帯広市を森で囲むだけで、成長限界線ではないと説明している。この違いはなぜ出てきたのか?

他ならぬ「帯広の森」を造った吉村市長が、自ら帯広の森の外側に「大空団地」を造成したからではないかと想像している。

成長限界線の外側に自ら団地を造成してしまったら、理論的整合性が失われてしまうからだろう。

まちづくりには理論構築が重要だと思う。未来予想図は誰が見ても同じように見えなければ設計図としての意味を持たない。それを自ら壊してしまったのは残念なことである。

「帯広の森」は最初の計画ではもっと街中に造る予定であったが、地権者などの関係から現在地になったという経緯を聞いたことがある。その当時としては国から大きな予算を得て造った画期的な団地だという説明も聞いたことがある。

しかし、私はそれを「場当たり的」な政策だと考える。

その時々に有利な条件が出て来たから、その事業を推進するというのは、私企業なら許されても、行政がやったのでは、将来に禍根を残すと思うからだ。

グランド・デザインを持たない首長は、その時々にもたらされる案件に左右されがちだ。たとえ業者から開発許可の申請が提出されても、「私は選挙公約で街を拡げないと宣言して当選したのだから、その種の申請は一切受け付けない。」「文句があるなら私を選挙で負かしてから来なさい。」と窓口で拒否すれば良いのに、「書類に瑕疵(かし:不十分なところ)がなければ、受理せざるを得ない。」など役人と同じ対応をするから、街がズルズルと拡がってしまうのだ。市役所には1500人からの役人がいるのだから、市長が役人の必要はない。市長は為政者でなければならないと思うのだ。

鳩山首相のように、できもしない夢ばっかり語って自滅するのも困りものだが、実現可能な壮大なプランを創れる人が行政の長であって欲しいと願うものである。


■2010-12-03-Friday 例え話

これはあくまでも例え話です。

とある組合が運営する飲食店の集合体は3年に一度入れ替えをしているとしましょう。

その飲食店の集合体はとても人気があって、出店するとかなりの売り上げが望めるとしましょう。

出店したいという希望者を募れば、応募者が殺到するかもしれません。冷やかしの応募者が大勢現れると審査が煩雑になってしまうので、その防止策として、20万円の申し込み証拠金を申し込みと同時に納めてもらうことにしたとしましょう。

この申し込み証拠金は、応募者が自分の都合でキャンセルした時には返還しないという項目を付けることで、冷やかしの抑止力になるという目論見です。

もちろん組合側が審査をして残念ながら落選した場合には、そっくりそのまま20万円はお返しをします。

審査料として1円たりとも徴収することはしないのです。

そりゃ〜そうです、今時、審査料だけで20万円も取ったなら不当な利益だとして糾弾されてしまうでしょう。どんなアコギな業者でもそこまではやらないでしょうから。

審査に合格して晴れて出店できることになったら、その申し込み証拠金の20万円は、組合に納める保証金100万円の一部として充当されることにします。ですから、合格者は残金の80万円を組合に納めれば済むのです。20万円の申し込み証拠金を払っていれば保証金の支払いは80万円だけで、保証金として新たに100万円を払うということにはならないのです。

もともとこの申し込み証拠金というのは冷やかし防止の為ですから、すでに保証金を預かっている人から徴収するというのもオカシナ話になるでしょう。

つまり、現出店者が申し込んでおいて、尚且つ自分の都合でキャンセルしたのならば、預かっている保証金100万円の内から20万円を差っ引いて80万円だけを戻せば済むからです。新たに20万円を集める必要はありません。

保証金というのは、退店する時に出店者に返すお金です。つまり出店者が組合に預けているお金なのです。

現出店者から20万円ずつ申し込み証拠金を徴収しておいて(徴収すること自体がオカシイが)、その20万円を返還しないというのならば、組合はその20万円はどういう種類のお金なのかを出店者に説明する必要があるでしょうね。出店者の数掛ける20万円なら、相当な金額の収入になるでしょうから。

もし、20万円の申し込み証拠金を出店者に返還しないのなら、保証金が120万円になっていなければオカシナ話になるでしょうね。でも、契約書のどこにもそのような仕組みの説明が書かれていないとすれば契約書の不備そのものだろうし、契約書にちゃんと書かれてあるのに組合が勝手に解釈して変更することは、契約社会の日本ではあってはならないことです。

ましてや保証金の残高が100万円のままだとすると・・・。20万円って一体どこに消えてしまったのでしょう。これぞ、現代のミステリー、消えた高齢者よりも恐ろしいことかも・・・。

こりゃ〜例え話であっても、いくらなんでもあり得ない話かな!


■2010-12-04-Saturday 例え話 2

これもあくまでも例え話です。

とある組合が運営する飲食店の集合体が3年に一度テナントの総入れ替えをおこなっているとしましょう。

総入れ替えをするには、前に営業していた全部のテナントから文書による「退店届」が必要不可欠です。

建物の賃貸借契約は、契約書に記載されている契約期間が終了したからといって、即契約切れとはならないからです。

家主は「ハイ、契約期間が終了しましたから、出て行って下さい」とは言えない法律上はとても弱い立場なのです。法律上は借り主の権利の方を保護しています。

ですから、テナント側に退店の意志が無い場合は、家賃を払い続けていれば、家主側から強制的に契約を終了させることは出来ません。

また、口頭での退店届は、後に「言った、言わない」というトラブルの元ですから、文書に依って「○年○月○日をもって、△△を退店します。□山×男(印)」という明確な意志表示が必要なのです。

この退店届が提出される前に、新たなテナントの募集をしてしまうと、ダブルブッキング(二重契約)の恐れが生じることになるでしょう。

前のテナントがまだ営業をしているのに、新しいテナントと契約してしまうということになるからです。当然、古いテナントにも、新しいテナントにも両方に迷惑を掛けることになってしまいます。

総入れ替えというからには、3年毎に全く新たな体制で臨むということでしょうから、家主側からすると、前に営業していたテナントの場所を変わってもらうという事態が生じるでしょう。テナントミックス(業種による配置)を考えれば当然のことです。

「全テナントを新たに選んだ」というからには、前テナントが前に営業していた場所の権利は完全に消滅していなければなりません。

しかし、前テナントから文書による「退店届」の提出を受けていないとすると、前契約が生きていることになりますから、テナントの場所の移動は非常に難しくなってしまうでしょう。

場所を移動してもらうには、その根拠が必要ですが、「退店届」を提出していないのだから前の契約のままだと言うことに対する反論は難しいことになるでしょう。

また当然、移動はタダでは出来ない訳で、幾ばくかの移動費用が掛りますから、そんな状態では積極的に移動するという人は少なくなることが予想されます。

そうなると、古いテナントが抜けた場所に、新しいテナントを入れるしかなくなってしまいます。それでは、総入れ替えと言うには程遠いことになります。

組合のまちづくりの理念ともかけ離れた結果にしかならないでしょう。

でも、これは例え話ですから現実にはこんな心配は無用のことでしょうね。


■2010-12-05-Sunday 千葉

3日の大嵐の中、

千葉市に行って来た。

4日の昼から行われる大学の後輩の結婚式に出席する為である。昼からの結婚式に出席するには前泊をしなければ間に合わないのだ。

かといって前日に行って、一人で千葉をブラら付いてもしょうがない。偶然、去年の今頃千葉大学の教授に呼ばれて講演したのが千葉市であり、泊まったホテルが今回の後輩の結婚式会場であったので、千葉大の教授に3日の夕方に千葉市に行く旨をメールで伝えたら、是非、勉強会と懇親会をやりましょうと誘ってくれたので幸いであった。

3日は帯広も朝から大荒れで、家を出る時には濃霧で途中から大雨と強風になってきた。帯広空港を50分ほど遅れて出発し、羽田でも10分ほど遅れた。空港のテレビで新幹線も強風で止まっているという。15:30に千葉市のホテルのロビーで待ち合わせしているので、昼食を取らずにまっすぐに千葉市に向かい無事時間前に到着した。

千葉市は風は強かったが気温は24℃もあって、冬支度で出かけた私はホテルのフロントに到着した時には汗だくであった。

16:00〜18:00まで千葉市のNPOの方々とまちづくりの勉強会をして18:00〜21:00まで場所を替えて天ぷら屋さんで懇親会をした。一人で夕食を取ることほど寂しいことはないから、こういう懇親会は大歓迎だ。

21:30にホテルの部屋に戻ったら、後輩(明日の新郎)から電話が入って一緒に飲みましょうという。後輩といっても1年後輩だから52歳で、しかも初婚である。彼は一生結婚しないものだと思っていたから・・・。

再び、市内の居酒屋で新婦と新郎と一緒に三人で飲み始めた。

新郎から明日の披露宴でマジックを演じて欲しいという依頼があったが、北海道から大きな道具を持って行く訳にもいかないので誰か別の人に頼んでくれと言ったのだ。何せ、大学のマジッククラブのメンバーが15名も出席するというのだから・・・。

だが、他のメンバーは卒業してからはマジックはほとんどやっていないというのだ。

何を演じようかと新郎に聞いたら、師のジミー忍の13回忌で私が演じたロープのマジックが良いと言う。

私は「ロープマジックは、ハサミでロープを切ったり、元に戻したりを連続する演目だから結婚式には合わない演目だから他のものを」と言ったのだが、新郎がどうしてもというリクエストをする。

「ハサミは飛行機に持ち込めないからダメだ」と再度断ったのだがハサミは用意するからやってくれとせがむので渋々承諾したのだ。

この居酒屋に着くなり、いきなり新郎がハサミを2丁差し出す、刃が長いのと短いのの2丁だ。

この日、新婦に初めてお会いしたので、その旨を伝えたら、「私も見たいし気にしないからやって欲しい」というので新郎新婦が良いと言うならと演じることにしたのである。

テレビを見たら、東北新幹線の開通式の模様が映っていたが、お祝い事に「テープカット」というのもあるからまぁいいか。

この日は、この居酒屋の後ホテルに戻ろうと私が言ったのに、もう一軒馴染みの寿司屋に付き合って欲しいと言う。結局12時まで飲み続けてしまった。明日の結婚式は大丈夫なのだろうか?

4日は13:30から披露宴が始まる。続々と同窓生が集まって来た。100名ほどの本州にしたら大きな祝宴だ。宴もたけなわになり、私のマジックの出番である。私がロープとハサミを持って登壇したら、私の席の先輩と同輩の顔色が変わってきた。かなり慌てている。事情を知らないから、私がトンデモナイ非常識な男だと思ったのだろう。

終演後「ロープマジックは結婚式ではご法度だぞ」と真っ青な顔で私に言うのだ。事情を説明したが、新郎新婦は承知していても親族や出席者はその事情を知らないのだから説明しなきゃ、と言うのだ。そう言われればその通りだなぁと思ったが後の祭りである。

2次会で説明することにしたが、その場にはそんなことを気にする人も知っている人もいない。

あっちゃ〜、これで新郎新婦の関係者には顰蹙をかったかなぁ〜。演じる前に説明すれば良かったなぁ〜。

2次会の後、3次会、4次会まで付き合った。ホテルに到着したのは12時過ぎ、昼の13:30の乾杯から延々と11時間も酒を飲み続けるのも結構きついものだ。

5日は、以前に講演した館山青年会議所のメンバーと一緒に館山カントリークラブでゴルフだ。ホテルに6:20に迎えに来てくれる。朝から晴天で無風の絶好のゴルフ日和である。

初めてプレーするコースであるが、景色も素晴らしい。久し振りのゴルフであったが中39・東42で回わり大満足である。

帰りは羽田まで車で送ってもらい帯広に戻ってきた。内容の濃い3日間であった。


■2010-12-06-Monday 不動産業

不動産賃貸業に携わる者として憂えていることがある。

どうも最近は俄(にわ)か家主さんが、法律を適当に解釈して、借主の店子に対して不当な要求をしているケースが見受けられる。

例えば、退居する際の「原状回復費」の扱いである。

原状回復費とは、借主側が借りる前の状態に復して家主に返還する時に掛る工事費用のことであるが、法律では、畳や壁紙など、経年の通常使用で汚れた場合は、家主の負担で直すべきものという解釈が一般的である。

借主は畳や壁紙などを新品に張り替えて家主に返還する必要はないということである。つまり、通常の状態で使用(著しく特殊な使用法でなければ)していれば、汚れるのは当たり前なのだから、その分の費用はあらかじめ家賃に含まれているという解釈である。

畳や壁紙ですらこうなのだから、建物本体の傷みは、当然、家主が負担して改修しなければならない。貸す家は家主にとっては、言わば商品なのだから、その商品を常に良好な状態にしておくことが家主の責務であるからだ。

ただし、あらかじめ契約する際に、貸主、借主双方が納得の上で、例えば「建物がボロいからその分家賃を安くしておくから我慢してね」などの了承があれば別であるが。

トンデモナイ家主の中には、契約書に書かれていないことを請求する輩がいるという。

例えば、契約を済ませた直後に、建物が古いので修繕する必要があるから家賃と別に修繕費を負担して欲しいなどと言い出すことだ。直後というところがミソだ。そういう不備な事があらかじめ分かっているなら、契約する前にしっかりと借主に告知するべきだし、そもそも、この請求は前述した通り、家主の負担が基本であるから、家賃で賄うべきものである。借主に負担させるものではない。

契約をしてしまって、借主がもはや、どこにも行けないことを見越して、その直後に不当な要求をするのは犯罪行為に近い。

借主側は法律に疎(うと)い方が多い。その無知を利用して、自らの利益を確保することは倫理上あってはならない行為だ。家主として恥ずべき行為なのである。

ましてや、それが、公的な補助金を受けて行われた事業なら尚更のことである。事業の私物化は許されない。


■2010-12-07-Tuesday 十勝の政治

鈴木宗男氏が6日に収監された。

帯広市のY社からのあっせん収賄容疑で逮捕されてから8年以上が経っての収監である。

収監直前まで、地元で講演会をして無実を訴えるなど強気の構えを見せていたが・・・。

懲役2年、追徴金1100万円の実刑が確定しているが、捜査段階や公判中に拘留されていた日数の220日が差し引かれるから、実際の収監期間は1年5ヶ月程度との報道だ。

しかし、刑期を終えて出てきた後5年間は公民権が停止されるから、最長で6年半は選挙に立てない。鈴木氏は現在62歳だから68歳まで選挙に立候補できないのは痛手だろう。

同じ、足寄町出身の現衆院議員の石川知裕議員も小沢一郎議員がらみの政治資金規正法違反で公判中の身だ。石川氏は民主党を離党して現在は無所属だが、公判が終了すれば民主党に復帰するだろう。

中川昭一氏は昨年の衆院選で敗北した後に急逝してしまった。

民主党の菅内閣も評判がかなり悪いから、いつ倒れるか判らない。今の内から時期の衆院選挙の準備を始めなければならないのだろうが、こんな状態だから、自民党も民主党も候補者選びが難しいのだろう。

先日の新聞記事によると、故中川昭一氏の未亡人(この言い方はあまり好きではないが)の中川郁子(51)さんが次期衆院選の立候補に前向きの発言をしたとかという記事も出ていた。

家庭の主婦だった、言わば素人の人を国政の場に引っ張り出すのは弔い合戦という意味合いなのだろうが、果たしてそれでいいのだろうか?

郁子さんは美人だし、人柄も良いから票を獲得し易いだろうが、それだけで政治ができるわけではないだろう。まだ若い息子に継承させるまでのワンポイントリリーフのつもりなら、尚の事世間をバカにしている。そんな政治の世襲は好ましくない。

後援会内の既得権益みたいなものを中川家の身内に継承させることで、得をする誰かが決めたことだろうが、これでは十勝の政治、いや日本の政治は良くはならないだろう。

有権者がもっと真剣に十勝の将来のことを考えなければ、十勝はますます落ち込んでしまう。

誰か適任者はいないのかねぇ〜。


■2010-12-08-Wednesday 新聞記事から

ウィキリークスの創設者のアサンジ氏が

イギリスで逮捕された。スウェーデン国内での知人女性に対する性的行為を強要した容疑でだという。

これは誰が見ても、完全に別件逮捕だろう。各国政府が結託して何とかウィキリークスを止めさせたいのだろう。

確かに、これだけ暴露されたら国際政治がやりにくいことこの上ないだろう。しかし、だからといって別件逮捕というのも気に入らない。もし、これがデッチ上げの犯罪だったら許されない行為だ。

北朝鮮では、韓国の映画やテレビドラマを見た罪で1200人が教化所に収監されたという。

アサジン氏の逮捕は、この北朝鮮の収監と五十歩百歩であると思う。

菅内閣は社民党とまたくっ付くらしい。止めておけば良いと思うのだが・・・、また社民党(と言うよりも福島党首)に気を使って政策が迷走しかねない。

2009年に実施した国際学力調査の結果が出た。3年毎に実施しているようだが、前々回の03年、前回の06年と順位を下げて日本の学力低下が話題になったが、今回はやや持ち直したようだ。

これには1998年から始まった「ゆとり教育」が大きな原因だとの指摘もある。私もその通りだと思う。「詰め込み教育」は可哀想だとのことから始まったゆとり教育だが、子供の脳みそは柔軟だ。詰め込める時に詰め込まなければ、歳を取ってからでは詰め込みたくても詰め込めないと思う。

日本の文部省は極端から極端にブレ過ぎる。

詰め込みは全てダメとか、ゆとりと称してテキトウな授業をするとか・・・。社会実験ではなく、もう少し子供の人生を考えてあげて、適度な学習をしてもらいたいものだ。

2011年度の子ども手当の「上積み」で議論が迷走しているようだ。

政府は3歳未満の子どもを持つ世帯に限り支給額を現行の月1万3千円に7千円を上積みして月額2万円を支給することで一旦合意したようだが、財源がないから3〜4千円程度に圧縮してはどうかという案が浮上したとのこと。

子ども手当は、明らかな失敗であると思う。こんなバラマキ政策は即刻廃止してしまえば良いのだ。

3歳未満を上積みするというが、子どもを育てた経験からすると(と言っても今流行りのイクメンには遠く及ばないが)0〜3歳は一番お金が掛からない世代だ。むしろお金が掛かるのは保育所・幼稚園から上の世代での学費に掛かるのだ。

まったく意味不明の政策だと思う。

この財源を確保する為に、チョコチョコと他の税制をいじくれば、ますます税制全体が歪になってしまう。

ここは、変な手直しよりも、抜本的に見直すべき時だろう。

高齢者もすごい勢いで増えているから、年金、医療費など問題は山積している。もう待ったなしの状況だと思うのだが。

またぞろ、政治の世界では「大連立」構想が出始めてきたようだ。大連立は国民を愚弄している。大連立をするなら、それを掲げて、選挙で国民の支持を仰ぐことが必要だろう。

その場しのぎにオカシナことはやってもらいたくない。

楽天の岩隈投手の大リーグ入りがご破算になった。アスレチックスとの交渉が不調に終わったとのこと。噂ではアスレチックスは最初から獲得するつもりがないのに、ライバル球団に岩隈が入ることを阻止する狙いがあったのではないかとのこと。

ポスティングシステムでの移籍交渉だから、楽天球団に入るはずだった16億円がパーになってしまった。恐らく楽天はその金を当てにして、金の掛かる星野を監督にしたのだろうし、岩村を獲得したのだろうが、この金が一銭も入ってこないとなると目論見が大きく外れてしまうだろう。野村監督でさえ金が掛かると追い出したケチなオーナーが、もっと金の掛かる星野を監督にした裏にはこの金の存在が大きかったろうに。

世の中、目論見通りにはなかなかいかないものだ。


■2010-12-09-Thursday マイヒストリー36

話を2002年に戻そう。

十勝環境ラボラトリー(TKL)の事業から発生した北の屋台であるから、私はTKLの専務としても同時進行でTKLの仕事もしていかなければならない。

2002年のTKLの主な事業として、まず「国際環境大学公開講座」は、1月:伊藤公一(千葉商科大学教授)・2月:延藤安弘(千葉大学教授)・3月:斎藤聖美(ジェイ・ボンド代表)・4月:寮美千子(作家)・5月山本哲士(信州大学教授)・6月:橋爪紳也(大阪市立大学助教授)・7月:落合仁司(同志社大学教授)・10月:海老澤栄一(神奈川大学教授)・10月(11月分):竹野豊子(フードコンサルタント)・12月:中沢孝夫(兵庫県立大学教授)(肩書は当時)を開催した。北の屋台の講演や視察対応などで忙しくて8・9月の2ヶ月は開催できなかったのである。

2月には2001年2月に来ていただいたガブリエーレ・メネガッティ駐日イタリア特命全権大使と懇意にされているオーストラリアのジョン・マッカーシー駐日オーストラリア特命全権大使が北の屋台を訪れて下さった。イオングループのOGビーフの宣伝でテレビにも映っていた方だ。

2月には「食文化環境プロジェクト」として、料理の鉄人という人気番組にも出演されたメキシコ料理のシェフ渡辺庸生さんを招いて、十勝の食材を使った料理教室と家庭の主婦から応募してもらったレシピの審査会を開催した。

十勝毎毎日新聞紙上で毎週土曜日に掲載している「新聞紙上セミナー」は休まずに毎週連載を続けた。

北の屋台としても、2002年は、屋台のパフォーマンス部門(屋台には、飲食・物販・パフォーマンスの3部門がある)の充実を図る年であったので、大阪のチンドン屋さんで日本一になった「チンドン通信社東西屋」から5名の精鋭を7月13・14日に派遣してもらい、十勝親子劇場と共同で、子供たち約100名 とチンドン屋が帯広の街中を歩き回るパフォーマンスを行った。これがとても好評であった。私が幼少の頃には、パチンコ屋の宣伝はほとんどがチンドン屋だった。面白がってチンドン屋の後を付いて回ると、親から引き戻されることを何度も経験していたので、積年の思いを実現させたのである。道路をパフォーマンスに使うことを市民が認識してくれたらとの思いもあった。私と同じ年代の人達もチンドン屋さんには同様の感慨を持っていたようで、親子で楽しめるなかなか面白い企画になった。

8月になって旧知のマジシャン仲間から、帯広で大道芸をやれる場所を確保して欲しいとの連絡が入った。色々あたったが道路で演じるのは警察が許可してくれない。8月14・15・16日の平原まつりの歩行者天国なら可能かもしれないと、事務局にお願いに行き、坂本ビル前で演じる許可をもらった。

前日の夜に、そのマジシャンと大道芸人の「クリスピークリス&キャプテンケーボー(現ファニーボーンズ)」の2人組と女性マネージャーの4人が帯広に入ってきた。5人で酒を飲みながら芸能談議に花が咲いた。私もかつてはプロマジシャンになることを夢見ていた人間であるから、芸人の気持ちが良く理解できるのだ。すっかり意気投合した。

翌日からの3日間は受けに受けた。しばらく平原まつりはマンネリ化が言われていたが、大道芸が新風をそそぎ込んだのである。彼らも帯広を気に入ってくれて「来年は仲間を誘って帯広に来る」と約束してくれた。これが今日の「北の大地de大道芸フェスティバル」へと発展していくのである。

更に、8月28日には、有名マジシャンを集めて、北の屋台1周年の記念事業としてマジックショーを開催した。市民ホールで大掛かりなステージマジックを演じた後で北の屋台にマジシャンが来て、客相手にテーブルマジックを演じたのである。これも大好評であった。昔の繋がりが思わぬところで効果を発揮して、2002年のパフォーマンス部門の充実は達成された。

11月11日には北海道の「北のまちづくり賞」の最高賞の知事賞を受賞して更に勢いが増していった。(つづく)


■2010-12-10-Friday 全日空スカイクラブ

全日空スカイクラブの会合に招かれた。

9日、18:30から北海道ホテルで開催されたが、27年程も前からダブルトラッキングを目指して活動してきた方々の集まりである。

出席者は全日空・AIR DO・商工会議所・空港・観光関連業者・メディアなど32名であった。

来年3月27日にAIR DOが帯広ー羽田便を就航するが、AIR DOは現在、全日空の子会社なので、ほぼその目的を達成したということだ。

この会はゴルフを通しての親睦会ということであるが、拓殖バスの中木社長さんから参加して「AIR DOとかちHappyマラソン大会」の件を報告するように言われたのである。

ゴルフはもとより大好きであるから、会に参加するのは是非もないが、マラソン大会の件はまだ詳細が固まっていないし、正式には今月22日にようやく実行委員会の立ち上げが出来る予定なので、一寸躊躇したのだが、皆、関係者ばかりなので、駅前のとかちプラザを発着に予定している市街地を走るコースの説明と10月30日(日)の開催日時、マラソン終了後のパーティでの盛り上げなどの概要を報告した。

皆さん、とても喜んでくれて協力も申し出てくれた。また一歩前進できたように感じる。


■2010-12-11-Saturday W杯

スピードスケートのW杯を見に

去年完成した帯広の森の明治北海道十勝オーバルに行ってきた。

まだ、この施設の中に入って見た事がなかった(10月31日にマラソンコースを自転車で回った時に外側は見たが)し、招待券を頂いたので行く事にしたのである。

朝から細かい雪が降っている。昼からはミゾレ交じりになってきたので私の車のタイヤ交換をしがてら行くことにした。私の車は夏の間も、ゴルフに行く時くらいしか運転しない。ましてや冬にはほとんど運転することがないのだが、何か緊急事態が起きた時には困るので毎年、タイヤの交換だけはしておくのだ(モッタイナイが)。

妻のクルマの荷台に私の車のタイヤを積み込んで2台でガソリンスタンドまで行き、タイヤ交換をしてもらっている間に昼食を食べに行く。寒いので鍋焼きうどんを食べることにして山賊うどんに行った。私が注文したのは「名古屋味噌煮込みうどん」である。

最近は熱いものを食べたり、辛いものを食べたりしたら、頭のてっぺんから汗が吹き出る。この日もすごい量の汗が吹き出てきて、タオル地のハンカチがビチョビチョになった。

食べ終わってから会場に向かう。駐車場はかなり離れた場所で700メートルほど歩いたろうか。

会場に入ったら13:40頃であった。

会場は何という中途半端な施設なのだろう。一周400メートルのリンクの中央がテニスコートになっている。

スケートリンクの中にテニスコート?一体何の為に?

聞くところによると、この施設を造る時に、国の役人から「スケートリンクは既に一杯あるでしょう?スケートの為だけの施設には補助金は出せない。市民皆が使える施設にしなさい」との指示があったとか、無かったとか。アホじゃあるまいか。周りでスケートを滑っている中でテニスをする人なんているのか?

しかも観客席のスタンドは片面にしかない。それも7.8段くらいしかないのだ。観客数は700〜800人くらいかな。それでも一杯で座れない。観客に見せる施設というよりは練習の為の施設なのかなぁ。出入り口の真ん中で立って2レースほどを見たが、平面だから見ずらい。すぐに第6組で地元出身の高木美帆選手が走ったのを見てすぐに帰ることにした。ものの20分ぐらいの滞在時間であった。

せっかくお金を掛けて造った割には、中途半端で何とも可笑しな施設だなぁと感じた。


■2010-12-12-Sunday 路面凍結

11日に降ったミゾレが、

夕方に凍結してしまった。

W杯を見に行く頃だから午前11時頃からパラパラと降り始めた粉雪が、昼過ぎ頃からミゾレ混じりの雪になった。

この時期のミゾレだから、すぐに融けると思って、除雪もせずにそのままにしておいたら、夕方から冷え込んできて路面が凍結してしまったようだ。

除雪をして道路のアスファルト路面を表面に出しておけば、通常であれば、太陽の熱で路面がすっかり乾いてしまうのであるが、水分を含んだミゾレだから気温が高いのだろう。だからそのままでも自然に融けると思い込んで、除雪をせずにおいたのだ。

だが、この日は気温が低かったのか、全く融けずにアスファルトにへばり付くようにピッタリと凍りついてしまったのである。

こうなると厄介である。

スコップでも剥がれない。ノミかカンナのような鋭い刃でもなければ削れないように路面にへばり付いているのだ。

裏の家に住んでいる母が、毎晩夕食時に我が家に来るのだが、この通路がツルツルになってしまった。

年寄りに転ばれて骨折でもされたら大変だが、どうすることも出来ない。せいぜいが砂を撒く程度である。

ここ最近の異常気象で、冬に雨が降ることが多くなった。

冬の雨は困りものだ。降った翌朝に冷え込んだりしたら、路面はスケートリンク状と化す。歩くよりも滑っていく方が楽なくらいだ。

我が家の前の歩道は、車道までの間が急な坂になっているので非常に危険なのだ。ここで何度も転んでいる。だからいつもはすぐに除雪するのだ。

今回のミゾレは判断を誤ってしまった。後は太陽の熱で融けるのを待つしかない。ここ2,3日は用心して歩かなくてはならない。


■2010-12-13-Monday 愛犬

我が家の愛犬バニーの様子がおかしい。

バニーは黒のラブラドール・レトリバーのメス犬で、1996年に生まれたばかりの子犬を購入したから、既に14歳を過ぎている。

人間で言えば98歳(ドッグイヤーは7年ということなので)である。

バニーを買う数ヶ月前に購入した白ラブのオスのサニー君は去年5月20日に13歳で死んでしまった。

先週、バニーを散歩に連れ出したら、後ろ足をピョコタン、ピョコタンと引きずっている。すぐに動物病院に連れていったら、バニーもサニー同様に腰に異常が出ているという。

レントゲンやら血液検査やら薬やらで、万金が消えるが家族同様の存在だから高いと文句は言えない。

人間様よりも医療費は高くつくが、動物病院に動物を連れて来る人は、皆、文句も言わずに払っている。

獣医によると、腰の骨に異常が見られるが、もう年だから手術は出来ないという。

ステロイド剤を注射して薬を飲ませたら、また元の元気な状態に戻った。

症状は変わらないが、土曜日に薬が無くなったので、動物病院に電話したら、バニーは肝臓が悪いのでステロイド剤はあまり使いたくないとのこと。

しばらく様子を見て、また足を引きずるようになったら、また注射しましょう。それの連続しかないという。

サニーの時もそうだったが、ラブラドール・レトリバーは腰を痛めやすいのだとか。

サニーが死んだ時も、犬を飼った時から、先に死ぬのは判っていたのだが、13年間も一緒に暮らしていると、情が移って死なれたら悲しいものだ。

バニーの寿命も後僅かだろう。

せめて、子どもたちが帰ってくるクリスマスまではもってもらいたい。家族皆に囲まれた中で死んでくれた方が、バニーも良いと思う。


■2010-12-14-Tuesday

早朝5時に変な夢を見て目が覚めた。

仕切り直して眠る前にトイレに行ったら、外が明るい。これは雪が降っているなとカーテンを開けたら案の定雪が積もっていた。

眠り直したら寝坊して除雪をする時間があまり無い。それでも除雪しなければ後々大変なことになるから大急ぎで、とりあえず人が一人歩ける幅だけ除雪した。15〜6センチは積もっているだろうか。

今朝は気温が高いのか、水分を多く含んでいて雪が重い。途中から雪が雨に変わり始めた。

雪を押して除雪するラッセルでやるのだが、重いし、下が先日の雪で凍っていて足が滑ってやりにくい。

やはり、毎回、毎回、降る度に除雪しておかなければいけないものだ。

先日のサボリがこんなところで響いてくる。

適当なところで終了して、一旦会社に出勤した。

昼頃から雨も上がって、気温も上昇してきた。道路はグチャグチャである。

天気予報では明日から急激に寒くなるとのこと。このままにしておけば凍って手が付けられなくなってしまう。

4時に帰宅して、残りの箇所を除雪した。重いの何の。腰が悲鳴を上げるが全部除雪し終えた。

広い庭や敷地のある自宅は、年を取ると大変だ。52歳でもこんなに辛いのなら・・・。

引越しを真剣に考えようかしら。


■2010-12-15-Wednesday 男の嫉妬

嫉妬(しっと)という字には、

女偏を使うが、男偏に替えた方がよいのではないだろうか。

男の嫉妬というのは実に性質が悪いものだ。

私が「楽しそうに仕事をしているのが気に喰わない」という御仁が居られるそうな。私の不徳の致すところかもしれない。

そりゃ〜仕事が全部楽しい訳はないさ。辛い仕事や、面白くない仕事もなかにはあるに決まっている。しかし、楽しそうに仕事をするのは、当たり前の事である。つまらなさそうに仕事をしたら周りの人のモチベーションが下がってしまうだろうからだ。

他人に自分の仕事を話す時だって、エンターテインメントに徹して楽しそうに伝えるのが勤めだと思っているのだ。

それが気に喰わないと言われても困ってしまうだけだ。

そういう、つまらない事を言う御仁というのは、器の小さな人間なのだろうなぁ。

私がしょっちゅう講演に出掛けたり、新聞などに載ったりするのも気に入らないらしい。

「坂本は講演で稼いでいるようだ」と言うが、交通費は実費だし、地方に行くときには前泊・後泊が必要なケースもある。90分間分の報酬で3日間ということだってザラなのだ。儲かるどころか、その分会社の仕事が疎かになり、移動で疲れるだけである。

知らない場所を見ることが出来て勉強になったとポジティヴに考えるようにしているだけだ。

どうやら他人の芝生は青いように見えるのだろう。

よく「他人を羨むより、妬まれる人間になれ」と言われてきたから、それはそれでよいことにしよう。

私は、公的な仕事をする時に、我田引水的な事はしたことがないし、自分の利益の為に行動したこともない(つもりだ)。

組織に所属していると、自分の意見とは異なる事項に多数決で決まることがある。ほとんどの場合は妥協をするのだが、自分の信念と大きく異なることにはどうしても妥協できない事態が生じる。だから、これまでに、多くの組織から脱退してきた。

それが、一匹狼的に見えるのだろう。

群れを頼んで、信念と異なることを遂行する気にはなれない。大人じゃ〜ないなぁと言ってしまえばそれまでだが、青臭いと言われても結構。信念を曲げてまで生きたくはない。

そんな私を面白くなく思う人が居るのも道理だろうと思う。しかし、私のやることにケチをつけるだけなら我慢もするが、何も・・・。

止めておこう。私もその人と同じ位置に下がってしまいそうだから。


■2010-12-16-Thursday 道庁の会議

15日は道庁の、

北海道総合開発委員会の会議で札幌に日帰り出張した。

13:30からの会議だから、帯広駅10:04発のスーパーおおぞら6号に乗っていけば札幌着が12:14、昼食を取って向かえば丁度良い時間である。

会議の場所は道庁北側のホテルである。途中まで地下を通っていけば、地上に出て歩くのは100メートル程度である。小雪がパラついていたが、この程度なら気にもならない。

2年前の平成20年度から始まった「北海道総合開発計画」の進捗状況確認の会議である。その2年前の平成18年から計画を練ってきて平成20年から始まったのだが、時代の進み方のスピードが速過ぎて早くも矛盾点が出てきたように感じる。

この間、リーマンショック不況やら政権交代やら予測も付かなかった事態が起こり、このままの計画で良いのだろうかという疑問が湧いてきたのだ。

自分の会社の計画なら、とうに変更している状態なのだが、行政だと、議会やら何やら面倒な手続きがあるから、こういう長期計画は簡単には直せないらしい。組織と言うのは良い様な悪い様な・・・。

ともかく会議は15:10に終了した。

いつもなら、せっかく3時間も掛けて札幌に来たのだから、このまま帰るのはモッタイナイと、札幌の商店街やら新しいショップやらを視察して回るのだが、この日は札幌に向かう列車の中で携帯に電話が入って、マラソン大会の件で早急に直接会って話がしたいことがあるからと、市役所の職員からの電話である。直接会って話すということで詳しいことは話さないのだ。

列車の中は電波の状態が悪いし、列車の音がウルサクテ聞き取りにくいから、もとより重大なことなら直接聞いた方が良いだろう。

帰りの切符は20:16帯広駅着のスーパーおおぞら11号を取ってあるが、会議終了後すぐにみどりの窓口に駆け込んで、15:50札幌発の9号に変更してもらい、18:15に帯広駅に到着した。

18:20に近くのホテルで待ち合わせたが、結局本人は、所用で来れずに代わりの人間が来て説明を受けた。

どんな話なのか、会議の間も列車に乗っている間も、あれこれ考えたのに・・・。

まだ、直接に本人から聞いていないから、また聞きの状況であるので、ここでは詳しいことは書かないが、、本人は今日(16日)は私と入れ替りで札幌に出張とのこと。まぁ、近い内に直接会って話を聞き直すことにしよう。


■2010-12-17-Friday ウ〜ン何だかなぁ〜

民主党政権がやってることは、

ますます訳が判らなくなってきた。

法人税5%削減?!

扶養控除を減らす?!

アホな!

法人税を5%下げてもらって嬉しいのは黒字を出してるごく一部の大企業だけだろう。

日本の企業の大部分を占める、我々のような赤字の零細企業や中小企業はもともとまともに法人税なんか払えていないから恩恵には無関係だ。

大企業の税金を5%下げて、雇用が増えるかねぇ〜。

大企業は、効率化して人手を省く方向に向いているのだから、税金が浮いた分を機械化に回すだろうと簡単に予測出来る。そうなれば雇用を増やすどころか減らす方向になるだろうことは明白だ。

5%分の浮いた金をどう使うかは企業任せだというんだから、お人好しというかアホというか・・・。

人を雇用した企業に恩恵を与えるような税制にしなければ意味がないだろうと思うのだが・・・。

一方で、子ども手当は何故だか止めない。民主党は意地になっているのだろうか?

子どもに一番お金が掛かるのは、高校・大学である。

その一番金の掛かる世代の、扶養控除額を減らすとは何を考えているのか?家計というものがまるで判っていないのだろう。

終戦直後に作った税制を、あれこれイジクリ回しながらやってきたが、もはや限界だろう。抜本的な税制改革が必要だろうと思う。

それに、どうも菅首相他、民主党は何をやるんでも、言ううんでも唐突だ。そんなことで変なリーダーシップをヒケラカサなくても良いから、キチンと協議してまともなことをシッカリ根回ししてからやってもらいたい。

マスコミ受けするように、総理の一存で決めたかのようにやっているが、まともなことならまだしも、こうメチャメチャで支離滅裂な一貫性のないことをやられたのでは、国民は堪らない。

サッサと辞任して民意を問うて欲しいものだ。だが、次の総理って誰がなるのだろう?まったく思い浮かばないなぁ〜。

まぁ、誰がなっても期待できないしなぁ〜


■2010-12-18-Saturday 宮本隆治講演会

朝起きると雪が20cm程も積もっていた。

今日は13:00から元NHKアナウンサーの宮本隆治さんの講演会が帯広駅南のホテル日航ノースランドで、北海道新聞社の主催で開催される。

11月の北海道新聞社の社告に載ってすぐに応募したのだ。人気があって300名定員のところ700名近い応募があったとのことである。

行く前に除雪をしておかなくてはならないと、9:30から自宅の周りを除雪し始めた。軽い雪で助かったが、除雪する端から雪がまた積もって行く。12:00までやり続けたが止む気配がないので、中止して歩いて会場に向かった。

自宅からホテルまでは通常なら7分程度の距離でしかない。しかし、途中には雪かきをしていない場所がたくさんあって、まことに歩きにくい。シャッターが閉まった店舗の前は除雪がしていないし、民家でも道路までは除雪をしない家がある。とかちプラザの歩道もまったく除雪がされていない。駅前のしかも市の建物なのだから、こういう歩道はサッサと除雪してもらいたいものだ。

宮本さんは昭和48年から3年間、帯広NHKでアナウンサーをしていた。初任地がこの帯広であったわけだ。私が丁度、高校生だった時期である。

その後、何年かしてから東京に戻り、紅白歌合戦やのど自慢など歌番組の司会を中心に活躍され、定年後(55歳?)、フリーアナウンサーとして活躍されている。現在60歳ということだが、見た目はとても若く見えて、とても60歳には見えない。

さすが、アナウンサーである。良く通る声、活舌も勿論良い。それに軽妙な話しっぷりである。

90分間がアッという間に終わったが、終わってみると、話の内容はあまり大した話ではなかった。あっちに飛び、こっちに飛びしてまとまりがなかったが、話し方が上手いせいだろう。スゥ〜ッと耳に心地良いのだ。

講演では、話の内容で惹き付けるか、声や容姿で惹き付けるかというところだが、宮本さんは声で惹き付けるタイプなのだろう。

他人の講演を聞くと、とても勉強になる。でも私にはあれだけ柔らかく話すことはできないなぁ〜と感じた。

15:00に自宅に戻り、積もった雪を除雪した。本当に良く降る年だこと。


■2010-12-19-Sunday 書き忘れ

この日のブログを書き忘れていた。


■2010-12-20-Monday マイヒストリー37

北の屋台を開業(2001年7月29日)してから

やたらと忙しくなり、家族サービスもできなくなった。

長女がフィギュアスケートを勉強する為に仙台の東北高校に入学していたが、正月には帰郷できないというので、2002年12月30日から家族が仙台の秋保温泉に行って正月を迎えることにした。正月を帯広以外の地で迎えるのは初めての経験である。

2003年1月2日に一旦、帯広に戻って新年の挨拶回りをしてから、今度は7〜9日まで次女と長男と妻を連れてディズニーランドに行ってきた。ディズニーシーに行くのはこれが初めてである。北海道の学校の冬休みが長いので、北海道人向けのツアーがあったからこれに参加したのだ。

北海点字図書館の後藤健市君が仲間たちと冬の畑の有効活用を目指して、雪で埋もれた畑の真ん中にビニールハウスのレストラン「スノー・フィールド・カフェ(SFC)」をオープンさせた。雪が積もらなければ畑の中に入れないし、雪が溶けたらまた入れなくなるから、12月末〜2月末頃までしか営業できない。保健所の許可を得るのに、北の屋台の経験を生かして欲しいとの要請でアイデアを出し、一緒に保健所にも通った。

後藤君からは、最初、雪の畑で遊ぶ為のスノーモービルを買ってくれないかとの要請があった。中古なら30万円程度で売っているから、それを買って貸して欲しいと言うのだ。一緒に見に行ったらもっと値段が高い上位機種のモノが良いとのことになったが、結局、何だかんだでこの話はご破算になり、現金で100万円出資して欲しいという方向に変わって行った。これが「地遊舎」という会社を設立することに繋がっていく(後で詳細を書くのでここでは書かない)。

北の屋台は街中であるから、上下水道・ガス・電気が設備されているので、飲食店の営業許可をもらって営業している。しかし、SFCは畑の真ん中だから、上下水道・ガスもないのだ。こちらの方がはるかに難しいのである。なかなか保健所もOKをくれないのだ。何度か後藤君と一緒に保健所に通う内に、スキー場のロッジのことを例にして、あそこは上下水道やガスの設備が無くてもカレーライスやラーメンを提供しているではないかと気が付いたのだ。保健所も検査をした場所の水をタンクで運び、排水はまた別なタンクで運ぶ等などの処置でようやくOKが出た。ここでも、なかなか面白い経験をさせてもらった。

2003年も視察や講演で忙しい。ほとんど毎週のようにどこかに出掛けていた。

K理事長が責任を持つからと、北の屋台の空いていた場所で2001年10月末から熊本県出身のS青年にやらせていた屋台は失敗してまた空き店舗になっていた。その後を、イベントなどに臨時に貸していたが、5月8日に「串のやっさん」が正式に開業し、ようやく20ブース全店舗が埋まったのであった。

しかし、この直後にK理事長(当時)の横領事件が発覚した2003年5月から北の屋台の倫理観がオカシクなってしまったと感じた。

2003年5月初旬に通常総会を開催し、K理事長を再任したばかりだったのに、その直後にこの横領事件が発覚したから、5月中旬に、再度総会を開催して、K理事長を専務理事に降格し、新理事長にS氏を選任した。このS氏は「理事長は引き受けるが、俺の名前は一切出すな!」と難しいことを言う。「新聞などに載る時には、どうしても北の起業広場協同組合S理事長という肩書で載ってしまう」と言ったら「それぐらいは仕方がないが、あまり自分の名前が表にでないように」と言うのだ。更に「Kがお金を盗んだのは給料が安いからだ。だから給料を増額してやれ」と言うのである。

仲間内の妙な倫理観で動けば、他の人たちに示しがつかなくなってしまう。しかし、理事会の決議は多数決で決められるから、私一人が反対しても通ってしまう。

一緒に働いている2名の女性事務員も書記としてこの理事会に出席していたが、この結論には呆れていた。専属の理事長としての仕事らしい仕事もしないで、昼間はどこかに出歩き、夜は夜で北の屋台で飲んだくれてタダ酒をせびっているだけである。それでも女子事務員の2倍以上の給料を取っていたのに、更に増額しろと言うのだ。ムチャクチャである。

こんな事をしたら、他の職員は真面目に働く意欲も失せてしまうだろうと思う。

だって、そりゃ〜そうだろう、どこの世界に悪事を働いたのに昇給するシステムがあるというのか。(つづく)


■2010-12-21-Tuesday マイヒストリー38

この2003年5月のK理事長(当時)の組合の金の着服事件以来、理事の関係がぎくしゃくしてきた。

「十勝環境ラボラトリー(TKL)」は、大学教授らが運営していた「文化科学高等研究院」の支援を受けて活動を開始したが、設立当時(1996年3月)に、教授らのリーダーである山本哲士信州大学教授(当時)が「この活動は6年間で一応の総括をして、継続か否かの決定をしよう」ということで始まった経緯があったので、この2003年がその6年目にあたっていた。

存続か解散かを決定する総括の会議で、S会長が「解散するのはモッタイナイ。せっかく北の屋台という事業が注目をされているのだから継続しよう」と発言し、その方向で一応4年間の継続をすることになったが、そんな時にTKLの主要メンバーであるT氏とS氏の会社が倒産してしまった。2人ともTKLには金銭的にも活動的にも随分と協力をしてくれていたメンバーである。

当時のTKLの活動は「北の屋台」を生み出したことで、忙しくなり過ぎていた。

同時に9つのプロジェクトを実施していたが、2人が抜けたことで、その実態は私と2人の女性事務局員とでほとんどを運営するに等しかったのである。会長以下副会長は医者と歯科医師だし、他のプロデューサーという立場にある人間も名ばかりで、ほとんど仕事らしい仕事をしていない状態なのだ。

結局、私の身体は一人分しかないので、TKLの活動は大幅に縮小せざるをえなくなったのだ。

ずっと継続してきた「国際環境大学公開講座」は2003年6月:相原正明(カメラマン)・9月:森沢典子(ジャーナリスト)の2回だけしか開催できず、その後は2005年6月に再び相原正明さんを迎えて通算80回で終了となってしまった。

「新聞紙上セミナー」は掲載をし続け、3月末には2冊目となる「まちづくり・ひとづくり提言集VOL2」を発刊したが、TKLとしての活動はこれでほぼ終わったなぁと感じた。

そんな時期に、先に書いた「スノー・フィールド・カフェ(SFC)」を仲間と運営していた後藤健市くんから、TKLで中心的に活動していたメンバーに、会社を作って運営して欲しいという協力要請があった。それで作った会社が「地遊舎」なのである。

私は父の遺言で「仲間内で一緒に会社をやってはいけない」ときつく言われていたこともあって、当初は100万円だけ出資する株主として参加すると言っていたのだが、アイデアを出して欲しいとの要請で会議に参加している内に、結局役員として参加する羽目になってしまった。後から考えるとやはりこれが大間違いの基であった。

父からは「仲間内でやる会社に(役員として)参加すると、責任の所在がハッキリしないから、経営的に最初は成功しても、やがてダメになってしまうし、失敗したらしたで責任のなすり合いになるから、そういうものに参加してはいけない。どうしてもやらなければならないなら自分が社長としてしっかり責任が取れる体制でやれ」と言われていたのである。まさにその通りになってしまったのだ。

当初、「地遊舎」は「冬の期間(12月〜3月)だけSFCの運営」をする会社であったのだ。

SFCのシェフを担当していたW氏は「オーベルジュ・コムニ」のシェフとして十勝に来ていたが、夏期間だけの季節契約であった。だから仕事の無い冬季間にSFCで働くことは彼に取っても良い仕事であった。

2003年にオーベルジュ・コムニのオーナーが代わった。その新オーナーから「オーベルジュ・コムニの運営を全部やってくれないか?」との要請が地遊舎にあったのである。

地遊舎のメンバー全員が「ホテル業」の経験がない。かなり難しい仕事であることが予想されたが、自ら進んで社長に就任したT医師が「このオーベルジュ・コムニで会社を潰してしまったTとSに働いてもらって救済しようではないか」と言い出したのだ。TもSもホテル業とは無縁の職業であったのに・・・。(つづく)


■2010-12-22-Wednesday 7千冊の

2007年3月末日で北の屋台を卒業して以来

マジックの蔵書の整理及び収集を続けている。

整理を始めた時点での蔵書数はおよそ5千冊であったが、ネットオークションやら古書店などで買い集め、この12月22日で新たに買った蔵書数が2千冊を越えた。

これで合計が7千冊以上ということになる。

さすがに、最近はネットオークションで「奇術」「手品」「マジック」などを開いてみても、既に所有している本ばかりになってしまい。ペースがガクンと落ちてきた。

そこで、マジック以外にも「不思議」というキーワードにして、蔵書の幅を「魔法」「魔術」「魔女」「超能力」「超常現象」「予言」「宗教」「スピリチャル」「だまし」「詐欺」「忍者」「大道芸」「寄席」「演芸」「パズル」「錯視」「UFO」などにも広げだしたのだが、これが、また随分と多いのである。

またまたペースが上がってきた。こうなると保管場所が段々と狭くなってきた。

妻は「もういい加減にして!」というが、一旦始めるととことんまでいかないと途中で止められない性格なのだからしょうがない。

買った本は全部読んでいる訳ではなく、サァ〜ッと拾い読みをして面白そうなところはしっかり読むようにしているが、これがまた読み始めると面白いのだ。

もう少し暇になったら全部読破して、マジックを題材にした小説でも書きたいものだ。資料は完璧に揃っているから、後はやる気だけの問題なのである。


■2010-12-23-Thursday 最後の忠臣蔵

22日は昼から雪が降ってきた。

夕方の時点で15センチくらいの積雪になっているが、18:30〜勝毎アカデミーのマジック教室があるので、自宅の除雪をしに帰ることができない。

近くの蕎麦屋で定食を食べて、マジック教室に向かった。今回は正月用に大道芸の「南京玉すだれ」を教えている。

20:00に終了する予定であったが、生徒さんが早目に帰って除雪したいと言うので、19:45に終了して、妻に迎えに来るように電話したら、ちゃんと除雪をやっていたようだ。

今日は20:40から上映される映画「最後の忠臣蔵」を見たいと言う。明日から子ども達が自宅に戻って来るので、その前に2人で映画を見に行こうと言うのである。

映画は好きだから異存は無い。

雪が降っていてしかも夜だからか、観客は私たちを含めて8人しかいない。これで採算に合うのだろうか?経営不振で撤退なんてことにならないか心配である。

近年は邦画を見る機会が増えた。ひと頃よりも邦画が面白くなっている。

最初に「WB」のワーナーブラザーズのタイトルロールが出たので、アレッと思ったが、ワーナーが作った映画のようだ。

感想はなかなか良い映画であった。心理描写が豊であった。ホロリとさせたりジ〜ンとさせたりしてくれる。

監督は「北の国から」の杉田成道氏だ。だから、田中邦衛が唐突に出て来るのか!この人は誰を演じても青大将やゴロウさんにしか見えないところが妙な雰囲気を作り出す。

役所広司は、「十三人の刺客」にも出ていたが、少し出過ぎかもね。

妻が「大石内蔵助って現代ならトンデモナイ男だ」と憤っている。「自分だけ死ぬ前に散々遊び歩いて、もう遊び飽きたから、自分の名誉の為に討ち入りして、死んじゃって・・・。愛人との間に子どもを作って、部下に愛人と子どもを世話させようなんて・・・。嫁がせて使命を終えたら、好きな人に言い寄られても拒否して、自害するなんて・・・。こんな男は現代には居ない。」と言うのだ。ウ〜ンなるほどそういう見方もあるのか。

確かに、上司に愛人との子を預けられて、キチンと育てるなんて現代の男性には出来ないだろうなぁ〜。

「可音」役の女優の品のあるように感じさせる話し方というのは、ユックリとしゃべることなんんだなぁ〜と思ったが、でも戦場カメラマンは品があるようには見えないしなぁ〜。ユックリ話すだけではダメなのかなぁ〜。

いつも早口でしゃべっているから、これからはユックリ話すようにしようかな。

11:00に帰宅して積もった雪を1時間半掛けて除雪した。明日はまた大雪が降るらしい。雪はもう十分だ。


■2010-12-24-Friday 大雪

23日は朝から雪が降っている。

ものすごい降り方だ。これは相当積もりそうな気配である。

愛犬のバニーが散歩に連れて行けと濡れた鼻を私の顔に付けて起こそうとするが、昨晩の12時過ぎまで除雪していたから身体がまだ疲れている。それに除雪をしないとバニーのお腹がつかえて歩けないから外に連れ出せない。

子ども達が14:30頃に到着する飛行機の第二便で戻って来る予定だが、帯広空港は朝の第一便は雪の為に欠航になってしまった。

昨晩に通路一杯に除雪をしておいたのだが、既に30センチ以上も積もっている。この時期にこんなに降られてはたまったものではない。

昨晩の雪はサラサラと軽かったが、今朝の雪はドッシリと重く、しかも締まっていて重たい。

少し、ラッセル(雪を押して除雪する道具)で押しても30センチほども進んだ段階で固まってしまう。重た過ぎてラッセルで持ち上げる(持ち上げて捨てる道具ではないから)のは困難な作業だ。余計に腰に負担が掛かる。

とりあえず、人間一人が歩いていけるスペースを造ったが、この時期にこの幅のままにしておくと、もっと雪が降ったら、それこそ歩くスペースを造れなくなってしまうので、今の内に少しでも幅広く開けておきたいのだ。

ラッセルの幅は50センチくらいだから、一旦この幅で通路を確保した後に徐々に広げていくのである。

重たいから大変な作業だ。

我が家の玄関前、庭、車庫前、母の家の玄関前、歩道など開けなければならない長さを合計したら、100メートル以上にもなる。

昼前に一回除雪したが、16時に雪が降り止んだので再び除雪を始めた。昼からも15センチほども積もっている。雪の後半は雨交じりだったのか、今度の雪もやたらと重い。しかも捨てる場所が無くなってきた。

腰も悲鳴を上げている。

もうこれ以上の雪は不要だ。


■2010-12-25-Saturday 畜産大学

23日に帰宅する予定で

あった子供たちは大雪の為に、羽田ー帯広間の23日の全便が欠航となってしまい。またそれぞれの住まいに戻り、24日に改めて羽田空港に赴いて第二便で帰宅したのだった。

24日のニュース番組で、帯広畜産大学の不適切会計の問題で、教授1人が諭旨解雇、教員7人が減給、24人が訓告、厳重注意処分にしたと長沢秀行学長の会見の模様を流していた。

予算運用の妙手として、昔から「預け金」という資金をプールする手法は多く用いられていたのだろう。現行の法律では違法な行為であることは確かなことだろうが・・・。

大学教授の方々とは帯広畜産大学に限らず多くの方とお付き合いをさせてもらっているが、可哀相な面もある。

特に、国立大学から独立行政法人に移行した後は、国からの補助金は減らされ、皆さんかなり苦労しているようだ。

国の言い方からすれば、「企業並に自分の研究費は自分で稼げ」ということらしい。

「企業並みに」というなら会計の仕方も企業並みにしてくれなくては、単年度制で予算をその年度で使い切れというのでは、運営は難しいだろう。

罪作りな制度改革である。

大学とか研究機関とかが、その成果ですぐにお金になる訳ではないだろう。事業仕分けといい何だか実情を理解していない人が規則を作っているように感じる。

弾力的な資金運用を認めなければ同じ様なことはまた起こるだろう。国も中途半端な改革ではなく、大学の自主性で資金を運用できるようにしてあげる必要があると思う。


■2010-12-26-Sunday シュレック

帰宅した子ども達が、

24日土曜日にクリスマスのお祝いをしようと言う。

クリスマスといえば「鶏肉」という連想で、焼き鳥を食べたいということになり、母親を誘って5人で串焼きの店「たたら」に行った。

子ども達も全員成人したからお酒が飲めるようになったので、タクシー2台に分乗して街中の串焼き屋に出向いたのである。

我が家は、昔からバーッと行って、サッサーと食べて、パッと帰るのが常で、一軒のお店に長く陣取ることが苦手な家族なのだ。1時間以上居座ることはないから、お店に取っては有難い客であろう。

この晩も、1時間で終了した。

母親と妻と次女の3人を店の前からタクシーに乗せて帰宅させ、息子と2人で歩いて近くのスーパーマーケットに入った。風呂上がりに飲む飲み物を買って帰ろうというつもりなのだ。

スーパーで買い物を済ませて、息子と2人でスナックにでも飲みに行こうかと思ったら、妻からサッサと帰って来いとの電話である。

親父が成人した息子と酒を飲みたいと思っているのに・・・。

飲み足りないから自宅で焼酎を飲んで寝た。

翌26日は、子どもの美容院への送り届けと、母親と妻の買い物の荷物持ち兼運転手役である。

夕方に、映画を観に行こうということになった。私は「相棒」が観たいと言ったのだが、多数決で「シュレック」になってしまった。前作を観ていないから、この回だけ観ても・・・と言ったのだが・・・。

夕食は「お寿司」を食べたいという子どものリクエストに応えて「なごやか亭」に行った。最近はお寿司といったらもっぱら回転寿司屋ばかりである。

16:00過ぎの早い時間帯に行ったのだが、さすがに混んでいた。カウンターに4人で座って食べ始めた。一通り握り寿司を食べた後、混んでいる為か、注文した巻物がなかなか出てこない。私はのんびりと時間を掛けて食べることが出来ない性分なのだ。最後に巻物を食べてから、いつものソフトクリームで締めようと思っていたのだが・・・。

握り寿司を食べ終えた後に10分ほども時間が過ぎても巻物が出てこないから、忘れているのかと思い再度、確認したのだが、「遅くて申し訳ありません」と言う。巻物は、裏で機械で巻いているのだろうと思うのだが、全然出て来ないので、映画の時間も迫っていることだし、巻物の注文をキャンセルしてソフトクリームを食べて店を出た。

寿司の代金と映画の代金を賭けて、妻とジャンケンしたが、両方とも私が負けてしまった。このところ連敗している。

シュレックは、なかなか面白い映画だった。登場人物(?)が、皆、私の体型に似ているからだと妻も子どもたちも言う。

いやいや、私には主題が面白かったのだ。研究している「魔術」「欺まし」の要素がふんだんに盛り込まれていたからだ。

詐欺師的なモノ言いの恐ろしさが良く描かれている作品だ。

吹き替え版で観たのだが、それにしても藤原紀香のアテレコの下手さはあまりにもヒドイ。声優の中で、このアテレコだけがシックリいっていなかった。

もう少し声優を選べよ!


■2010-12-27-Monday テレビ番組

朝起きると妻がテレビを点ける。

私はベッドの中で耳でだけ聞いているが、最近の番組の内容は聞くにも堪えない代物である(見る気にもならない)。

やれ、海老蔵が殴られただの、麻木久仁子が不倫しただのどうでも良い話ではないか?

別段誰が酒を飲んで怪我しようが、結婚しようが離婚しようが、そんなクダラナイ話題を何日も何日も飽きずによくやっているよなぁ〜と感心すらしてしまう。

こんな放送を続けているということは、こんな番組でも視聴率が取れるということなのだろう。つまりは視聴者である日本人の程度が低いということだ。

夜の番組も、どこの局も、同じ顔ぶれのお笑い芸人ばかりが、くだらないお遊びを見せているばかりだし、過去に放送した視聴者からの投稿ビデオや、過去の番組の焼き直しばかり。経費不足なのだろうが、こんな時にこそ有意義な、特徴ある番組を造るべきだろう。一斉に横並びしてどこの局なのか特徴もない。

日本のテレビ業界は堕落の極みに達しているのではないか。

27日の夜に、TBS系列(北海道ではHBC)で2日連続4時間半で「JIN−仁」という、現代の医者が江戸時代にタイムスリップする番組の再放送をやっていた。

私は第一話を見逃し、第二話から見たので、最初の部分だけ見ることにした。

ドラマのTBSと言われたことのある局で、しかもかつては「東芝日曜劇場」という日曜日の9時台のドラマであった枠で、そこから「東芝」という冠が消えてしまった番組である。

スポンサーも一社で提供することが難しくなってきたのだろう。東芝は同じ日曜日の6時半からフジテレビ系列(北海道ではUHB)のサザエさんも一社で提供していたのに・・・。

この「JIN−仁」という番組も面白くて、ずっと見続けたが、最後にアザトイ終わり方をしたので、一気に冷めてしまった思いがある。

人気があったら、続編を造りたくなるのだろうが・・・。

今回の再放送も4月からの続編放送の為の宣伝的な要素もあるのだろうし、前作からあんまり時間を空けてしまえば、話の内容が判らなくなってしまうからだろうが・・・。

もっと良質な番組を造らなくては、地デジになって、やたら局数ばかりが増えているが、どこもツマラナイ番組ばかりだから、やがて潰れる局も出てくるだろう。

私が最近一番点けている(しっかり観ている訳ではないが)局はTVHである。さすが、後発で始まった局だし、日経新聞が関係しているからだろう、経済面での興味のある番組が多い。

これから、年末年始のテレビ番組は、もっとツマラナクなってしまうだろう。映画を観にいくか、DVDでも借りてくることにしよう。


■2010-12-28-Tuesday 師走

今年も後3日で終わる。

何だか、今年は年末に忙しくて走り回っているが、外の道路は雪が凍ってツルツルで歩くのもしんどい状態だ。

街の中でさえ、除雪をしていない歩道が多い。シャッターが降りている店や空き地の前は除雪がされていない。そこの積もった雪の上を何人かが歩くので踏み固められたところが凍って歩けるような状態ではないのだ。私はまだ転んではいないが、転びそうになったことは数回ある。

この道では老人はおっかなくて歩けないだろう。

ロードヒーティングは南北の歩道には施工されているが、東西の歩道には施されていないから、歩いての移動にはあまり意味を成さない。商店街は面として動き回れなければ、直線だけでは意味がないのだ。

これというのも、施工に際してもイニシャルコストの負担金を払い、尚且つ維持費や補修費や更には、電気代・ガス代などのランニングコストが掛かるからだ。

歯抜け状態になっている商店会は、造ることは出来ても、維持できていないところも出てくる。

電気がまとも通っていなければ、所々しか解けていなくてロードヒーティングの意味を成さない歩道もある。

駐車場の出入り口も除雪がされておらず、車のタイヤが磨いていくから他の歩道よりもツルツル状態になっている。

コンビニの前も自分の敷地内の駐車場は除雪してあるのに、歩道はホッタラカシである。

何だか、商店街が皆して冬は客に来るな!とでも言っているかのようだ。

せめて自分の店の前や、駐車場の前ぐらい除雪をしろよと言いたい。これでは、走り回ることなんてできない師走である。


■2010-12-29-Wednesday いよいよ

いよいよ今年も終わりが近づいてきた。

家族で一人だけ戻っていなかった長女が14:30着の飛行機で戻って来る。

妻が一人で迎えに行く予定であったが、身体の具合が悪いというので私が運転して妻が助手席に乗って迎えに行った。

空港の前は迎えの車で大混雑だ。私がクルマに残り、妻が出口まで行った。車を駐車するスペースが無いほど混んでいるのだ。

運良くタクシー降車場の手前に停まっていたクルマが移動したのでそこにスンナリ停めることが出来た。

皆が続々と降りて来て迎えの車に乗り込むが、妻と娘はなかなか出て来ない。

私は待っている間にパソコンを操作していたら、私の後ろのスペースに強引に割り込んで駐車して来た車が、今度は出ようとして、私の車にクラクションを鳴らす。前側に強引に出るよりも後側に少し下がれば、入れたんだから出られるだろうに・・・。

強面のオッちゃんが車から降りて来て私の車の窓をコツコツと叩く。私はパソコンを助手席に置いて、前の車にぶつからないようにギリギリまで前に出てあげた。礼も言わずにオッちゃんが自分の車に乗り込んで移動させようとしたら、右横に二重駐車で別の車が停まって出られなくなった。オッちゃんが、怒ってまたクラクションを鳴らす。少し待てばすぐに除けるのに・・・。余裕が無いオッちゃんである。

だいぶ時間が経ってから妻と娘が車の前に来た。知り合いの人出会って話し込んで遅くなったという。女はこれだから・・・。

自宅に戻り新聞の夕刊を見たら「創家(つくりや)」で食中毒が起きたという記事が出ていた。記事には「北の屋台」とは出ていなかったが、店名がハッキリ書かれていたから、北の屋台の一軒だとすぐに判ってしまうだろう。

食中毒は真夏の暑い時という認識が強いのだが、意外とこの冬の時期にも多いから注意が必要なのだ。

北の屋台を始める時には、屋台は非衛生的だというイメージが一般にあるからこそ、そういうイメージを絶対に北の屋台には抱かせてはいけないと、私が関係していた時には食中毒には細心の注意を払っていたのだが・・・。

9年目になって少し気が緩んできたのだろうか?

これを契機に二度と食中毒は起こさないように各屋台の店主には気を付けて欲しいと思う。

安全で安心な屋台というのが売り物なのだから。


■2010-12-30-Thursday 読売新聞風向計

2010年12月30日読売新聞北海道版「風向計」掲載

「脱・途上国型」将来像を

「長期ビジョン」って何なのだろう?

5年先の在り様か?それとも10年先?50年先?100年先?

未来のことを考えるのに、「予想」「予測」もあれば「予言」もあるが、超能力者でもない限り常人に「予言」は不可能だ。

「予測」の仕方にもいくつかの方法があろう。近い先の「予測」から徐々に積み上げていく方式では、事件やら天災やらの突発事態が起きたり、画期的な発明がなされたら、予測と結果に大きな乖離が生じる恐れがある。何が起こるか判らないから、この方式の予測はあまり当たらない。

遠い100年先の理想的な社会の在り様を、想像力を駆使して想定し、その理想を現実化するために、80年先はここまで、60年先はここまで、40年先、20年先、10年先と、逆方向に達成しなければならない目標をクリアしていく手法というのは取れないものか?

では、100年先の未来を考えるにあたって、人は何を目的にするのだろう?それは間違いなく「幸福」だろう。誰だって不幸になりたいと思う人はいないはずだからだ。だが、どうも最近のリーダーと言われる人たちの目的って何なのかが、よく分からない。その場その場で目的がブレまくっているようにしか見えないからだ。

「日本は資源と国土の少ない国だから、資源を外国から輸入し、それを加工して製品にして輸出し、貿易で国を成り立たせる」と言う人が多いが、本当にそうなのだろうか?

明治維新からの100年はそれで良かったかもしれない。しかし、それは低賃金で働ける国民が大勢いる発展途上国型のモデルではないか。現在、中国やインドを始めとする発展途上にある国々がこのモデルで日本に追随している。

日本のメーカーは、負けまいと製品を安くするために、工場を機械化してこれに対抗しているが、この方法の行く着く先は、人間の不幸でしかないのではないか。

機械に職を奪われ、解雇される人間。無人の工場は黙々と製品を作り続けるが、低賃金労働者が作る国の製品に値段では敵わない。ますます効率化、機械化を進めるものの対抗しきれずに海外に拠点を移す。やがてこの国に働く人間はいなくなる。職を失った人の生活を守るために社会保障費を増大させるが、人口も税収も減る一方・・・・。こんな予想は当たってほしくない。

日本は一刻も早く、100年後の未来に向けて、新しい価値観で作る将来像を構築しなければならないと思う。いつまでも過去の成功体験に寄りかかってはいけない。2011年に期待したいと思う。


■2010-12-31-Friday 今年も最後の日

今日は大晦日、

今年もいよいよ最後の日を迎えた。

昨日30日は午前中で会社を終了し、正月の買い物を済ませてから、我が家の5人、妻の姉夫婦2人、妻の両親の9人で十勝川温泉第一ホテル豊洲亭に泊まりに行った。

妻の父親が米寿(88歳)、母親が傘寿(80歳)のお祝いを、娘たち(妻と妻の姉)がしようと夏から計画を立てていたのである。

義姉夫婦は札幌から今朝、車で駆けつけた。

面白いことに、妻の姉が嫁いだ先の苗字が「坂本」で、旦那の名前は「和隆」という。

二人だけの姉妹が共に「坂本家」に嫁いだわけだ。

妻の姉夫婦と一緒に家族連れでいると、同じ坂本姓で名前も「和隆」と「和昭」であるから、いつも私と義兄が、本当の兄弟のように思われるのだ。まさか、この状態で、夫側が無縁で、妻側が姉妹だとは普通は思わないだろう。

豊洲亭では3階の露天風呂付きの部屋を三部屋続きで抑えてもらった。去年、私が十勝毎日新聞社主催のゴルフコンペで準優勝した景品で無料宿泊券が当たり、妻と妻の両親が、その景品でこの露天風呂付きの部屋に泊まったときに、とても良かったからということで選んだのだ。食事もとても美味しくて、食べ過ぎてしまった。

夕食後には、麻雀をやろうということになり、男4人で麻雀をやった。麻雀をするのは10年振りくらいである。息子はテレビゲームではやったことがあるが、リアルな麻雀は初めてである。テレビゲームなら機械が自動でやってくれて、しかもチー・ポン・ロンなども機械が指示してくれるから勝手が違うらしい。半荘で終了して、温泉に入り、マッサージを3人で受けて寝た。

お酒も沢山飲んだし、温泉にも入ったし、マッサージも受けたから、疲れて眠れるかと思ったのだが、やっぱり布団が固くて眠れない。押入れからマットを引っ張り出して、重ねて敷いてやっと寝ることができた。

朝は6時に起床して、また温泉に入り、9時過ぎに朝食を取った。バイキングを選択したが、朝からかなりの量を食べた。

ホテルの前の十勝川に来ている白鳥の集まっている場所に行き白鳥を見て自宅に戻る。

神棚の掃除をしてから夜に備えて一眠りし、午後にこの文章を書いている。これで2年連続全部の日にこのブログを書き続けた。我ながら良く書き続けられるものだ。来年も挑戦してみようと思う。

今年は家族総じて良い年であった。来年も良い年でありますように。