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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2013-01-01-Tuesday 謹賀新年

明けましておめでとうございます。

2013年が始まりました。今年が良い年になりますように!

元旦の朝は、母の家に集まって新年の挨拶とお雑煮を食べる。いつもの習慣である。

昼頃に帯広神社にお参りに行く。今年は妙に参拝人が少なくて、いきなり門をくぐる場所まで行けたので、寒い中に長時間立つ必要がなくて済んだから楽であった。ただ神社のさい銭箱の前を、いつもの階段の手前まで賽銭を入れる場所に広げているので階段を昇れないようにしているのだ。冬に階段を昇らせるのが危険だと云う判断なのだろうか?何となく神様の目の前まで行けていないように感じて有難味が少ない。

おみくじは大吉で、しかもまだまだ良くなるという運勢であったので多少気分を良くした。

帰りに「高橋まんじゅう屋」でおやき等を購入して義父の家に向かう。これも毎年の恒例である。子ども達は3人とも二十歳を越えているからお年玉など当たらないはずなのに・・・、義父は孫にはお年玉を上げたいと言うのだから有り難い話である。

子ども等は思わぬ収入に満悦であった。

夕方には、帰郷している姉、妹の家族5人、弟の家族2人、母と我が家の5人が、我が家に集まって新年会である。

スキ焼でもやるかと云うことになったが、材料が足りない。まさか元旦から営業しているスーパーマーケットなどあるはずがないと思っていたら、何とイオングループのポスフールが営業していると云う。どうせ空いているだろうと思って行ったら・・・。スゴイ数の客がいる。自分も買いに行っていながら言うのもなんだが、何も元旦から買い物などしなくて良かろうに・・・。我が家は急なスキ焼に材料が足りないから行ったのだが、他の客は初売りに行っているようだ。私は福袋なんぞ買う気がしないから買ったことはないが・・・。

さて、スキ焼の材料も買い揃えて新年会である。子ども達も久し振りに従兄弟が集まったので懐かしかったようである。昔は、やれ誕生会だ、七五三だ、入園だ、入学だと機会がある度に家族が集まったものだったが、子ども達が成長するにつれて段々とそういった機会が少なくなっていったのである。

そういった機会に、私が写していたビデオを上映することになった。DVDに焼き直しておいたのである。

懐かしい映像に、皆、腹を抱えて笑った。今年は正月元旦から楽しいひとときを過ごすことができた。


■2013-01-02-Wednesday 姪っ子たち

義父の家に

妻の姉の双子の娘(姪)が、それぞれ夫らを連れて遊びに来たので、我が家の5人と一緒に昼食を食べた。

妻の実家は、妻と妻の姉の二人姉妹である。義姉はこの双子の姉妹だけであるから妻の家系の従兄弟5人が勢揃いしたことになる。

我が家の長女よりも5歳ほど年上の双子の内の一人には2歳になる女の子が居るから、義父にとってはひ孫である。ちょうどしゃべり始める年頃なのでカワイイ盛りだ。

最初は私の髭面に人見知りしてか寄って来ないが、手品を見せると興味深々で今度は私から離れなくなる。手品はやはり良い趣味である。

昼食後に皆からリクエストがあったので、カードマジックを披露し、簡単なカードマジックを一つ伝授しておいた。

全員で写真を写してすぐにコンビニに行ってプリントしてくる。便利になったものだ。コンビニでのプリントも以前よりもスピードも速くなっているし紙質も良くなっている。これではカメラ屋は商売にならないだろうなぁ〜。

正月2日と云えば箱根駅伝である。私の母校の駒澤大学は優勝候補の筆頭に挙げられている。妻の実家に行くまで見ていたが3区で順調に2位に上がってきた。

この姪っ子らとの昼食の間は会話を楽しむ為にテレビを消していたが、食事が終わって再びテレビを点けたら、5区の途中であったが、駒澤大学は10位に落ちたと云う。一体4区で何があったのだろうか?

去年までの東洋大学には柏原という圧倒的な5区のスペシャリストが居たが、今年は卒業して居ないから、今年は駒澤の優勝だと思っていたのに・・・。

夜のテレビのニュースでも4区の駒澤の失速の様子は写さないので分からない。明日の新聞で見るしかないか。

夕食は、おせち料理に飽きた息子がインデアンカレーを食べたいと云う。インデアンカレーは具が少ないから、私がじゃがいもとニンジンとタマネギを足したら妻も子ども等も皆、文句を言う。

カレーのジャガイモが溶けて粉っぽくなるのが好きではないという。どうも私とはカレーの好みが異なるようである。


■2013-01-03-Thursday 正月三日

正月三日目であるが・・・、

何処にも遊びに行かない休みが続くと退屈このうえない。朝の雑煮も今日で終わり、することもないからテレビで箱根駅伝の復路を見る事にした。

新聞によると往路の4区を走った湯地選手が区間19位というビリから2番目の大誤算だったそうな、それで2位から10位まで順位が落ちたとのこと。20人で走るんだから、全員が万全に走れる訳ではないだろうが、もう少しなんとかならなかったのだろうか?

どうやら日体大の総合優勝は揺るぎなさそうである。駒澤も逆転は難しいからつまらなくなって消してしまった。

後から結果だけ見たら、駒澤の結果は総合3位で復路は優勝だったから、まぁ、こんなもんだろう。

することもないから家族5人で映画「ホビット」の3D版を見に行った。帯広のたった一つしかない映画館は6スクリーンあるが、この正月には見たいような映画を掛けていないのだ。

ロード・オブ・ザ・リングの前の話だということだが、相変わらず長〜い映画であった。お尻が痛くなったし、3D映画は何だか疲れる。

自宅に戻って何を食べたいかと聞いたらジンギスカンだという。いつも行くジンギスカン専門店は今日はまだ休みだったので、焼肉屋に電話したが、皆考えることは同じ様でどこも混んでいる。

馴染みの焼肉屋も満席だったが「坂本家は皆、食べるのが早いから1時間以内で帰るから」と何とか頼みこんで入れてもらった。

18時に入店して18時45分には食べ終わって帰った。我々は先に食べていた客らよりも後に来て先に帰ったのである。店の人も「もっとゆっくりしても良いですよ」と言っていたが、元々食べるのが早いから、別に急いだ訳ではないのである。

食後に、東京から帰郷している姉が「久し振りに兄弟姉妹4人だけで話がしたい」と言うので母の家に集まった。何の話かと思ったら母の今後のことについてだと言う。

母がもしも病気になったりした場合や老後の面倒を誰がどうするのか?ということである。母を交えてじっくり話し合ったのであった。

子ども達が明日から帰って行くので、3人とも温泉に行きたいと言うが時間は既に10時。12時閉店の温泉に行ったら何だか様子がオカシイ。店の前に「今日は22時閉店」の張り紙である。すぐ近くの温泉は休み、いつもは2時過ぎまでやっている温泉に行ったら営業していたので1時間半たっぷり温泉を楽しんで自宅に戻って来たのであった。銭湯がほとんど温泉というのは便利で良いものである。子ども等も帯広って良いなぁ〜と言っていたのであった。


■2013-01-04-Friday 仕事始め

今日4日は仕事始めであるが・・・、

社員を前にして今年の抱負などを述べるが、明日が土曜日なのでまた休みになるから、何だかとても中途半端な感じである。

坂本ビルに入居しているテナントさんに新年の挨拶をして回って、一応の仕事始めは終了である。

今日は帯広市役所の新年交礼会が昼から駅前のホテルで開催されるが、ここ最近は出席したことがない。これからいろいろな会の交礼会が続くから、ほとんど同じメンバーに挨拶して回るのが何だか面倒臭くなってきているのだ。

朝一番の飛行機で長女と次女が東京に戻り、次女はそのまま成田からカナダのトロントに戻るので妻が帯広空港に送って行った。午後1番の便では姉が東京に戻るので私はそちらの送りである。妹は更に後の便で東京に戻る自分の息子を送って行くというのである。そして明日は私の息子が帰る。バラバラの便で帰らずに同じ便で帰ってくれれば一度の送りで済むのに・・・。

冬の道は滑るから運転するのが嫌いなのである。

長女が年末期限であった、1月に引っ越しする契約金の支払いを忘れていたので今日中に代わりに払っておいてほしいと言って飛行機に乗ったのだが・・・。

払込先は勤務地の信金であるから、帯広信金から振り込んだ方が安いだろうと思って空港からの帰りに駅前支店に寄って機械で払い込もうとしたら、現金は10万円までしか振り込めないという表示が出たので、窓口に行って払い込むことにしたら・・・。

今度は払い込み人(長女)の本人確認が必要だと言う。本人は飛行機の中だと言っても法律で決められているからダメだと言う。

仕方ないので私の名前で振り込んで、不動産屋には電話で事情の説明をすることにして振り込んだ。

振り込み詐欺防止策なのだろうが、もう少し、融通を利かせた方が良いのではなかろうか?

何とも面倒なことである。

夜は18:30から北海道ホテルで帯広青年会議所の新年交礼会である。これには出席して一応挨拶だけはしておいた。

何だか、年々正月らしさが失われているのは私だけなのだろうか?


■2013-01-05-Saturday 寂しい

朝一番の飛行機で息子が帰り、

これで3人の子ども達が全員帰ってしまい急激に寂しくなった。

妻と2人で空港まで送り、自宅に戻るとシ〜ンとしているので寂しさを感じる。

昼にスパゲッティを食べに行ってから映画「レ・ミゼラブル」を見に行った。帯広では今日から封切りである。

ミュージカルのレ・ミゼラブルは1991年にニューヨークで見たがセリフの英語が分からずにストーリーも良く分からなかった。中学生時代に原作は読んでいたのだが、良くストーリーを覚えていなかったのである。

その後、東京で、私のマジックの師匠の故・ジミー忍師の長男であるミュージカル俳優の駒田一さんがレ・ミゼラブルに宿屋の主人役で出演するので、マコママと私の次女と3人で帝国劇場に見に行ったのが確か2〜3年前である。だが、その時もストーリーは良く分からなかった。

だが、今回の映画で初めて良く理解することが出来た。やはり舞台の場面転換と映画の場面展開とでは描写が格段に異なるからだ。当然ながら映画の方が詳しく深く表現出来るから理解し易かったのである。

でも、舞台のミュージカルはミュージカルを見に行っていると言う自覚があるから、突然、俳優が歌い始めてもそんなに違和感無く見る事が出来るのだが、映画でのミュージカルは、大画面の為なのか、映画ばかりを見ているからか、場面設定上、隠れて静かにしなければいけないような場面なのに大きな声で歌う場面などを見ると、どうしても違和感が残ってしまうのである。

久しく映画でミュージカルを見ていないから、脳味噌が慣れていないせいなのだろう。

ストーリーが理解出来ると、感動して涙が出てきた。ジャン・バルジャンもジャベール警部も「Who am I?」と歌うところを見ると「人は何故この世に生を受け、何の為に生きるのか?」というのが主題であろう。キリスト教社会と仏教社会の価値観の違いというものが良く分かってとても面白かった。

一見の価値がある映画である。


■2013-01-06-Sunday 後片付け

日曜日であるが

子ども等が3人とも帰ってしまったので家の中がガラ〜ンとしてしまって何もすることもなく寂しい。

朝はまずは昨夜降った雪かきからだ。積雪はわずか2〜3僂離汽薀汽蕕靴神磴覆里世、除雪しなければならない面積がやたらと広いから結構大変なのだ。息子が居る内に降っていたらキレイに雪かきしてくれるのだが・・・。面倒だから幅を狭くして除雪しただけだ。

気温がかなり低くて耳が痛い。1月初旬でこんなに寒いのは珍しい。雪の多さと云い、寒さと云い今冬は今までの冬とはどこかが異なっている。

母が買い物に行きたいと言うので、昼に妻と3人で出掛けた。まずはラーメン屋でラーメンを食べる。お節料理と餅は食べ飽きたから、そろそろラーメンが食べたくなって来たのである。

スーパーマーケット近くの「だるま」と云う店で食べた。私は豚骨醤油ラーメンを食べたが結構好きな味である。ただチャーハンはベタベタで塩辛らくてイマイチであった。

スーパーマーケットの駐車場から母の手を引いて店まで連れて行き、母のカートの側に付いて一緒に買い物をするが、正月の日曜日だから結構知り合いに会って新年の挨拶をすると「息子さんと一緒に買い物をするなんて良いですね」と言われる。こちらは親孝行しているというよりも、転んで骨折などされたら余計に大変だと思っているだけなのに・・・。

自宅に戻って、今度は後片付けである。

家中が雑然としているが、私は後片付けや掃除は苦手だ。クリエイティブなこと、例えば料理などは大好きなのだが・・・。

すぐに飽きてベッドで読書をしてしまう。妻もこの方が邪魔にならなくて良いらしい。

今日はNHKの大河ドラマの初日である。

前作の「平清盛」は評判も視聴率も悪かったようだが、私や妻は面白くて全部見た。どうして評判が悪いのか理解出来ない。ただ最終回は少々いただけなかったが・・・。

今回の「新島八重」の物語りは幕末物だから、きっと一般人の視聴者の評判は良いだろうと思う。どうも日本人は幕末物が好きで、平安物は好きではなさそうだが、それは歴史の勉強が足りないせいであろう。

最近はBS放送の18:00からの放送を見ているのだが、今日は初日ということもあって、妻が食事をしながらではなく、食べ終わってからユックリ見たいというので20:00からの地上波放送で見ることにした。

なかなか面白そうである。特に八重の子役の上手さに感嘆した。

初回の題名にも使われたが「ならぬことはならぬのです」と云うのは実に良い言葉である。

これまで大河ドラマでは長州や薩摩や坂本龍馬などはあったが、幕府側のものは少なかった。今回の会津藩ものは視点が変わって面白いものになりそうだ。

次回も楽しみである。


■2013-01-07-Monday アホじゃぁなかろか

5日、新春恒例の初セリが、

東京・築地市場で開かれ、青森県大間産のクロマグロが1匹1億5540万円の史上最高値で競り落とされたそうな。アホじゃぁなかろか!

昨年付けたこれまでの最高値(5649万円)の2.8倍もの価格で1キロあたりだと70万円になるという。

落札者は、去年と同じ、すしチェーン「すしざんまい」を展開する喜代村(東京・中央)だった。

落札されたのは昨年暮れに水揚げされた222キロのクロマグロで、セリは過去数年と同様に「すしざんまい」VS「板前寿司」(香港資本のすしチェーン店)の一騎打ちになった。

喜代村の木村清社長は「話題づくりを期待しているわけではなく、お客さんに一番いい物を食べてもらいたいと思った結果」と話しているというが・・・。この1億5540万円の内、8割の1億2432万円は釣った漁師の収入になると言うが・・・、この次にセリにかけられたクロマグロはせいぜいが数百万円程度の値段らしいから、このマグロと一体どこがどう違うのだろうか?

誰がこのマグロを初競りに掛けると決めたのかなど等、漁師間や漁協などで揉め事にならなければ良いのだが・・・。これは罪作りなセリであって、メデタイ競りではない。

初競りのご祝儀価格というのは色々なモノに付けられるが、これでは異常を通り越してアホとしか言いようがない。

宣伝費として、各メディアが紹介するから、この社長は競り落としているだけだ。

メディアも一切取り上げなければ良いのだがニュースとしては出したい部類の話題なのだろう。NHKみたいに一切会社名を出さないとかでもやったら良いのに・・・。


■2013-01-08-Tuesday 異常な寒さ

この寒さはいったいどうしたというのだろうか?

1月初旬でこの寒さは異常である。

会社の暖房設備はようやく調整が上手くいって温かくなってきたが、それでも足の指先がピリピリする。

小学生の頃は−30℃なんてのは年に1回くらいはあったもんだが、ここ20年くらいはさすがにそこまでは冷えないから、身体が順応してしまって−20℃を越えると昔の−30℃くらいに感じてしまう。

昔は布団の襟あしが息で凍ったものだったが・・・。

外気温が−18℃を境にして世界が変わる。空気中の水蒸気が凍るダイヤモンドダスト現象が起きるのがこの気温である。涙も凍るから目も開けて居られないし、息が凍るから鼻の穴がひっついてしまって息ができない。

まつげも眉毛も髭も息で真っ白に凍ってしまう。

昨晩、温泉銭湯に行って露天風呂に入ったが、この時期の露天風呂は命の危険があると感じた。

露天風呂の五右衛門風呂に浸かっていたら、頭の上に乗せたタオルと髪の毛がバリバリに凍ってしまったのだ。身体は湯船の中だから熱いのだが、頭の方は−10℃以下だろうから、頭だけが寒くて冷えてキンキンと痛くなってきたのである。

へたをすると脳卒中かなんかで倒れそうな気がしたので屋内の風呂だけに入ることにした。

温泉のサウナ風呂の中でニュースを見ていたら、去年も豪雪で大変だった岩見沢市が今年もすでに昨年同時期の2倍以上の積雪量だというし、母の実家がある留萌市は列車が5日間も運行停止をしたそうだし、増毛ー留萌間は依然として不通だとのこと。

去年の12月初旬に母の妹の1周忌で留萌に行った時も、冬の嵐で大変だったが、その後雪も風も益々猛威を振るっているようだ。道路も除雪が出来なくて車がすれ違えないないからバスも運休しているという。

前にもブログに書いたが、留萌のあの坂道で、雪と強風なら外を歩くことは難しいだろう。叔母や叔父らがまだ留萌で生活しているが、雪の多いところは老人が暮らすには条件が悪過ぎる。除雪をしても吹き溜まりが出来るし、屋根の雪下ろしなんて年寄りには危険過ぎる。しかし、こうも降雪量が多いと雪の重みで家がツブレル可能性もある。

やはり、北海道は雪の少ない場所にまとまって暮らすしか方法がないだろうなぁ。


■2013-01-09-Wednesday 異常な寒さ(続き)

今朝も帯広は−22℃。

妻が仕事で早くに家を出たので、私は徒歩で会社に向かった。ちょうど札幌行きの列車の切符を購入する用事もあるから帯広駅に寄って行く。

自宅と会社は駅を丁度真ん中に挟んで徒歩12〜13分と云う距離である。夏に歩いていくには程良い距離なのだが・・・。

耳には耳掛け、手には手袋を着けているが、顔が冷たくて痛い。口髭が真っ白に凍ってしまって鼻で息をすのも辛い。

7分ほど歩いて駅に着いたが、途中の四つ角は除雪がしてあった。四つ角の雪をあのままにしておいたのでは、自動車は鼻先を道路まで出さなければ他の車が見えないからとヌ〜ッと出して来るのだが、道路幅が狭くなっているところに鼻先を出すものだから、道路の内側を走っている車は避けようとして隣の車と接触したり、避けられなくて衝突したりと、やたら交差点での接触事故が多いいようで苦情が殺到したという。

十勝のドライバーは道を譲らないし、ワガママで乱暴な運転をする奴が多い。道路幅が雪で狭くなっているのだから2車線分の幅を確保出来ていないのだから1車線で走れば良いのに、強引に抜いて行く。なにもこんなに滑る道路であんなにスピードを出さなくても良さそうなものなのだが・・・。

徒歩で通うと横断歩道が一番滑って危険である事が分かる。私も何度か滑って転びそうになった。

駅のキオスクがいつの間にかセブンイレブンに代わっていた。何時代わったのだろう。

切符を購入して駅北側にある温度計を見たら−16℃を差していた。ズボンの下にはタイツも着ているのだが膝の辺りが寒い。小走りで会社に向かうが、メインストリートなのに誰も歩いていない。さすがにこの気温で外に出るのは辛そうだ。

早くこの寒さも収まって欲しいものである。


■2013-01-10-Thursday 勝毎年賀会

今朝も徒歩で会社まで行く羽目になったが、

今朝の寒さも−20℃以下の極寒の状態である。

歩いていると顔、特におでこの辺りがピリピリと痛い。スキーのフェイスマスクでも着けて歩かないとならないくらいに寒い。

今日は昼から十勝毎日新聞社の年賀会が北海道ホテルで開催される。ここ最近は他の新年交礼会や年賀会などは青年会議所のを除いてほとんど出ていない。この勝毎の年賀会は出席者数も多いからこれ一つでほとんどの方々に挨拶してしまえるし、立食だが毎年面白いメニューのものが出るので、逆に楽しみにしているのだ。

行きは会社の前からタクシーで行った。昼間から酒は飲まない主義なので車で行っても良いのだが、駐車場に入りきらないからタクシーで行った方が楽なのである。

会場では1年に一度、この年賀会でしか会わない方々も多い。親しい仲の人とは軽口も叩きあうが「坂本君は現在の本業は何なんだい?」とか「新聞で良く顔を見ているよ」などと多くの人に言われた。そんなに頻繁に新聞に載っている訳ではないのに・・・。そんなに印象深いのだろうか?

ある人から「坂本君は北の屋台という活躍の場を奪われて、帯広にとってもモッタイナイことだったね・・・」と言われたが、「北の屋台は私が創った様なものだから、普通だったらなかなか途中では抜けられだろうし、本来なら最後まで続けなければならないのだろうが、本意か不本意かは別にしても、完全に北の屋台から離れることが出来たお陰で好きなマジックもまたやることが出来るようになったので、人間万事塞翁が馬ですよ」と答えておいたが、これは本心である。

一通りの挨拶も済ませたし、美味しい食事も堪能したから早目に帰ることにしたが、まだホテルの前にタクシーが待っていなかった。仕方がないので会社までまた徒歩で戻ったのだった。今日はこんなに寒い日なのに良く歩く日である。


■2013-01-11-Friday 詐欺

ロト6や競馬絡みの詐欺で

9日、帯広市の70歳代の男性が1900万円を騙し取られたという新聞記事が出ていた。

今朝の新聞では今度は兵庫県の67歳の女性介護士が同じくロト6絡みの詐欺で2700万円を詐取されたと云う記事が載っていた。

どちらも、儲けてやろうとの卑しい心根があるから騙されたのであって、真っ当な人間なら騙されることは決してないだろうなと思うような事件である。

だから、被害者とは云いながらも、恐らく誰も同情することはなく、逆にバカな欲深い奴だなぁと思われるのが関の山であろう。

しかし、どちらの被害者も金持ってんだなぁ〜。

帯広市の事件は被害者の名前は公表されていないが、70歳代で1900万円もの金を自由に出来る会社役員と云ったら、この小さな地方都市ならそうそうは居るまいから、やがて誰なんだろうと被害者特定が始まるのではなかろうか?

競馬の当たり馬券を事前に教えるだの、ロト6の当選番号を教えるだの超能力者でもあるまいし・・・。

どだい、事前に分かったら他人に教える筈がないだろうことは明らかなのに・・・。

競馬にしろロト6にしろ、当選者数が増えればそれだけ分け前は減るのだから。こういう当然の事に頭が行かないということは欲にに目が眩んだだけの話である。

こういう間抜けな奴がいるから詐欺をはたらく奴も出て来るのだ。

私も結婚する前の20代前半の時に、ポルノビデオを買わないか?という詐欺に引っ掛かったことがあるが、騙されたと分かっても恥ずかしくて届け出ることも出来なかったことがあったことを思い出した。スケベ根性は性でも金でも、人間、欲をかくとロクなことはないのだよ!


■2013-01-12-Saturday 子どもの名前

カナダのカレッジに

通っている次女のブログに「素敵な名前ね!と先生や友達から言われて嬉しい云々」と云う文章が載っているのを妻が読んで私に教えた。

3人の子どもの名前は全員、私が考えたので私も嬉しい。

子どもの名前は、画数(天・人・地・総)、陰陽配置、五行配置、音、漢字の意味の良し悪し、名前全体の意味などを総合的に考えて付けたのである。

まずは良い画数を選び、次に使える漢字を絞って、そして名前全体の意味を考え、国際社会だから外人にも発音し易い音を選らんだのだ。

たかが名前ではないか。画数なんて迷信だと云う人がいるが、一生付いてまわるものだからこそ、もしも子どもが悪い人生を歩んだ場合でも、親が付けた名前のせいにはさせたくはなかったということもある。

親が愛情を込めて一生懸命に考えた名前なんだから、後は自分で頑張れ!と云う気持ちなのだ。

女の子は結婚して姓が変わる場合が多いが、それでも結婚するまでの人生を幸福に育って欲しいとの思いを込めたのである。

こども3人の名前は皆、漢字文化である中国の古典から選んだのである。

次女の「有理可(ゆりか)」と云う名は「理(ことわり)有(あ)る可(べ)し」で「物事には全て理由がある」と云う意味と、ユリカという音がアルキメデスが王冠の金が純金か混ぜ物かを調べる方法をお風呂で思い付いた時に発した「eureka(ユーレカ)」と音が似ていて外人に受ける名前だということを聞いたからである。

今回の次女のブログでは、「ユリカ」という音が、案の定、アルキメデスの「ユーレカ」と発音が似ていると云うことで素敵な名前ねと言われたというのだから思惑通りになって余計に嬉しいことである。

最近は読めない様な当て字で、ヘンテコリンナ名前を付けるのが流行っているようだが、それは親のエゴであって、子どもが大きくなったら、きっと親を怨むことになるのではなかろうかと思っている。

名は体を表わす。良い名前を付けてあげることで子どもの自信にもつながると思うのである。


■2013-01-13-Sunday 恐ろしい光景

恐ろしいものを見てしまった。

今は真冬、外気温は−20℃と云う寒さである。

帯広市中心部の交差点で横断歩道を渡っている女子高生を見て、妻が「あらっ、あの娘、生足だわ!」と言う。

「エッ、まっさか〜、今日は特別に寒いというのに、生足の訳はないだろう・・・」と云いながら良く見てみると本当に生足で歩いている。

ブットイ太ももをさらしながら小走りに駆けていく女子高生数人がいた。

始めは肌色のタイツを着ているのではないかと思ったのだが、まさかの生足である。

こちとらはズボンの下に冬用のヒートテックのタイツを着ていてもまだ寒い寒いとい震えているのに、いくら若いからといっても真冬に生足はないんじゃぁないか!

人間は寒いところに居たら身体の防御の為に脂肪という鎧を付けるのだろうと思う。冬の氷点下に生足で居たら、当然ながら足に脂肪を沢山付けて寒さから身を守ろうとするのではないだろうか?だから彼女らの足はとてもブットかった。

一体、何の為の生足なんだ?

あれがファッションなのか?

北海道の冬は、住宅は27〜8℃も室温度を上げるから、短パンにTシャツでビールを飲んだりアイスキャンディを食べたりというイメージがあるようだ。そのイメージは極端に誇張され過ぎと云う面はあっても、当たらずとも遠からじというところか。

昔はデパートなども過剰に暑くて、コートを着ていられないくらいであった。

自動車で移動する時には、ドアtoドアだし、車の中も暖房を効かせているから、いちいちコートなどを着るのは面倒だと思っていた時期もあったが

しかし、今年は原発が停まっているから節電をさかんに言っているので、どこの家も店舗も少々寒いくらいの温度設定である。

こんな状態で生足なんて、身体を壊してしまうのではなかろうか?

誰も生足が良いなんて思っていないと思うよ。女子高校生よ、真冬の生足は止めなさい!


■2013-01-14-Monday ヘッ!

義父からスーツを買って来て欲しいと

妻が頼まれた。

今年90歳になる義父は、かなり痩せてきて服が合わなくなってきている。自分で買いに行くのは今の季節寒いし煩わしいから、手元にあるスーツを見本に持って行ってそれよりも少し小さ目のスーツを買って来て欲しい、店も「はるやま」や「青山」で良いというのだ。

私は自分の洋服はいつも藤丸百貨店で買っているから「青山」ではまだ買ったことがないが、たしか娘と息子の就活用のスーツを買った際にAOYAMAカードというのを作ったのを思い出したのでそれを探し出して持って行った。

義父はオーダーでしかスーツを作らないから、見本といってもブランコ物のようにサイズが書いていない。

自分で店舗に行って自分の体型に合わせて買えば何のことはないのだが、見本用にオーダー製のスーツを1着持って行って、しかもそれよりも少し小さ目のスーツを買うとなると、これはなかなかに難しい買い物であった。

妻も携帯電話で義父に色や柄などの説明をしたりしていたが、店の人もサイズ選びにはかなり苦労していたようだ。かなり時間は掛かったが何とか買う事が出来た。

支払いの段になって「今、スーツを1着お買い上げ頂くと2着目からは1000円でお求めになれますが如何でしょうか?」と勧める。「ヘッ、1000円???・・・」耳を疑ったがどうやら間違いではないようだ。

5万円以下の値段のスーツを買って「お義父さんに、こんなに安いスーツで良いのか?」と言っていたくらいなのに、2着目を買ったら1000円だって?

私は最近、スーツは着なくなっているから「いらない」と言ったら「ブレザーでも良いのですよ」と言う。

それならとブレザーのコーナーに行ったらスーツと同じ位の値段のブレザーがどれでも1000円だと云うから更に驚いた。

こんな価格で売って商売が成り立つのだろうか?おそらく在庫処分なのだろう。

支払いの段になって、カードを提示したらカードだと更に5%引きだと云う。

ホッホ〜ッ、何だか安いくて悪いなぁ〜と思いながら、カードを渡してサインしようとしたら「坂本様は1月生まれですね。誕生月のお買い上げは10%引きになります」と言う。しかも「カードのポイントが7000円分くらい貯まっていますがお使いになりますか?」と言うではないか。以前に娘と息子の就活用のスーツを買った際のポイントが残っていたようだ。

何だか、訳が分からない内に、ドンドンと安くなっていくような感じである。結局、義父のスーツとベルト、私のブレザーを買って、すそ上げやウエストの幅詰め、ネーム入れなど全部入れても4万円で済んでしまった。

世の中はデフレというが、10年前にデパートの紳士服売り場でならちょっとしたスラックスを買っても3〜4万円はしたのに・・・・。

何だかすごい世の中になっているもんだなぁ〜。


■2013-01-15-Tuesday

14日関東地方が大雪で混乱した。

私は夕方の便で羽田空港に行く予定であったが・・・。

帯広市は気温は寒かったが天候は晴れである。東京に行く前に「どんど焼き」に神社に寄った。今日は火は着けていないが、預かってくれるというのである。上京用の薄手の服装のままで行ったものだから、手袋も耳掛けも持っていないのでかなり寒かった。きちんと着替えてから行くべきだった。

朝からニュースで関東地方の大雪のことを告げていたから、飛行機が飛ばないかもしれないなぁ〜とは考えていたが・・・。私は「晴れ男」を自認している。これまで飛行機や列車が天候を理由に飛ばなかったことは一度しかない。時間が遅れることはあっても飛んだものなのだが、今回は違って飛ばなかった。なにせ羽田空港は全便停止であるからどうにもならない。たとえ千歳空港に回ったとて同じことであるから、こういう時は素直に諦めるしかない。

今日は成人式でもある。

晴れ着を着た女性は可哀想だ。今年の成人は「失われた20年」の世代だから生まれてからこのかた右肩上がりを経験したことが無いと言われている。どこまでもついていないせだいなのだろうか?

それにしても東京は雪に弱い街である。ニュースでは年に数度しか雪が降らないし、ましてや積雪することは稀だから、費用対効果を考えると除雪の準備をしていないのだという。

しかしだ、たかがこれしきの量の雪で全便欠航とはいただけない。日本の空港は羽田空港が機能しなければ、地方空港はお手上げである。せめて、羽田空港くらいは除雪の設備が必要なのではなかろうか?

安全管理の面から言っても重要だと感じた、今日の雪であった。


■2013-01-16-Wednesday ハワイ1

14日、関東に降った大雪で

羽田空港が全面閉鎖されてしまい。帯広から羽田→成田へと経由してハワイに行く予定であったが一日順延になってしまった。

今回のハワイ旅行は、帯広信用金庫のゴルフ同好会「信友会」の創設40周年記念ということで海外に遠征に行くということが決まっていたのだ。

新千歳ーホノルル間の飛行機が去年から復活したから、当初はこの便で行くものだと思い込んでいたのだが・・・。

羽田ー成田経由で行くという予定表をもらって急遽行くのを止めた人も数人いた。帯広ー羽田ー成田経由だと時間が掛かり過ぎて疲れるからだ。

私もその止めた人と一緒に行くつもりだったから止めようかとも思ったのだが、私は信友会の役員をやっている為に、旅程を理由に止める訳にはいかなかったのだ。

気になっていた通りに、14日の大雪で羽田に飛べなくて順延になってしまった。新千歳からならちゃんと飛んだのだからやはり予定の立て方がまずかったと思う。しかし、信友会の性格上、帯広空港の利用率を上げたいという意思があるからには仕方のないところである。旅行日程だけで考えることにはならないところがシガラミというものであろう。

15日の帯広ー羽田も飛行機がかなり遅れた。羽田ー成田間の高速道路も湾岸線はまだ不通であるし、かなりトロトロ運転なので予定の時間をかなり遅れている。

結局、予定を1時間遅れの23時に成田空港に到着した。成田空港の飲食店は23時で終了である。帯広の自宅から成田空港に送っておいたゴルフバックを受け取るヤマト運輸のカウンターも23時で終了であるから慌てて取りに行った。ここでカウンターが閉まっていてゴルフバックを受け取れなければ何の為に成田空港にきたのか訳が分からなくなる。

ギリギリで間に合って無事に受け取った。

空港内の飲食店は既に22:30でオーダーストップしていて店仕舞いの最中である。唯一マクドナルドが持ち帰りならOKと言うのでハンバーガーとコーラを頼んだら、200円だと言うので「エッ、200円?そんなに安いの!?」と声を出してしまった。これからハワイに行くのに、よりにもよってマクドナルドでハンバーガーを食べなきゃならないなんてトホホである。成田空港は人がまるでいない。この時間から飛ぶのは夜間飛行の時間制限でおそらく我々の飛行機が最後なのだろう。出国審査もまるで並ばずに済ませられて、この点では楽だった。

飛行機の出発も最後なのに遅れたようだ。およそ6時間半の搭乗時間である。ホノルルに到着するのは現地時間で朝の9:30頃だから、時差ボケにならないようにする為には飛行機の中でグッスリと寝ておきたいと思い。CAに機内食は要らないから起こさないで欲しいと頼んで、アイマスクと口にもマスクをしてメラトニンを飲んで寝たのだが、すぐ隣の席に1歳くらいの子供連れが居た。1歳なら言い聞かせも出来ないから、グズグズと泣くのである。結局、3時間程しか眠れなかったのであった。


■2013-01-17-Thursday ハワイ2

ハワイでの日程は、

帰りは予定通りの飛行機で戻るので1日短縮されることになった。

ハワイには何度か訪れているが3泊5日というのは初めてのことで、かなり慌ただしい日程である。

まずは空港から市内観光と云うことでバスで回ってあるく予定であるが、この日の朝に繁華街で発砲事件があって犯人が射殺されたということで、中心街の道路が封鎖されていて大混雑していると言う。それでなくても最近のホノルルは自動車が増えて増えて渋滞がヒドイと云う。列車や電車や地下鉄などのレールウェイが無くて、自動車しか移動手段がないからだが、それにしてもこの自動車の数は異常だ。もともとそんなにデカイ島ではないオアフ島の経済がホノルル一ヶ所に集中しているからだ。一人1台ずつ大きな車に乗るのだから、朝夕の出退社時間はものすごいラッシュになる。乗合にするとか少しは考えた方が良かろうと思うのだが・・・。

ホテルはパシフィックビーチホテルで、初めて泊るホテルでダイヤモンドヘッドに近いホテルである。当初に旅程を見て、こんな端っこのホテルかよ〜と思ったが、位置的にはかえって楽しめたので良かった。先入観はヨロシクナイ。

全員でホテル近くの中華レストランで飲茶で安着祝いをやってホテルにチェックイン。部屋は33階で窓から海もダイヤモンドヘッドも見える良い部屋であった。

私は旅行先でのいつもの習慣でホテル周辺の散策に向かう。土地勘を養うためである。1時間ほど一通り歩き回ってホテルに戻って部屋に向かうエレベータ内でスゴイ美人に会った。ホテルの4階にプールがあるのだがそこのプールに入っていたのだろう。ビキニの上に肩にタオルを掛けた姿でエレベータに乗ってきた。乗ってきた瞬間に「ウヮ〜綺麗でスタイルの良い人だなぁ〜」と思ったら、その後から冴えない60歳代と思しき男性が一緒に乗ってきた。想像を逞しくすると、大企業の役員が銀座のホステス同伴でハワイに遊びに来たって感じかな〜。

夕食は参加者全員で近くの鉄板焼きのTANAKAオブTOKYOである。この店も17年前に来た記憶がある店だ。どうもハワイでは同じような食事ばかりしているようである。

我々のテーブルに付いたコックは見習い中のフィリピン人の若い男性である。片言の日本語しかしゃべられない。パフォーマンスも未熟で、私の目の前にキャッチしそこねた料理用の大きなフォークが飛んできたり、何度もヘラを落としたりと心許ない。料理の手際も悪いので、他の席の人達がすでに食べ終えているのに、我々の席だけまだ肉を焼いているのだ。皆、観光して帰るからと随時解散ということになって、我々の席の8人だけ取り残されたし味もイマイチだったので残念であった。

我が家の海外旅行の基本は夫婦なのだが、妻はこの旅行にはあまり興味を示さなかったので、今回は私一人だけで参加している。他の参加者は8組の夫婦が参加していて、個人参加は8人である。奥さんたちはゴルフをするのは3人だけで、他の5人は観光コースの選択だ。信友会のツアーはゴルフがメインなのでゴルフをしない人にはつまらないかもしれない。


■2013-01-18-Friday ハワイ3

ホテルのレストランは

店内に大きな水槽があって、夕食時には人魚の扮装をした女性が中で泳いだり、アクアラングを付けた女性がエイに餌を与えるショーがあるレストランで人気があるらしい。

朝食は6時にそこのレストランでバイキングである。パンを食べたらあまり美味しいパンではなかったので、ご飯にしようと思ったら、こちらの和食メニューの方が充実していた。きっと日本人観光客の宿泊者が多いのだろう。

私は納豆、生卵、漬物、味噌汁、焼海苔など純和風の朝食を選んだ。デザートにヨーグルトと果物を選んだが、果物がまるで美味しくない。スイカやメロンなどは甘味が無くて人参を食べているような感じであった。

この日のゴルフはコオリナゴルフコースである。

JALが開発したコースだそうだが現在は外国資本の会社が経営しているらしい。私は17年前に一度プレーしているコースだが、さすがに17振りだと覚えていないもので、コースのすぐ横に住宅があって打ち込みはしないかとハラハラした記憶が若干ある程度であった。

道路が大渋滞、8:40のティオフなのに到着したのは8:25。ギリギリの到着であった。

途中のコースですぐ隣に一般道路が走っている。ここにトイレが設置されているが暗証番号を打たないと開かないドアが付いている。普通のドアだと公衆トイレ化してしまうからかもしれない。左が道路、右が線路と云う狭いコースで一緒にプレーしていたOさんのティショットが左に引っ掛けてOBになったがもう少しで自動車に当たるかと思った。ジョギングしていた2人の女性の2mくらい先にコ〜ンと落下したので、彼女らが驚いてしばらく立ち止まっていた。非常にアブナイところであった。

私のスコアはINが46打、OUTは17番まで3ボギーできて18番をパーで上がれば39打であったが・・・。ゴルフは計算するとダメなものである。池に2発打ち込んでしまい8打で43打。結局グロス89打、ネット79打で2位になってしまったのであった。

帰りは道路も比較的にすいていて14時にホテルに到着、この日は後は自由時間だ。

夕食はこの日一緒にプレーしたOさんHさん夫婦とSさん私の6人でシーフードレストランに行くことにしたが、観光組はカウアイ島に観光に行っていてホテルへの到着は20時頃である。Oさん、Hさんの奥さん2人は観光組なのでそれまで待っていることになる。男共は20時まで食べないのは待てないということで18:30までは自由行動にして4人で酒を飲んで待っていようということになった。

私は一人で、アラモワナショッピングセンターまで行ってみたが、買いたいという衝動がまるで起こらない。以前なら何かしら買って帰ろうと思ったものだが、まったく金を使わずにこれまた無料のトローリーバスでホテル近くまで戻り、近くのDFSやらインターナショナルマーケットプレイスやらを歩いて回る。草履を履いている足の甲がすれて赤くはれがってしまうほど歩いたが買い物はゼロ。購買意欲が湧いてこない。

ホテルに戻り、18:30〜20:00まで男性4人で踊り子と云う日本食のレストランに入り餃子やら焼き鳥やらをつまみに焼酎を飲んで時間を潰す。しかし、この店は翌日の打ち上げ会で使う店であった。

観光から戻った奥さん2人と合流して20:30に予約したシーフードレストランに入る。ロブスターやマヒマヒなどの魚も美味しかった。

店を出たらまた自由行動である。行く時に私は道路で似顔絵を描いている4人ほどの画家を見つけたので描いてもらおうと思っていた。3人は精緻な線描画であるが、私が選んだのはデフォルメして漫画チックに描く人である。15〜20分ほどで描きあがり料金は30ドルだというので頼んだのである。道行く人達が私の顔が描かれている絵を見て笑いながら通り過ぎたり、立ち止まってジ〜と見ている。私自身からは絵が全く見えないのでどんな絵になっているのか楽しめた。出来上がりには大満足したのでチップを含めて50ドル置いてきたのであった。


■2013-01-19-Saturday ハワイ4

本来の予定では

17日は観光の予定であったが、大雪で1日短縮したので、15日に予定されていたカポレイゴルフコースのプレイをこの日に移動させた。

本来の予定では15日は早朝8:30ティオフからのプレーで終わってから観光というコースであったのだが、変更移動した17日には午前中のスタートを確保することができずに、予約できたのは12:30からのスタートだという。

ホテルを10:50に出発する予定であるが、6:00に朝食を済ませてからすることがない。ショッピングをするにしてもほとんどの店が10時以降の開店である。

せっかくハワイに来たのにワイキキビーチで海に入らないというのもモッタイナイなぁと思い、サンダルを引っ掛けてホテルの目の前のビーチに出掛けた。砂浜の海辺をズボンを撒くし上げて1時間ほど散歩しただけであった、どうしても泳ぐ気にはならなかったのである。

ハワイの日没は早い。前日は18:10に日没するのをアイスクリーム片手にワイキキビーチのベンチに座って眺めて、日没時間を確認しておいたのであった。17年前にハワイでゴルフをプレーした際に最終18番が日没でプレー出来ず、しかも暗くなったので慌ててサンドウェッジを置き忘れるという苦い経験をしていたので、何とか日没前に全員が上がりたいものだと思っていたのである。リゾートでのゴルフは、キャディさんがいないし、普段あまり上手くない人達もプレーするのでスローなプレーが多いのだ。

カポレイゴルフコースは前日にプレーしたコースよりも、やたらと池が多くて難しかった。コースの半分以上に池が絡んでいる。前日の最終18番で池ポチャ2連発をやっているのでシーズン最初のプレーとしては嫌なイメージが付いてしまったようで池には身体が過剰に反応してしまう。

カートに付いているGPSで池までの距離の表示を測るのだが、どうもこの数字が正しくないのようなのだ。池越えのコースで対岸までの距離がカートから168ヤードと表示されているから安全に5番Wで打ってナイスショットしたのに足りなくて池ポチャしたのである。私は5Wなら200ヤード以上の飛距離があるのにである。チョロしたのなら諦めもつくがナイスショットなのに168ヤードが届かないなんて・・・。

そんなこんなで3発も池に入れてプッンしてしまった。こうなると悪循環である、スコアを取り戻そうとしてバーディを狙っていっては、パットが強過ぎて3パットしてボギーばかり、それで益々イライラしてしまった。

ウ〜ム、まだまだ精神修行が足りないなぁ〜。

結局IN45打,OUT48打の93打であった。残念!

余興に優勝予想のダービーをやっているが、前日の成績で、「今日は坂本さんが強い」だろうと私の1枠が1番人気であった。私自身も自信があったから全部自分絡みの1枠絡みで馬を購入しておいたのだ。しかし、この散々な成績で皆さんの期待を裏切ってしまったのであったが・・・。

良くしたもので同じ1枠の女性が大穴で2位に入り、優勝した人も誰一人買っていなかった大穴であったが、3枠の人が優勝して当たり馬券は1−3であった。

私も自分絡みで1−3を購入していたので当選、結局10人が当選したので結果オーライであった。

この日の夕食はもうハワイサヨナラの宴会である。前日に下見した「踊り子」と云う店に行ってすき焼きパーティだ。

前日に行ったら明日は座敷を準備しているというので椅子席に替えてもらっておいた。お年寄りも多いし、女性も座敷よりも椅子の方が有り難いというからだ。

4人ずつで鍋を囲むスタイルである。肉はしゃぶしゃぶ用の様に薄くて最初に焼くと鍋にこびりついてボロボロになってしまう、割下で食べるのだと店の人が言うから、すき焼きならぬすき煮スタイルにした。しかし、店の割下は薄くてコクが全く無い。しかも野菜の中にタマネギが入っていないではないか。私が鍋奉行をすると宣言して私のテーブルだけ別途、タマネギと砂糖と日本酒を持って来させて味付けし直したのである。その結果はバツグンに美味しくなったので、隣のテーブル等でも真似を始めた。結構腹一杯に食べて部屋に戻る。

明日の出発は早いからだ。4時にモーニングコール。4:30に部屋のドアの内側に荷物を置いておくようになっている。ロビー集合は6:30である。レストランは6時丁度にしか開かないから5:45に行ってフロントで精算を済ませてチェックアウト、6:00丁度からすぐに食べた。

しかし、私は朝食を食べると便所に行って大きい方をしたくなる。一応はは食べる前に済ませておいたのだが、どうも身体の習慣がそうなっていないようである。1階や2階のトイレは汚くて座る気になれなかったので、一応33階の部屋に戻ってカードキーを差し込んでみたら開いたのでトイレを済ませた。

集合時間の6:30になってしまった。こういう時に限ってエレベータがなかなか来ない。結局、集合時間に5分遅れでロビーに到着。旅先で時間に遅れるのは性に合わないのだが・・・。


■2013-01-20-Sunday ハワイ5

ホテルを真っ暗なうちの

6:40に出発しホノルル空港に向かう。到着する頃には薄っすらと明るくなってきた。

アメリカの空港は9.11のテロ以来、セキュリティチェックがやたらと厳しくなっている。

まぁるいガラスの容器に一人ずつ入れられて、その中でX線を照射されるのだが、毎日何100〜何千人と調べている調査官の放射線量の方が心配になる。あのガラスケースは放射能を通さないものなのだろうか?

検査も無事に終わって免税店のある場所に入るが、ここでも購買意欲が湧かない。最後に母に、嵩張らないお香だけを買って済ませた。

ホノルル空港の出発時刻は朝の9:00である。所要時間は7時間半くらいの予定だ。到着の日本時間は日付は翌日19日の13:30頃の予定である。前日は夜11時には寝て4時に起きているから約5時間ほどはグッスリと眠れた。帰りのこの飛行機の中で眠ってしまうと時差ボケになってしまうから、来る時とは逆に、絶対に飛行機の中では眠らないようにズ〜ッと映画を4本見続けた。この飛行機の中の映画は最新のものがない。

「モンスター・ホテル」「エクスペンダブルズ2」「黄金を抱いて翔べ」「踊る大捜査線ファイナル」の4本を見たがまだ着かない。偏西風のジェット気流が強くて飛行機のスピードが出ないらしいのだ。8時間以上の時間が掛かって到着したのであった。

羽田空港へはすんなりと1時間で到着したが、帯広行きの飛行機の出発時間の18:20まで3時間近くがある。各自バラバラで行動することになった。私は蕎麦屋に入ってもり蕎麦を食べたが、これがおいしくなかった。寿司も5かん食べたがこれも不味い。

フロアを歩いていたら、サッポロライオンに一緒に行った4人が食べている姿を見つけて合流し、酒のつまみのようなメニューを食べて時間を潰したのであった。

帯広行きの飛行機も順調に飛んで、無事我が家に帰還。リゾート地に行ったのに慌ただしく疲れた旅であった。


■2013-01-21-Monday 大鵬

大鵬こと納谷幸喜さんが亡くなった。

72歳であった。「巨人・大鵬・玉子焼き」1960年代の子供の好きなものの三点セットと言われていた。1958年生まれの私はまさにこの世代の真っただ中であった。

昭和30〜40年代のテレビに映るスポーツ中継と云えば野球と相撲しかなかった。プロ野球のナイターはセリーグの巨人戦しか映さないから、自然と他の球団の選手よりも巨人軍の選手の顔と名前を覚える機会が多くなる仕掛けだ。また巨人には長嶋茂雄、王貞治の2枚看板があって、川上巨人は9連覇を達成するなど無敵の強さを誇った。

相撲も、横綱は大鵬と柏戸が2枚看板であったし、なかでも大鵬は優勝32回、45連勝などこちらも無敵を誇った。

子供は強いヒーローが大好きだから、無敵の巨人と大鵬はヒーローであったのだ。その少し前のプロレスの力道山は若くして死んでしまったから、私の年代ではヒーローには成り切れなかった。

大鵬は弟子屈町出身と云うことであったから、小学6年生の修学旅行で弟子屈町の温泉に行った際のお土産と云えば「大鵬せんべい」であった。中には大鵬の朱色の手形が入っていてとても嬉しかった記憶がある。

大鵬の所属していた部屋は二所ノ関部屋が初場所を前に廃部屋となってしまった。人間は気力を失うと死んでしまうものらしいから、この在籍していた部屋が無くなったことも影響しているのかもしれない。

長嶋茂雄が脳梗塞で倒れ、大鵬も同じ病気で苦しんだ。まだ元気なのは王貞治だけである。

今の子ども達で長嶋・王・大鵬を知っている人間が、いったいどれくらいの数居るだろうか?

永遠に不滅なのは玉子焼きだけなのかもしれない。時とは残酷なもでもある。


■2013-01-22-Tuesday アメリカの

欧米と日本の価値観の相違について考えた。

欧米、特にアメリカの推進するグローバル化の正体とは何ぞやということである。

グローバル化は果たして人類を幸福にする政策なのであろうか?

私の得た答えは「否!」である。

グローバル化は世界中を金を持っている人間と持たざる人間に階級社会化しようという企てに感じてしまうのだ。

グローバル化と称して、工業は安い労働賃金を求めて途上国に向かう、その途上国の賃金が上がってきたら、今度はまた更に安い賃金の国に向かうことを繰り返す。それをし易くする為に世界標準と称するグローバル化ならぬアメリカ基準を押し付けているのだ。アメリカは南北戦争前の黒人奴隷の代わりに、途上国の民衆を使うつもりなのではあるまいか?

アメリカ憲法上アメリカ国民である黒人や移民などを奴隷にすることはもはや叶わないから、他国の貧民を奴隷化しようとしているとしか感じられない。

行きつく先は、労働力の使い捨てである。やがて途上国全ての賃金が上がってしまったら、今度は労働者に代わって機械やロボットが取って替るのだろう。現在の途上国の世界は人口爆発である。仕事も無く、人口が増え続けたら一体どうなる?

アメリカのお先棒を担いでTPPなんぞに参加したら、日本も同類だ!

人間は働いて、自ら稼いだ金で暮らすのが基本だ。人間の仕事を奪う政策はいずれ破綻する。


■2013-01-23-Wednesday 新聞から

22日の朝刊を見て

???のことが多かった。

まずは、教師の体罰によって昨年末に生徒が自殺した大阪の桜宮高校で、大阪市の橋下市長が今春の入試を中止するように市の教育委員会に要請したという記事である。

橋下市長はバッカじゃないの!

こんなことをして、もしも入試が中止にでもなったら、自殺した生徒は同僚の生徒達からも恨まれてしまう存在になってしまうだろう。

橋下市長は、これを機に、学校の体質を一気に変えさせようというつもりなのかもしれないが、むしろ困るのは学校よりも在校生やこの高校に入学を希望している中学生らの方である。

スポーツ科の生徒というのは、自分の未来をスポーツに賭けて入学してきている人が大半であろう。入試が中止になるということは、そのスポーツ科が無くなることに等しいだろう。そうなれば、他の生徒たちは「自殺したあいつのせいで自分の将来設計が壊れてしまった」と逆に恨むことになるのではなかろうか。

体罰をやった教師を解雇したり、校長以下の関係している教師を減給するなどの処罰をすれば済む問題なのではないのか?

生徒に影響するような罰則の提案は逆効果だろう。

橋下市長は、最初から入試が中止になるとは思っていなくて、世間受けに過激なことを言って、教育委員会や学校側に危機感を持たせようとの魂胆なのだろうが、生徒を出汁にしてはいけない。

受験を直前に控えたこの時期に生徒に動揺を与える言動はヨロシクないと感じた。

麻生副総理が21日に首相官邸で開かれた社会保障制度改革国民会議の席で終末期医療の患者を「チューブ人間」と表現し「私はそういう必要はない、さっさと死ぬんだからと(遺書を)書いて渡してある」「死にたいなと思って、生かされるのはかなわない。政府の金で(延命治療を)やってもらうなんてますます寝覚めが悪い。さっさと死ねるようにしてもらわないと解決しない」と発言したと非難する内容の記事だ。

この発言のどこが悪いのだろうか?

私もこの通りだと思う。

事故か何かで一時的に意識不明になるとかして、人工呼吸機などの延命装置を着けても、その後の治療で回復する見込みがあるなら勿論OKだ。

しかし、治る見込みが無く、自分の力で呼吸が出来なかったり、心臓を動かせなかったり、自分で食べて消化出来なかったりする場合は別だ。

機械で心臓を動かしてもらい、機械で呼吸をさせてもらい、栄養を血管から注入してもらうのでは、それは人間ではない。まるで水耕栽培の植物である。人間としての尊厳もなにもあったものではない。

全く看護もせずに死なせるというのも家族の心情としては辛いものがあるが、しかし、一旦、この種の装置を装着して延命を行なえば、その後はこれを外したら殺人罪になるという。

息をしている以上は看護をし続けなければならなくなる。

家族に取っては金銭的にも体力的にも大変な負担になる。

治る見込みのない患者を、ただ延命させておくだけなのに、実際に生きて生活していかなければならない家族が崩壊していくのでは本末転倒であろう。ただ、医者を儲けさせるだけだ。

そういう患者が増えれば、病院のベッドも不足して、治せる患者を入院させる事が出来なくなるケースだってあるだろう。

恐らく、こんなことは大半の人が分かっているはずだ。

それなのに、この麻生副総理の発言は如何なものかと非難する新聞は、まさに建前のみで記事を書いている。

政治家の発言のアラ探しをして辞任に追い込もうというマスメディアの体質には辟易している。

麻生副総理も「適当ではない面もあった。当該部分については撤回し、議事録から削除するよう申し入れる」と言ったというが、前回の失言で首相をを辞めた時のことが頭をよぎったのだろうか?

むしろ、もっと堂々と発言して欲しい。

私はこの発言はまったく正しいと思っているし、看病したことのある人ならたぶん理解していることだろう。建前の論議で社会保障制度を考えられたのでは国民は迷惑するであろう。むしろ、ここいらで尊厳死にまで踏み込んだ論議をして欲しいと思っている。


■2013-01-24-Thursday 新聞から2

23日の朝刊にも

腑に落ちないことが多く載っていた。

まずは埼玉県で、今年度で定年退職する公立学校の教員110人が、年度末の3月末を待たずに1月末で退職希望をしているという記事である。

なんでこんな事態になったのかと云うと、官民の給与格差是正を目指す改正国家公務員退職手当法が昨年11月に成立し、総務省は各自治体に速やかに対応するように要請していたからだという。

埼玉県では手当の削減を4月1日にすると県費が約39億円も余計に掛かることから2月の実施を決めたという。

それなら、引き下げられる前に辞めてしまえということで110人も1月末での退職を希望したというのだ。しかもこの中には30人もの学級担任の教員が含まれているというから驚きだ。

そもそもは、こんな中途半端な時期に導入する埼玉県が一番悪いのだが、終業までの2ヶ月を残して学級担任が辞めるというのは、如何なものだろうか?

担任としての責任を果たさずに、金の為だけで生徒を見捨てるというのは教員にあるまじき卑しさではなかろうか?

恐らくは、この時期なら、まさか学級を放り出して辞めたりする教員などは極少数だろう、それなら3月末で実施するよりも1月末で実施した方が39億円得するとでも考えたのであろうが、両者ともに生徒のことなど全くお構いなしのやり方に憤りを感じる。

優先順位の第一位が「金」というのは情けない限りだ。

和牛オーナー制度で多額の出資金を集めながら2011年に経営破たんした安愚楽牧場の出資被害者ら(被害額4000億円)が、2月中にも民主党の海江田万里代表を相手取り、約1億6000万円の損害賠償を求めて、東京地裁に提訴するという。海江田代表の記事や書籍をきっかけに安愚楽牧場に出資したとする94人が民事調停を申し立て、これまでの3回の調停はいずれも不調となっていたそうだ。

海江田代表は経済評論家時代に自らの著作などで同牧場への出資を推奨していたそうだが「二十数年前のこと。私自身もそういう自分のお金を出していたわけですが、時期が来て、それは終わったというだけのことです」と賠償責任がないことを強調している。

弁護側によると「海江田さんの著作のなかには、申し込みのための電話番号まで書かれているものもある。『番号がなければ(安愚楽側に)電話しなかった』という被害者もいる。かつて海江田氏は自らの著作物などで、安愚楽牧場の和牛オーナー制度を紹介し「元金確実で、しかも年13・3%と考えれば、他の金融商品はまっ青!」などと記述しており、牧場側のパーティーにも参加していたというが・・・。

これもオカシナ話だろう。20数年前の著作物の事で損害賠償を請求されたのでは何も論評などできなくなるだろうに・・・。

経済は常に動いているものだし、投資というものは誰が推奨したからとか言っても所詮は自己責任で行うべきものである。儲けてやろうとスケベ根性を出して投資し損したら賠償請求だってさ。この被害者連中には恥というものが無いのだろうかね〜。

被害者には、逆に、もしも儲かった場合に海江田に謝金を払うつもりがあったのかね?と聞きたいね。ここでも金、金、金。嫌〜な世の中である。

23日の道新の朝刊「my hometownわたしの十勝 それから」と云うコーナーにアンコールワット研究の第一人者 上智大学前学長の石澤良昭さんが載った。文中で支援してくれた人の中の一人に私の名前を挙げて下さったので感激した。前日の22日に石澤先生から速達で私の名前を出しましたとの連絡を受けた、私の肩書が「十勝環境ラボラトリー代表(正しくは専務」と間違っていたが、訂正は間に合わないのでそのままにしたのであった。

「代表」と「専務」と肩書は間違ってはいても、十勝環境ラボラトリーを誠心誠意運営してきたからこそ勘違いされたのであろうと思う。こう云う素晴らしい方々との知己を得ることができたことは私の人生の宝である。本当に有難いことだ。

新聞もこういう微笑ましい良いことをもっと多く載せてもらいたいものである。


■2013-01-25-Friday 平原通り

23日の十勝毎日新聞に

帯広市のメインストリート平原通り(西2条通り)の10丁目のかじのビル1階に居酒屋の「和民」が4月から入居すると出ていた。

ここ最近は平原通りに居酒屋の出店が多い。

それの端緒はお前だ!と言われそうだが・・・。

平成4年5月2日に父が亡くなり、それまで「サニーデパート」と称していた寄り合い百貨店の物販中心のビルのシステムをガラリと方針転換し、飲食店中心のビルに大転換することにした。

帯広のような地方都市では、もはや中途半端な物販のテナントビルは需要がないと考えたのである。

およそ1年掛けてコンセプトを作り、多大な費用を掛けて大改装を敢行した。物販ビルと飲食ビルでは、特に上下水道など水周りの設備が大幅に異なっているからである。

自分としてもかなり思い切った180度の大転換であった。

改装中から情報発信を積極的に行い。その甲斐あって、改装が終わった時点で、地階に「つぼ八」、1階に「いろはにほへと」、2階に「白木屋」、3階に「魚民」とワンフロアーずつ大手の居酒屋が入居することが決まったのであった。

私のビルの建坪はワンフロアーがおよそ200坪であるから、通路などの共用分を除いても150坪ほどの広さがある。こんな大きな面積の居酒屋は当時の帯広には存在していなかった。それが一度に4店舗もの巨大な居酒屋が一つのビルに入居するというので、全国的に話題になったほどであった。

中には「食い合い、潰し合いで何処かがすぐに撤退するさ」という声も多数聞こえてきたが、私は相乗効果の方が大きいと判断していた。案の定、坂本ビルに行けば何とかなると、帯広の市民からは歓迎されたように思う。

これがかれこれ20年前の話である。

ただ、私はメインストリートに面したビルのオーナーとしての責任と役割があると考えていたから、昼間にシャッターが下りているのは他の物販店の迷惑になると思い、平原通りに面した部分にはファッション店を入居させたのである。

しかし・・・。

ここ最近の平原通りへの居酒屋の出店は全てが路面店である。

これでは昼の商売は難しくなってしまう。

お前が火を付けた居酒屋出店の波なのにと言われそうだが、コンセプトはまるで違うと自負している。

空いているから仕方ないではないか云々と開き直ってしまうのでは、商店街としての自殺行為になる。

物販のテナントが見つからないのは時代の流れであろうが、通り全体のコンセプトを早急にしっかり作らないと平原通りが夜の街になってしまうであろう。


■2013-01-26-Saturday 氷まつり

25日からおびひろ氷まつりが始まった。

青年会議所の現役会員だったころは雪像造りなどにかりだされて毎年1月は寒い中での作業をしたものだったが・・・。

24〜25日朝にかけて24僂發寮磴降ったから大変だ。雪像や氷像が完成した後に降られる雪ほど厄介なものはない。こびりついてしまった雪を像を壊さずに除去するのはかなり面倒な作業である。実に迷惑千万な雪であることか。

卒業してからも5〜6年間程は差し入れを持って陣中見舞いにも行っていたのだが、顔馴染みの現役が卒業して居なくなると、とんと御無沙汰である。以来、私はほとんど氷まつり会場には足を運んだことがない。

代わりに妻が、商工会議所の婦人会の手伝いで、お汁粉などを振る舞いに出掛けるようになったのだから、入れ替りみたいなことになっていて不思議なものだ。

妻は土曜日の昼に手伝いに行くというので、私が会場まで車で送ってその帰りにスーパーマーケットによ寄って買い物をしてきた。

妻の留守間に晩ご飯の支度をしておけということである。

久し振りに「キーマカレー」を作ることにした。キーマカレーとは挽き肉で作るカレーである。それに合わせて、人参・リンゴ・タマネギも3〜4儚冂度の大きさに切って入れるので老人には食べ易いし、翌日の残ったカレーはパンに挿んで食べても美味しいので重宝なのだ。

昼から夕方までじっくり時間を掛けてカレーを作っておいた。

妻は19時過ぎに自宅に戻ってきたので母と3人で食べたのであった。

身体が冷え切ったから温泉に行きたいというし、マッサージもしたいという。食後に久し振りに水光園の温泉銭湯に行ってきた。

帯広という街は銭湯がほとんど温泉でサウナ風呂や露天風呂まで付いている所が多いから、温泉好きな人間にとっては天国みたいなところである。


■2013-01-27-Sunday 日曜日の過ごし方

土曜日の夜に温泉から戻ってきたら

22:30頃に広小路の居酒屋が火事だという電話が入った。かなり大きな火事らしい。

すぐに近くで飲食店をやっている知人の店に電話して状況を聞いたら、かなりな量の煙が出ているとのこと。

道路も封鎖して消火作業にあたっているとのこと。

我が家も昭和41年に火事になっているだけに火事の恐さは身を持って知っている。

広小路は昨年アーケードを直したばかりだが・・・。

太陽の光が入るようにプラスチック状のもので覆っているが、あれは熱には弱い性質のものだろうから融けてしまわないだろうか?

火事になった居酒屋は木造建築だから類焼の危険も大きいだろう。アーケードが消火作業の邪魔にならなければ良いのだが・・・。

翌、日曜日の朝に車で前を通って現場を見ようと思ったのだが、依然として道路は封鎖されたままですぐ前は通ることは出来なかった。

少し離れた場所から見たのだが、正面はまるで火事になったようには見えないが、内部は全焼したのだという。

周りの人に聞いたら、朝方の7時過ぎまで完全には消火できなかったというからかなり長時間くすぶり続けたことになる。外に火は漏れなかったようだが内部は全部焼けてしまったのだろう。

火事の後は独特の嫌〜な臭いがするものだ。近所の店もこれでは商売上がったりだろう。しばらくはこの臭いが消えないから困ったものなのだ。建物を解体して全てを片付けなければこの臭いは消えないだろう。

昼から住宅のある町内会の新年会が駅前のふじもり食堂で開催された。私は副会長を仰せつかっていて、総会の議長をしなければならないので火事の現場をゆっくり見ているわけにもいかない。あわてて会場に向かったのであった。

会場は2階の大広間、畳の部屋で通常は座布団使用の部屋であるが、老人が多いので椅子席にしてもらった。最近の飲食店はどこも畳に椅子を入れる準備をしている。これをやらないと座布団に座ることが苦手な老人には拒否されてしまうからだ。しかも最近の若者も座布団座りが苦手な人が多いから、椅子は必需品になっている。

町内会は年々、高齢化が進み、行事の参加者が減っている。アパートやマンションの住人で町内会に加入している人は数人しかいない。段々人数は減ってくるし、役職を振り分けても、老齢で出来ないという人が増えてきて、若手といっても私の55歳が若手なのだから推して知るべしで、市の広報誌を配ることも出来ないし、回覧板すら回せなくなってきている。

このままだと町内会の機能はストップしてしまうだろう。

そのくせ、行事に参加できない方が寄付金を払ってくれるし、参加者が少ないからお金は使わないしで、年々お金は貯まる一方なのだ。だからお金だけは潤沢にあるのである。

貯めておいてもショウガナイから、この新年会で豪勢に使いましょうと言っても根が貧乏性なのか、ビンゴの景品も一人500円程度、食事も飲み放題で4000円程度でしかない。老人ばかりだし、昼間から大酒飲む人も居ないから使う費用はタカが知れている。

きっと帯広中が同じ様な町内会ばかりになっているのではなかろうか?

14:30にはお開きになった。この後することもないので、向かいの映画館に行って「ライフ・オブ・パイ」という映画を3Dで観た。インド人の少年がベンガル虎と一緒に10数日間も漂流する話である。なかなか面白かったのだが、終わり方が良く理解できなかった。妻との見解も合致しない。宗教観、人生観というものを問い掛けている映画なのであろう。不思議な感覚に陥る映画であった。

夜は例によって、また温泉銭湯に行ってたっぷり汗を流してきた。温泉に入るとグッスリ朝まで眠れるが嬉しい。


■2013-01-28-Monday 倉本聰

倉本聰脚本の

舞台劇「明日悲別から」を観てきた。

倉本聰が富良野で演劇の塾を運営しているが、その塾生に帯広出身の松本りきさんが居る。我が家の娘と同じバレエ教室に通っていたという縁もあるし、父親とは青年会議所で一緒に活動した仲でもあることから、いつも十勝での公演には案内をしてくれるのだ。

私は元々生の舞台を観る事が大好きだし、いつも良い席を確保して頂けるので妻も喜んで観にいっている。

この「明日悲別から」は以前にも観たことがあるが、3.11の東日本大震災が起きてから、新しく福島原発バージョンを作ったというので今回も是非とも観たいと思ったのである。

基本的には前作とほとんど同じであるが、登場人物が勤めに行く先が福島第一原発なのであった。

前作とは僅かに炭鉱が閉山になった後の再就職先の設定が変わっただけなのに、この演劇が意味するところが随分変化したように感じた。

人間の本質とは何か?

便利さは人間を幸福にするのか?

誰がこんなに過剰な便利さを望んだのか?

誰がそれを推進しているのか?

等など・・・・

私の持論である「便利さが殺すコミュニケーション」「不便さが生み出すコミュ二ケーション」にも通じるものがあると感じたのである。

本来、「便利さ」というものは人間を幸せにする為の手段であったはずだ。それがいつの間にやら、人間を幸せにするという目的をはずれ、限りなく便利さの追求になっている。もはや、便利さは人間を幸せにするどころか、不幸せにしているのではないだろうか。

手段がいつの間にか目的に変化している。これは皮肉以外の何物でもない。

原点に返って人間を幸せにすることに目的を修正するべきであろう。

特に、海外に行ってみると肌に感じるが日本の便利さはいささか過剰である。


■2013-01-29-Tuesday 誕生日

今日は私の55回目の誕生日である。

55歳ともなると、もう誕生日なんぞ嬉しくもなんともないが・・・。

その誕生日に札幌で重要な用事が出来て出掛けた。

新聞などでも何度か報道されたが、私が1995年に帯広青年会議所の「国際環境大学構想プロジェクト」の担当副理事長として団長を務めた、アメリカ、コロラド州ボルダー市視察団で大変お世話になったボルダー市在住の秋間浩・美江子夫妻の美江子さんが、日本軍が太平洋戦争の真珠湾攻撃をした1941年12月8日にスパイ容疑で逮捕された、いわゆる「宮澤・レーンスパイ冤罪事件」で逮捕された宮澤弘幸さんの妹さんだと知ったのが3年ほど前のことであった。

この事件に関しては何度かこのブログにも書いたのでここでは割愛するが詳しく知りたい方は是非以前に書いた私のブログを読んで欲しい。

秋間美江子さんはボランティア精神の塊みたいな方で、来る者は拒まずという方だからお世話になった人はおそらく世界中に何千人といることであろうと思う。

その秋間美江子さんの家族が70年以上も苦しんできたこの事件は未だに解決がされていない。

秋間さんももう85歳。何度も癌の手術を受けた身でもある。

この秋間さんの家族が受けてきたスパイの家族という汚名や屈辱を、秋間さんが存命の内に晴らしてあげたいと思うのが世話になった人間としての率直な感情である。

思想や信条とは別次元の事態なのである。

その「スパイ冤罪事件 宮澤・レーン事件の真相を知ってほしい」という集会を29日に札幌で開催するという連絡をもらった。

ここは何としても参加しなければならない。

当初は28日に予定されていたが、私は28日・30日は既に予定が入っていたので29日なら行けると予定を変更してもらったのであった。

この会の中心になって活動している方々は、北大の良心(大学自治として学生を守れなかったことに対する)とも云うべき北大関係者、秋間夫妻に世話になった人を核とする方々などが合流して、この事件の真相を広く世間に広めたいと考えているのである。

秋間夫妻に世話になった人の中に、今会の代表を務める元毎日新聞本社印刷部長をされていた山野井孝有さんがいる。山野井さんの長男で登山家の泰史さんがボルダーで怪我をした時に秋間美江子さんの世話になったという縁である。この山野井さんの元同僚の毎日新聞OBの方々が、これまたエネルギッシュな活躍をしているのだ。ほんの数カ月の間に100頁を超えるパンフレットを作成してしまったのだから驚く。

皆さん、現役を引退されてから十数年は経とうかと云う方々だが、新たにこの活動に生き甲斐を見つけられたようにも感じるほどである。

一番若い私がグイグイと引っ張られているのだからそのエネルギーの高さは相当なものである。

昭和22年2月22日2時の2並びの覚え易い日が、宮澤弘幸さんの命日である。弘幸さんが眠っている新宿の常円寺で2月22日に集会を開く予定でいる。この命日をきっかけにして真相を広めたい。


■2013-01-30-Wednesday 誕生日2

29日は私の55回目の誕生日である。

昨日のブログに書いたように札幌で「スパイ冤罪事件 宮澤・レーン事件の真相を広める集会」に参加してきたが、今回の札幌行きにはもう一つの目的があった。

これも奇妙な縁とでも云うべきことなのだが・・・。

私の知人で奈良在住の作家、寮美千子さんの旦那さんから「マジックが趣味の坂本さんに面白い情報を上げる」とメールが届いた。彼の知人で、勇崎哲史さんという沖縄在住のカメラマンのお父さんが、昭和9年頃から札幌で活躍していた勇崎天暁さんというプロマジシャンの人だというのである。

天暁さんのことは2009年12月に東京堂出版から発行された「マジックグッズ・コレクション(土屋理義著)」に載っており、文中に「十勝毎日新聞」だの「藤丸百貨店」だのとの記述が出てくるから「ヘェ〜そんな人が居たんだぁ〜」ということは知ってはいたのである。

その時には、沖縄なら遠いから話を聞きにも行けないしなぁ〜と思って聞き流していたのであった。

その後、横浜のマジック研究家の植木將一さんから「同じ北海道なら勇崎天暁さんて云うマジシャンのことを知らないか?」との手紙を頂いて思い出した次第なのである。

そこで、寮さんの旦那さんにメールをして沖縄の勇崎哲史さんのアドレスを教えてもらい、その後哲史さんと何度かメールの交換をさせてもらっていたところ、お兄さんの建夫さんという方が札幌在住で、お父様と舞台にも一緒に立っていた経験もあるから、そちらを紹介するということになったのであった。

それが去年の10月頃のことであった。

それから昨日まで、札幌には2度ほど行く機会があったが、最近は日帰りが多くてなかなか十分な時間が取れないのだ。

このままでは永久に機会を逃してしまうかもしれないと思い。失礼だとは感じたのだが、札幌駅に到着してから、会議に出席するまでの1時間ちょっとの時間で、まずは顔見世的に一度会っておいて、後日にじっくり時間を作ってもらうように勇崎建夫さんにお願いしてみたのである。

そうしたら気持ち良く了承してくれて、札幌駅構内の喫茶店で勇崎さんと1時間20分ほどの面談時間が作れたのであった。

喫茶店内だったので写真や資料はほんのわずかお持ち下さっただけだったが、非常に興味深い話しで、ついつい時間の経つのも忘れてしまい、肝心の用件に遅刻するところであった。

写真の中には、帯広の藤丸百貨店での顧客に対するマジックショーの写真もあった。これはおそらく藤丸にもない貴重な写真であろう。

天暁さんは、マジシャンであり、実業家であり、若いころから弁論が立った方の様だ。マジシャンとしては舞台にも立ち、また自ら考案した道具を製造販売もしていたようである。またマジックの演技とコマーシャルを合体させるなどの先進的なCM活動を行い、後年は企画会社を作って芸人のマネジメントもしていたようだ。

実業家としては商戦商事という卸問屋のような仕事をしており、北海道各地のデパートなどに商品を卸していたとのこと、また「魔法糊」」という今で言う「瞬間接着材」をマジック道具の開発から発明し、特許も取得して、小学生などの図工工作に「のりしろ不要の工作」として貢献したり、本の背表紙の糊として、和綴じの本から現在の本への転換をされた方だとか。

また印刷業などもしていたようである。多彩な方でチャート等の作り方も優れたものがあり、非常に論理的で先進的な活動をされていた方のようで、興味が尽きない話の連続であった。

「今度はじっくり聞かせて下さい」と別れたが、北海道にこんな面白い先達が居たのかと思うとワクワクして来た。

日帰りで帯広に戻ったが、かなり私の印象に残ったのであろう、何とその晩の夢に天暁さんが登場したのであった。


■2013-01-31-Thursday 講演会

30日は帯広市商店街連合組合女性部の講演会である。

「女性の観点からのまちづくり」で講演出来る人材を誰か知らないか?と女性部の役員をしている妻から聞かれたので「それなら、十勝環境ラボラトリーで一緒に活動していた竹沢えり子さんが適任なのではないか?」と推薦したのである。

竹沢さんと私は1995年からの付き合いだ。

私は1995年に帯広青年会議所の「国際環境大学構想プロジェクト」の担当副理事長をしていた。そのプロジェクトでは2室4委員会を束ねていたのだが、その内の1委員会が、全国の色々な大学の教授らが参加していて東京に本部があった「文化科学高等研究院」という組織のリーダーをしていた山本哲士信州大学教授(当時)を講師に招いた際に、その文化科学高等研究院の社長を務めていたのが、他ならぬ竹沢さんであったのだ。

山本教授と竹沢さんの二人が帯広JCの例会に出席された時の初対面の印象は、何だかツンケンしている高慢そうな嫌〜な女だなぁ〜と云うものであった。

その翌年(1996年)には、文化科学高等研究院と帯広青年会議所の有志が一緒になって「十勝環境ラボラトリー(TKL)」を創設することになるのだが、会社組織としては私が社長になって、彼女は役員に名前を連ねることになるのだ。

それから、竹沢さんは東京の役員として毎月の様に十勝を訪れる様になるのだが、おそらく彼女は30数回の十勝入りをしているだろう。

最後の十勝入りは2001年7月29日の北の屋台のオープン日である。

その後、文化科学高等研究院も解散し、十勝環境ラボラトリーも2006年12月末日で解散した。

私は翌年の2007年1月の第一回東京マラソンの日に上京し、竹沢さんにTKL解散の報告をして以来、直には会っていない。メールや電話や手紙で情報交換をしてきたのみであった。

それが、このブログの冒頭の様な事態になり、竹沢さんのことがフッと頭をよぎり、連絡をしてみたところ「是非とも久し振りに十勝を訪れたい」とのことだったので、市商連に推薦をした次第なのである。

この案件が採用されたので、竹沢さんは12年振りに十勝を訪れることになったのであった。

今回の来勝にあたっては、TKL時代に何度か十勝に来て講演もしてもらったスタイリストのNさんも一緒に来てくれるという。彼女に会うのは14〜5年振りである。

ただ、この時期の十勝は観光的には端境期で何もない時期になる。氷まつりは先週で終わっているし、ばんえい競馬は土・日・月しかやっていない。どうやって久し振りの十勝を堪能してもらうか頭を悩ませることになる。