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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2017-10-12-Thursday 選挙

10日に衆院選挙の告示が行われた。

ここ最近の政治に関しては興味すら湧かないが、このブログの読者から「最近は治療の事ばかり書いていて政治に関しての記述がないですね」とのメールが複数入っているので、告示を期に少し書くことにする。

テレビを見ていたら、日本人はどうも「リベラル」と云う言葉の使い方を間違っているように感じるのだ。

本来の「リベラル」の意味とは「自由主義」であって「法律に反しない限りは、自由にやりたい事が出来る」または「やりたくないことを強制されない社会」つまり人生の決定権を自らが持つと云う考え方であろうと思うのだが、日本では「左派」「左翼」のことをリベラルと誤って呼んでいるのではないだろうか。

日本共産党の様に、自由にやりたいことが出来ない政党をリベラルと云うのは完全に誤っている使い方だと思うのである。

リベラルとは「自由主義」であるのだから、風習や伝統等にも束縛されない筈であり、それならば変革が付き物になるであろうが、日本共産党が言っていることは結党以来まったく変わっていない。変わっていないと云うことは日本語ならば「保守的」以外の何物でもないだろうに・・・。

むしろ、今回の選挙公約で自民党は「働き方改革」を掲げていて「改革」と云う言葉を使っている。改革を謳う政党が「保守」で、変えてはいけないと謳う政党が「リベラル」なんて完全にオカシイだろう。この認識の誤りが混乱の基なのではないだろうか。

既得権を守りたいのが「保守」で、既得権を破壊したいのが「リベラル」なら分かるが・・・。

世界は、良い悪いは別の議論にしても、大きく変化をしているのは事実である。更に今後の変化はこれまで以上に急激で、特にコンピュータ、AIによって人間を不必要とする職業が増える社会が到来すると予想される。

定年を間近に控えた50歳代の人間なら、せめて定年まではこのまま変革なしでやってもらいたいだろうし、20歳代の若者なら自分が対応出来る若さの内にサッサと変革してもらいたいと考えるのではないだろうか?この中間の年齢層は自分の能力の自覚程度で差が出てくるだろう。

そうなると、変革(自由)を求めるのは若者、変革を望まないのは年寄りと云う構図になる。

選挙に行く年齢層は、年寄りの方が圧倒的に多いのだが、投票する政党はその構図のままではない。

自民党も希望の党も維新も公明党も変革する方であるし、変革は絶対にダメだと言っているのは共産党と社民党ぐらい。何となく立憲民主党も本音では改革しなければいけないと云うニュアンスに感じるんだがなぁ・・・。ただ今回の小池都知事の「排除」発言で共産党側に行かざるを得なかっただけのような感じがするのである。

こうなると、日本の政党のほとんどが変革をしなければならないと思っているのでないだろうか。コアな共産党支持者はそう簡単に共産党からは離れないであろうから、共産党などは旧民進党のいわゆる「左派系」の立憲民主党と合わせてある程度の議員数は確保できるだろうが自民党を上回ることはあり得ない。日本人には共産主義アレルギーがあるからだ。

歴史上、この地球に現れた「共産主義国家」は全てが「独裁国家」であった。マルクスが唱えた共産主義国家成立までに至る過程は、現実には彼の理論通りには運ばなかった。独裁者が強引に共産主義国家を名乗ったが、実態は理想とは異なる結果に終わっている。ソ連の崩壊によって、それが世界の常識になった。依然として「共産主義国家」を名乗る独裁国家もまだあるが・・・。

日本は「法によって定められた民主主義を標榜する国家」を目指しているはずだ。その「法」の中でも一番重要なものは「憲法」であるはずだ。その憲法が、現実には合わなくなってきているのは日本人の多くが実感しているだろう。

だが、井沢元彦が言うところの「言霊(ことだま)」に支配されている日本人は「平和」を謳っている憲法を改正すれば「戦争」になると思い込んでいる人がいるのも事実だ。

しかし、「法」に拠って「民主主義」を維持する為には、「法」が「現実的」なものでなければそもそも「法」の意味をなさない。だから「憲法改正絶対反対」を唱える人達は矛盾していると私は思う。

一言一句の改定も許さない。論議することすらも許さないなんてのは、逆に「法」と「現実」との矛盾を拡大させて歪みを増幅させる愚かな行為でしかないと考えている。

「憲法改正反対」を唱える政党の限界はこの点にあると考える。

私が考える「リベラル」と云うのは「寛容」でもある。自分とは異なる意見を持った人間の存在を認める人のことである。どんな思想でも「法律」を侵さない限りは自由であるが、「存在を認める」ことと「思想を認める」こととは別問題である。思想には同調できなくても、思想すること自体は自由であると認めることなのだ。つまりリベラルは「寛容」な(はず)なのである。余談だが、最近のアメリカのリベラルと称する人達には寛容性が薄れていると感じるが・・・。

「希望の党」の「憲法改正」に関する政策は自民党とは大差はないし、方向性は同じである。小池都知事の「さらさら」&「排除」発言から一時の勢いを失ってしまったから、この失速状態のままでは自民党を上回る票数を獲得するのは難しいだろうなぁ〜。

後は選挙戦の最中にでも、都議会議員選挙の時みたいに、与党側のスキャンダルが連発でもしない限りは安倍首相は代わらないであろう。

騒いだ割には全然面白くない選挙になるのではなかろうかと予測している。