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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2018-04-01-Sunday スリー・ビルボード

映画「スリー・ビルボード」を見て来た。

映画館がこれまでにないくらいに混んでいる。春休みだから子供向けのアニメの「ドラえもん」などを家族連れで見に来ているからなのかなぁ〜と思ったが、それにしても、駐車場が満杯で停められないくらいのものすごい混み様である。

しかたないから、車を会社の駐車場に停めて歩いて行った。

チケットを購入する際に分かったのは、毎月1日は一人1000円で鑑賞が出来る日なのだと云う。その割引日と春休みと、更にそこに日曜日が重なったからだと判明した。こんなに混んでいるのは初めてである。

飲食の売り場の前にも長い行列が出来ていたから、飲み物を買うのも諦めたほどである。

この映画もアカデミー賞の候補に挙がっていた作品である。

例によって、まだ観ていない人の為に、詳細な解説は書かないが・・・。

舞台はアメリカ南部の小さな町、娘をレイプされ焼かれて殺された母親が、なかなか犯人を検挙できない地元警察署の署長の実名を挙げて、大きな道路脇の看板3枚に広告を載せて、早く犯人検挙をしろとハッパをかける。

すい臓癌で余命いくばくもない警察署長、娘を殺された母親の心の葛藤、人種差別、偏見、暴力など、深く考えさせられる内容が満載の映画である。

鑑賞後には、モヤモヤ感が残り、まったくスッキリはしない映画であるが、人間の心理を考えさせられる映画ではあった。


■2018-04-02-Monday 愛好家

多くの会社で新入社員の入社式

3月末日付けで退職した高校時代の同期生2名が、新しい職場の名刺持参で挨拶に来てくれた。

60歳から第二の人生。

彼等は口にはしないが、たぶん給料も以前の職場よりもかなり安くなるのであろうなぁ〜。仕事内容も変わるのであろうから、60歳と云う年齢での対応はシンドイだろうなぁ〜。

札幌からマジック愛好家の仲間が仕事のついでに訪ねてくれた。マスコミ関係者であるが、仕事抜きのプライベートでの訪問である。同好の士と云うのは嬉しいものである。

ほぼ同じ年齢であるから、観ていたマジックも、憧れのマジシャンも、ほぼ一緒である。時代が合うから「そうそう、あの時は・・・」と昔話にも花が咲く。

マジック・ミュージアムの展示物でも、私と同様に書籍類に関心が高くて、私が大学生時代(1976-1980)に東京のマジックショップで入手した、手書きガリ版刷りの月刊の資料がとても気になった様で、熱心に読んでいた。

マジック好きの人と話していると、夢中になってしまい、時間が経っていることに気が付かない。

会社の終業時間を過ぎていることが、社員の「そろそろ帰宅しても良いでしょうか?」と云う連絡が入るまで、まったく気が付かなかったのであった。

場所を変えて、飲食をしながら話の続きをしたが、更に場所を変えて、マジックを見せてくれるバーに行って話を続けたのであった。

久し振りに、マジックの話で大いに盛り上がったのだったが、昔のマジシャンの名前がスムーズに出て来ないのである。少々ショックであった。

今年の秋頃に、憧れのマジシャンでアメリカ在住の島田晴夫師が来日すると云う。札幌に呼びたいとの話が出たので、是非、帯広のマジック・ミュージアムにも来てもらいたいとの話になった。早速、私がマジックを教えている30代の社会人にメールを入れてみたら・・・。

「島田晴夫? Who?」との返信。そうか、そんな時代なのか・・・。


■2018-04-03-Tuesday テープ起こし本

2015年12月3日の「奇術の日」に

マジック・ミュージアムのプレ・オープン式を開催した。

当日は、東京からは師匠夫人のまこママ、長男の駒田一、弟子の朝生、千葉からは弟子の伊藤、沖縄から弟子の佐喜真らが集まったので、オープン式終了後に、座談会を開催し、それを本として出版しようと企画した。

そのテープ起こしの原稿がようやく出来上がってきた。

一読したら、第一稿であるから、当然ながら、人名の漢字、場所名、話した人物の特定も不完全であるし、内容も、マジックの専門用語が飛び交っているので、テープ起こしを作る人にはチンプンカンプンなのだろう。言葉の間違いも多い。

3年も前のことなので、私も忘れていることが多い。

一番多く話しているまこママはPCを持っていないから、さっそくプリントアウトしたA4サイズ44枚の原稿を郵送した。

その他にも、沖縄や千葉からの出席者にも、原稿をメールで送信して、誤りの修正をしてもらうことにした。

話言葉なので、文章化するには、結構大変である。省略されている言葉や場所などを加筆しなければならないし、マジックの専門用語などには解説も必要であろう。

とりあえず、やってみて、写真を加えて、薄い冊子に出来ないか検討中である。まこママは、全然話足りないと言っているが、一度に全部を文章化するのは難しいから、何号かに分けたいと思っている。

マジックの世界では、結構重要な話が多いのではないだろうかと思う。

まずは、第1巻目を今年中の完成を目指したいと思っている。


■2018-04-05-Thursday ゴルフの

ゴルフ仲間の会「ジュエル・クラブ」の

総会が5日夜に市内のレストラン「十勝農園」で開催された。

今年のメンバー数は35名だと云う。昭和54(1979)年から続いている会である。

十勝でゴルフが出来る5〜10月の半年間、毎月1回、十勝管内のゴルフ場を回って対戦し、年間ポイントで競う会である。

私は、去年は前立腺癌の治療でほとんどゴルフをやっていない。

3月に行われる海外遠征もパスしていたのだが・・・、今年の日程が3月1日だったので、行くことにしていた人達も、てっきり大雪の為にキャンセルになったのではないかと思っていたのだが、今日の報告では、それでも5名がタイに行ってゴルフを楽しんで来たと云うから驚いた。今日も、寒くて風が強い中、総会の前に4名がゴルフをして来たと云う。すごい根性であるなぁ〜。私は、基本的に寒い、強風、雨、猛暑の日にはゴルフはやらない主義である。他のメンバーは、私が我儘なだけだと云うが・・・

健康の為にやっているゴルフで、天気の悪い日にやって、健康を損ねるのは本末転倒だと思っているだけなのだが・・・。

ようやく、今年もゴルフシーズンの開幕であるが、私はまだ、ゴルフクラブすら物置から出していない。そろそろストレッチでも始めないといけないなぁ〜。健康の為に、今年は積極的にゴルフコンペに参加したいと思っている。


■2018-04-07-Saturday せっかくの・・・

エッ〜雪!?

昨日6日にまた雪が降った。まだ日蔭の部分は雪が残っているから、その上に降った雪は積雪になってしまったし、庭の木々の枝には相当な雪が積もったのであった。一面の銀世界に逆戻りである。

まぁ、帯広は、5月の連休に降ったこともあるからなぁ〜。

それでも、積もったその雪は5冂度ですぐに融けたけどね・・・。

もう雪はいい加減にして欲しいもんだね。春になるんならサッサとなってくれよ〜!天気の神様に焦らされてる様で何だかイライラするねぇ〜。

アメリカのオーガスタではマスターズも始まったから、テレビを見ていてせっかく気分はゴルフに向かっていたのに、ゴルフクラブを物置から引っ張り出す前に、またまた除雪具を手にしなければならなくなったではないか。

アニメーターの高畑勲監督(82)が亡くなったと云うニュース。

高畑監督の「火垂るの墓」には泣かされた。何度見ても涙が止まらない。アニメーションの大傑作であろう。戦争の悲惨さをこれほど、戦争を知らない世代に訴えた映画はないのではないだろうか。

映画の作品では、大傑作と駄作を交互に出していた様に感じるけど・・・。素晴らしい才能がまた消えてしまった。残念である。(合掌)


■2018-04-08-Sunday リサイタル

松崎千枝子ソロリサイタルに行って来た。

松崎さんは、我が社のテナントで、声楽教室を主宰している。

松崎家と坂本家とは浅からぬ縁があって、昔から家同士の付き合いがあるのだ。

父の兄である坂本家次男の恒久と、松崎千枝子さんの父親の孝造さんとは帯広中学二期の同級生でとても仲が良かった。恒久の長男の勝昭は、孝造先生に憧れて、歯医者になったほどである。

孝造先生は歯科医と内科医の医院を西5条14丁目で開院しており、私は幼い時から、この松崎歯科医院に通っていたのである。

小学5年生の時に、現住所の西6条14丁目に引っ越して来たから近くはなったのだが、それ以前は、自宅は会社と同じ西2条南9丁目であったから、遠回りして線路を越えて行かなければならず、子どもの足では、結構遠い場所にあったのだが、それでも歯医者は松崎歯科と決まっていたのである。

待合室で順番を待っていると、二階から千枝子さんのピアノと歌声が聞こえてきたものであった。私は悪戯っ子で、ジッとしていることが出来ない子どもであったから、技工室に入ってはイタズラをしていたが、松崎先生は怒ることはなかったのであった。

そんな松崎千枝子さんが、我が社のテナントとして入居してくれているのも何かの縁であろう。

普段、声楽のリサイタルにはめったに行かないが、「今回のリサイタルで、恐らくソロは最後になるから是非聞きに来て下さい。」と招待状を頂いたので夫婦で聞きに行ったのである。

クラシック系のリサイタルを聞きに来る観客というのは文化レベルが、やや高めの方々が多いのであろうなぁ〜。

ロック系の爆音が鳴り響くコンサートとはまた違った趣があって良かった。


■2018-04-10-Tuesday 対面式

母校の帯広柏葉高校の

10日の対面式で講話をして欲しいとの依頼を受けた。主催者は生徒会であると云う。

高校の体育館で、在校生が新入生を歓迎する催しである。毎年、柏葉を卒業した先輩の中から著名な人を選んで講話を依頼しているらしいが、いよいよ他に頼む人が居なくなった様である。

3月末で退職した島芳一校長が私を推薦したのだと云う。島前校長は柏葉26期の同期生で、置き土産みたいな感じなのかなぁ〜。

与えられた時間は15分間で、題名は「柏葉を語る」であると云う。

さて、困ったぞ!

「柏葉を語る」と題されても、高校時代は、勉強もしないで小学生の時からハマったマジックだけしかやっていないしなぁ〜。

私が通っていた時代の柏葉高校とは勉強のレベルが違うしなぁ〜。

依頼を受けてから、いろいろと話す内容を考えてはみたものの、結局、マジックの話をするしかなかったのであった。

マジックの話をするなら、メリハリや特徴を出す為にも、当然ながらマジックを演じた方が良いのだろうが15分間でマジックも演じて、講話もすると云うのは時間が短過ぎる。

どうしても数秒間の瞬間芸的な演目にならざるをえないが、仕方がない。

挨拶代わりに、ウォンド(短い魔術棒)を一旦消してから、また出現させて、最後は花に変えるマジックを入れることにした。演技時間は10秒ほどである。

でも、これは受けたね〜。生徒等から「ウォ〜」と感嘆の声が上がった。

話の主題は「絶対に失敗しない方法」を伝授すると云うものである。私が高校生の時に立てた目標である「日本一のマジシャンになりたい」と云う話を軸に「高校時代」「大学時代」「プロマジシャンに弟子入り」「挫折」「北の屋台」「マジック・ミュージアム開設」などを交えながら話した。

時間は少しオーバーして20分間しゃべってしまったが、概ね内容は伝わったのではないかと感じた。

お礼として主催者の生徒会から花束まで頂戴した。私の講話の後、チアガール、応援団などが舞台に上がったが、若いというのは素晴らしいなぁ〜。


■2018-04-11-Wednesday JCOB会

10日の夜に帯広JCの

OB会が開催された。現役会員との交流会である。

30歳代の現役メンバーから「北の屋台は青年会議所が作ったんですか?」と質問された。

私が「北の屋台」を辞めたのが2007年3月末であるから、既に11年が経過している。

この間に入会した現役メンバーは「北の屋台」設立の経緯を知らないのであろう。でもそんなもんなのかなぁ〜。とてもガックリきた。

あまりにもガッカリとしてしまい、説明するのも面倒くさくなってしまったので、「北の屋台繁盛記」と云う本をアマゾンで購入して読みなさいとだけ伝えたが・・・。

青年会議所のメンバーですら、こんな具合であるから、他の人は推して知るべしである。まぁ、どうでも良いことだけど・・・。

日曜日に、市長選挙と市議会議員の補欠選挙が告示された。

もともと、「私は選挙には一切関わらない」と公言している。

JCOB会から、市議選の候補者が立候補しており、その選対本部長が今年のOB会長であるし、候補者もOB会の会員で、しかも、今年の副会長でもあるから、候補者本人も出席している。だから、何となくいつものOB会とは、若干異なる雰囲気である。

私の父親は、その昔、帯広市長選挙で、青年会議所のメンバーを候補者に立てた時に、後輩の為に選挙を手伝ったことから、その後も選挙から抜けられなくなってしまった。

中川一郎が自殺した後の、中川昭一と鈴木宗男の骨肉の争いと言われた選挙では、昭一の選挙の婦人部長にさせられた。自宅には反対側から不快な電話が入るなどしたものだから「選挙は、もうコリゴリだ。お前は絶対に選挙には関わるなよ」と亡くなる前に言い残したのである。

元々私は、分析が大好きであるから、選挙などの票読みも大好きなのである。父は私の性格を知っていたから、一度でも選挙に関わったら、ズッポリとハマるであろうと考えたのであろう。私もそれが怖いから、初めから関わらない様にしているのである。


■2018-04-12-Thursday 末期的症状

安倍内閣はいよいよ末期的症状である。

官僚機構がまるで機能していない。

官僚が公文書を改竄するのは、8世紀の藤原不比等の時代から続いていることだが・・・。

今、私は「古事記」にハマっている。昔から歴史の謎をあれこれ考えるのが大好きであったが、遡るに遡って、遂に古事記にまで辿り着いてしまったのである。

どうやら、藤原不比等が編集長的な役割を果たした「日本書紀」は、藤原氏に都合の良い様に改竄されているようである。

「古事記」には偽書と云う疑いが掛けられてもいるが、私は逆に考えている。

古事記に書かれている内容の方が信憑性が高いと思っているのである。あれっ「神話」なのに信憑性って変じゃないか?と思われる方も多いであろうが、古事記に載っていて、日本書紀が(わざと)省いた箇所が怪しいのである。

私は「古事記」は、後世に真実を伝えたいと願う人々が、藤原氏の妨害で発表出来なくなるのを避ける為に、微妙な表現で、藤原氏に完全には消されない様に最新の注意を払って表現し、残したのではないかと考えている。まだ藤原氏の権力も万全ではなく、他の豪族もまだまだ力を持っていた時代だから・・・。

昔も今も、官僚と云うのは、独特の保身術を身に付けている様で、明らかな「嘘」と云うのはなかなか吐けないようだ。

だから「記憶にない」などと断言を避ける。

だが、断言を避けるのは、後々に「仕掛け」が露呈してしまった際の言い訳を予め用意してあるからだ。

情報量が少なかった時代はその言い訳も通じて、相手を言いくるめることも可能だったであろうが、今日の情報量では通じないであろう。

一般大衆に露見するスピードが物凄く速まっている。

文科省や財務省や厚労省の言い訳やデータ改ざん(昔から数字のトリックを多用していた)などはまだしもだが、防衛省の場合は、シビリアンコントロールの問題があるから、ことはそう簡単には収まらないだろう。

もしも防衛省の官僚が、政府に隠し事をしていたとするならば、大問題だ。勝手に戦争を始める心配すら出て来る。

もはや安倍内閣は官僚をコントロール出来ていない。

これは、国家として非常に危険な状態であろう。恐らく、近い内に自民党内部から倒閣運動が起こるであろう。後は、安倍が未練を残さずに総辞職することを望むが、未練たらしく解散なんてことは・・・。

滋賀県では、警官が警官に射殺される事件が起きた。捕まった19歳の巡査は「罵倒されたから撃った」などと証言しているとネットのニュースに出ていたが・・・。

こんな、罵倒されたくらいですぐに切れて拳銃で撃つなんて人間が警察官に採用されることが恐ろしい。

公務員採用試験に「倫理観」を入れる必要があるんじゃないだろうか?


■2018-04-13-Friday マジック道具

神奈川県の方から

大きな段ボール箱2つのマジック道具が届いた。名前を見ても、まったく面識のない人である。

中に手紙が入っていて、「先ごろ亡くなった父親の趣味がマジックだが、他の家族はマジックをやらない。ネットオークションにでも出品しようかと思ったが、説明書が見当たらないので売れないだろう。ネットで検索していたらマジック・ミュージアムに行き当たった。ゴミとして捨てるのも忍びないので、お宅に寄贈します云々・・・」とのこと。

開けてみたら、大小30種類のマジック道具が入っていた。同様の寄贈品が毎日の様に届くが、一度に30個と云うのは希である。

段ボールの中には私にも使い方が分からない道具が1つだけあったが、確かに説明書が無ければ素人にはチンプンカンプンで、使い道の無いガラクタにしかならないであろう。

せっかく寄贈していただいた品物を倉庫に仕舞って置くのも忍びないから、なるべく人目に付くように飾りたいのだが、マジック・ミュージアムは、展示するスペースが無いほど品物で溢れかえっている。

プレ・オープン(2015.12.03)の頃でさえ、見学に来てくれた人から「ゴチャゴチャし過ぎだ!」との指摘を受けてきたのに・・・。

展示するケースも5台増やしたし、階段周りのショーウィンドウも1〜3階までをマジック用に直したし、1階の空きスペースも大掛かりなイリュージョン道具の展示室に替えた。もうこれ以上やったら・・・。

それでも、何とかスペースを作って飾ったのだが・・・どうしよう!


■2018-04-14-Saturday 歴史考察

歴史の考察にハマっているが・・・、

今年、北海道は松浦武四郎の命名百五十年と云うことで、アイヌ文化の再検証が盛んに行われている。

アイヌは文字を持たなかったから、明治になって和人がアイヌの古老に話を聞いて書き留めた話が資料になっている。

現在、存命のアイヌの人は、大正生まれまでがせいぜいで、明治生まれの人はほとんど生きていないから、昔の記憶を辿るとしても、昭和の初期くらいの記憶がせいぜいであろうと思われる。

今回の百五十年を期に、しっかりと調査して後世に残しておくべきであろう。

そんな中で、アイヌの葬式の事を調べていたら・・・。

アイヌの信仰として、「あの世とこの世はあまり違わないが全てが逆転、あべこべである」と云う。

例えば、この世が夏なら、あの世は冬。この世が昼なら、あの世は夜。と云う具合である。

全てがあべこべだから『この世で完全なものは、あの世では不完全なものになる』と云うことなのだ。

だから、死者を埋葬する際に、あの世でも使ってもらう為に生前使用していたモノを一緒に埋葬するが、必ず一部を欠損させて、不完全な形にして埋葬する。そうすればあの世では完全な形になって死者が使えると云う信仰である。

弥生時代の古墳でも、埴輪や鏡などの副葬品は、一部を壊してから埋めたと云うし、現在の日本でも、死者に着せる着物は「左前」にして着せる。

生きて居る人間と死者とはあべこべなのだ。

だから、昔から日本人とアイヌには共通の「あの世観」の信仰があったのではなかろうか?

フッと閃いた!

帯広市出身の上智大学の石澤良昭先生が指導するグループが、2001年にカンボジアのバンテアイ・クデイ遺跡から274体の廃仏を発見したが、その仏像はことごとく破壊されていたのである。

私も何度か、この仏像を拝見しているが、ほとんどの仏像が首を切断されていた。何とヒドイことをするなぁ〜と思った。

カンボジアのアンコール王朝は、もともとヒンズー教であるが、途中で仏教になり、またヒンズー教に戻る。このヒンズー教に戻る際に、廃仏毀釈が行われ、仏像が破壊されて埋められたと云う。

確かに、世界の宗教では、他の宗教を信じる者に対しては、殺すこともするほど残酷な行為が行われる。

私も、カンボジアの廃仏毀釈も、この激しい宗教間の争いの結果であろうと素直にそう思った。完全な形で残せば、後から掘り出してまた拝むことも出来るから、破壊して埋めたのだと思ったのだが・・・。

だが、ヒンズー教も仏教も多神教である。

激しい宗教戦争は、一神教の宗教間の話である。

このアイヌの「あの世観」の事を知って、ひょっとしたら、当時のカンボジア人にもアイヌと同じ様な「あの世観」があって、仏像を埋める際に一部を欠損させることで、あの世で完全な形で再生してもらいたいという気持ちがあったのではないかと思ったのだ。

さて、さて、どうであろうか?

歴史考察って面白いねぇ〜。


■2018-04-15-Sunday メリー・ポピンズ

東京渋谷へミュージカルを観に行った。

私のマジックの師匠である故ジミー忍師の長男、駒田一さんが、ミュージカル俳優なのである。

今回は「メリー・ポピンズ」の日本人キャストによる初演と云うことで、駒田一さんはお父さん(銀行員)役の「ジョージ・バンクス」で出演(ダブルキャスト)している。

15日からの旅行の前日(14日17時開演)に観劇のスケジュールを組み込んだのである。東京で働いている次女と師匠夫人のまこママも誘って4人で観劇した。

ディズニー映画では、ジュリー・アンドリュースが演じた主役のメリー・ポピンズ役は平原綾香(ダブルキャスト)、ディック・バンダイクが演じたバート役を柿澤勇人(ダブルキャスト)で、3月18日〜5月7日まで渋谷ヒカリエの東急シアターオーブで公演している。

帯広のお菓子の差し入れをする代わりに、出演者枠の良い席を取ってもらったのである。

ディズニーの映画版は、小学生の時に帯広小学校の全校生徒で授業として観に行った記憶がある。その後も我が子に見せたくてビデオを購入しては何度も見ているから、ストーリーも音楽も頭の中に全部入っている。

主演の平原綾香は、歌も踊りも演技も良くてジュリー・アンドリュースに見えて来てしまったほどであった。

魔法使いの話であるから、随所にマジックの要素も入っており、舞台の演出も照明も最高で楽しかった。

最後の方で、望遠鏡が壊れるハプニングがあったのがご愛敬であった。

終演後に近くの居酒屋で、駒田一さんら数人の出演者と、まこママ等と一緒に打ち上げ会で盛り上がった。これがまた楽しいひとときなのである。

明日から夫婦で旅行なのだが、大きな低気圧が近づいて来ていると云う予報である。しかし、私は「晴れ男」であるからきっと大丈夫であろうと楽観しているのだが、15日は朝07:40羽田発の飛行機で出雲縁結び空港に行く予定である。妻は飛行機が飛ばなかったらどうしようと心配しきりである。

朝が早いのでホテルは羽田空港直結の東急エクセル羽田に取った。夜11時過ぎにチェックインしたが、部屋が空いているとのことでアップグレードをしてくれたのである。何だか幸先が良いなぁ〜。


■2018-04-16-Monday 出雲大社

15日は出雲方面へと向かう。

去年の春に、家族で「伊勢神宮」に行ったのだが、その際に購入した「古事記」が面白くて面白くて何度も読んたのであった。

私は以前から古代の歴史に関心があり「古事記」は読むことは読んでいたのだったが、内容はうろ覚えであったのだ。

伊勢神宮を実際にこの目で見たら、次はどうしても出雲大社に行ってみたくなったのである。

14日は羽田空港の国内線第二ターミナルビル内にある東急エクセルホテル羽田に宿泊した。

朝、起きると外は暴風雨である。飛行機が飛ぶか飛ばないかは、第一ターミナルのJALのカウンターに行ってみなければ分からない。

外は暴風雨でも、移動中は雨に濡れることはない。晴れ男に傘は不要なのだ。

飛行機は激しい暴風雨の中を予定通りに出発した。出雲縁結び空港にも予定通りに到着した。出雲の天気は到着前まで降っていた雨が上がり、曇りである。

移動は観光タクシーを手配してある。

事前に色々と調べたが、公共交通機関がほとんどなく、観光バスで回ると見たい所には行けないし、時間にも制約がある。私達夫婦は我儘であるから、気に入った場所には長居をしたいし、ツマラナイ場所ではサッサと移動をしたい。団体行動は体質的に合わないのである。

選んだのは「一畑グループ」のタクシーである。今回の出雲ではタクシー・ホテル・高速バスは全て一畑系列で統一して予約したのである。この方法は正解であった。

タクシーの運転手は、京都のMKタクシーみたいな歴史の勉強や案内の勉強は不足していたが、親切で気さくな人であったので快適な移動であった。

まずは、出雲空港から出雲大社へと向かう。

妻が書店で購入して来た観光案内の本には、客を勘違いさせるトリックがちりばめられていることが分かった。

出雲大社の写真として大きな注連縄(しめなわ)をバックにした写真が使われているのだが、これは正確には出雲大社の注連縄ではなかったのだ。

出雲大社の隣にある結婚式場の神楽殿の注連縄なのであった。大社自体の注連縄はこの神楽殿の注連縄よりもグッと小さ目であった。

「神社」は「怨霊鎮魂」の施設と云う説に出雲大社も合致している。

神社で、川を渡る。参道が直線ではない。と云う神社は怨霊鎮魂の施設である。

出雲大社は、大国主命を祀っているが、「国譲り」とはすなわち乗っ取りである。大国主も息子らも国譲りの時に亡くなっているから、何等かの戦闘か騙し討ちがあったのであろう。

この世に大きな恨み事を残して死んだ人は祟る怨霊になるのである。だから神様として祀るのである。怨霊を注連縄で作った結界に閉じ込め、川でこの世とあの世を分ける。怨霊は直線にしか進むことが出来ないから参道を曲げて出られない様にする。出雲大社は参道は直線であったが、目の前に「拝殿」と云う建物で道を塞いでいたから回り込まなければならない。

大国主命は大社の正面ではなく西側を向けて祀られている。二礼四拍手と云うのも特殊な拝礼の仕方である。日本人が好きな語呂合わせでは「四」は「死」に通じると嫌うはずなのに・・・。

その他、出雲大社は謎が多い神社だった。すぐ隣にある「古代出雲歴史博物館」を見学したが、復元模型の高さはスゴイ。東大寺の大仏殿の屋根よりも高くて48mもあったと云う。日本一の社に祀るから、どうか祟らないで下さいとお願いしているかのようである。

1984年に荒神谷遺跡から発見された358本の銅剣や、1996年に加茂岩倉遺跡から発見された39個の銅鐸の展示が圧巻である。それまでに日本全土で発見された数よりも多くの数が一ヶ所にまとめて埋められていたのであるから・・・。この発見によってそれまでの学説が覆った。

これら発掘物の銅剣、銅鐸には「×」印が付けられている。これは「祭器」である銅剣、銅鐸の呪術性を封じる呪い(まじない)であろう。

2日前のブログに書いたカンボジアの仏像の話と合致していると感じた。

大国主命が支配する出雲王朝から、天照大神が支配する大和政権に移行する際に、祀る神や祭りの仕方も変化したのであろう。古来「政」は「祭」と同義なのである。前王朝の祭りの仕方を変更するから、その祭器は不要になる。だから埋めるのだが、呪術的能力を奪う為に「×」印で封印したのだろう。私的には納得出来た。

10月に全国の神様を迎える「稲佐の浜」を見た後で、「旧大社駅」に行き、近くにある運転手お薦めの手打ちそば店「大梶」で名物の割り子蕎麦を食べる。早目の昼食後には、縁結びの占いで有名な「八重垣神社」→出雲一宮の「熊野大社」→古い「神魂神社」を回って、「境港」に行く。途中でダイハツ自動車のCMにも使われた急勾配の「江島大橋」を渡る。遠くからみるとスゴイ急勾配に見えるが・・・。カメラアングルのトリックが含まれた映像なのであろうが、実物も結構なもんであった。

境港では、「水木しげる記念館」「水木しげるロード」を見学。まちづくりの成功事例としては有名な場所であるから、一度はこの目で見ておきたかったのである。私もまちづくりに関心があるし、妖怪やおばけが大好きであるから、とても楽しみにしていたのだが・・・、一部はまだ工事中で完成は今年の8月と云うことだが、日曜日なのにこの程度の人出では少し寂しかったなぁ〜。

町をあげて「水木しげるワールド」満載ではあるが、中には合わない業態もあるから通りの全てに統一感を持たせるのは難しいのだろうなぁ〜。

宿泊先の「松江しんじ湖温泉」の「一畑ホテル」に向かう。このホテルでも予約した部屋よりもアップグレードしてくれてレイクビューの部屋にしてくれた。嬉しいことであるから、お礼にこのホテルの売店でお土産を購入したのであった。

夕食は、ホテルの外に出て、お薦めの駅前の居酒屋で食べる。松江出身のテニスプレイヤー錦織圭が「のどぐろ」が好きだと言った途端に値段が跳ね上がって高級魚になったのだと云う「のどぐろ」をメインに食べる。刺身醤油が濃くて甘くて粘り気がある。色々と食べたが、メニューに北海道産のものが多いのは、昔の北前船の影響なのかも知れない。

私達夫婦はともに小食であるから、一人前を二人でシェアして食べたのであった。早目にホテルに戻って温泉に入って寝た。

この日も、雨には一滴も当たらなかったのであった。


■2018-04-17-Tuesday 松江

松江しんじ湖温泉のホテルを

16日の朝の9時に出て、松江駅のコインロッカーに荷物を預けてから「松江城」に向かう。年を取ると早起きになる。

天気は曇り。暑くもなくなく、寒くもなく、雨にも当らず観光には楽な天気である。

まずは松江城の堀川を船で回る「堀川めぐり」である。一周50分間で一日何回でも乗船可能で、10〜20分間隔でドンドンと出航している。

水面の目線で城を見るのは、また格別である。ユッタリしていて風情がある。船には10名ほどの客が乗船出来るが、靴を脱いで、コタツ本体が無いコタツの毛布だけに入る様に足を伸ばして床に座る。初めに船頭さんが、「ハイ、皆さん、出航前に屋根を下げる練習をしますよ」と云う。???

途中、何度か橋の下を船でくぐるのだが、4ヵ所だけ橋桁が低くて、このままの高さでは船の屋根がぶつかるから、屋根を電動で30僂らい上下させるのだと云う。その屋根の高さに合わせて客の頭もぶつからない様に一緒に下げて欲しいのだと言う。その動作がキツイのである。何せ屋根までの高さが70僂らいしかないのだ。こちとらお腹が邪魔して前屈も出来ないというのに・・・。前屈はツライから横に身体をズラしてしのいだのであった。

一周した後で、城内に入り石段を上がって城まで行き、中に入って国宝に指定されている天守閣に登るが、階段を登るのがツライ。運動不足気味であるから膝の上の太腿の筋肉がパンパンになる。

この天守は第二次大戦でも焼けなかったから昔のままの姿であるが、これからリニューアルして展示物を飾る予定だとかで、中はまだ真っ暗で何もない状態であるから天守からの眺めを楽しむだけであった。

宍道湖の夕陽は日本一だと言うが、この天守から見る夕陽もまた綺麗であっただろうなぁ〜。

松江城を出て、「小泉八雲記念館」に行く。「耳なし芳一」や「雪女」などの話は知っていたが、それ以上の関心が無かったのであるが、この記念館を見て、認識が変わった。彼が魔術や妖怪など不思議なことに、日本に来る前から関心が高かったことが分かった。アメリカの新聞社時代にゾンビのことなんかも書いているのである。私と嗜好が似ているかも・・・。次に隣の「小泉八雲旧居」を見学。てっきり効果音だと思っていたカエルの鳴き声が本物だと分かってビックリ、カエルが私を歓迎してくれたのかもしれないなぁ〜。

昼食は、すぐ隣にあった「塩見縄手」の蕎麦屋「八雲庵」で鴨なんばんを食べる。温かい方は出汁が効いていてとても美味しかった。冷たい方の付けタレは醤油が濃くて甘口で独特の味がした。

次は、その隣の「松江歴史博物館」を見学した後、館内の和菓子喫茶店で抹茶と和菓子のおやつを食べる。和風庭園を見ながら抹茶を飲んで和菓子を食べるのは風情があるねぇ〜。

もう一度、堀川めぐりの船に乗船し「カラコロ工房前(旧日本銀行松江支店)」で下船。見学後、向かいにある船頭さんお薦めの和菓子店「風流堂」でお菓子を買う。店主と話をしていたら「ついこの前も帯広からお越しのお客さんがいらっしゃいましたのよ・・・」と云う。これも何かの縁ですね〜と言ってお菓子をサービスしてくれたのであった。

松江駅に戻り、駅前のバスのりば15時発の高速バスに乗って広島に向かう。到着は18時10分である。

広島駅にほぼ時間通りに到着。宿泊先はアパホテルなのであるが、駅前に2つのアパホテルの建物があって迷う。すぐ近くに同じ名前のホテルを運営するなよ。観光客には分かり難いだろうに・・・。結局、ホテルに電話してみて2年前に建った新しい方のホテルであったことが判明した。

チェックインをするが、ビジネスホテルであるから、機械で先払い。観光で来たのに、何だか味気ないし「忖度」もないから、当然ながら部屋タイプのアップグレードもない。昨日までの2軒のホテルとは打って変わって、急に狭い部屋に閉じ込められた気分になった。何だか侘しいなぁ〜。

夕食は、駅前のデパートの上の食堂街、妻が広島に来たのだから「お好み焼き」を食べたいと言う。鉄板焼きの店に入ったが、周りの客のお好み焼きの大きさを見て「あれで一人前なの?」と妻が驚く。私たち夫婦はともに小食であるから、あれを一人ずつは食べる自信がない。二人で1人前をシェアすることにしたが、粉モノだけでは夜中にお腹が空くから、牛ステーキも一人前頼んでシェアしたのであった。

部屋に戻ったが、足腰が痛い。明日もかなり歩かなければならないから、部屋にマッサージを呼んで揉んでもらってから寝たのであった。


■2018-04-18-Wednesday 宮島

17日は広島である。

朝9時にホテルを出て、広島駅のコインロッカーに荷物を入れて駅構内の喫茶店でモーニングセットを食べてから、JR線の電車で宮島口まで向かう。

宮島口からはフェリーに乗って宮島へ、松江のタクシーの運転手さんからの情報で、フェリーはJRと宮島松大汽船の2社が運航しているが、JRの方に乗りなさいと教えられた。2社では運航ルートが少し異なり、JRの方が鳥居の近くまで行ってくれるが、もう一方は最短コースだから鳥居の近くには行きませんよと云うのである。教えられた通りにJRのフェリーの右側に乗る。

外人観光客の多いこと多いこと。皆、日本製の一眼レフの高級カメラを首からぶら下げてバシャバシャと写真を撮っている。

何だか20年ほど前の日本人観光客の姿を見ているようで笑っちゃったねぇ〜。

宮島に到着したら、雨がポツリ、ポツリと降って来た。オカシイナァ〜、私は「晴れ男」だから旅行に傘など不要なのだが・・・。

厳島神社は、テレビなどで見るよりもずっと小さく感じた。もっと大きな鳥居や神殿だと思っていたのだったが・・・。

御本社でお参りしたら、すぐ横の「能舞台」で、ちょうど「高砂」を演じ始めたところであった。しばらく見ていたのだが、踊り手がほとんど動かないので飽きてきたので厳島神社を出た。

雨が降ってきたので、「厳島神社宝物館」に入って見学をする。

昨日から何だかやけに小便が近くなっていて、ほとんど1時間置きに行っている。観光地は何処にトイレがあるのか分からないし、もしも急にしたくなった時に満員で、並んでいたりして我慢できずにお漏らしでもしたら恰好悪いから早目、早目に行く様にしているのが、かえって悪いのかもしれないのだが・・・。

宝物館を出て、前の「大願寺」の護摩堂で不動明王像を拝み、線香をあげる。神社と寺とを交互にお参りしているから、おもわず柏手を打ちそうになってしまった。

雨がパラパラと降ってきたが傘を差すほどでもない。厳島神社の裏側を抜けて、早目の昼食を摂ることにした。朝の行動の始める時刻が早いから11時半頃にお腹が空くのはちょうど良い。12時近くになったら、どこの店も混み合うであろうから・・・、これも事前の情報で、宮島に行ったら「あなごめし」と「カキ」を食べなさいと言われた。

私はウナギとシジミは好きだがアナゴとカキは・・・。

妻が、芝居茶寮水羽と云う店の看板に「いいとこどり」と云うメニューを見つけた『ミニアナゴめし・あなご天ぷら・カキフライ・かき鍋・焼ガキ・カキ茶碗蒸し・サラダ・デザート・香物』のセットである。これをひとつ注文して二人でシェアしようと言うのである。これがなかなかのグッドアイデアであった。味も良かったし、量もちょうど良かったので名物を全部少しずつ食べられたのであった。後から店に入って来た客は、それを一人でひとつずつ注文していたが、あのボリュームを全部一人で食べ切れるのかねぇ〜。

食べ終わってから、石段を登って豊臣秀吉が建てた豊国神社の千畳閣を見る、秀吉はどうしても上から清盛を見下ろしたかったのだろうなぁ〜。

表参道商店街を見て回り「藤い屋本店」に入る。妻は「もみじ饅頭」と抹茶のセット、私はぜんざいを頼んで食べた。もみじ饅頭の焼きたては美味しいかったが、帯広の「お焼き」と変りがない。十勝の小豆が日本一なのだから、この手のお菓子は帯広の方が美味しいのではと思う。

帰りは宮島松大汽船のフェリーで戻り、路面電車の一番前の座席に乗って「原爆ドーム前」まで行く。時間は掛ったが、これもなかなか面白い風景が見られたので良かった。

再び雨がポツリ、ポツリと降ってきたがまだ傘を差すほどでもない。原爆ドームの後は「広島平和記念資料館」に入る。1999年に「北の屋台」の調査研究で広島を訪れた際に見学して涙が止まらなくなった。妻にも見せたいと思って連れて行ったのだったが・・・。本館は工事中で、東館しか開いていない。展示も何だか、アッサリとしてしてしまって、以前の様な涙は出てこなかったのであった。アメリカのオバマ大統領が、現役の大統領として初めて広島を訪れたが、その際に折った折り鶴の展示が地下の人があまり通らない場所に展示されているのを見て妻が「トランプに忖度しているのか」と憤っていた。

戦争の悲惨さ、核爆弾の不条理さを伝えるには・・・。

見終わってから広島駅に行き、新幹線で大阪へ向かう。途中の岡山辺りで車内放送で「医者か看護師が居たら6号車に来て欲しい」と何度も流す。急病人が出た様だ。停車しないはずの姫路駅で緊急停車して担架で運び出したとの車内放送。この間10分間の遅れであったが、まぁ迅速で適切な対応であったろう。

新大阪の駅前のホテルを予約しているが、ここも同じホテルが別々の場所に2棟建っている。新幹線の窓からホテル名が見えたからそちらの方向に向かって歩いて行ったのだが・・・。どうやら違うようだ。

電話を掛けたら泊まるホテルとは違っていた。電話で場所を教えてもらいながらようやく探し当てる。こちらはビルの陰に建っていたので見えなかったのであった。

こちらもビジネスホテルで機械で先に清算する。泊まる部屋は4畳間くらいの超狭い部屋で、妻と部屋内ですれ違うことも出来ない。おまけにバスユニットは何故だかユラユラと揺れている。

夕食を食べに、道頓堀に行き、妻が食べたことがないと云う「ふぐ料理」を食べさせるために「づぼらや」に入る。最後に「おじや」を食べたいから、ここでも、てっさり、てっちり、天ぷら等のセット料理を2人でシェアして食べたのであった。

食後に、大阪のマジシャンに電話して、マジックバー「フレンチ・ドロップ」を紹介してもらって観に行く。マジックの実演は、とても面白い店で大満足。マジック・ミュージアムの宣伝もしてきたのであった。

22:30にホテルに戻ったが、部屋は狭いし、隙間風が窓から入って来て寒いし、おまけに妻は閉所恐怖症だから、これほど狭い部屋では眠れないと云う。何だか、泊まる部屋のレベルがドンドンと悪くなっていくようである。


■2018-04-19-Thursday 大阪

18日は大阪である。

私は何度も大阪に来ているから、始めは大阪を通過しようと思ったのだが、妻は初めてだと云うので大阪も見物することにしたのである。

私も何度も来ていると言っても見ていない場所も結構あるからちょうど良かった。

昨夜は、妻が隙間風で頭が寒いからと、ベッド上で逆向きに寝たのだが、私が夜中に2回もトイレに起きたのでその度に起こされたと言っては機嫌が悪い。

それでも、観光に掛ける意気込みは減らないようで、早朝から準備に動き出したのだが、部屋が狭いからガタガタとうるさくて、今度は私も寝ていられない。

9時前にはホテルを出て、新大阪駅でコインロッカーに荷物を入れて、喫茶店でモーニングサービスを食べてから、JR線で大阪城に向かう。

何だか城ばかり見ているようだ。神社や寺や城の見学ばかりだから、まるで年寄りの旅みたいだが、逆にこのコースは、坂道、階段などが多いから老人には辛い旅かもしれない。昔は年取ってから旅行でも・・・などと言っていたが、体力があって健康でなければ旅は出来ない。

JRの大阪城公園駅を降りたが、大阪城は広過ぎるのと、看板の表示がとても分かり難い。

妻が、松江の堀川めぐりがよっぽど気に入ったのか、ここでも御座船に乗って堀を巡りたいと云う。御座船は閉じている内堀だから一周出来ないので行き来するが、時間も短くて20分間である。

松江城は石垣がごく一部にしかなく高さもあまり高くなかったが、さすがに大阪城の石垣のスケールは凄い。船に乗って、水面の高さから見上げるのは実に圧巻であった。乗って良かった。

下船後に天守閣に向かう。エレベータの前は長蛇の列であるから、横の階段の方の通路に入ってスイスイと移動するが、階段で7階の天守まで行くのは、ここ連日の足を酷使している身には結構辛い。息もハァハァ、汗は噴き出るし、膝は笑うしであった。

松江城とは異なり展示物の量が多い。キャプションをしっかりと読みながら見ると結構な時間が掛る。

天守を一周して大阪の街を見下ろしてから、一気に一番下まで階段で下りる。船が気に入った妻が、大阪市内の川を巡る水上バスツアーに乗りたいと云う。大阪城のチケット販売所で、切符を扱っていたので尋ねたら、予約で既に満杯だと云うので諦めた。

早目の昼食を食べようと、天守から見えた城のすぐ横の洒落た3階建てのビルの屋上のレストランに向かったが11時半だと云うのに既に予約で一杯で入れない。1階のコナモン屋でたこ焼きとフライドポテトとフライドチキンを食べて済ませたのであった。来た時とは反対側のNHK側の出口から城の外に出た。

妻が「次は、なんばグランド花月でよしもと新喜劇を見たい」と云う。なんばグランド花月に行ってみたら、まだ14:30からの当日券があると云う。2階席ではあるが、アベック割引きで2000円も安くなったのであった。

開演までの時間つぶしにグランド花月前にあった似顔絵屋で二人の似顔絵を描いてもらった。妻は「あなたの顔はそっくりだが、私のは似ていない」と云う。まぁこんなもんじゃないのかい。実物以上には描けないからね。

演芸は、最初あまり期待していなかったのだが、これがとても面白かった。漫才も普段のテレビとは違って長いから、前振りから始まるし、イジリも多くて、どの出演者も笑わせてくれた。久し振りに声を出して笑ったのであった。2部の新喜劇も、アドリブの応酬で出演者が笑いだすほどである。この手の演劇は見たことがないから新鮮であったし、尚且つとっても面白くて大満足である。

ついこの前まで、NHKの朝ドラでやっていた「わろてんか」は、吉本興業がモデルである。ズ〜ッと見ていたから、尚のこと楽しめたのであった。

終演後に新大阪に戻り、新幹線で品川に向かう、19日の帯広に戻る飛行機も7:35発と出発時間が早朝だから、14日に泊ったのと同じエクセル東急羽田にした。

21時過ぎに到着したが、フロントの人が私たちを覚えていてくれて、再度、部屋をアップグレードしてくれたのである。

旅の最後に、豪華なスィートルームに泊まれたのであった。なんと大阪で泊ったホテルの部屋の広さの5倍の広さである。終わり良ければ全て良しだ。とても気分良く旅を終える事が出来たのであった。