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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2018-05-05-Saturday 戻る

GW中に帰省していた息子が勤務地に戻った。

また夫婦2人だけの生活である。帯広空港に送って行ったが、空港では孫と思しき幼子との別れをしている老夫婦の姿を多く見掛けた。

「来て良し、帰って良しの孫」と云うが、私もはやく経験してみたいものである。

自宅に戻ってボーッとしていたら、以前に考えていたカンボジアのクメール(アンコール)朝の事が頭をよぎった。

2001年に上智大学がバンテアイ・クデイで発見した274体の廃仏のことである。

私は「マジック」の研究をしている。

マジックの起源は古代の「呪術」や「魔術」などにあると考えているので、その方面の資料も集めて読んでいるが・・・。

最近、「考古学」と「呪術」との関連がとても気になっているのである。

井沢元彦が指摘していることだが、現代人にとって「呪術」は単なる迷信で科学的根拠が無いと、考古学者も無視してしまいがちであるが、当時の人間にとって「呪術」は生活に密着した優先事項であったはずである。当時の生活様式は「呪術」に左右されていたと考える方が妥当であろう。

そんなことを思いながら、このバンテアイ・クデイの廃仏はいかなる理由で行われたのかという興味が湧いてきたのだ。

当時のカンボジアの住民がいかなる「呪術」に依存していたのかを私は知らないが、直観として「廃棄」ではなく「埋葬」ではないかと考えるのである。

バンテアイ・クデイは元々は10世紀頃に造られたヒンズー寺院であった。それを、クメール王朝の最隆盛期のジャヤヴァルマン7世、12世紀末〜13世紀初頭の王様が仏教寺院として再建した。この次の王様も親仏教系であるからおよそ60年間程が仏教を信奉していた時代である。その次のジャヤヴァルマン8世が、ヒンズー教に戻すのである。

この時代に、274対の仏像が破壊され埋められたと言われている。

世界の歴史をみると、宗教改革が激しかったのは、多神教 ⇔ 一神教の変更時である。弾圧が激しいのは唯一絶対神は、他のいかなる神の存在も許さないからである。

だが、ヒンズー教も仏教も多神教である。ましてやヒンズー教と仏教はかなり混合されている宗教だ。

そこに、仏像の破壊、廃仏と云う行為はあまり馴染まない様に感じて仕方がない。

例え、王様が強権を発令して、廃仏をさせようと考えても、民衆がその命令に素直に従うとは思えないのである。信仰心とは強権で変更させられる類のものではないからだ。

時の王様が、前王等が信じていた仏教を憎んだのだとしても、民衆が右に倣えして信仰を変えるのは難しい。

「仏像を破壊して捨てろ!」と命令されたら、どうするだろうか?

破壊するなら、野晒しにすれば良いのであって、丁寧に埋める必要はないと考える。

これは、王様からの破壊命令に対して、抵抗した民衆が、仏像を「埋葬」したと考えてはどうだろうか?

「この世」では王の命令で仏像を捨てなければならなくなったが、ただ捨てるのは忍びない。「あの世」に送って復活してもらいたいと考えるのが人間の心理として普通なのではなかろうか?

では、何故、破壊するのか?

そのヒントが、先日書いた「アイヌ」の埋葬の仕方である。

「この世」と「あの世」は全てがアベコベ。この世で完全な形のモノはあの世では不完全だし、その逆に、この世で不完全なモノはあの世では完全になる。だから、わざと一部を欠損させて埋葬するのである。

それと似た様な風習や呪術が当時のカンボジアにもあったとしたら・・・。