«00130 メイン
 | トップ |  | ビル概要 |  | テナント構成 |  | 沿革 |  | アクセス |

観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2018-10-01-Monday 百均マジック

百円均一のダイソーのマジックが・・・

最近の百円均一ショップの商品ラインアップは凄い!

かつて私は新聞紙上のコラムで「百円均一ショップはあだ花!在庫の山でやがて潰れる」と論じたのだが・・・。

当時の百均は、まだ「バッタモン(倒産品)」を集めて安く販売する店が主流であったのだが、最近の百均は独自の商品開発を行うなどして、商品ラインアップが充実し、その勢いが止まらない。これが百円?と思う様な良い商品も増えている。

40年程前は「東急ハンズ」の店内を巡るのが、新しいマジックの発想を生み出す秘訣であったのだが・・・。

最近は、百均の店内を回って、気になったモノを購入して来ては、アレコレと捻くり回して改造しマジックのネタを考える様になった。

百均なら沢山買っても値段は安いし、たとえ工作に失敗して購入した商品をダメにしてしまっても、財布的にも心理的にもダメージが少ないのが最大の利点である。だから色んなことに挑戦出来るのだ。

躊躇う事なく、色々と試す事が出来るのは最大の魅力である。

ダイソーでは、昔から「玩具コーナー」にはマジック用品も多種売っていたのだが、私はこれまで使用する目的で購入したことはなく、展示品として「駄菓子屋マジックコーナー」の延長線上で、「百均マジックコーナー」と云う場所を作って並べていたのだ。だから、まだ箱を開けたことがなく、中身を見たこともなく箱のまま展示してあるのだが・・・。

先日、とあるマジシャンから「百均のマジック用品は馬鹿に出来ないゾ!」と聞かされ、何個か開けてみたのである。すると・・・。

イヤァ〜驚いた!なぁ〜。

商品の内容がとても100円とは思えない程の高レベルなのである。デパートなどのマジックショップで販売しているモノと同じ様なマジック用品も売っているのだ。

かつて2000円ほども出して購入した道具と同じ様な道具がたったの100円で販売しているのだ。

でも・・・。

これって、考案したマジッククリエーターの許可を貰って販売しているのだろうか?

マジックはタネが重要な要素なのである。

そのタネを苦労して考案した作者の許可も得ずに、タネだけを奪うのはマジシャンとしては許せない。確かに、タネが分かれば簡単な道具で同様のことが出来てしまうのではあるが・・・。

「タネ明かし本」を出版する出版社もあるが、マジックのタネを一体何だと思っているのだろうか?

これは、かなりな大問題である。

マジックショップの売り上げが減ってしまう可能性もある。

でも・・・。

マジックのすそ野を広げる効果は多少はあるであろうが・・・、マジックはタネが重要だが、タネが全てではない。そこを明確にしていく必要があるであろう。

ところで「スプーン曲げ」のマジック(超能力ではない)を演じるのには、百均の3本100円のスプーンが値段的にも、硬さ的にも最適であったのだが・・・。

マジック・ミュージアムでは、最近、スプーン曲げのリクエストが増えている。何度も曲げていると折れてしまうので買い足しに百均に行ったら・・・。

百均のスプーンの品質がアップして、金属が厚く丈夫になってしまったのである。これだと演じ難いのだ。困ったなぁ〜。


■2018-10-03-Wednesday 松旭斎天洋

9月28日に札幌で開催された

プロマジシャンの「バーディコヤマさんの芸歴50年を祝う会」に出席してきた。

2次会の席で、バーディさんが「松旭斎天洋先生が舞台で実際に使用したビヤ樽を預かっているが、マジック・ミュージアムに寄贈しましょう」と言ってくれた。

「ビヤ樽」と云うマジックは、樽の上下の板が抜けた横の側だけの空の樽に新聞紙で上下蓋をする。その蓋になった新聞紙に蛇口を差し込むと、ビールが中ジョッキ数杯分の量出て来て客にビールを振る舞うと云うマジックである。

ここで、天洋師のことを詳しく紹介する。

「松旭斎天洋(しょうきょくさい てんよう)」(1888年9月21日 - 1980年9月30日)はプロマジシャンで、初代の「日本奇術協会」の会長でもある。

天洋師の母親が日本近代奇術の父と言われた「松旭斎天一」の姉であったことから1904年(明治37年)頃に松旭斎天一に弟子入りして松旭斎天松という芸名をもらう。兄弟弟子には松旭斎天勝や松旭斎天二らがいた。

師匠の天一が死去してからは松旭斎天洋と改名し、1912年(大正元年)に「天洋一座」を旗揚げして座長として独立し活躍した。

昭和恐慌を端緒とした不景気の影響により天洋一座は財政的に困窮した為、困った天洋は手品を趣味としていた医者の緒方知三郎の所に相談に行った。すると緒方から「手品の世界を一般の人たちにも開放してはどうか」 とアドバイスされた。

当時、手品の商品を一般人に販売することはタブー視されていたが、天洋は1931年(昭和6年)に東京の新富町に「天洋奇術研究所」を設立して三越日本橋本店で手品商品の実演販売をおこなったのである。

この実演販売をきっかけとして三越各店での実演販売を行っていくと好評を得ていき、天洋一座の財政も好転するようになっていった。

1936年(昭和11年)4月には(初代)松旭斎天勝の発案で、「奇術界の発展、奇術師同士の技術向上、親睦」を目的として32名の職業奇術家が目黒雅叙園に集まって「職業奇術家団体同好会」創立の会合が開かれた。名誉会長に初代・天勝、会長に天洋が就任した。この同好会が後に「日本奇術協会」となる。

1941年(昭和16年)には太平洋戦争により手品商品の材料が手に入らなくなり、「天洋奇術研究所」は一時閉鎖となった。

終戦後、再び「天洋奇術研究所」を活動再開させたものの天洋は進駐軍での舞台公演に時間を取られて販売まで手が回らず、売上げは伸びなかった。

1953年(昭和28年)に天洋の六男である山田昭が「天洋奇術研究所」を新たな発想のもとに刷新していった。

その後1960年に株式会社化し、これが後の「株式会社テンヨー」の前身になる。

天洋の弟子の(初代)引田天功、島田晴夫、八田加寿雄、ジミー忍、バーディコヤマ、Mr.マリックらはデパートでの実演販売をするディーラーからプロマジシャンになった。1964年に75歳で引退。

マジシャンにとっては、天洋師は天一からの本流の系統であり、且つまた一流の弟子を多く育てた、とにかくスゴイ人なのである。

天洋師は私の師匠(故ジミー忍師)の師匠であるから、私は孫弟子と云うことになる。そんなマジシャンが実際に舞台で使用していた道具を寄贈してくれたのであるから、マジック・ミュージアムにまた目玉が増えたのだ。嬉しいことである。


■2018-10-07-Sunday 3連休

今年は3連休が多いが、

いずれも、台風や地震などの災害に遭ってまともに休めない。

昨日(7日)は、14歳年長の先輩からゴルフを誘われていたのだが・・・。

台風が北海道に迫って来ていると云う天気予報を見て「止めましょうよ」と言ったのだが・・・。

「台風は去ったから、午後からやるぞ!」と元気が良いのである。

嫌々ながらも出掛けて行ったのであった。

天気は時折小雨がぱらつく程度で、途中には太陽も出て来た。

一緒に回るメンバーの年齢は、74歳、73歳、71歳である。「お前一人だけレギュラーティからと云うのも面倒だから、今日はお前も一緒にシルバーティからプレーしろ」と云う。

前から打つのは初めてであるから、いつもと勝手が違う。景色が異なるのである。案の定、飛び過ぎて突き抜けてのOBを打ってしまった。

私のスコアは散々なものであるが、いつもの晩御飯の支払いを賭けてのラスベガス方式と云う賭けをしながらのプレーで、今回は2位になった。

1位が1割、2位が2割、3位が3割、4位が4割を支払う決まりなのである。

前回は私が4位で4割を支払ったのだが、食事の場所は高級スキヤキ屋であった。

今回は、最年長のAさんが4位であるが「食事の場所は俺が決める。俺がルールだ」と言って場所は居酒屋になったのであった。

翌日も全員が、同じ場所で早朝からゴルフコンペに参加するのでであるから、お酒の量も控え目である。

何だかなぁ〜。


■2018-10-08-Monday ゴルフ

7日と同じゴルフ場で

今日は、青年会議所の「じゃがいもクラブ」のゴルフコンペの最終戦である。

今年は、スケジュールがなかなか合わなくて、半分しか参加していないし、ゴルフの成績も悪いから、年間賞には程遠い順位でしかない。

集合時間は6時半と朝早い時間であるし、地面はグチャグチャであるし、天気予報は外れて、雨が降っている。

ノータッチでプレイすると云う。

去年の入院で筋力が低下しているから、腕力の必要なラフからのショットは避けたいところなのだが・・・。

こう云う時に限って、球がフェアウェイには止まってくれない。スコアが悪いもんだから、取り返そうと思って、無理をするので、ミスショットが多くなり、益々崩れていくと云う最悪のパターンである。

オマケに、木の真下や真後ろにボールが止まって、出すだけなのに、それをミスするから、イライラは頂点に達する。

集中力を失くして、いい加減にプレーするから、スコアは最低。

結局、今期最低のスコアであった。

私がプレーした組は11:40分に上がって来た。今日は最終戦であるから、表彰式は18時から市内の飲食店で行うことになっている。

まだ6時間も時間がある。成績が悪かったから表彰式に出るつもりもなかったのだが・・・。

自宅に戻ったら、外で焼肉をやろうと云うことになった。16時からビールを飲んで、食べ始めたが17時には食べ終えてしまったのだった。

食後に風呂に入ってノンビリしたのだが、何だか手持無沙汰になってしまったのである。どうせ入賞はしていないのだろうが、表彰式に顔を出すことにしたのである。

徒歩で会場に向かった。

案の定、今日のコンペは25位で、飛賞の醤油セットを貰った。

年間賞の方は、まるでお話にもならない。

一次会で自宅に戻り、サッサと寝たのであった。

それにしても、今年はゴルフの成績が振るわないなぁ〜。今年の予定は後1試合だけである。

練習が嫌いであるが、負けず嫌いでもあるから、冬に特訓でもするか!

その前に、少し腹を引っ込めないとなぁ〜。


■2018-10-15-Monday 消費増税

安倍首相が来年10月に

消費税を10%に上げると宣言したと云うニュース。

以前から言っていたのだから、別段、驚くほどのことではないが・・・。

私は「軽減税率」の方が大問題だと思っている。与党でもある公明党の賛意を得る為に、導入したと言われているのだが、まったく馬鹿げた税制である。

世の中に混乱しか起こさないと予言しておこう。

貧困者救済の為だと云うが・・・、人間は、金持ちも貧乏人も食べなければ生きていけない生物なのである。高い食材を買うのは金持ちなのだから、食材を軽減税率にしたらその分、金持ちを優遇することになる。皆から等しく取れば良いのだ。その上で、年収が少ない人達には、税金を戻してあげた方が良い。

やれ、買って帰ったらどうとか、イートインならどうとか、店の方も、客の方も訳が分からなくなるであろう。実に馬鹿馬鹿しい限りだ。税金はシンプル イズ ベストなのである。複雑にしたら、またコス狡い奴が儲けるだけだ。

今更、消費税を10%に上げたところで、政治家や官僚が、補助金だとか不要な箱物建設とかオカシナ税金の使い方を止めない限り、財政の健全化など絵空事で全く無意味なことである。

今年、還暦になった私達の世代は、60才定年での完全隠居は難しいだろう。年金受給までの数年間は働かなければならないだろうし、受給されても年金だけでの生活は困難であろう。

それでも、おそらく年金額は減らされるであろうけれども、まだ何とかかんとか貰えるであろうが、一回り下の連中の世代は、一体どうなるのであろうか?

現在、日本には100才超の老人が6万数千人も居るのだと云う。しかも、その内の6万人が女性だと云う。女は生物学的にも強いのだなぁ〜。

内容が正しいかどうかは検証していないから分からないが、とある週刊誌によると60〜80才までの20年間の生活費は、年180万円掛かると云う。そうすると20年で3千6百万円掛かる。100才までの、もう20年を入れると7千2百万円!

誰がどう考えたって、60才で無収入になって、40年以上も年金だけで暮らせる訳がない。

政府は、65才定年にして、70才から年金支給を始めるなんて考えているようだが、男性の健康寿命は72〜73才くらいだから、定年後に3年程しか隠居生活を送れない。後はベッドで寝た切りか!

あぁ〜嫌だ、嫌だ!考えるのも嫌だ!長生きはしたくないなぁ〜。