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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2018-10-01-Monday 百均マジック

百円均一のダイソーのマジックが・・・

最近の百円均一ショップの商品ラインアップは凄い!

かつて私は新聞紙上のコラムで「百円均一ショップはあだ花!在庫の山でやがて潰れる」と論じたのだが・・・。

当時の百均は、まだ「バッタモン(倒産品)」を集めて安く販売する店が主流であったのだが、最近の百均は独自の商品開発を行うなどして、商品ラインアップが充実し、その勢いが止まらない。これが百円?と思う様な良い商品も増えている。

40年程前は「東急ハンズ」の店内を巡るのが、新しいマジックの発想を生み出す秘訣であったのだが・・・。

最近は、百均の店内を回って、気になったモノを購入して来ては、アレコレと捻くり回して改造しマジックのネタを考える様になった。

百均なら沢山買っても値段は安いし、たとえ工作に失敗して購入した商品をダメにしてしまっても、財布的にも心理的にもダメージが少ないのが最大の利点である。だから色んなことに挑戦出来るのだ。

躊躇う事なく、色々と試す事が出来るのは最大の魅力である。

ダイソーでは、昔から「玩具コーナー」にはマジック用品も多種売っていたのだが、私はこれまで使用する目的で購入したことはなく、展示品として「駄菓子屋マジックコーナー」の延長線上で、「百均マジックコーナー」と云う場所を作って並べていたのだ。だから、まだ箱を開けたことがなく、中身を見たこともなく箱のまま展示してあるのだが・・・。

先日、とあるマジシャンから「百均のマジック用品は馬鹿に出来ないゾ!」と聞かされ、何個か開けてみたのである。すると・・・。

イヤァ〜驚いた!なぁ〜。

商品の内容がとても100円とは思えない程の高レベルなのである。デパートなどのマジックショップで販売しているモノと同じ様なマジック用品も売っているのだ。

かつて2000円ほども出して購入した道具と同じ様な道具がたったの100円で販売しているのだ。

でも・・・。

これって、考案したマジッククリエーターの許可を貰って販売しているのだろうか?

マジックはタネが重要な要素なのである。

そのタネを苦労して考案した作者の許可も得ずに、タネだけを奪うのはマジシャンとしては許せない。確かに、タネが分かれば簡単な道具で同様のことが出来てしまうのではあるが・・・。

「タネ明かし本」を出版する出版社もあるが、マジックのタネを一体何だと思っているのだろうか?

これは、かなりな大問題である。

マジックショップの売り上げが減ってしまう可能性もある。

でも・・・。

マジックのすそ野を広げる効果は多少はあるであろうが・・・、マジックはタネが重要だが、タネが全てではない。そこを明確にしていく必要があるであろう。

ところで「スプーン曲げ」のマジック(超能力ではない)を演じるのには、百均の3本100円のスプーンが値段的にも、硬さ的にも最適であったのだが・・・。

マジック・ミュージアムでは、最近、スプーン曲げのリクエストが増えている。何度も曲げていると折れてしまうので買い足しに百均に行ったら・・・。

百均のスプーンの品質がアップして、金属が厚く丈夫になってしまったのである。これだと演じ難いのだ。困ったなぁ〜。


■2018-10-03-Wednesday 松旭斎天洋

9月28日に札幌で開催された

プロマジシャンの「バーディコヤマさんの芸歴50年を祝う会」に出席してきた。

2次会の席で、バーディさんが「松旭斎天洋先生が舞台で実際に使用したビヤ樽を預かっているが、マジック・ミュージアムに寄贈しましょう」と言ってくれた。

「ビヤ樽」と云うマジックは、樽の上下の板が抜けた横の側だけの空の樽に新聞紙で上下蓋をする。その蓋になった新聞紙に蛇口を差し込むと、ビールが中ジョッキ数杯分の量出て来て客にビールを振る舞うと云うマジックである。

ここで、天洋師のことを詳しく紹介する。

「松旭斎天洋(しょうきょくさい てんよう)」(1888年9月21日 - 1980年9月30日)はプロマジシャンで、初代の「日本奇術協会」の会長でもある。

天洋師の母親が日本近代奇術の父と言われた「松旭斎天一」の姉であったことから1904年(明治37年)頃に松旭斎天一に弟子入りして松旭斎天松という芸名をもらう。兄弟弟子には松旭斎天勝や松旭斎天二らがいた。

師匠の天一が死去してからは松旭斎天洋と改名し、1912年(大正元年)に「天洋一座」を旗揚げして座長として独立し活躍した。

昭和恐慌を端緒とした不景気の影響により天洋一座は財政的に困窮した為、困った天洋は手品を趣味としていた医者の緒方知三郎の所に相談に行った。すると緒方から「手品の世界を一般の人たちにも開放してはどうか」 とアドバイスされた。

当時、手品の商品を一般人に販売することはタブー視されていたが、天洋は1931年(昭和6年)に東京の新富町に「天洋奇術研究所」を設立して三越日本橋本店で手品商品の実演販売をおこなったのである。

この実演販売をきっかけとして三越各店での実演販売を行っていくと好評を得ていき、天洋一座の財政も好転するようになっていった。

1936年(昭和11年)4月には(初代)松旭斎天勝の発案で、「奇術界の発展、奇術師同士の技術向上、親睦」を目的として32名の職業奇術家が目黒雅叙園に集まって「職業奇術家団体同好会」創立の会合が開かれた。名誉会長に初代・天勝、会長に天洋が就任した。この同好会が後に「日本奇術協会」となる。

1941年(昭和16年)には太平洋戦争により手品商品の材料が手に入らなくなり、「天洋奇術研究所」は一時閉鎖となった。

終戦後、再び「天洋奇術研究所」を活動再開させたものの天洋は進駐軍での舞台公演に時間を取られて販売まで手が回らず、売上げは伸びなかった。

1953年(昭和28年)に天洋の六男である山田昭が「天洋奇術研究所」を新たな発想のもとに刷新していった。

その後1960年に株式会社化し、これが後の「株式会社テンヨー」の前身になる。

天洋の弟子の(初代)引田天功、島田晴夫、八田加寿雄、ジミー忍、バーディコヤマ、Mr.マリックらはデパートでの実演販売をするディーラーからプロマジシャンになった。1964年に75歳で引退。

マジシャンにとっては、天洋師は天一からの本流の系統であり、且つまた一流の弟子を多く育てた、とにかくスゴイ人なのである。

天洋師は私の師匠(故ジミー忍師)の師匠であるから、私は孫弟子と云うことになる。そんなマジシャンが実際に舞台で使用していた道具を寄贈してくれたのであるから、マジック・ミュージアムにまた目玉が増えたのだ。嬉しいことである。


■2018-10-07-Sunday 3連休

今年は3連休が多いが、

いずれも、台風や地震などの災害に遭ってまともに休めない。

昨日(7日)は、14歳年長の先輩からゴルフを誘われていたのだが・・・。

台風が北海道に迫って来ていると云う天気予報を見て「止めましょうよ」と言ったのだが・・・。

「台風は去ったから、午後からやるぞ!」と元気が良いのである。

嫌々ながらも出掛けて行ったのであった。

天気は時折小雨がぱらつく程度で、途中には太陽も出て来た。

一緒に回るメンバーの年齢は、74歳、73歳、71歳である。「お前一人だけレギュラーティからと云うのも面倒だから、今日はお前も一緒にシルバーティからプレーしろ」と云う。

前から打つのは初めてであるから、いつもと勝手が違う。景色が異なるのである。案の定、飛び過ぎて突き抜けてのOBを打ってしまった。

私のスコアは散々なものであるが、いつもの晩御飯の支払いを賭けてのラスベガス方式と云う賭けをしながらのプレーで、今回は2位になった。

1位が1割、2位が2割、3位が3割、4位が4割を支払う決まりなのである。

前回は私が4位で4割を支払ったのだが、食事の場所は高級スキヤキ屋であった。

今回は、最年長のAさんが4位であるが「食事の場所は俺が決める。俺がルールだ」と言って場所は居酒屋になったのであった。

翌日も全員が、同じ場所で早朝からゴルフコンペに参加するのでであるから、お酒の量も控え目である。

何だかなぁ〜。


■2018-10-08-Monday ゴルフ

7日と同じゴルフ場で

今日は、青年会議所の「じゃがいもクラブ」のゴルフコンペの最終戦である。

今年は、スケジュールがなかなか合わなくて、半分しか参加していないし、ゴルフの成績も悪いから、年間賞には程遠い順位でしかない。

集合時間は6時半と朝早い時間であるし、地面はグチャグチャであるし、天気予報は外れて、雨が降っている。

ノータッチでプレイすると云う。

去年の入院で筋力が低下しているから、腕力の必要なラフからのショットは避けたいところなのだが・・・。

こう云う時に限って、球がフェアウェイには止まってくれない。スコアが悪いもんだから、取り返そうと思って、無理をするので、ミスショットが多くなり、益々崩れていくと云う最悪のパターンである。

オマケに、木の真下や真後ろにボールが止まって、出すだけなのに、それをミスするから、イライラは頂点に達する。

集中力を失くして、いい加減にプレーするから、スコアは最低。

結局、今期最低のスコアであった。

私がプレーした組は11:40分に上がって来た。今日は最終戦であるから、表彰式は18時から市内の飲食店で行うことになっている。

まだ6時間も時間がある。成績が悪かったから表彰式に出るつもりもなかったのだが・・・。

自宅に戻ったら、外で焼肉をやろうと云うことになった。16時からビールを飲んで、食べ始めたが17時には食べ終えてしまったのだった。

食後に風呂に入ってノンビリしたのだが、何だか手持無沙汰になってしまったのである。どうせ入賞はしていないのだろうが、表彰式に顔を出すことにしたのである。

徒歩で会場に向かった。

案の定、今日のコンペは25位で、飛賞の醤油セットを貰った。

年間賞の方は、まるでお話にもならない。

一次会で自宅に戻り、サッサと寝たのであった。

それにしても、今年はゴルフの成績が振るわないなぁ〜。今年の予定は後1試合だけである。

練習が嫌いであるが、負けず嫌いでもあるから、冬に特訓でもするか!

その前に、少し腹を引っ込めないとなぁ〜。


■2018-10-14-Sunday 小田和正

札幌で小田和正のコンサートがあった。

真駒内アイスアリーナで17:30からの開演である。

前日と今日の2日間の公演だ。

妻が小田和正の大ファンで、あの端正な顔を見に行きたいと云う。

私も、大学の受験勉強をしていた1975年頃には、ラジオでオフコースの「眠れない夜」を聞いて好きになっていたし、その後にオフコースの人数が増えた後の1982年の武道館コンサートのレーザーディスクも持っていて良く見ていたものだ。

小田和正のハイトーンボイスが好きであるし、カラオケでもよく唄っていたものだ。ただ・・・。

私には、小田和正の曲はどれも同じ様に聞こえて区別がつかないのだ。歌っている内に、別の曲と混同してしまうことがままあったので、いつしか歌うのを止めてしまったのであった。

私もLIVEは嫌いではないから、これまで、歌手のコンサートは、帯広に来た時には聞きに行ったものだったが、わざわざ札幌まで旅費や宿泊費を掛けてまで行くことはなかったのである。

それが、去年の私の2ヶ月間に及ぶ札幌での北大病院の入院以来、私の見舞いにカコツケテ、妻が、私を元気つける為と称しては、徳永英明や玉置浩二のコンサートを見に来たのである。

私も、入院中であったが、身体的には負担がまったく無い「陽子線治療」であったから、外出許可をもらって一緒に見に行ったのである。

それにスッカリ味を占めた妻が、コンサート好きになってしまい。ドリカムやら気志團やらのコンサートを見に行く様になったのである。

まぁ、私も好きだから良いのだけどね・・・。

真駒内アイスアリーナは、札幌オリンピックの前年のプレオリンピックの時に、アイスホッケーの試合を見に行った時以来行ったことがない。47年も前のことである。建物もかなり古くなっているようだ。

札幌駅から地下鉄南北線に乗って真駒内まで16分、乗客はどうやらほとんどが小田和正のコンサートを見に行く客の様である。早く着き過ぎたので会場まで徒歩で向かう。徒歩20分くらいの距離であるが、開場時間までははまだ時間がある。会場近くに六花亭の看板を見つけたので、そこで時間をつぶそうと思ったら、喫茶コーナーは満席で、客が並んでいる。皆、考えることは一緒である。これではどの道開場時間まで席は空くまい。店内で少し休憩してから会場に向かう。物凄い客数である。おそらく1万人以上は居るであろう。2日間もこの人数を満席にするというのはスゴイことだ。客の年齢層は50〜70才台。夫婦と思しき初老の2人連れの客も多かったが、圧倒的に60才過ぎの女性客が多い。

この世の中の経済は、おばちゃんパワーで回っていると実感した。

席は、アリーナ席の端っこ、ステージからは遠い、これでは見れないなぁ〜と思ったのだが・・・。

小田和正のサービス精神は大したもんである。会場には小田和正用の専用通路が設置されており、小田和正は歌いながら、この通路を何度も、何度も歩くのである。最初は端っこだと思っていたのに、私達の目の前に4度ほども来てくれて真近に見ることが出来たのであった。

82年の武道館コンサートのレーザーディスクの映像では、小田和正は35歳頃であるが、今回の様に会場を歩き回る訳ではなく、ステージ上に留まってピアノなどのキーボードを弾いて歌っているだけなのに、汗が顎から滴り落ちていたが・・・。

今回は、会場内を何周も歩き回りながら3時間(17:30〜20:30)も一人で歌い放しなのに、そんなに汗はかいていない様だ。風貌も体質も雰囲気もだいぶん枯れてきているのであろうか?

あのハイトーンボイスは健在である。2日連続で3時間も一人で歌うのは体力もさることながら、喉も相当に強くなければ出来ないことであろう。

素晴らしいコンサートで大満足であった。これが毎回満席にする要因なのであろうなぁ〜。


■2018-10-15-Monday 消費増税

安倍首相が来年10月に

消費税を10%に上げると宣言したと云うニュース。

以前から言っていたのだから、別段、驚くほどのことではないが・・・。

私は「軽減税率」の方が大問題だと思っている。与党でもある公明党の賛意を得る為に、導入したと言われているのだが、まったく馬鹿げた税制である。

世の中に混乱しか起こさないと予言しておこう。

貧困者救済の為だと云うが・・・、人間は、金持ちも貧乏人も食べなければ生きていけない生物なのである。高い食材を買うのは金持ちなのだから、食材を軽減税率にしたらその分、金持ちを優遇することになる。皆から等しく取れば良いのだ。その上で、年収が少ない人達には、税金を戻してあげた方が良い。

やれ、買って帰ったらどうとか、イートインならどうとか、店の方も、客の方も訳が分からなくなるであろう。実に馬鹿馬鹿しい限りだ。税金はシンプル イズ ベストなのである。複雑にしたら、またコス狡い奴が儲けるだけだ。

今更、消費税を10%に上げたところで、政治家や官僚が、補助金だとか不要な箱物建設とかオカシナ税金の使い方を止めない限り、財政の健全化など絵空事で全く無意味なことである。

今年、還暦になった私達の世代は、60才定年での完全隠居は難しいだろう。年金受給までの数年間は働かなければならないだろうし、受給されても年金だけでの生活は困難であろう。

それでも、おそらく年金額は減らされるであろうけれども、まだ何とかかんとか貰えるであろうが、一回り下の連中の世代は、一体どうなるのであろうか?

現在、日本には100才超の老人が6万数千人も居るのだと云う。しかも、その内の6万人が女性だと云う。女は生物学的にも強いのだなぁ〜。

内容が正しいかどうかは検証していないから分からないが、とある週刊誌によると60〜80才までの20年間に必要な生活費は、年180万円ほども掛かると云う。そうすると20年で3千6百万円掛かる計算だ。100才までの、もう20年を入れると7千2百万円!

住む場所によって家賃や物価も違うであろうが、誰がどう考えたって、60才で無収入になって、40年以上も年金だけで暮らせる訳がない。

政府は、65才定年にして、70才から年金支給を始めるなんて考えているようだが、男性の健康寿命は72〜73才くらいだから、定年後に3年程しか隠居生活を送れない。後はベッドで寝た切りか!

あぁ〜嫌だ、嫌だ!考えるのも嫌だ!あまり長生きはしたくないなぁ〜。


■2018-10-16-Tuesday エッ これが・・・

札幌で9月28日(金)に開催された

プロマジシャンの「バーディコヤマさんの芸歴50年を祝う会」のDVDが送られて来た。

早速、中身を見てみたら・・・。

私は、宴会途中の客のインタヴューの中で「マジック・ミュージアム」の宣伝をさせてもらったのだが、自分の席で立ち上がっての挨拶であったので、映像に映った自分の姿を見ても、太ったけれども、まぁこんなもんかなぁ〜くらいにしか思わなかったのである。

しかし、次第の最後で、乾杯の挨拶をする為に壇上に上がった自分の姿を見て、アレッと思ったのである。

普段の鏡に映る自分の姿と、テレビ画面に映った自分の姿とでは、明らかに太さが異なるのである。エッ、これが俺?

まるで、相撲取りがピッチピチのスーツを着ている様なのである。

妻に「俺ってこんなに太いの?」のと聞いたら、「今まで分からなかったの?」と逆に聞かれてしまった。

こりゃぁ〜マズイぞ!

去年10月末に退院した時から10圓眤世辰燭里蓮体重計を見ているから知っているのだが、客観的な視点では自分の姿を見ていなかったものだから、こんなに太ったとは思っていなかったのである。

最近、会う人毎に、太ったねと言われるのにも慣れてしまっていたようだ。

ズボンのサイズも既製服では、これ以上の太さの無いところまで来てしまった。これはイカン。

少し、お腹を引っ込めなければ・・・。

でも、今年は、もうゴルフシーズンは終わっちゃったしなぁ〜。

今日、札幌から28日のバーディコヤマさんの会の司会を務めたKさん家族5人がマジック・ミュージアムを訪れてくれた。

Kさんもマジックが趣味なのである。家族全員が大いに楽しんでくれた様で嬉しい。

マジック・ミュージアムはオープン以来、台風やら地震やら、私の病気やらで思う様な展開が出来てはいないが、少しずつではあるが、浸透し始めている様子である。焦らずノンビリとやっていこう。


■2018-10-17-Wednesday 地面師

東京五反田の土地を舞台にした詐欺事件

の容疑者が逮捕されたと云うニュース。

東京都品川区五反田の土地を購入しようとした積水ハウスが偽の地主に成りすました奴に騙されて約55億円の詐欺被害に遭った事件で、16日、警視庁は、土地所有者の女性になりすました職業不詳の羽毛田正美容疑者(63)ら数人を偽造有印私文書行使などの疑いで逮捕した。

土地は、品川区西五反田にある約2千平方メートルの旅館の跡地。積水ハウスはマンション建設用地を取得するため2017年4月、仲介業者を介して所有者を名乗る女から土地を買い取る契約を締結。同年6月にかけて計63億円を支払った。

しかし土地の所有権移転登記をしようとしたところ、所有者側の提出書類が偽造と判明。登記申請は法務局に却下され、所有者を名乗る女とは連絡が取れなくなった。

積水ハウスは留保金をのぞく約55億5千万円を実質被害として特別損失に計上し、警視庁に刑事告訴。同庁は女を羽毛田容疑者と特定するとともに、取引に関わった関係者の事情聴取などを進めていた。

積水ハウスの社外監査役・社外取締役でつくる委員会がまとめた報告書によると、営業担当者が仲介業者に取引を持ちかけられ、約1カ月後には土地の購入を会社として決断し契約。

その後、土地の所有者本人を名乗る人物から契約を否定する内容証明郵便が届き、グループ内からも取引の信用性に疑義を示す情報が寄せられたが、深く考慮されないまま代金の残金49億円の支払いをしていた。

学生時代に大好きで全作品を読破した高木彬光の小説に「白昼の死角」というのがあるが、その作品中に「地面師」の手口が出てきたと記憶している。確か時代設定が終戦直後の混乱期ではなかったろうか? それが、情報化時代の現代でもこんな詐欺事件が起こるんだなぁとビックリした。

本人確認をすれば簡単に防げる詐欺だと思うんだがなぁ〜・・・。

100億円以上の価値のある、多くの業者が獲得を狙っていた土地を35%割引きで購入出来ると思って、契約を焦ったのだろうなぁ〜。

しかし、犯人だって、契約時に顔を晒している訳だし、すぐに捕まるのは分かっていたろうに・・・。

これは、背後に裏で糸を操っている頭の良い、悪い奴が居るんだろうなぁ〜。

早く全容解明をして欲しい。セキスイハウスの様な大会社が何故、こんな程度の低い詐欺に引っ掛かったのか「マジック」を研究する者の一人として「人は何故騙されるのか?」を詳しく知りたいのである。


■2018-10-18-Thursday 島田晴夫師

今月末にマジック・ミュージアムを訪問

下さるアメリカ・ロサンゼルス在住である世界一のマジシャン島田晴夫師の演技を収録したVTRの鑑賞会を17日夜に開催した。

私の年齢に近いマジック関係者の間では島田晴夫師は「神様」みたいな存在で、師のことを知らないマジシャンは皆無であろうが、島田師はアメリカ在住の為に、ほとんど日本のテレビには出演をされないから、若手の人の中には、島田師の演技をまだ見たことがない人も多いのである。

はるばるロサンゼルスからマジックの「神様」が来て下さるのに、会わせる若手が、島田師の演技を見たことがないのでは、会話も質問も出来ないであろうし、師に対しても失礼にあたるので、事前にマジックの勉強も兼ねた鑑賞会を開くことにしたのである。

YouTubeを見たら、島田晴夫さんの演技の映像は数多く出てくるから個人でも見ることが出来るが、マジック・ミュージアムのVTRの収蔵品の中には、YouTubeなどには出て来ない、貴重な映像も沢山あるのである。

そんな貴重な映像を事前に探し出しておいた。

私が、プロマジシャンを志したのは、高校生の時に見た島田晴夫さんの鳩出しの演技である。独特の雰囲気を醸し出し、音楽ともピッタリと合った演技に憧れ、私も鳩出しをやりたいと思ったのである。

日本一有名なマジシャンになってやるとの野望を抱いていたのだ。

当時は、プロマジシャンになる為には、既に活躍しているプロマジシャンの門下に入らなければなれない時代であった。

幸いにも、私は、島田晴夫さんの弟弟子にあたるジミー忍門下に入ることが出来たのである。

大学卒業時に父に大反対をされて、プロへの道は断念したが、マジックは現在までも続けており、ジミー忍師の遺言で、一昨年の7月には日本で唯一のマジック博物館(ミュージアム)をオープンさせた。

残念ながら、演技者としては日本一のマジシャンにはなれなかったが、日本唯一のマジック・ミュージアムの館長となったので、日本一有名なマジック・コレクターにはなれるかもしれない。

野望の形は変わってしまったが、取り敢えずは「オンリー・ワン」にはなったのである。

人生って面白いもんだなぁ〜。

島田晴夫さんには、マジック・ミュージアムを堪能してもらって、世界中に伝えてもらえたらなぁと思っている。


■2018-10-19-Friday 沢田研二

さいたまスーパーアリーナで17日に開催予定だった公演を

開場直前になって突然に中止したジュリーこと沢田研二(70)が18日に経緯を説明したが・・・。

ハッキリ言って、沢田研二の芸能人生はこれで終わったのではないだろうか!

私は、芸能人と云うのは世間一般の常識等から逸脱した存在だから、世間の常識をキッチキチに当て嵌める必要はないと思っているのだが、でもこれはダメだろう。

ライブを楽しみに集まってくれた7000人のファンをいったい何だと思っているんだろう?

そもそも「さいたまスーパーアリーナ」みたいな広いところでやる方が間違ってると思うよ。最近はヒット曲もないし、醜く太った沢田研二を見に来てくれるファンがいるだけでもありがたいと思いなさいよ。

以下は、沢田の言い分を書いたが・・・。

同ライブは17日午後5時に開演予定だったが、同4時頃になって、急遽ライブの中止がアナウンスされ、会場の入り口には「契約上の問題が発生した為」との理由が手書きで書かれた紙が貼られたが、すでに観客が大勢集まっており、会場周辺は大混乱となったと云う。

18日午後4時過ぎに、報道陣の取材に応じて、沢田研二は中止の理由について「動員に関する契約上の問題だった」と説明。

同会場は客席が可動式で、規模によって約1万人から最大で3万7000人までの収容が可能な大きな施設であると云う。

開演前に所属事務所、イベンター会社から集客状況について「9000人と聞いていたが、実際は7000人だった」と知らされた。本番前のリハーサル時、観客が座れないように客席がつぶされているブロックが目立ったことに腹を立てたのだと云う。

「客席がスカスカの状態でやるのは酷なこと。『ライブをやるならいっぱいにしてくれ、無理なら断ってくれ』といつも言ってる。僕にも意地がある」と自身が中止を決断したことを明かした。

開場時間の午後3時半まで事務所、イベンター会社から予定通り開催するように土下座で懇願され、押し問答となったが、最後まで首をたてに振らずに「今回はできませんと1分でも早くお客さんに伝えてほしかった。僕が帰らないと収まらないならと、3時45分くらいに帰った」と説明したと云う。

書いていても腹立たしい!それってただのわがままだろう。プライドって言うけど、それって現在の沢田研二に相応しい言葉だとは感じないなぁ〜。自分を何様だと思っているのだろう?

これで、ドタキャンされた少ないファンも離れるんじゃないか!

つい先日、札幌で観た小田和正のコンサートでのサービス精神を少しは見習えよなぁ〜まったく。

こう云う勘違いしたままの芸能人がまだ存在しているんだなぁ〜。20年前の過去の栄光がいまだに忘れられないんだろうなぁ〜。

この中止による損害を一体誰が埋めるんだろうか?

沢田研二に全額払わせるべきだと思うぞ!


■2018-10-20-Saturday 免振?

KYBとか云う会社の免振装置のデータ改竄

が発覚したと云うニュース。

問題となっているのは、免震・制振用のオイルダンパーという装置。

KYBは国の基準や顧客が求める仕様に合わないことが検査で分かったにもかかわらず、数値を改竄して出荷。商業施設、マンション、病院や自治体庁舎などに設置されていたと云う。

オイオイ、それはないだろう!

これが事実だったら、この会社は倒産必至であろうなぁ〜。

KYBや国土交通省は安全性には問題はないと説明しているが・・・、

対象の装置は交換工事が必要だろうなぁ〜。 

ゼネコン関係者によると、数値が改竄された製品が導入された内訳の、9割超を占める「免震用」オイルダンパーは交換工事が比較的に容易なのだと云う一方で、「制振用」オイルダンパーは壁の中などに設置されるのが一般的で、交換工事には壁を壊しての交換等の手間がかかると云う。

建築が終了して完成している建物の壁を壊す?

これには、オイルダンパーの値段なんかよりも遥かに高額な工事費用や損害賠償が請求されるであろうなぁ〜。

地震対策で、後付けでオイルダンパーを設置したビルを何棟か見たことがあるが、決して格好の良いモノではなかった。

新しく建設するビルなら、最初から建築時に組み込んで、デザイン上も目立たない様にとしたはずである。それを、壁を壊して、付け替えて、また新たに壁を造る? それこそ二重三重の手間と時間、経費が掛かるし、見た目も悪くなってしまう恐れがあるだろう。

後付けした建物だって、設置場所によっては「営業を停止しなければならなくなる」であろうから、その被害額は膨らみかねないであろう。

「制振用」のダンパーだったら、地下などに設置するのだろうから、取り替え工事は大変な大工事になるだろうなぁ〜。

何故、こんなバカな改竄なんてことをやるんだろう?

今の時代、不正はバレるに決まっているのに・・・。バレた時のリスクは莫大で、会社を倒産させかねない。

今回は、建物だけに影響は大きく。スカイツリーも該当していると云う。帯広でも、新しく建築したばかりで、これから引っ越しをする「厚生病院」もそうだと云う。果たして予定通りに引っ越しが可能なのだろうか?

人騒がせな事件であるが、噂の免振は出来ないであろう。


■2018-10-21-Sunday 奈良

20日、大阪への夫婦旅行のついでに奈良市に寄った。

とかち帯広空港から羽田空港へ、そこから品川に出て新幹線で京都へ、京都からJRで奈良市に入った。

宿泊先は、奈良駅のすぐ前(ほとんど直結)のスーパーホテルロハス、安くて温泉付きであるのが気に入った。

ホテルに荷物を置いて、フロントで紹介してもらった店に夕食を食べに街中へ出る。紹介された店が満席で断られたので、他の店を探しにブラブラと近鉄奈良駅の方に歩いて行ったら「アレッ、坂本さん?!何で〜」と女性の声がする。私はすれ違う人の顔など見て歩かないから、一瞬、何だ!何が起こったんだ!と驚いたら・・・。

かつて、私が専務理事を務めていた十勝環境ラボラトリー(TKL)(1996〜2006)で、アイヌの絵本「おおかみのこがはしってきて」と「イオマンテ」の2冊を出版した時に、文章を書いてもらった作家の寮美千子さんとパートナーの松永洋介さんの二人である。

TKLが解散後も何度かメールでのやりとりはしていたのだが、面と向かって会ったのは十数年振りのことである。

よく私の顔が分かったなぁ〜、こんなに太ったのに・・・。

奈良に移住したのは知っていたが、今回の旅行目的は名所旧跡の見学であるから、行くことを知らせるとかえってご迷惑を掛けるのではないかと思い、あえて連絡をしなかったのである。

しかし・・・、何となくどこかで会うんじゃないかなぁと云う様な予感がしていたのである。

実は、今月17日に旭川市の「本の読み聞かせ会」の方から5年振りに手紙をいただいた。寮さんの「イオマンテ」が欲しいと云う手紙で、数年前に私の手元に残っていた10冊を会に寄贈したのである。そのイオマンテの朗読会をようやく開催出来たので、その報告としてのお手紙であった。奈良に行く間際に、そんなことがあったものだから・・・

でも、奈良市内を歩いている時に偶然バッタリと会うなんて・・・。いやぁ〜ビックリしたなぁ〜。やっぱり何か縁があるのかもしれないなぁ〜。兵庫での講演からの帰り道だと云う。

地ビールの店に案内される道すがら、300年振りに再建された興福寺の中金堂が、この日に一般公開され、ライトアップされている姿を見ながら歩いて行く。明日は興福寺を見学する予定であるが、夜のライトアップ姿を見ることが出来たのはラッキーであった。

積もる話をしながら、明晩は事務所の「ならまち通信社」で集会があるから顔を出せと云うので、出席の約束をして分かれた。

寮さんから、美味いと教えてもらった店は満席で入れず、ホテルに向かって戻る途中で、最初に断られた店を覗いてみたら今度はOKだと云うのでここで軽く飲食をしてホテルに戻った。もしも、この店が最初に入店OKであったならば、寮さん達には会えなかったことになる。

縁と云うものは不思議なものであるなぁ〜。今回の旅行は何か良いことがあるかも・・・


■2018-10-22-Monday 奈良観光

21日快晴、還暦を過ぎると朝、目覚めるが早い。

6時には、妻が起きて何やらゴソゴソと動きだす。私も寝ていられないから起きて、ホテルの朝食を食べに行く。

もしも食堂に行くのが後20分遅かったならば、行列に並ばなければならなかった。待たずに食べることが出来たので、こりゃ〜幸先が良い。

妻が奈良に来るのは高校の修学旅行以来だと云うから43年振りのことになる。私も同級生だったのだから一緒の修学旅行であったのだが、私は、移動の列車の中もバスの中でも、ず〜っとカード麻雀ばっかりやっていたことしか記憶に残っていない。

私は大学4年生のGWに、京都の大学に入学した高校時代の同級生の下宿に転がり込んでホテル代を浮かし、一緒に奈良や京都の見学をしたのだったが、それ以来であるから40年振りである。

その時には、同級生の京都の下宿から日帰りで奈良の飛鳥地方を主に見たので、奈良公園近辺は見ていない。

今回は、300年振りに再建された興福寺の中金堂が20日に一般拝観されたというので、ちょうど良い機会だと思い、修学旅行時には観られなかった興福寺の「阿修羅像」も見たいと思ったのである。

8時にホテルを出て、タクシーでまずは春日大社に向かう。「標高が高い春日大社に行けば、その後に徒歩で回る東大寺へ行くにはずっと下り坂になるから楽ですよ」とタクシーの運転手に教えてもらったのだ。

朝早いから参拝客はまだまばらにしか居ない。ただ、早過ぎて、肝心の本殿へ向かう道の「特別参拝受付」の柵はまだ開かれていない。この日は午後からしか開かないのだと云う。柵から腕を伸ばして写真だけを撮った。

境内を一通り見た後で西回廊を通リ、徒歩で東大寺南大門前の参道に降りて行く。ここもまだ参拝客が少ない。

徐々に修学旅行の時のことを思い出して来た。修学旅行では、大仏殿の柱の穴を潜り抜けたことを思い出し、今回も再挑戦しようと思ったのだが、妻が「自分のお腹の太さを自覚しなさいよ!途中でお腹が閊えてしまったら私だけじゃ貴方を引っ張り出せないから止めてちょうだい!」と云う。私も現在のお腹の太さを自覚して、十分納得したので止めておいた。

大仏殿を出たら、もう参拝客で一杯である。ここにも早くに来て良かったなぁ〜。参拝客は、修学旅行生たちは日本人だが、数はそう多くはない。韓国、中国、アラブ系、白人などの外国人の方が圧倒的に数が多いのである。

外人客はほとんど大仏殿にしか向かわないから、横目に見ながら法華堂(三月堂)への参道を登って行く。次はすぐ隣にある奈良市内を見渡せる二月堂の舞台に行くが、ダラダラとした階段が続いたので足が痛くなってきた。二月堂の横にあった「東大寺絵馬堂茶屋」で、抹茶とくずきりを食べる。風情があって良い雰囲気の店である。

二月堂の舞台から奈良市内を眺めて、下りは大仏殿の裏側の道を歩いて降りていく。

参道の出口で地図を眺めていたら、調子の良い人力車の車夫が寄って来て、あれこれ説明してくれる。正倉院展が来週からだと云うので少しガッカリ。興福寺まで人力車に乗らないかと云うので面白そうだから乗ってみた。なかなか愉快な車夫で、解説を楽しみながら興福寺に行く。

300年振りに再建された中金堂の一般拝観が20日からされたばかりだから混んでいるのかと思ったのだが・・・。全然、空いていたので拍子抜けした。

昨晩のライトアップも、ライトの色が赤、青、オレンジ等と次々に色が変わっていくので、中金堂の有難味が何だか軽くなったように感じていたのだが・・・。

昼間に見た姿も、何とな〜く安っぽく見えてしまったのだった。新しい建物だとそう感じるのかしらん。

興福寺と云えば、何といっても「阿修羅像」である。国宝館に飾ってある正面の顔が、私が大学生の時に大ファンだった夏目雅子に似ていると思ったのである。写真や映像などでは何度も見ているが、実物はまだ観たことがなかった。想像していたよりも小さい像であったが、真近に観ることが出来て嬉しかった。やっぱり素晴らしい像である。

奈良時代の仏師は、実に良い仕事をしているなぁ〜。

「ならまち」に降りてきて元興寺に向かう。ここは日本最古の瓦が残っている寺である。行ってみると思ったよりも小さい。受付で入場券を買おうと思ったら、その隣の窓口で流行りの「ご朱印」を書いてもらう為に3組ほどの客が並んでいた。昼時で受付に1人しか居ないものだから、いつまで待っても入場券売り場に係員が来ないので、見学を止めて奈良ホテルで昼食をとることにした。創業110年ほどのクラッシックホテルである。さすが従業員の質が高い。レストランのメニューの値段も高いが、満足して出る。

奈良ホテルからタクシーで大神神社(おおみわじんじゃ)に向かう。本来なら奈良ホテルから奈良駅へ行って、桜井線(万葉まほろば線)の電車で向かうのだが、足が痛いと妻が嫌がるので、仕方なくタクシーで向かうことにしたのである。

大神(おおみわ)神社は、三輪山をご神体とする日本最古の神社と言われている。古事記を研究すると、どうしてもこの神社には行ってみたくなるのである。まずは大神神社の摂社の狭井(さい)神社に行く、拝殿の左手奥にある「薬井戸」から万病に効くというご神水が湧き出ているので、癌の平癒を願って水を飲んだ。次に大神神社の拝殿に向かう。大物主を祀ってあるが酒の神様だというので、お酒の奉納が多い。日本酒ソフトクリームを食べて、帰りは電車で奈良駅に戻る。途中に卑弥呼の墓とも言われる箸墓(はしはか)古墳や纏向(まきむく)遺跡があるから、今度来る時には周辺も歩きたいし、三輪山にも登りたいものだ。

ホテルに戻って一休みした後で、昨日約束した寮美千子さんの事務所へと向かう。

方向感覚には自信があるから、地図を見ながら「こっちだよ」と妻を誘導するが、私をまったく信頼していない。暗い道であったがちゃんと辿り着いたのであった。

21時まで、積もる話で盛り上がり、徒歩で奈良駅に向かうが、妻がまた心配する。大丈夫だって!猿沢池まで来たところでようやく安心したようであった。


■2018-10-23-Tuesday 奈良観光2

22日快晴、今朝も6時起き。

朝8時にホテルを出て、タクシーで唐招提寺に向かう。運転手がとても面白いオッサンで「奈良の坊主いうんは、皆、クソ坊主ばっかりでっせ、平城京から長岡京に、そして平安京に移ったんは、坊主が皆、悪い事ばっかりしよったからでっせ・・・、昔から坊主云う言葉が入っとんのは、皆悪い言葉ばっかり、坊主丸儲け、くそ坊主、生臭坊主でっしゃろ、テラ銭云うんは、坊主がやくざに寺を貸して賭博をやらせた場所代のことでっせ、ひとつも良いことやってまへん・・・」と坊さんの悪口が延々と続いた。よっぽど坊主憎けりゃ袈裟までもという苦い経験でもしているのだろうなぁ〜。

そんな中で「唐招提寺」だけは唯一、奈良でまともな寺でっせと言っていた。鑑真和上が招きに応じて、何度も渡航に失敗し、ついには盲目になってまで指導に来た寺であるから、ここの坊主はまともな方なんだとか・・・。

大火に見舞われることなく奈良時代に建てられた建物が4棟も現存する落ち着いた佇まい、重厚感のある雰囲気は、昨日の興福寺中金堂とはかなり異なっていた。やっぱり再建された新しい建物よりも古い建物の方が趣がある。

寺の人から、金堂の四隅に、鬼が居るから見つけてごらんなさいと云う。「すみ鬼」と云うらしい。鳥除けの網が掛かっているので見ずらかったが何とか分かった。「魔を持って魔を制す」という考え方てのは洋の東西を問わずに一緒なんだなぁ〜。

鑑真和上の身代わり像や新宝蔵(博物館)を見学してから、徒歩で、薬師寺に向かう。

薬師寺では、まず、玄奘三蔵院伽藍で、平山郁夫のシルクロードを描いた大きな絵を飾ってある大唐西域壁画殿を見る。

裏側から入場したので、「食堂(じきどう)(2017年復興)」、「大講堂(2003年復興)」、「金堂(1976年復興)」、「西塔(1981年復興)」の順番で見学した。

ここは、近年になって復興されていて、新しい建物であるから、何となく風情が足りなくて、そして何となく安っぽく感じてしまった。唐招提寺を見た直後であるから尚更だったかもしれない。

薬師寺駐車場からバスで、法隆寺に向かう。中国人夫婦が法隆寺に行くと云うので、同じ場所だから到着したら教えてあげると伝えた。

バスは、途中であちらこちらの停留所に本線とは離れて行くものだから、意外と時間が掛かって50分間ほども乗っていたのであった。着いたのが昼時だったので、まずは腹ごしらえ、法隆寺に入る前に、参道の店で蕎麦を食べる。

法隆寺の拝観料は1500円と高い。高いからなのか拝観者は少ない。

ここも修学旅行で来ているから思い出した。

修学旅行時にはなかった大宝蔵院百済観音堂で、「玉虫の逗子」や「百済観音像」などを見ることが出来た。

まだ行ったことがなかった夢殿では、秘仏の救世観音像が2日前に公開されたばかりで、見られたのはラッキーであった。

隣の中宮寺では、これまた見たかった思惟半跏像も見られたので大満足である。

夢殿から法隆寺駅までは徒歩だと20分以上も掛かると云う。この日も歩き過ぎで足がパンパンである。夢殿の門の前は一般道なのでタクシーが呼べると云うので、タクシーを呼んで法隆寺駅まで行ってもらった。駅に到着したら2分後に奈良駅行の電車が来たので、待たずに済んでラッキーである。

ホテルに預けてあった荷物を受け取り、JR線で大坂のJRなんば行の電車に乗るつもりが大坂環状線行に乗ってしまった。

ホテルは地下鉄御堂筋線本町駅のすぐ近くのアリエッタホテルである。大阪駅で降車したが、地下鉄で行くには、足がもう限界に達していたのでタクシーで向かった。

ホテルに入ったら、2階にタイ古式マッサージの店が入居している。すぐに夫婦で予約を入れておいた。

近所で夕食を取ろうとホテルの外に出たが、夫婦の好みが一致しない。

疲れてイライラしていた妻が、だったらここにしましょうとPRONTと云うパスタのチェーン店に入ったのだ。怒りながら注文して、ブツブツ言いながら食べる。私が選んだ訳ではないのに・・・。

食べ終わってコンビニでドリンクなどを購入してホテルに戻ろうとしたら、ホテルの隣に焼鳥屋の看板を見つけたので、ここで一杯だけ飲んで帰ろうと妻を誘ったら、ようやく機嫌が直ったようである。

ホテルで入浴し身体をお湯で解してから、ホテル内のマッサージ店に行く。施術者が驚くほど筋肉がパンパンであった。かなり痛かったが、マッサージを受けて大正解であった。

部屋に戻ったらバタンキューで朝までグッスリ眠れたのであった。


■2018-10-24-Wednesday 大阪

23日霧雨、大阪でも朝が早い。

6時には目が覚めてしまう。

7時にホテルで無料の簡単な朝食を取る。パンと飲み物、バナナとヨーグルトなどの洋食の献立である。バナナは無くなったら終わりであるが、ちょうど私の前の人で終了であった。残念!でも無料だけに文句は言えないが・・・。

今日は、旧知の大学教授の橋爪紳也さんご夫妻のご案内でUSJを初体験することになっている。

私が専務理事を務めていた十勝環境ラボラトリー(TKL)(1996〜2006年)で何度も十勝に招聘した教授である。

TKLが終了後も家族同士のお付き合いを続けている人で、今年もマジック・ミュージアムを見学に来て下さった。

その際に「USJを案内しましょう」となったのである。ちょうどこの時期のUSJはハロウィンの期間で夜になるとゾンビが徘徊する等のホラーの催しをやっていると云う。

橋爪教授は、USJの催し等にアドバイスをしていると云う。その人の案内でUSJを体験出来るのは滅多にないチャンスである。

私は、アメリカのユニバーサルスタジオは、フロリダには2回、ロサンゼルスにも1回行っているが、大阪のUSJは未体験なのである。大阪のUSJはハローキティちゃんなどのアメリカ版には無いアトラクションも多いから是非とも行ってみたかったのである。

待ち合わせは13時であるから、それまでの時間をつぶす為に、午前中は「あべのハルカス」に行くことにした。

あべのハルカスは、高さが300mの日本一の高層建築である。

エスカレーターで近鉄百貨店内を14階まで1階ずつ見ながら昇り、16階の「あべのハルカス美術館」に入る。この日は、大阪万博のシンボル太陽の塔を製作した「芸術は爆発だぁ〜」の岡本太郎の展覧会をやっている。ストロボを焚かなければ撮影がOKと云う珍しい展覧会である。

岡本太郎の作品は昔はあまり好きではなかったのだが、何故だか、最近は太陽の塔が気になってしょうがない。芸術の好みが変わったのかしらん。

次は、60階の展望台である。平日と云うこともあって空いている。待たずに乗ることが出来た。このエレベーターの中は背面がガラス張りになっていて、壁が空港の滑走路を模したデザインになっている。ほんの数秒で音もなくスーッと上っていくが、やっぱり耳がキーンとなった。

テレビで見たことがあるが、安全装置を付けて屋上を歩く「エッジ・ザ・ハルカス」と云うアトラクションがあるが、この日は雨の為に中止、でも晴れていたって高所恐怖症だから絶対やらないけどね・・・。

58階のレストランで外を見ながら昼食を食べる。

降りる前に、そうだ!トイレに入ろう!と考えた。日本で一番高いビルで用を足すと云うのも面白い趣向ではないか!

59階のトイレに入ったら、私以外には誰も居ない。一番奥の大の方に入ってみたら、ドアのすぐ前はガラス張りである。

誰も来ないから、用を足した後で、ドアを開けたまま(もちろんズボンを履いてから)便器に座って写真を撮ったのであった。絶景のトイレである。何やら不思議な感覚に陥ったのであった。これだけでも来た甲斐があったと云うものである。

待ち合わせ場所のホテルから、橋爪教授の車でUSJに向かう。大阪の高速道路は、複雑で私にはとても運転出来ない場所だ。

関係者口の玄関ではバイスプレジデント等が出迎えてくれた。まずはスパイダーマンのアトラクションに乗る、動きがとても激しくて老体にはかなり厳しい。18年前に行ったアメリカのユニバーサルスタジオのアトラクションとは、CGの映像が鮮明になっており迫力が凄い。この10数年間で格段の技術進歩を遂げているようだ。

次に、パレードを見学、観客も一緒に踊ると云うのは、面白い趣向であるが全身が泡だらけになってしまった。

今回の目的は、ハロウィンの季節限定アトラクションを体験すること。お化け屋敷の「GHOST SHIP」に入る。詳しい解説を書くと、この手のアトラクションはマジックのタネ明かしと同じに興冷めをさせてしまうであろうからここでは控えることにする。

次は「ホテル・アルバート」、これもハロウィン限定の毎年、毎年、趣向を変えるアトラクションなのだと云う。誓約書まで書かされての入場だったので、どんな怖い体験をさせてもらえるのかとハラハラドキドキであったのだが・・・。

このアトラクションは結構な時間が掛かったのであったが、その分だけ間延びした感じがぬぐえなかった。

次は、お待ちかねの「ハリーポッター」である。マジシャンとしては、この魔法の空間にはぜひとも行きたかった場所なのである。

入口の景色からして、すでに素晴らしい。完全な異世界に入っていく様である。太陽が沈みかけていた時間帯であったから、尚のこと幻想的に感じた。

ここのアトラクションもスパイダーマンと似た様な乗り物であるが、乗り物の動きと、スクリーンに映る視覚からの情報とがマッチすると、自分が箒に乗ってスゴイ体験をしている様に思える。終わったら乗り物酔いみたいにフラフラになってしまった。

この後は、ハリーポッターの食堂で食事、映画に出てくるのと同じ作りである。橋爪夫人と妻は映画に出てきた「バタービール」を頼んで、上唇にお約束の泡の髭を作っては喜んでいた。このビールのジョッキはお土産にもらったのであった。

先に食事をしてから、ハリーポッターのアトラクションに乗らなくて良かったなぁ〜。順番が逆で、もしも食後すぐ乗ったのならば・・・。

日本のUSJ特有の「ハローキティ」のコーナーに行く。私の名前をキティちゃんが「かずあきさん」と何度も親しげに呼んでくれるので、こちらも親しみを感じてしまう。人間ってのは不思議なもんだなぁ〜。

次は「ミニオンパーク」のアトラクション。乗り物が走る訳ではなく、上下左右に揺れるだけなのだが、目の前の巨大スクリーンの映像と乗り物の動きがマッチすると人間の脳みそが錯覚を起こすので、見た目よりも、かなり激しい衝撃を身体が感じる。ミニオンが可愛いからアトラクションも優しいのかと思ったら大間違いである。

楽しみにしていたゾンビの徘徊は雨が降っているので、屋根の掛かっている軒先に居るだけで道路には出て来ない、ゾンビ達に追っかけてもらいたかったのに〜残念!

最後に、シアターで吸血鬼の映画「ブラッド・レジェンド」を観る。ここもシートが上下したり、足元から風が出たり、前から水しぶきが出たりと映像とマッチした動きをするから、ただ座っているよりも迫力がある。

橋爪ご夫妻の温かいおもてなしで、普通では出来ない体験をさせてもらいUSJが大好きになった。大満足である。

奈良では1200年前の寺や仏像を見学し、大阪では最先端のエンターテインメントを体験した。このギャップの大きさが最高に楽しかった。


■2018-10-26-Friday ラボラトリーで知り合った

今回の旅行で最も嬉しく感じたのは

1996〜2006年までの10年間、「地域で活動することで地球環境問題に貢献する」ことを目標にして活動して来た「十勝環境ラボラトリー(TKL)」で知り合った人達との変わらぬ友情である。

奈良では、偶然にも街中で出会った寮美千子さん。

TKLで9つ同時展開していたプロジェクトの一つ「アイヌの口承民話を絵本にして出版する」と云う童話プロジェクトで、アイヌの方々へのインタヴューから、文章化まで、ほとんどの作業をやっていただいた作家の方である。

お陰さまで「おおかみのこがはしってきて」と「イオマンテ」と云う2冊の絵本を出版することが出来た。

また、大阪では、「中心市街活性化」を目指した「都市構想プロジェクト」などで数多くのアドバイスをいただいた大学教授の橋爪紳也さんである。

お二人とも、TKLが終了してからは既に12年も経つのだが、いまだに家族同士でのお付き合いを継続させてもらっている間柄だ。

1996〜2006年を私の年齢で云えば、38〜48歳である。まさに油が乗っていた年齢で、9つのプロジェクトを同時進行させるだけの気力も体力も充分に漲っていた。

あれから12年!今年、還暦を迎えて気力も体力もすっかり落ちてしまったが、当時の体験は、今の生活にも大きな好影響を与えてくれている。

今回の旅行で、楽しい時間を過ごせたのも、TKLで一生懸命に活動していた褒美であろう。

何かに必死に打ち込むと云うことに無駄なことなどないと感じた旅でもあった。


■2018-10-27-Saturday 恥知らずな奴

21日(日)7:30〜8:00 TBSテレビ系列放送の「がっちりマンデー」には驚いたなぁ〜。

私が苦労して考案した「北の屋台」の理論を、さも自分が考えた!とぬけぬけとぬかす奴がテレビに登場したのである。

青森県八戸市の屋台村「みろく横丁」の中居雅博である。

彼は、北の屋台がオープンしてすぐに帯広の「北の屋台」に視察に来た。直後に、北の屋台をそっくりそのまま真似をして八戸に「みろく横丁」を作ったのだが、この時から、私が居ない場所では「自分が考えた」と言って歩いていた様である。

その後、北の屋台をモデルにした屋台村が全国各地に30ヶ所ほども出来たのだが、その屋台村を数箇所を集めて「全国屋台村連絡協議会 云々」と云う組織を作り、事務局長を名乗って、全国各地で講演したり、指導したりしていた。

正しく指導できるのならば、誰が指導しようとも問題はないが、それでも礼儀として「坂本和昭の作った理論」であると説明するのがルールでありエチケットであろう。

私が2007年3月末に北の屋台から退いたのをいいことにして、今回の様に自分(中居)が考えた理論だと云うことを恥ずかしいことだとは思わないのだろうか?

まぁ、こう云うこともあろうかと、北の屋台のオープン日(2001年7月29日発刊)に合わせて出版したのが「北の屋台読本(メタブレーン社刊)」であり、4年後(2005年7月29日発刊)に出版した「北の屋台繁盛記(メタブレーン社刊)」である。

拙著を読んでもらえば、中居の発言がそっくりそのまま私の著作からの引用だというのがハッキリするだろう。呆れてしまう。少しは恥を知れ!

この時のテレビの内容はこうだ。以下、「がっちりマンデー」の広報からの転載である。

『八戸市の、みろく横丁は、中居社長が16年前に作ったお店の集まりなんですが、普通の横丁には無いルールがいくつかあるんです。

まずは…

中居社長:「3.3坪」でがっちり!

そう、3.3坪。

実は、みろく横丁のお店は、全部「3.3坪」と決まってる。

中に入ってみると確かに狭い!

でも、1店舗あたり3.3坪なのには、ちゃんと理由があるそうです。

中居社長:店主を真ん中に置いて8人のお客さんが囲む方式が、コミュニケーションの最大限、取りやすい方式であると思っています。

そう、みろく横丁のお店は、店主が1人、お客さんが8人。

中居さんがアジアの国々の屋台をヒントに独自で考案した形。

お店の客席が1対8になるようなスペースを計算した結果、一店舗あたり「3.3坪」という、ちょっと中途半端な坪数がベスト、という結論に。

実際にお店の方に話を聞くと…

お店の方:お客さんと会話をする距離感がちょうど良いです。遠くもなく近くもなく。

お店は狭いけど、会話が弾むんです!

そして、みろく横丁には、中居さんがこだわった、こんなルールも。

中居社長:店主の顔やメニューの価格が全部わかるようになっていますので、初めてきても安心して入れます。

そう、初めて横丁に来た人も、安心してお店に入れるように、メニューと値段は、外からでも見えるようになっているんです。

さらに…

店主は外向きで、お顔が見えるよう、暖簾もなるべく短く、などなど。

中居さんがこだわった横丁スタイルは、ズバリ的中し、みろく横丁の「3.3坪」のお店はどれも大繁盛!

気になる売上は?

中居社長:月200万〜300万円。

たった「3.3坪」で、多い月300万円の売上!

という事は、ひと坪あたり、月間91万円を売り上げている計算。

店主にとってはうれしいわけですが、実はもうひとつの決めごとが、

中居社長:契約は3年です。3年真面目にやればお店をきちんと持つことができるという期間です。

そう、お店は3年間の契約。

商売のノウハウを学んで、お金が貯まったら、独立して、自分のお店を持ってほしいというのが中居社長の方針。

中居社長が若き店主のために作った、経営修行の場こそ「みろく横丁」なんです。

全体では年間売上げ5億円!

中居社長は、現在、全国23横丁をプロデュース!

これからも、みろく横丁は「3,3坪」でがっちり!』


■2018-10-29-Monday 島田晴夫さん

世界一のマジシャン島田晴夫さんが

29日にマジック・ミュージアムを訪問して下さった。

前日の28日にロサンゼルスから成田空港 → 新千歳空港 → 札幌に、札幌でのマジック関係者との懇親会に出席され、翌日の昼に帯広に来て下さったのだ。島田さんと旧知の間柄であるNHK札幌放送局の古谷アナウンサーが同伴してお連れしてくれた。

帯広駅にお迎えにあがったら、改札口で「やぁ〜、坂本さん、お久し振り、14年振りになりますかねぇ〜」とハグをして下さったのである。感激〜!

まずは、宿泊先のホテルにご案内して、チェックインをしてもらい。喫茶で一服した後にマジック・ミュージアムへご案内をした。

到着したら・・・、何と!!!!!!!!!

島田さんが「私は、マジシャンに限らず人間には、タイミングと云うものが重要だと思っています。どんなに実力がある人でも、タイミングが合わなければ認められません。今回、坂本さんと14年振りにお会いして、こうしてマジック・ミュージアムを拝見して、正に、今、このタイミングだと確信しました。」

「私は、後、数年でステージから退くであろうことを自覚しています。その時期が来たならば、私の使っていた道具、ドラゴン・イリュージョンや傘、燕尾服などの衣装、他のマジシャン達と一緒に写した写真、楽譜に至るまで全てを、このマジック・ミュージアムに寄贈します。鳩は生き物だから無理ですが・・・(笑)」

「妻のキーリーは、私の助手をしてくれているけれど、マジシャンではないから、私の道具は手に余る邪魔物になるでしょう。道具などは部屋一つ分、特にドラゴン・イリュージョンは一式350圓發△襪ら・・・」

「世界で、私の道具を欲しいと云う人は居るでしょうけど、日本で展示してもらいたい。坂本さんのこのミュージアムに島田晴夫コーナーを作ってもらって展示してくれませんか?」とおっしゃるのだ。

信じられない! 嬉しくて、嬉しくて! 感激して全身に鳥肌が立った。

「本当ですか!光栄です!マジック・ミュージアムを拡張して島田晴夫コーナーを作ります。世界中から見学に来てもらえるような展示方法を考えます。」と答えた。

島田さんは「このことを、今日、取材に来る新聞社に発表してしまいましょう。」とおっしゃる。「坂本さんが、もう後戻りできない様に公表してしまいましょう」とおっしゃってくださったのである。エッ〜ツ、本当に良いのかなぁ〜。私に異存があるはずがない!

17:00から、北海道新聞社と十勝毎日新聞社の2社の記者が取材に訪れた際に、島田さんから「この場所に、縁を感じました。グッドタイミングです。数年後に私の道具の全てをこのミュージアムに寄贈します。」とハッキリ宣言されたのである。

それを聞いていた妻も、覚悟を決めた様で「こうなったら、世界一のミュージアムにして、マジックの文化を帯広から世界に発信するようにしたら。」と言う。妻も島田さんの人柄に触れて島田晴夫ファンになってくれたようだ。

来年は、一緒にロサンゼルスの島田邸を訪問するつもりである。何と嬉しい一日であることか!興奮しまくりの一日であった。嬉しい〜!


■2018-10-30-Tuesday 島田晴夫さん 2

昨日29日は夢のような一日であった。

嬉しくて、興奮して、一睡も出来なかった。こんなことは久し振りである。

早朝7:00にホテルにお迎えにあがる。

どうか夢じゃありませんように・・・。

朝食の会場で、再び島田さんからマジック・ミュージアムへの道具類の寄贈の話が出る。その時に、これまたグッドタイミングで、アメリカに居る島田さんの奥様のキーリーさんから島田さんの携帯に電話が入ったのである。

島田さんが、寄贈の話を伝えたら、奥様も「それはグッドアイデアね、でも貴方は100才まで生きるから、まだ先の話よ・・・」とおっしゃったと島田さんが私たちに伝えて下さる。

これで、奥様のキーリーさんも承知して下さったということだ。

本当に夢じゃないのかしらん。夢なら覚めないで欲しい。

島田さんは「寄贈の手始めとして、今回持参して来た写真の一枚を置いて行きましょう」とおっしゃって、鞄からアルバムを取り出して「これは、1981年に it's Magic と言うショーに出た後に、ロサンゼルスのバリエティ アート センターの五階で撮った ハリー・ブラックストーンjr、マーク・ウィルソン、リチャルディ、デビッド・カッパーフィールド、ダイ・バーノンと私(島田晴夫)の6名の錚々たるマジシャンが一堂に会した貴重な写真です。これを差し上げます。」とおっしゃって、私に手渡してくれたのである。

エッ〜ツ、こんな貴重な写真を貰っちゃって良いのかなぁ〜。

一夜明けてもまだ興奮が収まらない。

島田さんは8:00の都市間バスで新千歳空港に向かい関西へ旅立たれた。

これは何だかスゴイことになってきたぞ!

何せ、あの世界のMr.SHIMADAから「貴方に託したい」との申し出があったのだ。こんな名誉なことはない。

マジック・ミュージアムに「島田晴夫コーナー」が出来たら、それこそ世界中のマジシャン達が訪れる、マジックの聖地になるかもしれない。心して取り組みたいと考えている。

それにしても、嬉しいなぁ〜。


■2018-10-31-Wednesday 島田晴夫さん 3

29日にマジック・ミュージアムを

訪問して下さった島田晴夫さんから、貴重なお話をたくさん聞けた。

特に、15歳でマジックに目覚め、16歳での八つ玉でのデヴューの話しはとても面白かった。

本番3週間前に、左利きの石田天海師から「左手でもやってごらんなさい」と言われたのだという。

当時は左ギッチョ(左利きを島田さんはこう表現されていた)は右利きに矯正されたもんだったし、左手を使うのは忌み嫌われていた風潮があったから、左手を使おうと云うのは考えてもみなかったそうだ。

2階の窓から身を乗り出して練習したのだと云う。玉を落としたら階下まで拾いに行かなくてはならない。その緊張感のもとで練習をしたのだと云う。

その玉の手順を目の前で実演してくださったのだが・・・。

私が用意したのは、MC社製の中空40mmボールでシェルが木製であったが・・・。

島田さんが使っているのはテンヨー製のボール(40mmよりも小ぶり)でシェルは金属性だと云うのである。これまで何度もビデオで島田さんのビリヤードボールの演技を見ているのだが、大きく見えたので、私はてっきり40mmボールだと思い込んでいたのだ。

そのことを言うと、笑って、「手の形をこう小さくすると・・・」と実演して見せてくれたのだが、確かに手を小さく見せると相対的にボールが大きく見えると云う手法である。「これも一種のイリュージョンですよ」と島田さん。

さすが、こんな細かいところにまで気を配っておられたのだなぁ〜。

島田さんは、観客から「素晴らしい!」と言われるのは嬉しいが「上手いですね」と言われるのは好きではないと云う。テクニックを褒められるよりもキャラクターを褒められたい。それはキャラクターは唯一無二のものだからだと云う。

だから、フラリッシュを観客に見せつける様な演技はやらないのだと云う。

それはマジックを演じているというよりも、ジャグリングを演じている様なものだからだと云う。

マジックは元々不思議さを見せるものであるのだから「不思議ですね」と言われるのは、観客の意識が、まだマジックの「種」の方に向いている証拠であり、演技全体を見ているわけではないから、それも良くないのだという。エンターテイナーとして、観客に感動を与えたいのだと云う。

島田さんはマジックを他人に指導することにはまったく抵抗は無いと云う。いくらやり方を教えても島田晴夫は唯一無二のキャラクターだからなのだと云うのだ。ウ〜ン、なるほど!深いなぁ〜!

その話を聞いていて、畏れ多いが、私が作った「北の屋台」のコンセプトと同じだとフッと感じた。屋台も店主のキャラクターが重要で、屋台のやり方を他の地域の人に指導しても北の屋台と同じモノには絶対にならないからだ。屋台とフードコートとの差がここにあるのである。

そうか!やはり私のマジック的思考法は合っていたんだなぁ〜。思わず嬉しくなった瞬間であった。